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ステラマリスが聞こえる  作者: 有沢真尋
16 告白
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壊れる前に

 齋勝静香は、小学生の頃から背が高かった。

 中学に入ってからも伸び続けていて、二年生の段階で成人女性の平均を超えていた。

 

齋勝(さいかつ)、でかくて前が見えない」

 席替えの後。窓際、後ろから二番め。結構いい席だと思ったのに、背にした席の男子から無遠慮に投げつけられる言葉に、困る。

 出来る限り小さくなればいいのだろうか。それとも、いっそいなくなれば? 

 ぽんぽんと言い返せればいいのに、咄嗟に言葉が出て来ない。

「顔可愛くてもでかすぎなんだよな」

 聞こえているのに、反応を返せないから、言われ続けてしまう。

(顔も身長も……自分ではどうにもできない)


 大人になった今なら「あなたには関係ない」と。

 たとえ面と向かって言えなくても、自分の心が傷つかないように即座にシャットアウトする。

 その頃は、まだそういう知恵がなかった。言われたことに驚き、傷つき、動揺しきりで、どうすればいいのか考えて、くよくよ悩んだ。

 俯くことしかできない。

 そのとき、凛と澄んだ声が聞こえた。


「そこ、席変えて。俺の席一番前だから、黒板も先生もよく見えるよ」

 移動に伴い、教科書類を詰めたカバンを手にして近づいてきたひとりの男子が、後ろの席の相手に話しかけていた。

 クラス替えで二年生で初めて一緒になった椿香織。その頃はまだ髪を染めても伸ばしてもいなかったが、目立つので知っていた。話したことはなかったが。


「一番前なんて誰が」

「俺、学年で一番背が高いんだって。この間の身長測定のとき、先生が言ってた。後ろの席じゃないとみんなに迷惑かけるから。どいてくれる?」

 話し方は、柔らかく、優し気だ。それでいて、毅然としている。


「もう決まっただろ」

 席に番号を振り、同じ数のくじを作って箱に入れて、クラス全員でひいた。そのくじを見せたらしい相手に向かって、香織ははっきりと言った。


「決まった席に文句を言っているのが聞こえたよ。今から先生にかけあってもいい。『清水くん、黒板遠くて見えないみたいです』って。それとも、距離じゃなくて身長の問題なのかな。俺は齋勝さんよりも背が高いから、後ろの席でも全然問題ない。早くどいてほしいんだけど。そこ、俺が座るから」


 俯いてしまっただけの静香とは違い、学年で一番背が高いという椿香織は、その高身長をもって、静香に嫌がらせをした男子をやすやすと殴りに行った。

 物理的な暴力に訴えるわけではなく、言葉によって。


「オレはここが」

「だめ。前が見えないって言ってるの、聞いた。ぐずぐずするなら先生呼んで、最初からいきさつ全部説明する。言っていいことと悪いことの区別くらいつけようね。清水の身長が伸びないことは齋勝さんには関係ない。早く行って。そこは俺の席だ」


 ……香織は、静香の知る限り、はじめから「そう」だった。

 やわらかい話し方も、物怖じしない毅然とした態度も。

 困っている相手や、弱っている誰かに気付いて、躊躇わずに手を差し伸べる姿勢も。

 ぜんぶ。


(あたしだけじゃない。そうやって、いつもたくさん助けて、背負って。自分まで一緒に転んでも倒れても、相手を引きずり上げるまで絶対に手を離さない。たぶん、伊久磨くんのこともそうやって助けたんだ……)


 恐怖心をおさえつけて乗り込んだ椿邸の居間にて。

 部屋の隅の角に膝を抱えて座り、壁に背を預けてぼんやりと物思いに沈む。

 静香にとって訪れるのは二度目の家で、決して馴染み深いわけでもないのに、香織とのことを次から次へと思い出す。そこかしこに、香織の暮らしぶりが沁みついているせいだろうか。


 自分が押し倒されて、以降消えぬ恐怖心を植え付けられた場所だというのに。

 いざそこに来てみたら、胸の中に湧き上がって来るのは香織に助けられたことばかり。


 不思議に思う。

 香織のあの目には、どういう世界が見えているんだろう、と。


 容姿にしても社会的な立ち位置にしても、椿香織は「恵まれて」いると言えるかもしれない。

 それでも、家庭環境などは決して「恵まれて」いるとは言い切れない。

 他人より「恵まれて」いるから、困っているひとを助けるのは当たり前、だなんて絶対に言えない。

 彼には彼の苦しみがあり、昔から今までずっと苦しんでいるはず。


 それでも、自分が気付いて手を伸ばせる範囲にある者には、惜しみなく与えてくれる。


 静香が目撃した「海の星」の女性スタッフとの一件も、おそらく。

 香織に彼女を救う義務も責任もないのだと思う。ただ、そういう理屈や計算を越えたところで、自分ができることはする。それは香織にとって、呼吸するように当たり前のこと。


 その香織を、助けようとしてきた相手も、もちろんいる。水沢(たたえ)のように。

 蜷川伊久磨も、「大恩人」というから、いざというときにはもちろん助けたい気持ちはあるはず。


 だけど、決定的な何か。

 香織が抱えている何か。


(誰も掴めない。届かない。本当のところ。香織が何を考え、何を見ているのか)

