ルーツ
道路に面して大きく開かれた門をアウディで通過したところで、すぐそばの倉庫らしき大きな建物から、作業着に上着を羽織った若い男が走ってきた。
駐車場まで車の誘導をしてくれるらしい。
きちんと雪かきがしてあるのでわかりにくくはなかったが、「来客に気付いたらすぐに動くように」という社長の考えが伝わってくる。
身振りで示された通りの場所に停めて、伊久磨は運転席から下りた。助手席に乗っていた光樹もほとんど同時にドアを開けて下りる。
「お、光樹くん!? なんか家出したって聞いたけど」
男が瞳に面白そうな光を閃かせて言った。頭にタオルを巻き付けており、顔はよく日に焼けている。浅黒い肌に、真っ白の歯がいかにも明るい印象だった。
「木崎さん。親父は」
光樹がぼそぼそと言うが、木崎と呼ばれた男の視線は伊久磨の方へ向く。
目が合ったところで、伊久磨はもともと浮かべていた笑みをさらに深めた。
「こんにちは。蜷川と申します。社長はいまどちらですか」
木崎は目をしばたいてから、視線をぐっと上に向けていた。
「ええっと。でかいなー……、警察……?」
「いえ。友人です。光樹くんを一晩お預かりしていました。夕方には家までお送りしますと伝えていたんですが。心配なさっていると思いますので、お父様にご挨拶を」
ああ~……、はいはい……と、少し気圧された様子ながら、木崎は背を向けて「こっち」と歩き始める。駐車場から見て、倉庫とは反対側。モデルハウスのように綺麗な白壁三角屋根の平屋が建っている。
光樹が焦った様子でその背中に声をかけた。
「あの、事務所だよね。案内は別にいいよ。俺がいるから。仕事続けてもらって」
先導してもらうまでもなく、光樹なら敷地内のことはわかっている。木崎は「んん~」と唸ってから言った。
「いま奥さんいないと思うから、お茶いれるわ。お客さんだし」
「え、いや、そんなべつに」
咄嗟に断りきれなかった光樹がもごもごと口の中で呟いた。
親子喧嘩を従業員に見られるのが気まずいのか、単純に遠慮しているのか。伊久磨としては、木崎がいてもいなくても、どちらでも構わない。
「お仕事中にすみません。そこの倉庫で作業されていたんですか。気温、外と変わらないですよね」
何気なく話し始めた伊久磨に、木崎はきょとんとしたように足を止める。
「ん。まあそうだけど、慣れてるから」
追いついて横に並びながら、伊久磨はさりげなく歩き続ける。木崎もつられて歩き出したところで、穏やかに尋ねた。
「家を建てると言っても、冬場は難しいんじゃないでしょうか。雪も降りますし寒いですし」
「まあそりゃそうだ。やらないと決めているところもある。うちはやるけどな」
ちらりと木崎の横顔に視線を滑らせ「それはすごいですね」と伊久磨は素直に感嘆の声を上げた。
「最近はユニット工法なんて聞きますけど、そういうやり方を取り入れていらっしゃるんですか?」
ん、と木崎が肩を並べた伊久磨を見上げる。
「あれ、家、建てるんですか」
さらりと工法が出て来るのは、同業者でもなければ、どこかで案内を受けて知識をつけてきたお客さんか、と考えたようだ。
「建てたいですね。いずれ」
特に否定することもなく、伊久磨は木崎の目を見て頷く。木崎はチラッと伊久磨の指輪を見た。
「新婚……さん? 光樹くんとは年離れて見えるけど、どういう?」
高校生の友人とは考えにくい、という遠まわしの問いかけ。
「光樹くんのピアノを聞く機会があって、友だちになってもらいました。それで、もしよければ勤め先のレストランでピアノを弾いて欲しいとお願いしているんです。学校はバイト可だと聞いたんですけど、後はご両親がどうお考えになるかですね」
「ピアノ……」
木崎の顔に微妙な笑みが浮かぶ。伊久磨は完璧な微笑でもって答えた。
「好きなんです。これからもずっと弾いて欲しい。弾き続けているうちにどんどんファンが増えますよ。そうだ、光樹くんはビジュアルもいいし」
何一つ。
ネガティヴな言動を受け付けることなく言い切る。
「うちの店は女性のお客様も多いからな……。コアなファンがつく可能性もあるか。そこは気を付けないと」
考えながらぶつぶつと続けると、光樹が「伊久磨さん」と呆れたように呟いた。
「無いから。それは」
「いや、無いことはない。俺でさえ『うちの娘はどう』なんて言われて、身上書を持った女性に追われているくらいだ。イケメン過ぎないところが安心するって」
ええっ……と声を上げて、光樹はなぜか絶句した。突拍子もなかったのかと思って「実話だよ」と伊久磨は補足したが「失礼なひとだね」と憤慨したように言われる。それがあまりに真に迫っていたので、伊久磨の方が戸惑ってしまった。
(怒る要素何かあったか?)
