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ステラマリスが聞こえる  作者: 有沢真尋
24 星の海(中編)
155/405

それぞれの事情

 ――明日、夜の営業からでいい。高校生を家に帰すの優先。遅くなるようなら無理してこなくても大丈夫


 シャワーを済ませてから着替えと一緒に置いてあったスマホを見ると、由春からメッセージが入っていた。

 ひとまず、半日休。片付かなかったときはいっそ一日休めということらしい。

 光樹から話を聞いて、必要があれば説得し、朝になったら家まで送っていかなければならない。営業に間に合わせようとすると、すべてが中途半端になるのは目に見えていた。


 ――ありがとうございます。明日また連絡します。

 ――了解


 短いやりとり。

 部屋に戻ると光樹はコートを着たままパソコンデスクの椅子に膝を抱えて座っており、香織は伊久磨のロンTを着て布団に寝転がって、スマホを眺めていた。

 会話があったかどうかはよくわからない。


「光樹くんはコート脱いで楽にしたら。何か飲み物でも」

 香織がスマホを投げ出して、顔を上げた。

「伊久磨めし食ってないんじゃないの。冷蔵庫にうどんあるよ。飲むなら付き合うけど」

「明日仕事休み?」

「うん」

 俺も。と思いかけて、伊久磨はすぐに打ち消した。


「未成年がいる場で飲酒はよくない」

 もちろん一切飲ませる気はないのだが、誤解を招く状況自体避けたい。

「コーヒーとココア買ってきてある。子どもはココアかな。饅頭もある。全部IHの上。どこに片づけるかよくわかんなくて」

 香織の声を聞きながら、ガスフードのライトを点ける。IHコンロの上に椿屋のビニール袋と、スーパーの袋。冷蔵庫を覗いてみると、中身も明らかに充実している。


「蜷川ってこんなに晩飯遅いの?」

 生めんのうどんと、卵とかまぼこ。ほうれん草も使おうかな、と冷蔵庫から材料を取り出していると、光樹がすぐ背後まで来ていた。

「仕事終わってからだから。シェフの試作食べたり飲み屋で済ませることも多いけど。光樹くんは?」

「大丈夫」

「じゃあ饅頭どうぞ。コーヒーでいいかな」

 立ち上がってホーローのヤカンに水をいれる。

 和菓子のつまったビニール袋を渡したが、光樹は動かない。


「どうした」

「ん……と、迷惑かけていると思うんだけど。その、うちの親に通報されたら、とか。俺その辺全然考えてなくて」

 ホーローの片手鍋をコンロのにせる。

「通報しそう?」

 されたらされたで自分が捕まるんだろうなぁ、と伊久磨はぼんやり考えた。

「引き下がったのにびっくりしてる。絶対迎えにくると思っていた」

「今頃岩清水さんちに行っているかも」

 はあ、と暗澹たる溜息をついて光樹は俯いてしまった。あり得るのかもしれない。


「家出は初めて?」

 かまぼこを切りながら伊久磨が尋ねると、光樹は暗い声で話し始めた。

「俺は初めて。うち姉ちゃんがいるんだけど、中学・高校のとき結構荒れてたらしくて。そのせいかうちの親、俺に関しては『絶対に間違いのないように』って感じで締め付けが」

 コンロに向かい、めんつゆを適当に希釈してうどんを放り込んで茹でながら、伊久磨は呼吸を整えた。

 強い決意を胸に光樹を振り返る。

「あの、その姉ちゃんのことなんだけど」

 お付き合いを。

 言うつもりだったが、光樹の勢い込んだ発言に遮られた。


「今は家出て東京なんだけどさ。髪は金髪だし、もうすぐ三十歳だってのにヤンキーみたいな感じ。そうそう、年齢すっげー離れてんだよね。あんまり話したことない。物心ついたときには家出てたし、たまに来る親戚みたいなもんで。たぶん姉ちゃん、俺のこと嫌いだし。というか家族のことが嫌いっぽい」

 ぐつぐつぐつ。うどんが煮え始めている。火力を弱めてから、腕を組んでシンクに寄りかかり、光樹を見つめる。


「それは『どうして』って俺が聞いても良い話? 聞きたいんだけど」

 まなざしが暗くなっている。初めて会ったときのように。

 ビニール袋の持ち手を握りしめて、光樹は薄く笑った。表情が決まらなくて、笑うしかなかったようないびつさだった。


「うちは、俺が生まれるまで両親の仲が悪かったらしくて。知り合いの人から聞いたんだけど。わりと悲惨だったって、姉ちゃん。んで、両親がまぁ、なんだかんだ仲直り? して、俺が生まれて……。わかんないけど、その頃から姉ちゃん家に居つかなくなったらしくて。でも、ここ数年は、たまにだけど家に帰ってきていたし。お土産持って」

 腕を組んでいたせいで、両方の指が自分の両腕にのっている。力をいれすぎて、指が腕に食い込んだ。気付いて、ゆっくりと呼吸を吐き出した。

 光樹は、話すと決めたせいか、つっかえながらも続ける。


「去年の今頃かな。俺の親父が面倒見ていた女の人がいるって。いや、過去形で。ずいぶん前、俺が生まれる前の話らしいんだけど。そういう話が今さら出てきて。家の中ぎくしゃくして。俺はその頃受験だったんだけど、第一志望落ちちゃったりして。なんか……親父も母さんも会話なくなったんだよな。あ、姉ちゃんが子どもの頃ってこんな感じだったのかな、きっついなって。何話してんだろ。ごめん、まとまりなくて」

