10 わたしがスキャンダル?
「ちょっと、桜……」
いつもより慌ただしい様子で桜が春奈に声をかけられる。クリエーターズ・ハイの事務所に到着して、すぐのことだ。
夜九時のドラマ『出会わなくても良いですか?』も第三回を終え、視聴率は下がらない。心配していた納豆の食事のシーンも、薫が大袈裟に食べる演技をしたせいか、大きな苦情となってはいない。
「何ですか」
桜が問い、
「まあ、見てみたら……」
と春奈が答え、一冊の写真週刊誌を桜に手渡す。
クリエーターズ・ハイには、その時点で、他に人がいない。桜と売れっ子ノヴェライズ作家の春奈だけだ。
『イケメン俳優、深夜のスタディーか!』
そんな見出しが、とあるマンションの窓写真に被る。その窓は桜に見慣れた窓……というか、桜の自宅アパートの窓だ。
(まさか、あのときの……)
桜が焦る。薫くんのキャリアに傷をつけてしまったかも……。
慌てて、桜が本文に目を通す。読み進め、すうっと桜の冷や汗が退いていく。
(わたしは逢坂薫のラブ・アフェアの対象として描かれていない。仄めかしはあるが、あくまで脚本家扱いだ)
と気づいたからだ。
『……部屋の照明は朝まで点いていた。それでも何かがなかったとは断言できないが、彼が脚本家の部屋を去るとき、互いに頭を垂れ合っていた。恋人にも正しき礼儀……とは言うものの、長年芸能記者を勤めた筆者には、その雰囲気がまったく感じられなかった。本当に朝まで、現在放映中のドラマ『出会わなくても良いですか?』について、二人で反省会をしていたのかもしれない』
「何、これ……」
桜が問い、
「普通に考えれば提灯記事……」
と春奈が答える。ついで、
「だけど、出版社の方は本当はスキャンダルにしたかったのかもしれないな。だけど、事務所に止められた」
「薫くんの事務所は大手のコンバーションだからね。それにしても、わたしの方には連絡がない」
「匿名だからでしょ」
「それにしたって……」
ドラマの名前を出しておいて、それはないだろう。桜が口の中で、そう呟いたときのことだ。
「おお、悪い、悪い。報せが遅れて……」
クリエーターズ・ハイの名義社長、坂部淳夫が事務所に顔を出す。そこに桜を見つけ、大声を上げる。
「時間がないんで、おれが勝手に処理しといたよ。藤本、怒っているなら謝る。ホレ、この通りだ」
直後、坂部が桜に深々と首を垂れる。坂部の頭頂若禿げをみながら、桜は怒る気もしない。
「坂部さん、頭を上げてください。どうせ、本当にギリギリの連絡だったんでしょ」
するとセイウチのように素早く坂部が頭を上げ、
「ウチは弱小だ。それでも実名が出るなら本人を交えて抗議したが、今回は宣伝にもなると判断した」
と坂部が説明する。
「もういいですよ。で、連絡はいつだったんですか」
「発売日の金曜日前日の午後九時だ」
「じゃ、どの道、差し替えは無理ですね」
桜は言ったが、それでも連絡はできたはずだ。が、坂部の思惑もあったのだろう。この件に関して出版社に恩を売ったのかもしれない。
「だけど、暫くは荒れるでしょうね」
頻繁に更新はしないが、桜もブログを展開している。現時点では、誰でも書き込みできる設定だ。
「それを心配して行ってみたけど、この件で騒いでいるのは多くなかったわよ」
春奈も会話に参加する。
……にしても、その少数には、死ね、だの、ブス、だの、ビッチ、だの、と派手に罵倒されているに違いない。想像すると、桜の全身から力が抜ける。
「大丈夫、桜……」
「まあ、初めてじゃないから……」
テレビドラマのシナリオを描き始めた初期の頃、桜はそのドラマの主演女優と百合の関係ではないか、と報じられる。当然、それは誤解なのだが、他者による次のスキャンダルが起きるまでの短い期間、世間は好き勝手に盛り上がる。その記事を見て西条美貴が心配し、桜に連絡をしてきたのは今では良い思い出だ。
桜は思う。今回の写真週刊誌の記事と当時のことを繋げる者もあるかもしれない、と……。前の桜の相手が女で、今度の相手が男だから、幾らでも面白く書けるだろう。
が、桜は小さく溜息を吐きつつ、
(でももし、本当にそんな気配があるなら、わたしが先に書くだろう)
と思う。時期を読む必要はあるかもしれないが、視聴者の関心を惹くためにスキャンダルを利用するのは悪い方法ではない。
ただし、そのときには上品さが肝要だ。ドラマの担当プロデューサーによって、その程度は異なるが、上品と下品、その最後の線を引くのは脚本家でなければならない、と桜は思っている。