12 恐らく知っていた
「土佐島勇貴、陽介、死体遺棄及び損壊の疑いで逮捕する」
数名の若手刑事を引き連れた土屋が言う。
「ちょっと待ってください。いったい、我々が誰の遺体を遺棄したというのですか」
豆鉄砲を食らった鳩のような面持ちで土佐島勇貴が土屋に問う。
「なんですか。あなた方は自分たちが遺棄、損壊した相手の名前も知らないのですか。山崎在昌ですよ。年齢は二十八歳。佐倉精密機器の元経理部員。当然、男です。奥深い山の中に放置しましたよね。あの場所の部分管理をフォレスト建設が引き受けていたことは調べがついています。普段は誰も近づかない場所ですよね」
「証拠があるのですか」
「遺体から指紋が検出されました」
「しかし、それは、あったにしても牛飼のモノでしょう。わたしは現場にはいない」
「しかし、あなたは牛飼さんに命令した。だから、共謀なんです」
「何処に証拠がある」
「牛飼さんがフォレスト建設のコンプライアンス部署から内偵されていたのは、ご存じですか」
「内偵だと……」
「誉められたことではありませんが、盗聴されていたのですよ。その録音テープがあります。死体遺棄から損壊までの一部始終が収められた……」
「そんなものは証拠にならんだろう」
「裁判所的にはそうかもしれません。しかし、大勢の人間が聞いて知ってしまった。その事実は無視できません」
「それは可笑しいだろう。それに山崎なんていう男は知らない!」
「では、森と名乗っていた女性の方は……」
「……」
土佐島勇貴が何も答えられずにいると土屋刑事のスマートフォン震える。
「失礼」
と断り、通話に出、数秒後、土屋刑事の口許に笑みが浮かぶ。スマートフォンを切り、
「あなた方の罪状が一つ増えたようです」
と二人に向かい、
「逮捕状の発行は間に合いませんでしたが、長期に渡る薬物投与の証拠が得られたようです。土佐島豪遊氏に対する件です」
と告げる。ついで物静かに、土佐島勇貴と牛飼陽介にミランダ警告を与える。
「一つ、あなた方には黙秘権があります。一つ、あなた方が行う供述は法廷であなた方に不利な証拠として用いられる事があります。一つ、あなた方には弁護士の立会いを求める権利があります。一つ、仮に、あなた方自身に弁護士に依頼する経済力がない場合、公選弁護人に弁護を依頼する権利があります」
「とても伸び伸びして見えますよ」
少女歌劇団の男役以上に男前に見える矢本啓子に岡田森が言う。
「わたしは今まで父にずっと頭を押さえつけられてきました。でも、もうそれも終わり……」
晴れやかな表情で矢本啓子が岡田森に宣言する
「あの公園で初めて会ったとき、樹ちゃんは女性でした。でも、わたしにはわかりました。わたしたちは同じ仲間なのだと……」
「その姿で弟に会われますか」
「ええ、もちろん……」
「結局死んだボスは森(しん、岡田樹)を愛していたのかな」
牛飼陽介の背広に盗聴器を仕掛けた小池宗治が呟く。当初、よもやそこまでのことが起ると小池は予想していない。ただし土佐島豪遊の出来の悪い一人息子、勇貴が森(岡田樹)のことを邪魔にしていたことには気づいている。父親の遺産に関してだ。豪遊が急死しなければ、それは杞憂だったかもしれない。が、豪遊が死ねば、現実として目の上の瘤だ。殺害も辞さないかもしれない、と小池は危ぶんでいる。
が、小池が勇貴の部下、牛飼に盗聴器を仕掛けたのは、それ以前だ。豪遊に直接命令されたわけではないが、小池は森(岡田樹)の身辺警護を引き受ける。傍目には、それが小池の彼女に対する横恋慕と映ったかもしれない。
森(岡田樹)について、小池は多くのことを知らない。矢本啓子とのスキャンダルの後、彼女(矢本)は自分と性的及び学校業務において関係があった政治家、成瀬栄弐に岡田樹のことを頼み込む。その頼みを受け、成瀬は建設事業的に自分と関係があった土佐島豪遊に樹を預ける。このときは矢本の勧めで樹は女として豪遊の前に現れる。亡くなった母親から聞いていた兄の名前を持つ女として……。
