わかりました(不穏)
『どんなに遅くなっても良いから、電話がしたいです。』
それだけの文章を送れずに、もうずっと悩んでいる。
(わがままかなー。自分「が」電話が良いだけだからね。でもメッセージだと伝わらない気がするんだよなー。伝える努力をすればいいだけなんだけど……)
『仕事の打ち合わせの打ち合わせで、男の人と相手の休日に会う約束をしました。仕事なので心配しないでください。あと、藤崎さんの特訓の件はやっぱり良くないと思います。香織と付き合う前提の人なのだし、仕事時間外は香織と一緒にいる時間を確保させるべきだと思います。』
入力してみて、だめだ、と静香はスマホを投げ出した。
言いたいこととして間違えていないのだが、全部だめな気がする。
(心配しないでください、なら言う必要がないよね? 言う以上は「心配な面があるけど心配しないで」になっちゃうけど、「なんで心配させるようなことするの?」になるよね。というか、心配するかなー)
伊久磨は自分のことが好きなのだとは思うが、「仕事」なら気にしない可能性が高い。
なぜなら。
彼自身が「仕事」絡みだと下心も何もなさすぎるあまり「藤崎さんを特訓する」という発想になってしまう人間なので。
静香に対して、親切な男性が「仕事」を教えてくれるという状況に対し「心配しないで」と言っても「逆に何を心配をすれば?」という反応になりそうな気がしてならない。
わざわざ中途半端に言って波風立てても……と思ってしまう。
結局、メッセージすら送れずに、0時をまわってもベッドの上でゴロゴロしていただけ。
いい加減、今日は諦めて寝よう。
伊久磨ももう寝てしまったかもしれない。踏ん切りがつかないままぐずぐずしていただけで一日が終わった。
その敗北感で、ベッドの上で布団もかぶらず丸くなっていたが。
不意に、スマホが鳴り出して、飛び起きた。
どこかに投げたはずだと視線をさまよわせ、一人用で小さめサイズのちゃぶ台の上にあるのを見つける。ベッドの上から手を伸ばして取って、画面を見る。
蜷川伊久磨
「…………~~っ、はい」
声にならなくて、呼吸を整えてからなんとか電話に出た。
動悸はまだおさまらない。
――静香? ごめん、やっぱり寝てたかな。遅いからどうしようかと思ったんだけど。
「ね、寝てない。大丈夫大丈夫。ちょっとぼんやりしていたけど」
――あの……、あまり無理はしないで。俺の生活時間ってこんなもんだから。電話したくてもこんなに遅くなっちゃうし。メッセージ入れてからにしようかと思ったんだけど、ごめん。考えていたらすごく長い文章になりそうだったから。とりあえず電話してみた。
声が。
すごく好きだ。
聞いていると、ドキドキする。同時に、ほっとする。
スマホを耳にあてたまま、ベッドの上に横になって、目を瞑る。
「伊久磨くん、いま家? 話せる状態?」
――大丈夫だよ。何かあった?
聞いてもらえる、と思っただけでもう肩の荷が下りた気分だ。
(話したかった……。自分の中で色々整理がついていないから)
ほとんど「悩み」になっていた。話せると思うだけで落ち着く。
もっとも、悩みの原因は、結構な割合で伊久磨発祥ではあるのだが。
「ええと、まずですね。藤崎さんのこと、考えたんですけど。もしあたしだったら、たとえ『仕事』でも、会社の同僚男性に深夜や休日、自宅に誘われたら嫌です。二人きりで職場でも、嫌かも。それは伊久磨くん、考えがなさすぎだと思う。せめて椿邸にした方が良いんじゃないかな」
一息に言うと、ああ、と電話の向こうで低い声が返った。
――それ、うちのシェフにも怒られた。もし藤崎さんに「仕事に必要だから、仕方ない」って我慢させて、本当は嫌なのに俺の言いなりになる状態にしてしまったら、ただのパワハラだって。あと、「どうせお前が教えられることなんかたかが知れている」とか。だから、春からの調理師学校勧めてみた。藤崎さんの基礎のなさって常識からだから、「教育機関」に任せた方がいいのかなって。
すらすらっと言われて、静香は思わず身を起こした。
調理師学校。そんな手があったのか、と。
「そっか。何か技術身に着けるときって、学校はありだよね。うーん……あたしの方もいま、勧められているってほどではないにせよ、考えていて。普段、フラワーコーディネーターとしてウェディングに関わることはあるんだけど、もっとトータルでできないかなと考え始めていたの。で、ブライダルコーディネーターの学校も考えていて。それで……。ええと、講師のひとと今度会うことになってて。今度っていうか、今日なんだけど」
日付が変わっている。寝て起きたら、昼に待ち合わせだ。
本当は、「ウェディングを受けている有名どころのレストランにランチの予約を入れる」と言われていたが、あまりにデート色が強いと感じて断ってしまった。そういうところは、伊久磨とも行ったことがないし、会計などもたれてしまっては引っ込みがつかなくなりそうだと考えたせいだ。
普通に、カフェでお茶しながら打ち合わせにしてください、と伝えている。
――親切なひとだね。仕事で知り合ったの?
