赤に青が混ざり紫に見える
時は少し戻って、どこかの道。
「ああ……、頭が回らん。だが、止まっているべきではないことは分かる」
地を蹴る足には感覚は無く、視界は薄暗い。
走るという動作はこれで良かったのか……?
はっきりしない思考の中、頭に響く声を頼りに、景護は体を動かす。
『深く考えるな、足を動かせ。速く前にさえ進めばいいんだよ。そう考えれば、自然と走るフォームになるさ』
『しばらくまっすぐ行けばいいから、方向は心配しないで。……もう少し休んでいたら、記憶もはっきりするから、こんな苦労しなくていいんだけど』
「大丈夫だよ、先生。それに、記憶が戻った時に事態が手遅れになっていた方が、耐えられない。……!?おっと!」
何にもない場所、ただの草原で派手に転ぶ。
痛みも無く、視界も分かりにくい。
腕だと思う箇所に力を入れ、立ち上がり、再び走り始める。
『やはり、馬でも借りたほうが……。だが、あのデカブツとやりあうなら、景護は体を慣らしておきたいからなぁ』
「そういうこと。さぁ、二人とも力を貸して欲しい。同時に」
『本当にいいの?その、バランスの制御を失敗すると、あなたは……』
「いいよ、賭けるものは自我。力の増幅には、ちょうどいいリスクだ」
景護は軽く笑う。
美しい女の子を救えるなら、自分の意識、存在、その程度安いもんだと。
『しっかし、景護の体はあっても、中身……魂が消滅すると、どうなんのかね。俺か姐さんが体の支配権を持つか?……景護、心配すんなよ。お前が居なくなっても、お前の女達は、悲しませねえからな』
「俺の女なんて、どこに……」
『心配しないで。景護がいなくなったら、この馬鹿は私が食い殺すから』
『ははは、うーん、姐さんには勝算ないか?厳しそう』
人の体の中で、幽霊大戦争しないで仲良くしてほしいのだが。
『……真面目な話、景護がいないと私達は、長い時間を現世には留まれないでしょうね』
『だな。お前あっての俺達というわけだ。仲良く一心同体!揃って命懸けてやるさ』
「ありがとう。さぁ、速度上げますか」
二人の力を意識する。
赤い鋼鉄に青き稲妻。
いつもなら、どちらかに意識を寄せ、身を委ねる。
だが、今回はどう見ても強敵。
建造物に並ぶような巨大なミノタウロス。
災害と呼ばれる、封印されていた怪物。
一人の少女が全てを背負っていた。
そのために作られ、そのために消費される。
諦めを抱えたあの子を、救うために。
自分では、得られないはずの二つの力を両方掴む。
「おおおおおおお!!!!!」
意識が鮮明となる。
体は、鋼鉄の強度を帯び、紫の雷をまとう。
『紫電鎧鋼』
気を抜けば、荒れた大海に飲み込まれそうな感覚。
力を抜けば、地の奥底に引きずり込まれそうな感覚。
歯を食いしばって、一つ跳躍。
人を越えた速度で駆ける輝きは、まるで雷光が如く。
あっという間に、目的の森へ到達する。
『そこからまっすぐよ景護』
「え?案内された時は右へ左へグルグル回って、村に到達しなかった?」
『道順をごまかすだけでなく、仕掛けの上を通らされていたのよ。方向感覚を狂わせる術式や、判断力を鈍らせる罠、視界をごまかす幻術。……色々あるけど、全部解除するわよ。村の結界も。ええ、してやるわよ』
「頼りになるー」
迷わずまっすぐ。
枝葉を薙ぎ払い、大木をかわし、ただひたすら前へ。
酷い臭いや軽い眩暈がして、足元がふらつくがすぐに回復する。
電気が体を駆け巡り、五感が常に強く刺激されているかのようで、些細な妨害も難無く弾く。
小細工では止まらない景護が、次に止まったのは、物理的に進めなくなったからだった。
勢いよく見えない壁に、正面からぶつかる。
「ドゥエ!……見えない壁。村の結界か」
『景護、私に合わせて!』
「よし、きた。せーの!」
未知な状態のものの衝突により、波紋を打っていた見えない壁。
そこに叩き込む紫電まとった拳。
響く雷鳴。
結界は、ガラスのように派手な音を立て、殴られた場所を起点に豪快に砕け散る。
違和感。
