分かったから静かにしろ
忘れはしない、あの美しい横顔を。
夕暮れ差し込む放課後の廊下。
ドアの隙間から、見えたものは風になびき、ふわりと舞う美しい黒髪。
一人教室で佇む彼女。
僕が神ならばその景色を切り取り、保存し永遠に大切にしただろう。
真面目な彼女が机の上に座り、女神のような慈愛に満ちた顔。
声をかけるのはやめた。
その世界には彼女だけでいい。
そう思い黙って通り過ぎる際、横目に見えたもの。
先程は死角になっていた場所に、彼女の視線の先に。
机に突っ伏して眠る男。
彼女のあの視線は、そいつに向けられていたものだった。
……。
……。
「……聞いているのか、黒き鎧の男よ。夜を操ったのは貴様で間違いないか?」
「え?……ああ、なんだ男か。そうだよ僕の力だよ」
黒いマントを羽織った男が、片目を隠すように、片手を顔に当て、気取って喋る。
対峙するのは顔を隠した兜に、黒い鎧の男。
「……フッ、未知なるスキルか。このガーランサスの城のみを闇夜に包み、抵抗できぬ人々を闇に沈めたその力。ただ者ではないな」
気取った男の自分に酔った口調が癪に障る。
鎧の男は苛立ちながら、言葉を絞り出す。
「ええと、……姫様、いや女王の居場所を教えてくれないかい?」
「断る。弱き民を消し、侵入した貴様など排除するのみ」
「従う、もしくは大人しく闇に沈んでいれば、命は助けてあげるという僕の優しさ、分からないかい?」
「笑止。この国のギルドに属する我ら、女王に忠誠を誓う者ばかり。我、冒険者を越えし冒険者、ランクJ、暗影のダスクなり。闇夜こそ我が領域。命乞いなら、聞こう」
黒いマントを投げ捨てた黒衣の男ダスクが、月明かりからできた影を撫でると、黒い刃となり、手に収まる。
「……無駄なことはやめたほうがいいよ」
「……成程、レベルは70越えか。レベルに溺れたその慢心、命取りになると思え。貴様の情報は骸になってからいただこう!」
ダスクの黒い刃が斬りかかる。
棒立ちの鎧の肩を捉え……。
「なにぃ!」
刃が止まる。
闇の中でもダスクは分かった。
この手応えで黒い鎧に傷一つついてないことが。
「バカな!」
城内の廊下、石の壁を蹴り、目にも留まらぬスピードでダスクは相手を翻弄しようとする。
だが微動だにしない敵。
天井からの高速での突撃。
渾身の一撃が鎧と兜の隙間、首に突き刺さる。
はずだった。
刃は皮膚にも弾かれる。
鎧の男の扉をノックするような、優しい拳に当たると壁に叩きつけられる。
流石にダスクは言葉を失った。
力の差に。
「フーッ!フーッ!」
息が荒くなる。
「女王はどこだい?」
「フーッ。……影よ!秘術!」
鎧の男の背中を、影から現れたもう一人のダスクが剣で斬りかかる。
……カンと虚しい音と共に、武器は掴まれ、不意の一撃は片手に阻まれた。
「影を使った分身が切り札か……。ああ、頑張って修得したんだね。人生のほとんどを費やして」
背後では、四人の鎧の男に、ダスクの分身は四方から剣を突き立てられ、消滅する。
「な……に……?」
「ははははは!簡単じゃあないか分身の魔法!」
壁にもたれたダスクを八人の鎧の男が囲う。
努力を嘲笑う無情な現実。
「……やめろ。やめろおおおおおおおお!!!!」
戦意を失った彼に無慈悲に突き立てられる剣、剣、剣。
そして、この程度は誰にでもできると見せつけるように、そして肉体よりも精神への殺意ゆえに、影から刃を生成し、突き刺す。
「その顔、素敵だから頑張って生きてくれないか?生きていることは素晴らしいみたいだよ?誰か助けてくれるさ」
「……。……」
「なんだい?」
「……殺してくれ……殺してくれ……」
「ははははは!!!」
響く笑い声。
標本の虫ように、壁に剣で留められたダスクは、呻くだけだった。
