反省と後悔(※しない)
なんで平気そうな顔をしているんだって。
申し訳なさそうな態度を期待するのは、自分の心の問題なのだろうか。
トラブルで帰国が遅れ、新年最初の営業に間に合わず。たまたま聖がいたから「料理」は提供出来たが、綱渡りすぎる。
自分の店を、自分以外の誰かが守っていたことについて。もっと何か。
「『ブロエート』か。美味いな」
聖がランチの残った材料で作った「ズッパ・ディ・ペッシェ」を一口食べて、由春は頷いた。
イタリア料理と一口にいうものの、地方によって作り方に違いがあり、「ブロエート」は同料理のベネト地方での呼び名とのことだった。事前に伊久磨は「ベネト風だから」と聖から説明を受けていたが、由春は当たり前のように知っていて、聖と通じている。
襟が立ったジップアップのグレーのフリースに、冬場でも気にしないで穿いているダメージデニム。帰国したその足の、休日っぽい服装。キッチンで立ったまま、皿にスプーンを突っ込んで食べ続けている。
「岩清水シェフとは違うって言われたぞ。蜷川、なんだっけ。あのお客さん」
「川添様です。ご夫婦のお客様ですよね」
翌日の準備や掃除などをして由春を待って時刻はすでに夜。心愛は帰宅している。
少し離れた位置でシェフ二人のやりとりを見ていた伊久磨は、尋ねられて即座に答える。「そうそう」と聖は頷いていた。
「そうだな。聖は何かにつけて繊細さがないから。目指す味に向けてガツっと組み立てていく感じ。網脂で繊細に食材を包み込んで焼くとか、そういう手順は好きじゃないし」
「おい、なんで俺を不器用みたいな言い方した。普段やらないだけで、できないわけじゃない」
(……申し訳なさそうな態度を期待するのは、やっぱり自分の心の問題なんだろうか)
由春は、思い切り世話になったはずの聖に対しても、下手に出たりはしない。「俺がいなかったんだから、その場にいたお前がやるのは当たり前」くらいに開き直った態度を崩さない。
割り切れない。
確かに、終わったことだ。反省しようがしまいが、何も変わらない。
それでも、出会い頭の開口一番「よ。悪かったな」以上のものを求めてもやもやしている。
その気持ちの正体を考えて、伊久磨は頭を抱えたくなった。
認められたいのだ。褒められたり、感謝されたり、その意味で。
料理を作ったのは聖。伊久磨だけでは、きっと何もできなかった。お客様に謝りの電話をして終わりだったと思う。それしかなければ、そうしただろう。だが、慣れない状況下でも店の営業を滞りなく終えた。
年末に、由春と幸尚が使い物にならなかった一日がすでに一度あったというのもあるが。
お前がいて良かった、助かったとか。
お前がいないと、とか。
絶対に言われるはずのない一言を、ずっと待ち続けている。
店の営業に欠かすことができないと思っていた幸尚を、由春は簡単に手放してしまった。その後、藤崎エレナを迎えたい件を相談したら、二つ返事だったところから見ても、ノープランだった恐れがある。心愛が働けなくなる日もそう遠からずくるというのに。
それでいいのか?
