何かと話題の
あら、というホールの反応は予想できたこと。
キッチンで帽子を脱ぎ、両手に皿を持ってテーブルに運んだ西條聖が、二人連れの女性客に微笑みかけながら料理説明をしている。
「本日のメイン、『ズッパ・ディ・ペッシェ』です。イタリアの魚介料理で、手長海老とイカと小魚をソテーし、トマトとワインを煮詰めたソースにレモンを絞っています。魚のアラも塩をして粉をふってオリーブオイルで一緒にソテーして使っていますので、もう魚の旨味を全部味わって頂くための料理です。地方によって作り方は少しずつ違うんですが、今日はベネト風に白ワインを使い、イカ墨のソースをアクセントに仕上げました。香ばしいバゲットと一緒にどうぞ」
途中からどころか、はじめから、料理より本人に客の注意が向いてしまっている。
黒髪長髪に、青い目。白皙の美貌と呼ぶにふさわしい端正な面差しには、甘い微笑。
街で見かけたら目を奪われる類の青年が、間近で親し気に話していれば気にしない方が難しいだろう。
ましてや、そこのテーブルの客といえば。
(米屋のお二人……!!)
雨の日の偶然。「セロ弾きのゴーシュ」で忘れ物の傘を届けた蜷川伊久磨に入れ込み、跡取り娘との見合いを身上書片手にさかんにすすめてきている米屋の女将とその従姉妹。
明らかに、「この店、こんな良い男いたっけ?」という反応である。
聖が一礼してテーブルから去った後も、名残惜し気にその背を目で追いかけていた。
(いいかもしれない。西條シェフならうまくあしらえるだろうし、向こうにターゲットが移るのはすごく良いかもしれない)
米屋のご婦人二人と伊久磨の攻防戦も、最近では「様式美」になりつつある。
オーナーシェフ岩清水由春不在ながら店を開けた新年初日。最初のお客様としてご来店の上、「今年もよろしくお願いね。婿にこない? これみなさんでどうぞ」と餅の差し入れをしてくれて、伊久磨も「ありがたく」と受け取るくらいに打ち解けた、紛れもない「お得意様」でもある。
しかしそれはそれ。毎回サブリミナル「婿に」「お見合いを」「会うだけでも」を会話に挿入して説得してくるのは相変わらず。
そろそろ本気で断らないとと思った矢先の西條聖。
聖の性格を考えれば、伊久磨を助ける気など一切ないだろうが、防波堤には使えるかもしれない。
伊久磨はさりげなく、ご婦人方のテーブルに近づく。普段なら警戒心もあるのだが、今日は「何でも聞いてください」というオープンな態度で。
「ねえ。蜷川さん、さっきの」
狙い通りに声をかけられ、伊久磨は微笑を浮かべた。
「西條ですか。岩清水が休暇を利用して研修に出ているので、本日の料理は西條が担当しております。いかがでしょう」
推しです。
ものすごく気持ちを込めて伝えてみたところ、米屋の女将の方から溜息混じりに言われた。
「あそこまで美形だと、家の中にいられたら落ち着かないわ。やっぱり蜷川さんね」
一応料理のことを聞いたのに、返事が料理の話じゃない。
もちろん、料理にかこつけて聖を推したのは伊久磨なので、これはこれで両想いではあるのだが。
(ほんっとブレないな)
婿探しにご来店。その上で、聖に比べたら庶民的という理由で、またもや伊久磨は選ばれてしまった。
「本当に、会ってみるだけで良いから。一度どうかしら。うちの娘は乗り気よ」
「いえいえ。そういうわけには」
すっかり恒例のやりとりに移ってから、ふと(いまはもう「お付き合いしている方がいるので」を使えるのでは?)と気付く。嘘にならないなら、言ってもいいはずだ。
そのつもりで口を開こうとしたとき。
「岩清水シェフとは違うが、こちらも味が素晴らしい。『海の星』はシェフ二人体制でこれからやっていくのかい。交互に料理を作るなら、『西條シェフの日』に予約を入れるのも良さそうだ」
別のテーブルで、聖が男性客に声をかけられていた。
よく来店してくれる初老の夫婦で、聖のメイン料理がいたくお気に召したらしい。若い頃からずっと海外旅行が趣味だと言っていたはずだから、聖の「本格的」な雰囲気に惚れ込んだのかもしれない。
どう答えるのだろうと見ていると、聖は余裕いっぱいの態度でにこりと笑いかけていた。
「確かに、この規模のお店ですと、夫婦で経営というのはよくある形の一つですからね。僕も岩清水にお願いされたら考えようと思っています」
……。
(西條シェフ……、それはそれで難しい説明すぎます。別にうちのシェフと結婚する気もないくせに、そういうお客様を惑わすようなこと言わなくても)
このひとは女性だったのか? そうではなく、男性同士で相思相愛なのか? それならそれで口出しをすることではないが、つまり岩清水シェフとこの新顔のシェフは結婚するのか?
