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ステラマリスが聞こえる  作者: 有沢真尋
17 初春
111/405

心配事は次から次へと

「レストランのひとですか?」


 降りそそぐ陽射しは明るくとも、雪深く。

 駐車場の雪かきを黙々と進めていた静香の背に、声がかけられた。

 振り返って確認する。駐車場と歩道の境目に人影がひとつ。


 長いストレートの黒髪に、清楚な印象の紺色のコートを身に着けた女性。はにかむような笑顔が愛らしく、身長はジャスト平均くらい。年齢は静香より五歳は下だろうか。大学を卒業して、せいぜい社会人一年目、そのくらいに見える。


「ええと……。そういう感じです」

 厳密には違うが、手伝っているし、いざとなれば「レストランの人」とも連絡をとれる。何か用だろうかと思いながら、曖昧な返事をしてしまった。

 女性は眩しそうに目を細めて静香を見つめながら、少し間を置いて言った。

「明日から営業ですよね。予約入れられますか」

(明日……)

 今まで聞いた会話をざっと頭の中でさらってみる。


「満席で取り切っているみたいです」

「そうですか。じゃあ、仕方ないな」

 勝手に断っちゃっていいかな、と思わなくもなかったが、アクシデントもあったことだしこれ以上予約を取ることはないだろう。そう、自分に言い訳をする。

 用件は終わったはずだが、女性はまだその場から動かない。


「まだ何か?」

 ため口のように尋ねてから、「レストランの人」である伊久磨なら、こんな口のきき方はしないだろうな、とすぐ後悔した。

 女性は特に気にした様子もなく、なぜか恥じらうように笑みを浮かべて口を開く。


「蜷川さんは、お元気ですか」

 すぅっと。

 瞬間的に周囲の音が消えた。

 遠くで聞こえていた車の走行音や雑多な音の何もかも。

 雪の反射が眩しくて、目を細めながら、静香は女性を見返す。


「……元気です。お知り合いでしょうか」


 声が、固くなる。

(クリスマスのときのひととは、違うけど)

 彼は、毎日たくさんのお客様と接している。頭ではわかる。女性客も多いだろう。見た目や雰囲気にひかれて、名前を覚えて、会いに来るひとがいても、不思議ではない。

 そのとき、伊久磨の赤いワーゲンがウィンカーを出して近づいてきた。どこかに出かけていたが、駐車場にスペースが出来ているので車を入れにきたのだろう。

 女性がよけて、静香がよけたところで、滑らかな動きで車が入ってきて、停まる。

 運転席が見えたのか、女性が「あ」と声を上げていた。

 ほとんど同時に、ドアを開けて大き目の青いショッピングバッグを持って伊久磨が出て来た。静香と女性を見て軽く目を瞬く。


「ゆかり?」


 冗談ではなく。

 目の前が暗くなって、静香は雪に突き刺したスコップに寄りかかりながら俯いてしまった。

(名前。名前で呼んだ。呼び捨て)

 静香の様子に気付いたのか、伊久磨は歩いてきて静香の横に立ってから、ゆかりという女性に声をかける。


「久しぶり」

「うん。お久しぶりです。ちょっと近くまで来て。ここのレストランで、伊久磨さん働いているって、人づてに聞いて。いるかなーなんて」

 俯いたまま、会話を聞く。

(偶然みたいなふりしているけど。営業日調べてたよね)

 近くまで来たからというより、来る気で来ている気はする。何故か隠しているが。

 しかも、「伊久磨さん」と言った。


「準備ははじめているけど、営業は明日から。予約は満席。もし誰かと来るなら、予約サイト経由で予約いれるか、電話して。たいてい俺が出るけど」

 静香がいつまでも顔を上げないせいか、伊久磨の手がそっと背に触れた。心配されているらしい。

(心配させてる場合じゃないけど、名前だし伊久磨くんまでため口だし……「お客様」じゃないな)


「あの、『誰か』は別にいないよ。ひとりで来ても大丈夫なお店?」

「ひとりならランチの方が来やすいと思う。女性客が多いし。いずれにせよ、飛び込みだと席が用意できないことも多いから、予約をすすめる」

「わかりました。ご丁寧にありがとうございます」

 慇懃に言って、「ゆかり」は頭を下げた。

 ほぼ下を向いたような状態の静香の視界にも、その動作はかろうじて見えた。


 間を置いて、頭を上げたゆかりは、まだ立ち去らない。

 そればかりか、しっとりとした声で告げた。

「伊久磨さん、元気そうで良かったです」

 うっ、と静香が変な息をもらすと、伊久磨に支えるように軽く抱き寄せられた。

「気分でも悪いんですか。様子がおかしいんですけど。雪かき頑張り過ぎ?」

 思わず、弾かれたように身を引く。

「いやいや、そんなことは。雪の照り返しがすごくて、立ち眩みかな!!」

 闇雲に二、三歩離れる。

 伊久磨には訝し気に見られていたが、自分でも自分を持て余していてどう対応すれば良いのかわからない。


「あの……。彼女」

 唐突に、伊久磨が変なことを口走った。

 びっくりしすぎて愛想笑いのような状態になった静香ではなく、ゆかりを見ながら、念押しのように続けた。

「いまお付き合いしている女性です」

「ああ~。そうなんですね。綺麗なひとだなと思ってました。職場恋愛ですか。いいなぁ」

 伊久磨の声も固かったが、ゆかりの口調も明らかに固くなっている。

 恐る恐る見ると、ゆかりもまた貼りつくような笑みを浮かべていた。

(ん~……これはもしかしてもしかしなくても)

 

「蜷川さんとは自然消滅、みたいな……。その後元気かなってずっと思っていたんですけど、お仕事も順調そうですし、彼女さんも美人ですし。えーと……あけましておめでとうございます!!」

 いま?

 それ、いま言うタイミング? と思いながらも凍り付いて何も言い返せない静香に構わず、伊久磨ものんびりとした調子で返す。


「あけましておめでとう。今年もよろしくかどうかはわからないけど、来るなら予約で」

「はい!! 絶対来ます!! 楽しみです!! では!!」

 妙にハキハキと元気に言うと、ゆかりはがばっと頭を下げて一礼し、背を向けて去った。

 呆然と見送っていると、伊久磨に「静香、静香」と名前を呼ばれていた。


「あああ、はい。はい、何?」

 いつから呼ばれていたのか。

 慌てて返事をすると、間近に迫った伊久磨に心配そうに見下ろされていた。

「その……。言った方がいいなら言いますけど。以前交際していた女性です。もう何年も前ですが」

「うん!! わかる!! わかった!! 大丈夫!!」

 何が「わかった」で「大丈夫」なのか自分でも説明できる気はしなかったが、とりあえず声を張り上げる。ゆかりみたいだ。反応がゆかりと一緒になった。

 だけど。

(清楚系で小さくて年下)

 真逆? 真逆では?

 

 静香の様子を物言いたげに見ながら、伊久磨は静香の手をとった。


「すっかり甘えてたくさん働かせてしまって申し訳ありませんでした。西條シェフがお昼を作ってくれるみたいですので、『海の星』へどうぞ。ゆっくり休んでください」

 掴まれた手から逃れようとしたが、力が強くて離せない。

 結局、手袋越しとはいえ手を繋いだまま「海の星」へと向かうことになった。

 裏口についたところで「静香……」と言った伊久磨が、いかにもキスでもしそうに身体を傾けてきたが、静香は慌ててドアノブに手をかけて中に入った。


 とにかく、心を落ち着かせるまで、向き合うのは辛かった。


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