血染めのコックコート
見るたびに、真っ白のコックコートが鮮血に染まっていく。
「ゆき」
オーナーシェフの岩清水由春に名を呼ばれて、血染めの包丁を持ったピンク髪のパティシエ、真田幸尚が顔を上げた。
「お前、結構やるじゃん」
無骨な銀縁眼鏡の奥で目を光らせた由春に、幸尚も「へへっと」薄く笑い返す。
「ハルさんも。さすがですね……!」
向かい合った二人ともに血を浴びており、血塗れの包丁を手にしている。
(見なかったことにしよう)
ホールの掃除に精を出し、とにかくキッチンの惨状には背を向けていたホール担当の蜷川伊久磨であったが、しばらくやり過ごした後、ついに耐え切れず額をおさえて呻いた。
「……ふたりとも、ゾンビ映画みたいだ」
すかさず、振り返った由春が口角を釣り上げて言う。
「十五体ヤッた」
「いいから。そういう成果報告いいから」
伊久磨は、大げさに手と首を振り、会話を拒絶する。
シェフとパティシエ(と、言いつつレストランなのでなんでもやる)二人がいま現在包丁をふりかざしている相手、それは――
(生きたすっぽんを仕入れた記憶はあるし、今朝出勤したら裏口にわらわらといたのは見ている)
伊久磨が作業で出入りするたび、裏口のケースの中の亀はどんどん減っていき、キッチンの二人は血に染まっていったのだった。
「本当に、料理人って『生き物をしめるところ』から出来るもんなんだな……」
料理馬鹿の由春はともかく、幸尚はなんでだよ。パティシエだろ。いつもなんかふわふわきらきらした甘いものを作って「可愛いー♥」なんて言ってるだろうが。
という思いを込めて視線を流せば、にこにこと笑みを浮かべた幸尚が「オレは八匹です。ハルさんの半分」と聞きたくもなかった報告をしてくる。
(仕入れが二十五匹だから……)
よせばいいのに頭の中で伝票をさらってしまって、
「これで終わりだな」
という由春の一言が、二人で各々一匹ずつ殺す算段だとわかってしまう。
普段、それほど派手にコックコートを汚すこともない二人があんな風になるということは、よほどすっぽんからは勢いよく血が噴き出すのだろうか。
耳の奥に、想像上の断末魔が響き渡る。
――おぼえてろよぉぉ!
(ごめん、亀たち)
殺しといてごめんで済むとは思っていないけど、創作料理レストラン「海の星」のオーナーシェフである由春は、若いけど腕は確かだ。きっと美味しく仕立ててくれる。それこそ記憶に残るディナーだ。
全力で言い訳をしているのは、出勤時に「お、なんだこの亀。可愛いな」なんて思ってしまった記憶が真新しいせいであった。そのわずか数時間後に全滅。わかっていたけど、惨たらしい。
「伊久磨、今日はランチが休みだし、まかないにすっぽん鍋作るからな。よく味わっておけよ」
夜に、普段よりは価格帯高めのスペシャルメニュー・すっぽん鍋で忘年会貸し切りの予約をとっているので、仕込みの関係から昼の営業は休んだのだ。
伊久磨はやるせない気分になっているというのに、由春の声はいつも通り飄々としている。
何か一言いってやろうかと思って振り返った。ちょうど顔を向けてきていた由春と目が合った。
頬と眼鏡のフレームにまで、血が跳ねている。
「楽しみにしていますが……。顔洗ってくださいよ、シェフ。外出たら捕まる顔をしています」
それだけ言って、ホールに逃げた。
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