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11 独りの夜は慎ましく

 写真週刊誌の記事に関し、一週間以上が経過したが、薫からの連絡はない。薫にしてみれば自分に何か言いたいだろう、と桜は思うが、もしかしたら四六時中、マネージャーに見張られているのかもしれない。桜と薫が本当に恋人同士ならば、それでも薫は桜に連絡を入れるだろう。けれども当然のように、二人は恋人ではないのだ。

「じゃ、わたし、先に帰るから……」

 早々に仕事を切り上げ、桜がクリエーターズ・ハイを後にする。

『出会わなくても良いですか?』は放映中だが、来週、次のドラマの打ち合わせを控えている。今度も牧村組がドラマ制作に関係する。桜にとっては朗報だ。が、薫との噂がまだ消えずに残っているうちは落ち繋ない。

 牧村俊は、あのパーティーの夜、薫が自分を送ったことを知っている。家まで送るとは想像しなかったかもしれないが、今では、その事実も知っている。

「今度は男だったね」

 当然来るだろうと思った美貴からの連絡に、

「焼いたか……」

 と桜は返し、ついで彼を心配させないように、

「本当に何もなかったから……」

 と言葉を紡ぐ。

 その後、美貴は長話をせずにスマートフォンを切る。そういった美貴の配慮が桜には嬉しい。

 嬉しいといえば、百合スキャンダルのときに桜を励ましたのは牧村だ。

「桜さんは物書きだからわかっているとは思うけど、損な経験なんて人生には一つもないんだ。今回は単にでっち上げだけど、そうでは場合でも、時間はかかるかもしれないけど、どんな経験も、いつかは作品に生きるから……」

 分野は違うが自分もクリエイターだから牧村は桜に言ったのかもしれない。相手が一般人だったら、そんな慰めはしなかった、と桜は思う。

 曇り空の中を自宅アパート(写真週刊誌ではマンション扱いだが、桜の認識は異なる)に帰り、ホッと息を吐く。キッチンでうがいをし、帰り道にある有名店で買ったヘルシー弁当をテーブルに置く。ついで味噌汁を作り始める。

 夕食は弁当に逃げたが、何も作らないと、それが習慣になる。だから最低でも、桜は味噌汁を作るのだ。味の良い出汁も揃っているから、味噌汁作りは今では殆どインスタントだ。

 ……とはいえ、今宵は炒め玉葱とキャベツの味噌汁にしたから多少の時間はかかる。鍋の状態を確認しつつ、弁当を電子レンジに入れ、数分待つ。やがて食事の準備が整い(フライパンも料理中に洗い)、一人の夕食だ。

 冷蔵庫で冷やしておいた函酒をグラスに注ぎ、いただきます、と食膳に手を合わせる。

「美味しい」

 最近の出来合い弁当は、昔と比べると、比較できない美味しさだ、と桜は思う。使ってはいるのだろうが、油のベタベタ感もなく、具もくっついてはいない。

「次は何を書こうか」

 食事を愉しみつつ、桜はやはり仕事のことを考える。大枠は苦手なミステリーと決まっているが、今回もメインライターに選ばれる可能性が高いので選択肢は広い。

 ゆったりした夕食を終えると、そのタイミングで玄関チャイムが鳴る。まさか、母か、と桜が思う。写真週刊誌が発行された翌日、テレビのワイドショーでニュースを知ったのか、母が桜のスマートフォンに通話を入れる。

「お父さんが怒っているから……」

 開口一番、母は言ったが、それは電話をする口実だ。桜は自分の父が怒っている、とは思っていない。さすがに親なので心配はするだろうが、父と桜には特別の絆がある。子供の頃から、それが続いているが、母には理解できないらしい。

「はい、今出ます」

 桜は口に出し、玄関に向かう。ドアスコープを覗くと、何と逢坂薫が立っている。

「来て、いいの……」

 早速ドアを開け、桜が言うと、薫の後に控えた男性の姿が目に入る。状況からいって、薫のマネージャーだろう。

「済みません。前もって連絡を入れずに来てしまって……」

 第一声で薫が謝り、

「せっかく来たのですから、上がってください」

 と特に気にするふうもなく、桜が応じる。

「マネージャーさんもご一緒に……」

 ついで部屋を見まわし、

「狭い部屋ですが……」

 と続ける。

 薫のマネージャーは四十過ぎのガタイの良い男だ。桜は例のパーティーの日に初めて会っている。

「押しかけて済みません」

 思ったよりは低くない声で薫のマネージャーが桜に言う。早速貰った名刺には『内海国友うつみ・くにとも』とある。苗字が二つあるタイプの氏名だ。

『だけど、こいつがどうしても直接謝罪したいというものですから……』

 見た目は怖いが、内海は紳士のようだ。もっとも、そう言ったタイプほ方が本当は恐いもかもしれないが……。

 話を聞くと、あの事件以来、薫に渡された携帯の通話履歴が事務所に届くようになったらしい。まるで小学生扱いだが、自社のタレントを守る一つの方法なのかもしれない、と桜は考え直す。

「だけど、それならGPSだってあるでしょう」

 携帯電話から使用者の位置情報を掴むのは子供を守る当たり前のセキュリティーシステムの利用法だ。

「だから携帯は家に置いてきました」

 薫が桜に説明する。

 自分で別の携帯電話かスマートフォンの契約をすれば、こんな面倒はないが、薫は気真面目なのだろう。自分の所属事務所に礼を尽くしているのだ。

「あの日は本当に済みませんでした。桜さんが仰られたように、此処に寄ったにしても、すぐに帰れば良かったんです」

「家に入るとき、ベロベロのわたしに抱きつかれなくて良かったわね」

「ええ。桜さんは憶えていらしゃらないようですが、見た目はかなりしゃんとしていました」

 何処から雑誌記者に付けられたか知らないが、当然、家に帰る途中だろう。とすれば、家に入るシーンも撮られているはずだ。

「わたしの監督不行き届きです」

 内海が桜に首を垂れる。すると桜は慌て、

「内海さん、頭を上げてください。そもそも、わたしがパーティーで酔っぱらったのがいけないんですから……」

 桜は言いつつ、顔じゅうに油汗が噴き出るのを感じている。それと同時に種々の想いが脳裡をかけるが、それを遠ざけるように話題を変える。

「ところで、また見張られてはいないのですか……」

「それはないはずですが、念のため、わたしが付いて来ました」

 内海の返答に桜は首肯き、

「マネージャーさんも大変ですね」

 と彼を労う。ついで、

「この先仕事がないようでしたら、一杯どうですか」

 と内海に水を向ける。すると意外なことに、

「では一杯だけ、いただきましょう」

 と内海が桜の予想しなかった返答をする。それで桜が感心する。

 この人、肝が据わっているな、と……。

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