門を通過する前から気付いていたが、敷地はかなり広い。
左手に倉庫、右手に事務所。モデルハウスを兼ねているらしく道路に面していて大きな窓もあり、カーテンもかかっていなかった。その隣にも二階建てくらいの高さのある倉庫がある。正面奥には住居がありそうだが、木々の繁った庭も広がっていて、どこまで続いているのかはわからない。
工務店の他に造園業も兼ねているらしい。門に看板が出ていた。
「これだけ広かったら、隣の家を気にすることもないだろうし、ピアノなんか弾き放題だな」
率直な感想を告げたところで、事務所に着く。普通の一軒家のような玄関で、格子状に木の張り巡らされた引き戸を木崎がからりと開けた。
ふわっと温まった空気が溢れ出す。
木崎がそのまま先に入り、伊久磨が続いた。最後に光樹が戸を締めながらついてくる。
「伊久磨さん」
後ろ向きに、靴を揃えて脱ごうとしたら、向かい合う形になった光樹に潤んだような大きな瞳で見上げられる。
「どうした?」
「あの……、なんか。家まで、ごめんなさい。こんなの自分でどうにかすることなのに」
とてつもなく言いづらそうに。切々と。
軽く目を見開いて光樹を見つめてから、伊久磨はふきだした。
「はじめから、俺が話すと言っていたと思うけど。むしろきちんと頼ってくれて良かったよ。……それに、来てみたかったし。造園業の方もお父さん?」
気になっていたことを聞くと、光樹は少し考えてから「じいちゃん。親父の方の」と答えた。
「なるほど。じゃあ、もしかして同居?」
「いや、二軒ある。家は別」
「お母さんはお花の先生なんだよね」
「うん。今はそんなに生徒さんとってないけど。もともとはばあちゃんが。それは母親の方の。俺が小さい頃に死んでるからよくわからないけど」
すらすらと答えられたことを興味深く聞いた。笑みが浮かぶのはどうしようもなく、光樹には不思議そうに見上げられる。
「ルーツっていうのかな。いろいろあるんだ。面白いね。光樹くんは将来どうしようって考えているの? 造園関係とか建築関係、期待されたりしていないの」
光樹は眉をしかめて唸る。
「後を継がせるつもりはない……って親父は言うけど。継ぐって言ったら嬉しいんだろうなっていうのは感じる。だけどうちは職人さんを何人も『使う』仕事だから。俺は……。姉ちゃんが継ぐっていうのもありなんだろうけど。さっきの木崎さんみたいなひとと結婚したりとか。ただ、親が結婚決めるのはさすがに時代が違うし。うちの親、自分らが色々あったみたいだから、その辺は口出しはしないと思う」
途中で、伊久磨が真顔になってしまった理由をどう考えたのか、光樹は焦ったように言い募った。
「なるほど。よくわかった」
木崎はすでに奥へと消えている。中のひとへ来客を告げ、お茶の準備をしているのだろう。
伊久磨は板張りの床に踏み出して進み、肩越しにちらりと光樹を振り返る。
適当な言葉かどうかは知らないが、確信を持って強気に言い切った。
「とりあえず、負けないから」
※11月1日0時に「瞬く間に夕陽」というスピンオフ短編をUP予定です。もしよろしければあわせてどうぞ!
また、ムーンライトノベルズで公開中の「落ちない男が言うには」に近日中にSSが入る予定です。
いつも読んでくださってありがとうございます。