逆転しません
※形勢を逆転してみることにしました。
伊久磨を下敷きにして、太腿に乗り上げてから、静香は断固として言った。
「普通、元カノが不意打ちで現れたら誰だって『うわ』ってなります。伊久磨くんはもう少しあたしを安心させることを言うべきだと思う!!」
胸に軽く手を付き、見下ろしながら言ったのに、返事がない。「伊久磨くん?」と静香が今一度声をかけたところで、しみじみと言われた。
「すみません。どの角度から見ても可愛いなって。こういう時、ずっと俺が上でしたけど、静香が上というのも新鮮で良いですね」
横を向いて、ぶはっと静香は変な息を吐き出してしまった。顔に血が上ってきているのを感じながらばしばしと伊久磨の胸を闇雲に叩く。
「いま、真剣な話をしているので!! そういうのやめてください!!」
返事がない。
返事がない。
「……伊久磨くん?」
屍ですか? と危ぶみながら尋ねると、はーっと溜息をつきながら伊久磨は両手で顔を覆った。
「怒っても焦っても可愛い。つらい」
静香も思わず顔を覆ってしまった。黙らせたい。「嬉しい」と「やばい」を天秤にかけるとやばいの方に確実にウェイトがのっている。
(話し合いが終わったら「やること」やるんですよね。ちょっと何かで体力削っておかないと絶対やばい)
二人の時間を過ごすうちに否応なく気付かされたが、誠に遺憾ながら伊久磨にはSの傾向があり、遺憾ながら静香にはMっ気がある。まずい。
「何が不安なんですか。全部答えますから、なんでも聞いてください」
顔から手を外した伊久磨が、静香を見上げながら聞いて来る。心なしか、情欲に濡れたような煽情的なまなざしに見えたが、静香は気付かなかったことにした。
「だから。自然消滅って彼女わざわざ言っていたし。その……別れる気はなかったってこと?」
慎重に言葉を選んだつもりだったが、伊久磨には全然ぴんとこない顔をされてしまった。
(何それ、不安になるぅぅぅぅ)
表情が固くなったのが伝わったのか、伊久磨は片手を伸ばして宥めるように静香の腕に触れながら、淡々と言った。
「全部答えると言ったので言いますが、元々そんなに好きじゃなかったと思います。後輩で、告白されて付き合いましたが、あまり性格が合わないとすぐに気付きました。それからは、どう別れようか考えていました。そういうときに家族の事故があって、そのまま……ですかね。きちんと話し合った方がいいのかとも思いましたが、俺がそこそこ回復した頃には彼女にはすでに付き合っている相手がいたようで、大学でも俺を避けているようでした。それで、そのままです」
静香の腕や手首を軽く握って、続けた。
「不安はどこにあります? 今後会う機会があっても、ゆかり……滑川さんを好きになることはありえないです」
伊久磨の両腕が静香の腕を撫で、指に指を絡める。その感触に胸が甘く締め付けられるのを感じつつ、静香は厳しい顔つきを意識して言った。
「でも、あのひとは伊久磨くんに未練あると思うよ~~。今日だって、たぶん会いに来たんだと思うよ。営業日調べてたもん」
「調べたら休みであることがわかるはずですが」
「きっと電話とか通じないから、見に来たんじゃないかな。それで実際会えたわけだし」
言っているうちに、あれ、自分は考えすぎなのかな? と思い始めたが、無理やり断ち切る。
一方、伊久磨は真剣な顔つきで、静香の様子を微細もらさぬように見つめていたようであったが。
「静香。一点確認したいのですが」
指や腕を刺激され続けて、ぞくぞくする感覚が全身を巡り始めて静香は、唇を噛みしめて伊久磨を見下ろした。
「なに?」
「静香のそれって、もしかして、嫉妬ですか」
首でも締め上げればいいのかな?
狂暴な妄想にとらわれたのは一瞬。
思うだけでもちろん実行に移せない静香より、伊久磨の行動の方が遥かに早く。
気が付いたときには、腕を引かれて伊久磨の上から降ろされていた。そのまま、あっという間にベッドに背を押し付けるように、組み敷かれてしまう。
※形成が逆転していました。
(やばい。体力削ってない。なんかものすごく機嫌良さそうだし)
この後がまずいのでは、という思いから静香は伊久磨の腕にすがりつつ微笑んでみる。
「なんだか、さっきまでよりずっと元気そうなんですけど」
伊久磨は静香の頬を大きな掌で包み込んでから、にこにこと言った。
「……元気ですね」
ものすごく圧を感じて、静香は力なく笑いつつ、呟いた。
「そんなに……楽しそうにするようなことあったかな……」
静香の額に口づけを落とし、耳元に唇を寄せた伊久磨が、答えるように囁く。
「静香に嫉妬されるなんて考えていなかったので、すごく嬉しいです。いつも俺ばかり嫉妬して」
耳に! 息が! と身を捩りつつ、静香はつい言い返してしまった。
「そんなことないってば!! あたし滅茶苦茶嫉妬深いって言ってるのに。伊久磨くんの周り女の人たくさんいるし……モテるし……。あたしがいない間に誰かとどうにかなっちゃうんじゃないかと。ね、聞いてる? 伊久磨くん? 浮気はだめだよ? 女の人にあんまり優しくするのもだめって言いたいけど、それじゃ仕事にならないだろうから、ほどほどに。あの……、一番はあたしにしといてね?」
返事がない。
そればかりか、伊久磨がばたりと静香の上に倒れこんでしまった。
「伊久磨くんっ。眠いなら歯磨いて顔洗って!!」
伊久磨の頭を抱えながら、背中をぽんぽんと叩いてみたところで。
溜息とともに、返事があった。
「逆。……一晩中眠れそうにないかな。ごめんね?」
最後のごめんね? だけ、実に明瞭に。顔を上げて視線を合わせた伊久磨は、甘やかに微笑んでいた。
(体力。体力削ってない……!!)
無闇に焦る静香にひどく愛し気な視線を向けて、伊久磨はもう一度言った。
ごめんね。だけどまだ結構早い時間だし、静香もそんなに眠くないよね?
今日は、夜が長くて良かったです、と。
これにて第17話「初春」終了です。※由春は不在です
今回、展開次第ではこの後の内容をアフターSSとしてムーンライトで書こうかと思っていたんですが、もう皆さんお腹いっぱいでは……( *´艸`)
伊久磨がドアホですみません。本当にすみません。
作中時間はおそらく19時頃。さすがにここから朝までですと、午前3時まで体力削ったときとは訳が違うので、静香が一計を案じて「外で!!かまくらと!!雪だるまを作ろう!!」ってなるんじゃないでしょうか(本当か)。あげく散歩中の聖さんあたりと出会ってしまって雪だるま早作り競争からの雪合戦ですよ(本当かよ)。
それで、いやー、体力削った削った。いい汗流した。お風呂入って寝よ! ってタイミングで捕まるんですかね……(合掌
いつもブクマや評価ありがとうございます!!感想もありがとうございます!!
今回のエピソード、「お店がお休みで恋愛も落ち着いたこのタイミングを書いても小説にならんのでは?」と半信半疑で書いていましたが、先行公開を読んでリアルタイム感想くださる方々から「大丈夫だよ!!」と励まされて書きました。厚く御礼申し上げます。
次回は由春vs聖、エレナさん加入あたりでしょうか。元カノもちらついてますが。
またお読み頂けると幸いです!