 もしかしたら。

 それまでの何かがふつっと途切れてしまったように、静香に襲い掛かったあの一瞬に、香織を掴む「何か」そこに至る糸口があったのかもしれない。


 思い出すのも嫌で、辛くて、悲しくて、怖い。

 なかったことにしたい。完全に忘れてしまいたい。誰にも知られたくない。

 そう思う一方で、ここで逃げたら最後という気がする。


(香織に助けられて生きてきた。香織を助けたい。香織を……守りたい)


 蒸し返さない方がいいと思ったそばから、本当にそれでいいのかという思いが溢れてきてしまう。

 香織が話したく無さそうだから、話さない。この話はここで終わりにしよう。墓まで持って行こう。

 それをしたら、結局また、香織を掴む決定的な機会を失うのでは?

 迷い。


 ――伊久磨くんがいて良かった。ほら、あたしがいつまでもふらふらしていると、香織も彼女とまたダメになったかもしれないしね。あたしと伊久磨くんが幸せそうにしていたら、羨ましくて自分の恋愛も真面目にする気になるんじゃないかな。


 言いたいことの半分も言えた気はしないが、本音だった。

(香織が幸せになると確信できない限り、そこにあたしの幸せはない。香織のことも見届けないと)

 やっぱり話したい。

 許したわけじゃないけど、許したいのだ。

 謝られて済むとも思っていないが、とにかく二人で納得する地点まで話し合いたい。


 なんとかその結論にたどり着いて、ふと視線を感じて顔を向けると、炬燵の前に胡坐をかいて座っていた紘一郎に見られていた。

(写真家さん。ずっと、何か。勘づかれている感じ)

 椿邸に上がり込むときに感じた大きな抵抗。香織との空気。様子がおかしいのを、見られている。

 焦って、何か言おうとした静香であったが、目が合った紘一郎には穏やかに微笑まれた。


「藤崎さんたち、少し遅いですね」

「あ……、はい。ですね」

 落ち着いた声で言われて、難しい内容でもなかったのですぐに同意をする。

 香織は、西條が立ち働いている台所に行ってしまって、戻って来る気配はない。


(ぼんやりしていた。どのくらい時間経ったんだろう)

 いけない、いけないと思いながら畳の上に置いていたスマホを拾い上げる。

 思った以上に時間が過ぎていて、「連絡してみます」と口に出して言ってから、伊久磨にメッセージを送信した。

 返事はすぐに返ってきた。

 ……。


「うわっっ」


 一読して。理解できない文面で。

 静香は思わずスマホを取り落とした。ほとんど投げ捨てた状態で、紘一郎がびくっと小さく肩を震わせて動揺していた。


 ――職場を見せたくなったので、海の星に来ていました。東京の会社を辞めて、一緒に働きませんかとお誘いしていたんです。乗り気になってくれて良かったです。遠距離恋愛は難しそうだなと。もう少ししたら椿邸に向かいます。


 落ち着いて読めば何を書いているかわかりそうだったが、ひとまずわからない。

 わからなかった。 


「どうしました?」

 紘一郎に声をかけられたが、言葉にならずにぱくぱくと口を動かしてしまう。

 落ち着け、落ち着こう。そんなに難しい文面じゃなかった。きちんと読もう。

 心臓がばくばく鳴り始めているが、やり過ごそう、と服の上から手でおさえつける。


 ちょうどそのとき、居間に香織が姿を見せた。

 心配げな紘一郎と、口をぱくぱくさせるだけの静香を見てから、畳に片膝をついて、投げ出されていたスマホを拾い上げる。

 返そうと静香に差し出してきたようだが、画面はまだブラックアウトしていなかった。

 受け取ろうとしたものの、静香は指先が触れただけでまた落としてしまう。


「どうしたの?」

 さすがに眉を寄せた香織が、原因はこれ? とばかりにスマホの画面に目を落とす。

 普段なら他人のメッセージを読むような無遠慮な真似をすることはないだろうが、相手が伊久磨だと気付いたせいかやや長い時間目が画面を追った。確実に読まれた。

 顔を上げて、もう一度静香にスマホを差し出しながら、困惑し切りの様子でぼそりと言った。


「あいつ何言ってんの?」

 あ、香織もそう思うよね? と、声が出ないなりに静香も心の中で同意した。


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― 新着の感想 ―
[一言] 何でや!! 背の高い女性エエやんけ!!! 私の奥さんも171センチありますし、背の高い女性はカッコよくて素敵だと思いますよ! もちろん、背の低い女性もそれはそれで萌えますけどね!(雑食) そ…
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