小池の知る限り、豪遊は樹に手を出していない。が、自分の前では常に女の格好をさせている。
こうして二年前、岡田樹は森となったが、同時に男にもなっている。豪遊からの指示で小池が樹の電子戸籍を書き換えたからだ(その際、改正原戸籍も盗み出すが、書き換えまでに年月を要する)。戸籍上、晴れて男となった岡田樹自身は佐倉精密機器に男として入社し、研修後、経理部員となる。目立たないはずの女に樹が戻らなかったのは男として生きる決意を固めたためもあるが、以前に勤めていた会社に男として入社していたことが大きい(つまり転職直後は事務的な問い合わせが多いということだ)。
が、半年前、その佐倉精密機器の経理部員、山崎在昌に、樹は自分が女であると見抜かれてしまう。彼もトランスジェンダーだったから、できたことだ。山崎は、それをネタに樹を強請り始める。
四ヶ月前、それまでは山崎の言いなりになっていた樹だが、意を決し、山崎に対決姿勢をみせる。すると土佐島邸にも近い川の堤に樹を呼び出した山崎が、
「無駄だよ。会社の金をアンタの名義で使い込んである。バラせば、アンタが警察に捕まるだけだ」
と逆に樹を脅す。
このとき山崎は女の格好で現れる。樹は男物の服を着ていたが、それは背広ではなく、セーターだ。流行のユニセックス的なデザインの……。
「山崎さん、卑怯なことは止めてください」
「ふん。文句があるのなら、女に戻ってからにしなよ」
山崎が樹に服の交換を申し出る。樹は黙って、それに従う。樹の男物の時計も身に着け、山崎は女に戻った樹をねめつける。
「アンタを殺して、横領を悔いた自殺に見せかける……のも面白いかもね」
土佐島勇貴の部下、牛飼陽介が樹たちを目撃したのは、この辺りからだ(牛飼も土佐島邸に泊まることが多いので夜の散歩のときに目撃する)。が、牛飼には二人の女が言い争っているようにしか思えない。しかも、そのうちの一人が森という勇貴と自分にとって厄介者なのだ。普段から髪の長い山崎は男の服を着ても女に見える。一方、専らウィッグを着用している樹は森には見えない。やがて牛飼は山崎の方を森だ、と勘違いする。山崎の樹に対する暴言は続き、遂に暴力も振い出す。やがて揉み合いになり、樹が誤って山崎を堤から突き落とす。数メートル下のコンクリート・タイルに俯せに落ちた山崎は身動きもしない。
そんな自分の行為に我を失った樹がその場を去る。入れ代わりに牛飼が山崎を確認しようと近づくが、怖くて、傍まで寄ることができない。それで一旦、土佐島邸に戻り、勇貴の指示を仰ぐ。その間、すべてを盗聴していた小池が山崎に近づき、土で顔を汚す。牛飼に山崎を森と誤認させるためだ。死んだ人間の顔を直視するのは、臆病者の牛飼にはまずできないだろう、と小池は踏んだのだ。
やがて勇貴に怒鳴られた牛飼が山崎の死体を再確認する。その後、勇貴の指示で牛飼が森(実は山崎)を奥深い山まで運ぶ。直接犯ではない勇貴が、森(実は山崎)を殺した女が戻って来て自首をすれば面倒なことになると判断したためだ。目的の植林山に向かう前、牛飼は勇貴の指示で、フォレスト建設が手掛けていた完成間近の硫酸プラントに寄り、試作品の硫酸を入手する。その後、奥深い山中に至った牛飼は、できるだけ顔を見ないように怯えながら、森(実意は山崎)に硫酸を飲ませ、歯の治療痕から身元が判明しないように工作する。
その頃、小池は森(岡田樹)に連絡し、土佐島邸からすぐに立ち去るように、と指示を出す。同時に暫くの間、何食わぬ顔で佐倉精密機器は会社に通うようにも伝える。
そして三ヶ月前、山崎が佐倉精密機器を無断欠勤してから一ヶ月後、樹が一身上の都合で会社を辞める。その前に、山崎が横領した金の工面も小池が付けるはずだったが、樹が己の自殺を仄めかす遺書を認め、会社に送る。知り合いの女とその男が存在し、自分は男に金を強請られた、という馬鹿げた遺書の設定は架空の登場人物が多い方が警察が土佐島や矢本に近づき難いだろう、と樹が考えたためだ。