ただの従業員である自分が、どれほど店の未来を心配しても。
当の由春は好きなことばかりして、悪びれなく、わかりやすい感謝を示すこともなく……。
(俺がいなかったら、どうなっていたか、と)
冗談でも言えたら良かったのに。
どうにかなったんじゃないか? と言われて終わりそうな気がして、言えない。
(給料を踏み倒されたわけじゃないからな……。精神的な充足をこの男に求めるのは筋違いなのであって。やっぱりこれは自分の心の問題としか言いようがない)
レストラン「海の星」は自分にとって特別な場所で、可能な限り守りたいと思っているのに。
オーナーには真剣さが見られなくて、もどかしい。
ある日突然「店を辞めようと思う」と言われないだろうか。或いは「お前の代わりを見つけたから、お前はどこかへ行っていいぞ」というのもあるかもしれない。
言葉で確かめ合うような関係ではないからこそ、時々すごく心配になる。
洋館レストランという箱は変わらなくとも、スタッフは容赦なく移り変わっていく。せめてオーナーシェフには、何があってもそこにいるという安心感を示して欲しい。お客様にも、従業員にも。
それなのに、いない、という。
ぐずぐず考えている伊久磨の目の前で、二人は楽しそうに話しながら、食べている。
考えすぎは良くないと打ち切って、「何か飲みますか」と声をかけた。
「ん。ワイン何か」
そろそろ喉が渇いていたのだろう、嬉しそうに言われて伊久磨は冷蔵庫に向かった。
「ラ・ビアンカ―ラ・イ・マシエリ。今日のハウスワインに使いました。ベネトの自然派ワインです。酸化防止剤が少な目だから、飲み残しには向かないので」
本当は「店のワインを当たり前のように飲まないでください」と言いたかったが、やめた。
相手はオーナーシェフなのだ。何から何まで口うるさく言わなくてもわかるはず。
グラスにワインを注いで、ステンレス台を挟んで由春に差し出す。
ふと顔を上げると、聖が面白そうな目で見ていた。
あ、悪いこと考えている、とこの短い付き合いの中ですぐにわかってしまう。だが、止められるものではない。
「そうだ、由春。今日あのちびっこが落ち込んでたぞ」
「佐々木か? なんでだ」
グラスを傾けて一口飲んでから、由春が落ち着いた声で聞き返す。聖はにやにやと笑ったまま続けた。
「お客さんからさ、お腹の子の相手がこの店の誰かだと思われているみたいだって。『この後特に結婚もしないでシングルマザーしていたら、店に悪い評判がたつかも』って言ってた」
「なんだそれ。いつの時代のなんの話だ」
心愛の声真似をした聖を、由春は訝し気な目で見る。
聖は何も気にした様子もなく言った。
「そうなんだけど、田舎だからなー。これであいつが出産後店を辞めてどこかで大変な暮らしなんかしていたら、そういう噂にはなるかも」
「店は辞めない。すべて、出産後の復帰を前提として考えている」
なんの話だ? という態度を崩さない由春の両肩に両手をぽん、と置いて、聖はにこりと笑った。
「お腹の父親の候補として一番に疑われるのはお前だよな。仲良いし、親身になっているし。蜷川もあり得るけど……、あとは、そうだ。関係性で言えば椿の線も。あいつ無駄に親切だし、今フリーだし」
さりげなく言われた情報に、由春が軽く眉をひそめながら身を捩り、聖の手から逃れた。
「結局別れたのか。椿」
「ところが。今度からこの店で働く藤崎エレナがその、椿の元カノ。住まいは椿邸。俺もこの二人のことはちょ~っと心配だから、しばらくは一緒に暮らすつもりなんだ。その間はこの店手伝ってやってもいいから」
由春は、言われた内容を処理できかねたのか、伊久磨にちらっと視線をくれた。
伊久磨としてもなんと言って良いかわからない。椿邸を「海の星」社員寮扱いしてすまない、と香織に詫びたい気持ちくらいはあったが。
「椿と別れた彼女とお前で椿邸に住む、のか? 『田舎』だからな。ご近所の注目は集めそうだ」
状況がよく飲み込めないなりに相槌を打つ由春。聖は笑顔で言った。
「お前たしかいま実家だよな。いい機会だからちょっと一緒に俺と暮らさないか?」
「……今の話の流れからすると椿邸だよな? 嫌だ」
ばし、と今一度聖が由春の肩を片手で掴む。
「お前にさ。お腹の子の父親疑惑が向くと困るって佐々木さん動揺していたんだよね。それもあったから、とりあえず今日来たお客様には『岩清水と良い仲なのは俺です』ってアピールしておいたから」
言ってた。
確かに言ってた。
由春に目を向けられ、伊久磨は力強く頷いた。
「マジです。今日のお客様全員、二人が付き合っていると思って帰りました。えーと、シェフとシェフが」
由春はふっと天井を見上げた。明らかに、今日の予約のお客様を思い出そうとしている仕草だった。
若干、聖のやりすぎが気にかかっていた伊久磨であったが、それもこれも初日にいなかった由春が悪い。その思いがここにきて溢れ出してきて、どうにもフォローする気にはなれない。
「岩清水さん。とりあえず、彼女とか、いないんですか。いない限りは、なんというか、そういうことのままだと思います」
ほんの少しだけ同情を込めて言ったのに、由春には見事に睨まれてしまった。
そして、陰々滅々とした声で呟かれる。
「お前ら、俺がいない間に、好き放題し過ぎだろうが」
反省はともかく、ついにオーナーシェフは後悔の片鱗を示した。