「1、2、3、4……くらいか。思ったより眠りに落とせなかった人が多いな」
魔法に抵抗した内の一人を撃破した鎧の男は、城内を歩く。
洋風の飾りを物珍しそうに眺めていると……。
「炎は怨嗟の始まり」
女性の声。
辺り一面炎に包まれる。
「ただの幻かな?いや、違うか。これは、森が燃えているのか」
城の中だったその場所は一変し、勢いよく燃え盛る木々と、煙に視界が覆われる。
鎧の男は、近くの木を一本切り倒し、その手応えに感心する。
「現実の上書きですか?それとも、五感を乗っ取った幻術。もしくは、イメージの現実化、記憶を映したとか?どうなんですか綺麗なお姉さん」
返事の代わりに飛んできた火球を切り捨てる。
炎に囲まれ、死角からの攻撃。
膨大な魔力による仕掛け。
並みの戦士なら、戦いにもならずに、敗北する大魔法。
男は一歩踏み込み、剣一薙ぎ。
魔法は斬り裂かれ、風景は元のガーランサスの城内に戻る。
地を蹴ったかと思えば、その男は姿を消す。
そして魔法を放ったエルフの眼前に現れ、剣を喉元に向ける。
「ランクQにして、この国、いや世界最高の魔女。エルフのリンさん!いやあ、美しい。お会いできて良かった。ああ、なんて綺麗な肌なんだ」
殺意に満ちたリンの表情を見ても、男はへらへらと言葉を並べる。
「あなたに頼もうと思っていたのですよ。女王のところまでの案内を。強さと美しさを兼ね揃えたあなたに。いっしょに歩くなら、カスなゴミよりも美しい花がいい」
怒りで目を見開く。
この男が何者かは分からないが、完全に自分を舐めきり、見下した態度。
リンは怒りが我慢の限界を超える。
無詠唱での爆破の魔法。
完全な不意打ち。
「おっと」
難無くかわされ、男の拳がエルフの腹部を激しく打つ。
「……ガハッ」
「こんな美人、傷をつけたくないんだよねぇ。辛いです、美人がすきだから……そうだ」
鎧の男は、ふらついたリンの頭を掴み、持ち上げる。
彼女の脳内を巡る違和感。
「そうか、そうなんだね。さっきの炎の森は、得意なフィールドじゃなくて、君の力の源。強くなると決意した始まりの場所なんだね」
「や……めろ」
男は再現する。
燃え盛る森を。
女性の過去を。
「リン!二人をお願い!あなた達は生きて!」
悲痛な叫びの後、大人が二人倒れる。
「お姉ちゃん!助けて!お姉ちゃん!」
虚しく響く声の後、子供が二人消える。
「あああああああああああああああああ!!!!!!!!!!」
「え?あらま、簡単に壊れたか。ぐ、ぐ、ぐ……ええ?殺す?女王のところに行くんじゃあ……」
リンを投げ捨て、炎を操り、龍を模したものを作り出す。
虚ろな目で動かないエルフを狙い、火炎の龍が喰らいつこうとした。
その時。
「結界、紫丁香花。起動」
炎が弾ける。
純白の巫女が、見えない壁で火炎の龍を防ぎきる。
突然の乱入者に鎧の男は首を傾げるが、その後、軽く手を叩く。
「何かと思えば、ミノタウロスの贄か。お人形さん、あれは元気かい?」
セツハは、相手が自分の役割を知っていること、一目で見抜かれたことに、驚愕するが鎧を睨み返す。
「あれは倒されました。故に私はもう、生贄でも人形でもございません」
「ほう、できそこないとはいえ、あれを倒す者が……。となると、その結界は厄介だな。お人形さん、そのエルフ、殺させてくれない?」
「お断りします」
「そんな結界、僕なら時間をかければ解体できるけど?いっしょに死ぬ覚悟できてるわけ?」
「いいえ」
その返答に、男は不意をつかれて固まる。
セツハは不敵に微笑み、言葉を続ける。
「女王様は、この階から二つ上。階段から最も近い、女王様のお祖母様の部屋にいらっしゃると聞いております」
沈黙が流れる。
この少女は……。