「うん。都内で、何軒かレストランのフラワーディスプレイを受け持っているんだけど、その仕事先のひとつ。ウェディング専門スタッフとして、ブライダルのスクールからレストランに出向しているひと。何回か一緒に仕事もしていて、ステップアップは考えてないの? って聞かれて。あたしも興味あったから……」
――いいな。俺もそういう勉強したい。独学だと限界が……。そう、限界があるから。湛さんは「海の星」でのウェディングを考えているみたいだけど、本人にもレストラン側にも経験がないからね。一度どこかに勉強に行きたいとは思っていて。
食いついた。
やっぱり伊久磨も、この分野は気にしていたのか、と静香は少し嬉しくなってしまった。
「だよね! 湛さんのウェディング、お花の方はあたしにって言ってくれてたけど、ブライダルコーディネーターの勉強も進めておけば、他にも力になれると思うんだ。伊久磨くんにも必要なことは伝えるし。そしたら、一緒にたくさん仕事ができるよね!? あたしも、できる限り色々身に着けておくようにする。良かったー。相手と会う前に、伊久磨くんには一言断っておかないとと思っていたんだけど。あたしは仕事なんだけど、相手はわざわざ休日に時間作ってくれて。あの、えーと、男の人なんだよね。何もないとは思うんだけど、一応、彼氏には言った方がいいのかなって」
――……。
静かだった。返事が無かった。
そのわりに、スマホ越しに、猛烈な圧を感じた。若干、空気が歪むような感覚すらあって、静香は耳から離してスマホをまじまじと見てしまった。
何か、ものすごく不穏だ。
――今日? 二人で会うの? 昼間?
不自然な間を置いて、伊久磨から問いかけがあった。あわててスマホを耳元に持って来て「うん」と静香は返事をする。
「もちろん。昼間に。本当はランチもウェディングで有名なレストランに予約入れるって言われたけど、デートみたいで断っちゃった。普通にカフェでお茶して、あとは流れで」
あまり予定は決めていない。静香側としては、午前中にレストランに花を生ける仕事はあったが、以降の時間は空いていた。そのことは相手にも伝えている。
――わかりました。俺も行きます。
「……?」
今度は静香が無言になってしまった。
平日で、「海の星」の定休日だな、とはぼんやり思っていたが。伊久磨が休日で、自分もあまり仕事が入っていない日でも、遠距離だと会えなくて辛いなーなんてちらっとは考えていたが。
「来るの? 東京に? 日帰り?」
――朝イチの新幹線で帰るなら泊りでも大丈夫かと思います。あ、でも電車遅延で空港にたどり着けずドイツから帰ってこれなかったうちのシェフの二の舞は避けたいので、駅の近くにホテルとります。とりあえず、今日の昼前には東京行きますので。
伊久磨は何を言っているのだろう??
理解しきれず、静香はぼんやりとしてしまう。
唯一わかったのは、言葉遣い。
連日電話していて、いつの間にかため口のようになっていた伊久磨の言葉遣いが敬語に戻っている。
気のせいでなければ、少しだけ、怒っているような声をしていた。