そこのテーブルだけではなく、さりげなく耳を傾けていたすべてのテーブルでいままさに同じ考えが共有されている空気だ。
「つまりシェフ二人は良い仲ということなのね。そうじゃないかと思ってたわ。蜷川さんは?」
声が届いていた米屋の二人に聞かれて、伊久磨は「え」と変な声を上げた。そうじゃないかと思っていたって、どんな勘なんだ? と戸惑う伊久磨を差し置いて、話を続けられる。
「このお店のどなたかとお付き合いしているとか? はっきり言わないのは、相手が男性だったり、職場内恋愛だから黙っておきたいとかあるのかしら」
そこに、佐々木心愛が柚子のシャーベットを持って、デザートまで進んだ席に運ぶ姿が見えた。
「お嬢さん、おめでたって言ってたわよねえ。お腹大きくなってきたわ」
「はい。仕事はもう少し続けるつもりですけど、結構目立ちます?」
ごく普通に受け答えする心愛に、客の女性が「そうねえ」と言う。
「ところで、旦那は誰なんだっけ? この店の?」
(ん?)
会話の流れが不穏だぞと目を向けたら、心愛も若干笑みを強張らせていた。
「この店の従業員ではないですよー」
「あら、そうなの。良い男ばかりの中で紅一点だから、てっきり。うふふ。そうだ、ここのレストランって結婚式はやることあるのかしら? あなた、結婚式はどこ?」
一言多い。いまなぜ従業員のプライベートまで聞いた、と伊久磨は思ったが、ごく普通に「結婚式場を探している」客なのかもしれない。母親くらいの年代なので、娘や息子がいるのか。
聞かれた心愛は、「式はしていないんですよ」と愛想よく答えていた。
「まあ、もったいない。可愛いんだから、ウェディングドレスは絶対着た方が良いわよ。産んだ後でもいいんだから」
「そうですね、考えてみます」
答えるだけこたえてキッチンに去っていく。
米屋のテーブルでの会話を適当に切り上げ、伊久磨もキッチンに下がった。
そこには、下げて来た皿を洗いながら俯いている心愛がいた。
「佐々木さん……?」
声をかけると、「あ……はは」と虚ろに笑いながら振り返られる。
「どうしました?」
「ううん。なんでもない。たださ、周りの見方ってああいう感じだな~と思って。やっぱり、男だらけの中で働いていて、妊娠出産ってなると『相手は職場のひと?』みたいな」
「そうですか? さっきの人はちょっと何か自分の方に気になることがあって突っ込んできただけに見えましたよ」
単に結婚式場探しているだけじゃないかな? との考えから言ったが、何かと思いつめがちな心愛はやや青ざめた表情で言った。
「これでさ……、あたしが地元でシングルマザーとかやっていたら……。職場内の誰かに捨てられたんだって、風評被害にならない……?」
「それはさすがに考えすぎでは?」
確かに、そこそこ田舎なので、お客様とも生活圏がかぶっている。私生活を知られることはある。ちょうど休日に出会った米屋に伊久磨がいつまでも追われているように。
「考えすぎじゃないよー。絶対に噂になるよー。蜷川くんの相手の家だって気にするかもしれないよー。どうしよう、わたしのせいで伊久磨くんの結婚までダメになったら」
「いやいやいや、考えすぎですって。いまものすごく飛躍していますよ!?」
考えること多すぎで変なところに気を回していませんか!? と伝えているつもりなのだが、あまり聞いている様子がない。
なお、ホールを見ると、あらかた料理を作り終えて余裕の聖が、他のテーブルにも愛想を振りまきながら楽しそうに話している。
新年最初ということもあり、新規客ではなく常連客で予約が埋まっていたので、新しいシェフに皆が興味津々なのだ。
聖は質問をされるたびに朗らかに笑いながら、容赦なく場をひっかきまわす発言を繰り返している。
「岩清水との付き合いは長いんですよ。海外で修業していた頃からなので。ずっと一緒に暮らしていました。なので、お互いのこともよくわかっていますし。僕はあいつがどうしてもって言うなら添い遂げてもいいんですけど」
絶対嘘のくせに。
生き生きと職場内恋愛を語る聖と、「自分は風評被害になる」と謎の落ち込み方をする心愛。
微妙な空気感を払う真田幸尚はもういない。
新年から、店がおかしなことになっていますけど、どうすんですかこれ、と。
伊久磨は不在の由春に心で毒づいた。