え、そっち落とすんだ?
『レストラン勤務の知人に話したら、「ブライダルコーディネーターのスクール」に興味津々なんです。スクールの講師している人と会う予定があるって言ったら同席したいみたいなんですけど、大丈夫ですか?』
――大丈夫ですよ。待ち合わせ時間や場所は変更ありませんか。
『はい。時間は大丈夫です。ただ、場所の方は三人ですし、落ち着いて話せるところがいいかなと思います。こちらで予約を入れておきます。急な連絡で申し訳ありません。どうぞよろしくお願いします』
* * *
「短期集中八日間コースですか。こういうのなら、ありかも」
打ち合わせは、伊久磨が予約を入れていたホテルのバーラウンジに場を変更していた。
一階ロビーに隣接したオープンスペースで、豪奢なシャンデリアの下、ゆったりとしたソファ席が広いホールに贅沢な間隔で置かれている。
テーブル周りにL字型に配置されたソファで、一人掛けのソファに石橋、二人掛けに伊久磨、静香と並んで座って、石橋の説明を受けた。
――齋勝さんの知人の蜷川です。今日は突然でしたが、快諾してくださってありがとうございます。
ホテルのロビーで対面した際、伊久磨はごく感じよく挨拶をしていた。
優し気な目元と品の良い印象の唇に穏やかな笑みを浮かべ、石橋をまっすぐ見て。
身長差で、やや見上げる姿勢になりながら石橋は「こんにちは」と如才なく挨拶を返し、名刺を取り出した。同時に、伊久磨も名刺を出して交換。
石橋は伊久磨の名刺を確認し、店の所在地が都内でないことをすぐに話題に上げた。
予想していたように、伊久磨が簡単に自己紹介をする。その上で、「まだ新しい店でウェディングを受けた実績はないものの、お顔合わせで利用したカップルから希望が出ている」という説明をし、現実的な準備として何ができるかをかなり突っ込んで聞き始めた。
その真剣な様子に石橋もすっかりのめりこんでしまったようで、説明に熱が入る。
結果的に、半年や一年通う専門学校は難しいにしても、思い切って短期集中コースが良いのではないかという結論になっていた。
「ブライダルプランナーコースと、ブライダルコーディネーターコースと二部門あります。カリキュラムは少しずつ違いますが、プランナーの方はウェディングのプランニングノウハウ、コーディネーターは衣装のコーディネートやアテンド方法など、より現場寄りの知識の取得を目的としています。未経験者もいますが、すでに現場経験のある人がスキルアップの為に利用している例もありますよ」
カリキュラムの記されたパンフレットを提示し、石橋が細かく説明する。
集中して耳を傾けていた伊久磨はといえば「どっちも必要だけど、八日間を二回か……」と検討している様子。
静香がろくに口を挟む様子もなく、二人の会話はスムーズで、どう見ても話が弾んでいた。
(伊久磨くんは、いったい……?)
べつに、修羅場になると思っていたわけではない。
ただ、打ち解けすぎだろう、と。
正直なところを言えば、静香は石橋の誘いには下心があるのではないかと感じていた。それを知りながら約束しておいて、知人男性(※彼氏)を同席させるなんて、感じが悪いというか、不興を買わないかと心配はしていた。
だからこそ、「スクールのお客さんになるかもしれない人を連れて行きます」という誘い水でしのごうと画策したのであるが。
謙虚に説明を聞き、絶妙に先を促す相槌を打ち、適切な質問をする伊久磨に対し、石橋は完全に気持ちを奪われているように見える。
もともと、職業柄、人と話すのは好きなのだと思う。ただ、実際の仕事では「相手の要望をヒアリングする」面が強いはず。とはいえ、石橋にも話したいことはあるだろう。
おそらく、伊久磨はものすごく「話しやすい」のではないかと、横で聞いていた静香も気付いた。
それは石橋も思ったようで、しまいに感心しきった様子で言った。
「蜷川さんはお客様の信頼も厚いでしょう。話を聞く姿勢が一流です」
いえいえまだまだです、と伊久磨は控えめに微笑む。
「石橋さんの説明は本当に丁寧でとても勉強になります。サービスのプロとして、石橋さんほどレベルの高い方とお話する機会は普段ほぼありません。こちらの質問にも丁寧に答えてくださいますし、提案力もすごいです。今まで漠然と考えていたことに形を与えられるような……。さすがです。結婚式って、自分が過去に関わった成功例をそのまま次のお客様にお見せするわけにはいかないですよね。新規のお客様と向き合って、その度に相手のイメージや希望を的確に汲み取って、具体的なプランニングにつなげていくお仕事だと理解していますが……、石橋さんに担当してもらえるお客様はラッキーだなと思います」
(伊久磨くんって)
気のせいでなければ、石橋の術中にはまった体で、逆にはめている。真に迫った様子で持ち上げられて、すっかり石橋は気をよくしてしまっている。
「いや~~、私も蜷川さんの結婚式だったらぜひ担当したいです。素晴らしい式にしますよ!!」
何を言い出したのやら。
(石橋さん、伊久磨くんのこと、好きになりすぎでは?)