「ははははははははは!!!!君はこの女性のために、女王を売るのか!最高だな!いいだろう。情報が正しかったら、この美人は見逃してやる」
男は爆笑し、二人の横を悠々と通り過ぎ、階段を目指す。
その背中に、言葉。
「死ぬつもりも、女王様を売るつもりもございません。この先、あなたは敗北します」
鎧はピタリと立ち止まる。
「誘導だと宣言するのか。面白い」
「ええ、妻は夫を立てるものですから」
「ふん、理解不能だね」
足を進め、次の階へと男は辿り着く。
広い廊下で、人の姿は目に入らないが、闘気を感じる。
戦いに飢えた、獣の気配に似たその空気。
「言葉は不要。死合おうぞ若人よ」
振り返ると、そこには真紅の鱗。
赤き竜人が立っていた。
「ランクK、ルーフェンドか」
振るわれる爪。
余裕で回避……したはずだったが、鎧の男は、吹き飛ばされる。
武器を弾く強靭な鱗に、筋肉の塊のような巨体。
頭のてっぺんから足の先まで、戦闘のために作られた体にしか見えなかった。
「これは、これは……」
「こい」
刃と爪が激しくぶつかりあう。
やっと、やっと始まる、戦いというものが。
……。
……。
夢か?
夢だろう。
忘れることはない。
何十年、何百年経とうが、はっきりと覚えているそのシーン。
頭に蘇るそれを、ゆっくり眺める。
「あなたにも幸せになる権利があるからです」
強く誰よりも輝いていた女王の言葉。
シエル……君のことを……。
老紳士は目を覚ます。
日の出ている時間に眠りにつくのが、彼の性質だったが、城内の異変を察知した。
辺りは闇。
何か術式が用意された気配や、大掛かりな仕掛けの準備などなかった。
その上でのこの異常な現象。
三人の高ランクのギルド所属者がいたことで、心のどこかで油断でもしていたか。
それとも衰えか。
久々の睡眠を妨害されたことも気にも留めず、グラウスは部屋を飛び出す。
静まり返った城内。
暮らす人々は、殺されたわけではないが動けてはいないらしい。
こちらを眠りへ誘い、闇に沈める魔法を弾きつつ闇の中を進む。
長い廊下の先に、気配二つ。
一気に駆けつけ見慣れた巨体の背中に声をかける。
「ルーフェンド」
「……グラウス様か。……すまない」
その一言と共に、真紅の体はぐらりと崩れる。
そして、巨体の向こうにいた、元凶と思われる敵と対峙する。
「やっと、やっと来たかグラウスゥ!君がガーランサスの血に保護魔法を何重にも展開しているから、居場所を掴むにも、無駄な労力が必要になるじゃないか!」
「なれなれしいが、誰かね君は。初対面ではないかい?」
神速の一撃。
構える動作もないまま、グラウスの拳が鎧の男の兜を弾きとばす。
「やはり、初対面ではないか、無礼者めが」
見知らぬ若い男。
整った顔立ちに、この辺りではあまり見かけない黒髪。
「流石の吸血鬼の君でも老いたようだね。数百年いや、千年に届く時間かい?懐かしいな昼は、人間率いる当時の女王シエルと戦い、夜は魔物率いる君と殺し合った。そして、あの日もつい昨日のようだ」
「……まさか!?いや、そんなことが」
背後から現れた、鎧の男の影。
七人の分身の攻撃をグラウスは見切り、拳は丁寧にその一体一体の胴体を貫き、消滅させる。
「この影……ダスクの技か」
次に世界は、炎に包まれる。
燃え盛る見慣れぬ建物の中、見知らぬ女性の石像に変な姿勢で眠る男の石像。
「リン君の魔法の再現か……二人は、無事なんだろう……な!」
何もいない空間に蹴り一つ。
飛ばされた男は、宙返りをし、難無く着地する。
そして世界は元に戻る。
「あらら、ただの真似事にこの出力じゃあ、君を惑わすことすらできないか。なあ、思い出したかい?僕のことを、僕の名前を」
苦々しい、忌々しい。
グラウスは顔を歪める。