 ぐつぐつぐつ。

 めんつゆの匂いと、あたたかな蒸気が、ガスフードのオレンジ色の灯りに照らし出された小さな空間を漂っている。


「その話、姉ちゃんは知ってるのか」

 うーん……、と光樹は俯いた。言葉を探して途方に暮れた顔をしている。視線を合わせようとしない。

「去年、姉ちゃんこっちで仕事があるってふらっと帰ってきたんだ。その時、家の空気が変だなとは思ったみたいで、いつもより長めにいたんだけど。母さんとは少し話したのかな」

 上下、伊久磨からの借り物を着込んで黒づくめの香織が、部屋とキッチンの境目に立った。


「伊久磨、焦げる。匂いが香ばしくなってる」

 言いながら、伊久磨の前を横切って、IHのスイッチを切る。

 睫毛が頬に触れ合うそうな至近距離から顔を見上げて、さめた口調で言った。

「そっちで話しな。うどんとコーヒー持ってくから」

(香織……)

 聞こえているのも聞いているのも知っていた。


「今は」

「食欲ねえとか言うなよ。他人(ひと)の家庭の事情聞いて。お前食わないとだめになるんだから食え。それから高校生」

 明らかに顔色が悪くなっている光樹を振り返り、香織が鋭く呼びかけた。


「どうせもう迷惑はかけてんだから、話、途中でやめんな。伊久磨がナイーブな反応しているから気にしてるんだろうけど。反対に、伊久磨の事情聞いてもお前同じ状態になるぞ。こいつこの歳でもう家族全滅してるからな。他人の家庭の事情なんか、首つっこめば痛い目しか見ねーよ。だけど伊久磨がお前連れて帰ってきて、話聞くって言った以上、色々覚悟の上なんだ。さっさと全部洗いざらい話せ」

 全滅? と、小声で聞かれて、伊久磨は力なく頷いた。

 喉の奥で言葉が絡まったまま、出てこない。

 絡まった言葉に、内側から喉を締め付けられる。

「伊久磨」

 がつんと香織に額に額をぶつけられて、うざい、とようやく一言声が出た。

 手を伸ばして、香織を押しのける。


「何年も前のことだから。妹がいたけど……光樹くんの年齢で死んでいる。そのうち、機会があったら話すよ。今はまず光樹くんの話を。ここ寒いから向こうで。香織、あと頼む」

 伊久磨が部屋の中に足を踏み入れると、光樹が追いかけてきた。

 大きな瞳に激しい動揺が浮かんでいる。

 自分の酷い表情が映りこんでいる気がして、伊久磨はにこりと顔をひきつらせつつ精一杯微笑んだ。


「話の続きを聞きたい。お姉さんはその後どうしたの」

 床に敷かれた香織の布団に腰を下ろしてベッドに寄りかかる。少し離れた位置に、光樹も座った。正座だった。静香を見ているような気がした。


「たぶん、事情は把握していたと思うんだけど、そこまで詳しくは知らなかったみたいで。正月に帰ってきたときに、なんか、こっちに彼氏がいるとか言い出したんだけど。それが……、レストランの人とかなんとか。親父が面倒見ていた女の人って、どうもそういう関係の仕事のひとだったみたいなんだよね。それで、親父も無言になるし母さんは鬱になるし。……あの、ごめん。だから、蜷川に初めて会ったとき、八つ当たりした自覚はある」

 伊久磨は背を預けていたベッドに、だらりと首や頭をのせて目を閉ざした。

 その反応の意味がわかるはずもなく、光樹は焦った口調で続けた。


「姉ちゃんほとんど帰ってきてないのに、こっちに彼氏がいるってのもなんか変な話なんだけど。東京の方が絶対知り合いいるはずなのに、田舎の男かよダッセえなって。とりあえず、姉ちゃんはそのまま東京に戻った。たぶん、よくわかってない。そのせいだけじゃないんだけど、最近本当に家の中暗くて。高校落ちたときから、ピアノもやめろって言われていたけど、最近本格的に……」

「『海の星(レストラン)』で『ピアノ』の『バイト』をする件でトドメか?」

 びっくりするくらい状況が悪い。

 先に事情を知っていれば良かったかもしれないが、伊久磨が「知った」ところで打てた策は特にない気はする。「関わらない」とか「諦める」という消極的な考えになる前に事態が動いているだけマシかもしれない。

 そう、信じる。


「親父の不倫相手と、姉ちゃんの彼氏は関係ないし。それで『レストラン』がだめってなるのも変だし。俺は『海の星』でピアノを弾きたい。その話で今日は滅茶苦茶になったけど、親父も母さんも自分たちの反対や怒りが理不尽だって自覚はあると思う。あってほしい」

 話しているうちに気持ちが固まったのか、決然とした調子で光樹が言った。


「そうだな。無関係なものを関係づけて考えても仕方ない。問題はひとつひとつ解決するべきだし、ご両親の過去の後悔が、光樹くんの未来の選択肢を奪うことになってはいけないとは思う」

 同じ過ちを犯すとは限らないのに。

(過ち……)

 胸が痛い。静香と話したい。


 顔を上げたところで、香織がマグカップを二つ持って歩いて来た。

 壮絶に甘ったるい匂い。

 両方ともココアだった。

 俺はコーヒーが良かったのに、と心の中だけで文句をつけておいた。



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― 新着の感想 ―
[一言] 私はこれまでいろいろな兄妹を見てきて、兄妹は仲が悪いのが普通というイメージだったのですが、伊久磨さんは妹と仲が良かったのですね……。 切ない…………。 光樹くんが伊久磨さんに八つ当たりして…
[一言] そ、そういうことだったのか……。 まさか光樹くんも目の前にいるのが実の兄と義理の兄だとは思ってないんだろうなあ……w
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