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ステラマリスが聞こえる  作者: 有沢真尋
19 仕事「だから」仕事「でも」
123/405

仕事の境界

齋勝(さいかつ)さん」

 新聞紙に回収した枝を包んで、しゃがんで持ち上げたところで、背後から声をかけられた。

 振り返って、視線を少しさまよわせる。


 一面ガラス張りの三角屋根の高い天井から、柔らかな日差しが注いだ空間。壁面は石材で、その光を受けて拡散し、フロア全体を明るく見せている。

 床には厚い赤の絨毯が敷かれ、アンティーク調の茶色の革張りソファや一人掛けソファが、三つのガラステーブルを挟んで並べられていた。

 その絨毯を踏みしめ、黒いスーツ姿の男が歩いて来る。


 軽くワックスで流れを作ったような髪、穏やかな笑みを浮かべた顔。清潔感があり、人が良さそうだが、印象に残りにくい。年の頃は三十歳をいくつか過ぎたくらいだろう。


「石橋さん。おはようございます」

 静香は、すくっと立ち上がりながら、営業用の笑顔で溌剌と挨拶をした。

 平日、午前中。

 開店前のレストランにて、一週間に一度、館内の主要ポイントの花を生ける業務を請け負っている。ちょうどエントランスの大壺に目立つ枝ものを生け、先週の分を持って撤収するところだった。


「おはようございます。会えて良かったです。まだ先なんですけど、ウェディングが一件決まりました。テーブル装花やブーケは、齋勝さんの写真でご紹介して、先方も興味を示してくださっています。そのことをお伝えしたくて」

「ありがとうございます」

 仕事を回してくれるらしい。静香はきちっと頭を下げた。


 石橋は、ブライダル関係の会社から出向という形で、レストランに一年ほど前から常駐しているスタッフだ。静香もこれまでに何度か一緒に仕事をしている。

 職業や経験を考えれば、他にたくさんフラワーコーディネーターの知り合いもいそうなものだが、レストランスタッフにも信頼が篤いからと、毎回静香に仕事を回してくれていた。正直、大変ありがたい。


 現在の静香は、都内のいくつかのレストランや会社でこういった花を生ける仕事や、個人宅のインドアグリーンのコーディネートその他細かい依頼で生計を立てているが、ウェディングのような仕事は収入面でも経験面でも積極的に受けたい仕事の一つだ。


「齋勝さんは色のセンスも良いですし、何よりお客様の要望をよく聞いてくださって外れが無いと言いますか。もしお時間合えば、次回の打ち合わせに早速同席をお願いしたいのですが」

「それは、ぜひ。全体のイメージもお聞きしたいですし。あとはお好みですとか、趣味とか。お料理との兼ね合いもありますよね。以前は春の挙式で、春のイメージのお花を使いたいってことで、東北からずいぶん桜を取り寄せたりして……」

 勢い込んで話してから、静香は口をつぐむ。喋り過ぎそうになった。

 石橋はにこにこと微笑んで聞いていたが、「あの時は料理からデザート、ケーキまで全部春の花イメージだったので、齋勝さんには随分細かいご提案まで頂いて、助かりました」と謙虚に言ってきた。


「たまたまですけどね。新婦さんがお花好きの方で、話もスムーズでしたし」

 より直接的な言い方をすれば、お金をかけたい部分がお花だったので、静香の出番が多かったのだ。

「いえいえ、そうは言いますけど。その後もご夫婦で何度もレストランをご利用頂いていて、今でも齋勝さんのことを話題にされていますよ。お客様からの信頼を得るというのは一種の才能みたいな部分があるので……。齋勝さんは、フラワー関係以外に、もっと積極的にウェディングに関わる気はないんですか」

 言われた内容を考えて、静香は思わず石橋の目を見つめてしまう。真意を探るように。


「と、言いますと……」

「ブライダルコーディネーターですとか、そういう仕事も向いていそうに思います。大きな式場ではなくても、ゲストハウスやレストランなどの小規模ウェディングなど、特に」

 レストランのウェディング。

 話の流れ次第では笑ってやり過ごそうとしたが、聞き捨てならない単語に食いついてしまった。

 知りたい。

 今までも、間接的に関わってくることはあったが、トータルで最初から最後までを見ることはなかった。機会があればやってみたいとは思っていたものの、そこまで積極的に考えてはこなかった。