満と連れ立ち、コスメカウンターを巡り、必要な化粧品と化粧道具を購入した桜は、
「一休みしようか……」
と喫茶店に満を誘う。
そこで、それぞれ、アイスコーヒーとコーラを飲みながら雑談をしていると、
「桜さん、って脚本家ですよね」
と満が問う。
「うん。そうだけど、何か」
「……の割には純粋な人だな、と思って」
「わたしが純粋……」
「疑うことを知らないっていうか」
「何について……」
「それは、もちろん、わたしについてですよ」
「いや、言いたくないこともあるかもしれないと思ってさ」
「それなら大丈夫だから、言ってみてください」
「うーんと、じゃあ、満ちゃん、水泳部を止めたりしていない」
「何ですか、それは……」
「だから、わたしの気になっていたこと……」
「桜さんは、わたしの声は気になりませんか」
「ああ、それは、少し気になるかな」
すると満は意を決したように眦を上げ、
「これから先のことは、桜さんとわたしの秘密ですからね」
と桜の耳許に口を近づけ、非アニメ声で囁く。
「これが本当の、わたしの声です」
「えっ。どういう……」
「まさか、まだ、わかりませんか」
「いや、さすがにわかったけど、吃驚して……」
男が女の声を出すための手段にメラニー法があることは桜も知識として知っている。が、ネットの映像以外で、それを見た経験はなかったのだ。本来は高い声を出すことを目的とせず、女声らしい響きをつけることで話し手を相手に女性として認識させようというボイストレーニング法であるが、所謂アニメ声から入る初心者が日本には多い(トランスジェンダーの女性が外科的処置に頼らず、訓練により、声の性適合を行う場合に習得することが多い。自身も性同一性障害者であるアメリカのメラニー・アン・フィリップスにより開発された)。
なるほど、それで、これまで満は化粧の経験がなかったのか、と桜は深く納得する。が、その最初の化粧の講師が自分で良かったのか、と考え込んでしまう。
「わたしは水泳選手ではありません」
ついで、アニメ声に戻った満が桜に告げる。
「だけど、水泳選手も面白いかもしれませんね」
矢本啓子と岡田樹が始めて出会った公園で、樹(或いは森か?)を見、岡田森はその背の低さに改めて驚く。森も特に長身ではないが、それ以上に小さかったのだ。男装した矢本啓子の方が大きいくらいだ。
「何故、女の格好で……」
矢本啓子が問いかけると、
「間違いが起きないように……」
と樹が答え、
「だけど、無駄な気遣いでしたね」
と啓子を凝視し、続ける。
「吹っ切れたんですね」
「まだまだ、これからよ」
「わたしが出所する頃には板についているのかな」
「さあて、どうでしょう」
矢本啓子、岡田森、そして岡田樹の背後には土屋たち刑事の一群が控えている。
『お別れの邪魔はしませんから、何時間でも……』
『ありがとうございます』
岡田樹が公園に現れる前、矢本と土屋が交わした会話だ。
『結局、あなたには、お世話になりました』
『いいえ、これも成り行きです』
その後、行われた岡田森と土屋の会話……。
成瀬栄弐から託された事件の真相を記した書面を土屋の許に届けたのは森だ。その際、森は成瀬栄弐との約束で中身を見ていない。が、事態の急展開を知り、さすがに凡その見当がついてしまう。
この後、樹は自首をする予定だ。土屋は樹のその行為を一切、疑っていない。が、警察組織は誰も信用しないのだ。
「お兄さんの名前を勝手に使ってしまいました」
「母から、ぼくのことを聞いていたんだね」
「こんな形でお目にかかることになるとは、思いもしませんでした」
「いいんだよ、ぼくの弟……」
第二章「見知らぬ家族」(終)




