3 いや、ベタ過ぎるでしょ
事務所のデスクで桜が顔をニマニマとさせる。ついで暫く仕事に戻り、またニマニマする。もう、かれこれ一時間近く、桜が繰り返している動作だ。当然のように筆は進まない。
「ちょっと、気持ち悪いから、いい加減にしてくれない」
その日、桜が所属する創作会社、クリエーターズ・ハイの事務所に居合わせたイラストレーターの黛映子がイライラしながら桜に言う。大柄で顔が小さな二十五歳。
「ちっとも画が進まないじゃない」
「わたしのせいじゃないでしょ」
「いや、アンタのせいだよ。さっきからニヤついて……」
「じゃ、見なきゃいいじゃない」
桜と映子は高校時代からの友人だ。だから遠慮がない。
「アンタが斜め前にいるから、どうしたって目に入るのよ」
「仕事に集中すれば消えるから……」
「それができないから文句を言ってんの」
今回引き受けた映子の仕事は大きい。直木賞受賞作家の書き下ろし単行本の表紙を任されたのだ。その作家と映子は雑誌連載で組んだことがあるから初めてではない。が、直木賞作家の単行本には頻度高く呼ばれるイラストレーターがいるのだ。
今回、そのイラストレーターを飛び越し、鶴の一声で映子が抜擢される。直木賞作家が言うには、『この話には、あなたのタッチが欲しいのよ』だそうだ。
「今回は、あたしにとってチャンスなんだから……」
「仕事はいつだってチャンスですよ」
「でも、アイデアが浮かばない」
「中身は読んだんでしょ。印象的なシーンはないの」
「それが、あり過ぎて、絞れないというか」
「言ってくれれば、わたしが選ぶから……」
「適当だね」
「何事も適当が良いんだよ。自分で考え抜いて書いたシーンほど、評判が悪い」
「いや、あたしの場合、そんなことないから……」
「とにかく言ってみなよ。わたしも仕事が進まないから、映子で息抜きする」
「何、それ。いい気なものね。えっと、最初に気になったのは二人がラベンダー畑で出会うシーン。色の描写が良いんだけど、それをイラストで表現するのも違うような……」
映子がつらつらと桜に小説のシーンを語る。それはシーンそのものというより、映子の心象、あるいは想い、と表現した方が正確かもしれない。
「次は二人が再開するシーンなんだけど、お互いに恋人連れで……。ショットーバーでの酒瓶の描写が粋でさ。それぞれの心模様を語っている」
映子の言葉は続くが、桜は殆ど聞いていない。さすがに各シーンの要点は掴んでいるが、頭の中には別のシーンが浮かんでいる。
「ああ、これは妹……。今度、モデルにスカウトされて田舎から出て来たんです」
昨夜のmeatでの牧村の声が桜の耳に蘇る。
まさか、本当に妹だったとは……。
桜の顔面を緩ませてしまった衝撃の事実だ。さらに続いて……。
「兄は、この仕事を始めてから、もうずっと恋人もいなくて……」
という牧村の妹、瑠璃の発言。
牧村俊が自分の妹に嘘を吐くとも思えないから、それは事実だろう。実際、日頃の牧村に女の影はない。だから昨夜、meatに女連れで現れた牧村に女子三人は色めき立ったのだ。
店に入り、五分もしないうちに、桜、寿実、佳苗の三人組に牧村が気づく。『せっかくだから……』と同じテーブルに呼ばれ、妹を紹介される。牧村の田舎は栃木らしい。それだけは格好良くないが、産まれる場所は選べないので納得するしかないだろう。
「で、次が二人のキスシーン。あろうことか、それぞれの相手が偶然、そのキスを目撃してしまって……。ここでは夜の公園の暗い緑の描写が物凄く良くて……」
本当に映子は、この作家が好きなんだな、と上の空に桜は感じる。勝負の仕事とはいえ、好きな作風の小説でなかったら、そこまで読み込むことは苦痛なはずだ。例えば、わたしがミステリーの脚本を依頼されたときのように……。
「ああ、桜さんって仰るんですか。可愛いお名前ですね」
それぞれの人物紹介も済み、場も和んだ頃、牧村瑠璃が桜に興味を抱く。
「兄が中学の頃に仲の良かった女の子に似ていらっしゃいますね」
衝撃の事実、その三だ。
人の好みは、そうそう変わらない。三つ子の魂、百まで』という諺もあるくらいだ。
……ということは、わたしにも彼を射止めるチャンスが……。
白亜の教会での結婚式のシーンが桜の脳裡を過る。
「ちょっと、桜。聞いてるの……」
そんな桜の想像の世界に映子の声が闖入する。
「言い出しっぺは桜なんだからね」
思いっきり拗ねた声だ。事務所が貸し切り状態だから出来る行為だろう。
普段はもっと人が多い。社員全員が集まると七人になる。各人が、それぞれの稼ぎに応じてではなく、一律割で部屋代を出している。その訳は、『それぐらい、はした金に出来るくらい稼げ(売れろ)!』だ。
「で、桜なら、どのシーンを選ぶ……」
自分が気に入ったすべてのシーンを語り終えた映子が桜に問う。それに桜は、ウーン、と悩む振りをし、暫く間を開ける。ついで徐に、
「酒瓶だな」
と映子に信託を告げる。
「ああ、あたしも何となく、それかなって思い始めていたんだよね」
映子は小声で桜に漏らしたが、桜がそのシーンを選んだ理由は、昨夜のmeatの情景と重なったからだ。