 だが。


(「海の星」でも、いずれウェディングは受けると思うって伊久磨くん言ってた。だけど、経験者がいないよね……? もしあたしがブライダルコーディネーターとして動けるなら、一緒に仕事する機会もあるかも)

 たとえば将来的に。遠距離を解消しようとしたときに。

 地元で、今のような仕事を続けるのは難しいかもしれないが、スキルアップしておけば「レストラン業務」に関わっていけるかもしれない。

 先のことは見えないからこそ、身につけたいスキルでもある。


「差し支えなければですけど……、石橋さんは、どういう経緯でいまのお仕事についています?」

 手に持っていた枝を抱え直しながら聞くと、石橋はちらりと気にしたように目を向けて「重くないですか」と聞いて来た。「大丈夫です、慣れています」と答えると、気にしているのを隠し切れない様子ながら、丁寧に話してくれた。


「最初はホテルのアルバイトでバンケット部門にいて、宴会場の設営と接客をやっていました。そのままホテルに勤めてブライダル部門で成約業務に入って……。何年か働いてから、ブライダルコーディネーター養成スクールから声がかかって講師に転職。今の所属はそっちです。ここのレストランには出向という形で来ています。ウェディング希望のお客様が増えてきて、専門のコーディネーターに常駐して欲しいと依頼がありましたので」

「スクールですか」

 やはり、仕事の中でなんとなくでは駄目かな、と思いながら呟くと、石橋は深く頷いた。


「今はどこも即戦力になる人材を欲しているので、新卒からでは難しいかもしれません。お客様とのコミュニケーション能力はもちろんのこと、知識や経験も大切ですし。スクールではウェディンググッズや音楽の選定、スケジュールの組み方、結納の知識、着付け……カリキュラムは綿密に組んでいます。あ、でも待ってください、オレいま齋勝さんにスクールの営業しているわけではないので」

 不意に我に返ったように、石橋が砕けた口調になって笑った。

 身構えていたのが伝わってしまったかと、静香もなんとか愛想笑いを浮かべる。


「いやいや、完全に誘われていると思いました。確かに、魅力的ではあるんですけどね。あたしもフラワーコーディネート以外にも身に着けられるものは身に着けていきたいので」

「それでしたら、今度成約前の打ち合わせにも同席してみます?」

 ごくさりげなく提案を受けて、「良いんですか?」と尋ねると「齋勝さんは部外者というわけでもないですし、なんとかできると思います」と軽く請け負われた。 


「もちろん、いきなりスクールというより、実地で経験積めるのは嬉しいですが」

「それでしたら今度、まず二人で少し打ち合わせなどいかがでしょう。さすがに業務中には無理なので、オレの休日に合わせて頂くような形になりますが。土日は仕事ですので、平日です。齋勝さんのご予定をお伺いしても大丈夫ですか?」

「はい。日にちにもよりますが、時間の融通は結構きく仕事なので、なんとか」

 答えながら。

(あれ?)

 と、思わなくもない。


 石橋の休日に、二人で会う話になっている?


 これまでの静香であれば、こういうことにはきつい警戒心が先に立ち、避けるようにしてきたはずだった。たとえ仕事をちらつかされても、フリーランスの女なんて、足元を見られがちというのは百も承知なのだから。

 今日に関してはぼーっとしていた、というのは言い訳だが、まさに。

 予定を擦り合わせ日時を取り決めてしまってから、じわじわと後悔がきた。


(レストランウェディングの経験を積めば、伊久磨くんの仕事の役に立てるかも……っていうのは、間違いないし。相手は休日でも、あたしは仕事なので、浮気ではないわけで。飲食したら領収書ももらうし)


 仕事仕事、とは思うものの。

 後ろめたい。

 あれほど、エレナの面倒を見ると言い出した伊久磨に不満を抱えていたのに、まさか自分が。


(これって……、伊久磨くんに言った方がいいのかな?)

 同時に、エレナにも申し訳ない気持ちが湧いて来た。

 伊久磨は下心全く無しで「仕事」としか考えていないから気付いていないようだったが。若い女性が、職場の同僚とはいえ、男性に二人きりで家に誘われれば嫌な気持ちになるかもしれない。それは、女性の立場から指摘しておいた方が良い。

 自分がいかに動転していたかわかる。

 今晩にでも電話する機会があれば言わないと。そう、心に決めた。


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― 新着の感想 ―
[一言] おっとこれは不穏な空気に!www 男性的な視点から言わせていただきますと、男はまったく興味がない女性のことは普通誘わないですけどね(ニヤニヤ)。
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