「忘れるものか。かつて、シエルの情けで生き延びた男。アイザック・ファースト。シエルの命と引き換えに空へ封印された、自己改造を極めた化け物め。……そうか!宙の祝福とは……!」
「ご名答。もうここまで来れた。隠す必要もない。でもさ、化け物なのはお互い様だろう?未だに生きてシエルの子孫を見守る怪物君。それに君も聞いたろう?あなたにも幸せになる権利がある」
「貴様如きが己の欲を満たすためだけにその言葉を語るなあああああああああ!!!!!!」
迫りくる吸血鬼に、ファーストは手をかざす。
そして、言葉を放つ。
「止まれ」
操る口。
その口から放たれた言葉はこの世界を支配する。
グラウスの拳は、ファーストの顔の前で急停止する。
「体がッ!こんな不条理……こんな理不尽……」
「君が果てしない時の中、女を眺めていただけの間、僕は世界を解析し続けた。そして辿り着いた。神と名乗れるその力まで。シエルには感謝しているよ。なんせ封印だ。僕は死ぬことはなく膨大な時間を得られた」
ファーストは停止したグラウスを眺め……。
顔を、肩を、腹を、そして足を、執拗に斬りつける。
「さぁ、女王の場所まで歩いて案内しろ。……鉱山で会った君のとこのガキの方が強そうだね、グラウス」
「……」
血を流しながら、老紳士は歩く。
靄のかかった頭。
こんな状態でも彼には傷みなど感じなかった。
ただ……。
……。
……。
「グラウス、あなたの幸せ見つけられましたか?」
かつて共に過ごしたシエルの声。
「ええ、お前……いや、あなたに仕えることが俺の……ああ、違う。私の幸せです」
ぎこちない笑顔。
そう、こんな表情彼女に出会うまで知らなかった。
だから、まだ慣れない。
「もう、またそんなこと言って。あなたが生きるのは、自分のためなんですよ?分かってます?」
「ええ、もちろん。私の意志です。この国に尽くすことこそ私の幸せ」
「そんなことばっかり言ってたら、死ぬまで力を貸してとか、言っちゃいますよ?」
「喜んで。あなたの子供も、そのまた子供も、そしてこの国も、この命尽きるまで守り続けましょう」
誰かの「手を貸してくれ」という言葉が聞こえたので駆け出す。
その背中に、慌てた女王の声。
「ちょっと、冗談ですからね!冗談!そんなのダメですよ!自分のために……!」
「さぁ、まだまだ頑張りましょう!シエル!」
……。
……。
階段を上り、扉の前へ。
女王の祖母が暮らす部屋。
ファーストの目的である女王がここに。
グラウスは操り人形のように、ぎこちない動きで扉を開ける。
そして、執事のように、道を譲り頭を下げる。
「お前の守りは堅牢だね。有象無象が私の魔法に沈む中、ガーランサスの血筋は、眠っているだけだ」
二人の気配を確認しつつ、ファーストは軽く笑う。
「さて、君の懐かしい顔も見飽きた。そもそも用済みだし、邪魔だし。首を刎ねよう」
虚ろな目の吸血鬼。
長き命に終焉を。
彼の努力も、人を越え、世界を越えたその存在の前では水の泡。
終わりは呆気なく、一振りの剣。
無念。
ああ、幸せとは……。
――紫電鎧鋼
神の剣は、弾かれる。
男の紫電まといし一刀は、吸血鬼を救う。
そして、追撃の鋼鉄の拳は顔面へ。
「ブヘェ!何だお前!止まれ!」
神の言葉に、この世界は従う。
だが、この男は。
受け止めようとした、神の剣を両断し、この世界の攻撃では突破できないはずの鎧ごと斬り裂く。
轟く悲鳴。
この現実を受け入れられない虚しい神の叫び。
「あ、ありえん……。止まれ止まれ止まれ止まれェ!」
ファーストの必死な形相も現れた男は涼しく受け流す。
「分かったから静かにしろ。姫様が寝てるんだよ、一ノ宮」
「け、景護君……」
異世界からの来訪者を確認した、グラウスは安堵して、瞳を閉じた。