状況が許せばつっこみたくて仕方ない。藪蛇にならないようになんとか口を閉ざしているが。
「俺は石橋さんと一緒に働いてみたいです。すごく勉強になると思います。職場の人がうらやましいな」
(いやあああああ? 伊久磨くんも調子良いこと言い過ぎじゃないのかな!?)
本音なのかもしれない。少なくとも、嘘を言っているようには見えない。
それは石橋も同様に感じているらしく、その後しばらくまた熱のこもった説明が続いた。
* * *
――それでは、次に上京するときは改めて連絡します。スクールの件は真剣に検討しています。
結婚式の打ち合わせ並に盛り上がったあげく、伊久磨と石橋はどこか名残惜しそうに別れを告げた。「申し訳ないんですが、東京に来たついでに他に用事もあります。齋勝さんに付き合ってもらうことになっているので」と伊久磨が申し出て、石橋も納得していた。
当初は、カフェで打ち合わせをしてから、軽くランチ。その後、引き出物や招待状などウェディンググッズを扱うお店でも一緒に見ませんか、というのが石橋からの提案であったが。
事前に伊久磨に伝えたらごく普通に却下されていたのだ。
だめです、と。
「そういうお店に男女で行ったら、ビジネスよりもまず『式のご予定はいつ頃』なんて接客を受けますよ。だめに決まっています」
というのがその理由。
その意志は固かったらしく、打ち合わせは打ち合わせのみできっちり終了。
「こう……、正直ね。石橋さん、もしかしたら下心あったのかなって思ったり思わなかったり……」
静香が告げると、伊久磨は真面目くさった様子で「あったと思いますよ」と頷いた。
その上で、並んで雑踏を歩き出しながら、続ける。
「だけど、あの人多分、根っからあの仕事が好きなんだと思います。静香にステップアップを勧めたのも、下心だけじゃないと思います。最終的に、今日も仕事の話の方が楽しくなってしまってましたね」
「見ていて、それは思った……」
最初こそ、伊久磨の存在に何か思うところもありそうだったが、すぐにその空気がどこかに行ってしまっていた。すべて伊久磨の対応のおかげではあるが。
「静香」
不意に名前を呼ばれて、手袋をした手を掴まれる。
前を向いて、歩き続けながら、伊久磨がはっきりした声で言った。
「次に石橋さんに会ったら、俺は彼氏だと言ってしまって良いと思います。あの人はたぶん、それで引き下がります。引き下がらず、仕事に影響が出るようなら、思い切ってその仕事は蹴ってください。この先、フリーで働く上で、『女』を期待される、『女』を使わなければならない仕事はそうやって蹴ってしまってください」
横顔を見上げていると、目を向けられた。真摯なまなざしのまま、伊久磨は今一度口を開いた。
「それで仕事に困るなら、そこは静香が身を置くべき場所ではないのだと思います。不本意なことをし続けると、いつかいらない傷を負います。それは俺が嫌です。自分を安売りせず、大切にしてください。何かあったら、躊躇せず俺を頼ってください。こんな距離たいしたことないですよ」
遠距離は。
会いたいときに会えなくて、助けて欲しいときに助けてもらえない。
困ったことがあっても、自分で対応するしかない。
平気。そんなの今までと何も変わらない。
そう思っていたのに。
「頼る……」
呟いた静香を軽く抱き寄せて、伊久磨は小さく笑って言った。
――静香がクリスマスに来てくれたから。
あの時、こんな距離たいしたことないって俺も気付いたんです。
たいしたことないでしょう?