ここは以前、セツハ一人しかおらず、生き物の気配などなく静かな場所だった。
だが、今は。
『まずいぞ景護!地下で化け物が暴れてやがる……封印が解かれてんな。急ぐぞ!』
「了解!」
違和感の正体はそれだけではなく、彼女が過ごしていた社に人の気配。
複数……少なくはない。
確認は後回しに、小さな湖に沿って、目的地を目指す。
ミノタウロスが封印された地下空間への入り口が、開放されたままの状態。
焦るままに飛び込もうとするが……。
「夜見!お前、何でここに!」
「……へ?く、国坂景護?国坂景護なのか!」
ボサボサの黒髪に、泥や血で汚れた服の女。
地下から現れたまさかの見知った顔との対面に、驚愕する。
だが、今は後回しだ。
「悪い、また後でな」
大勢、人を引き連れた彼女の横をすり抜けようとすると、バチッ!と何かが弾けたような音の後に悲鳴。
手を伸ばした夜見が、顔を歪め、固まっていた。
「痛い!お、お前!お前!お前!なんなんだよお前ぇ!」
「すまんって。見ての通り臨戦態勢なんだ。危ないぞ」
稲妻走る右腕を、夜見に見せる。
彼女の表情は歪んだまま、景護を睨みつける。
「さ、先に言え!……お、お前、あいつと戦うのか?」
「だから、急いでんだよ」
「反則級の化け物だぞ……。に、二ヶ崎ちゃんと巫女っぽい人を連れて、撤退しよう。避難はもう終わるから、地下はあの二人と悪党だけだ。二人を拾ってきてくれ」
「断る」
「な、お前、カッコつけてる場合じゃないぞ!巫女ちゃんは命を使って封印するつもりだ!お前のレベル50倍強い、二ヶ崎ちゃんでさえも勝ち目はない!攻撃の通じない怪物!撤退して、戦略を練り直すべきだ!」
柄にもなく興奮する同級生を、景護は眺める。
息を吐き、指を鳴らす。
そして、戸惑う夜見の頭に手をかざす。
「ちょ、やめ!」
目を隠した前髪が、ふわりと逆立つ。
そこには滅多にお目にかかれない、美しい瞳。
片や青、片や赤に染まった瞳で彼女と向かい合う。
「いってくる」
「ずるいだろ、それは……」
景護は歩を進める。
なぜか分からないが、ミノタウロスが困惑し、動きを鈍らせているのを感じた。
一歩、一歩。
電気を体から、こぼれさせないように慎重に階段を下る。
前回ここに来たのは、一日前だったかそれとも、遠い過去の話か。
頭の奥底で砕けた記憶を、誰かが繋ぎ直し、こちらへ差し出す。
思い出の中に白髪の女性。
上から下まで真っ白、潰されそうな重い責務を背負った彼女に言った言葉は……。
――彼女を救う我が誓い。
「助けを求めるお前を!俺は見捨てはしない!セツハ!」
「……景護様!」
眼下に広がる地下空間。
倒れた二ヶ崎に、かばうように立つ巫女のセツハ、座り込んだ金髪の騎士。
そして本命。
檻の封印から解き放たれた、巨大な怪物。
牛の頭のミノタウロス。
『「雷銃」』
挨拶代りに、稲妻の弾丸。
直撃した顔面は、傷つくことなく、怪物はにやりと笑う。
「なるほど。強敵」
振りかぶられる剛腕。
狙いは、封印の巫女。
「化け物ォ!セツハ様の次は、その血が付いた拳で、僕を潰せよぉ!はっはっは!国坂ァ!お前じゃ、止めることはできやしない!」
狂った叫びを気に留めることなく、景護は地を蹴る。
巨大な拳に打ち込むは、紫電の拳。
相殺。
怪物は、二、三歩下がり、肩を慣らすように大きく腕を回す。
景護は、セツハと二ヶ崎を抱え、後ろへ大きく跳躍する。
「け、景護様。どうして、攻撃を受け付けない亡霊に打撃を与え……」
「何?亡霊……?霊というと、俺も憑かれていますから」
不安そうなセツハに、ぎこちない作った笑顔で応える。
「任せろ!」
叫び、気合の飛び込みはハエのように叩き落とされる。
地面、天井、地面と美しい軌跡を描きながら、金髪の騎士がへたり込む壁まで飛ばされる。
「どんな仕掛けで、攻撃を加えているかは分からないが、もうやめてくれないか?僕は諦めたんだ。セツハ様と一緒に死なせてくれよ。早くくたばれよ国坂ぁ」
「……お前、誰だ?」
「……!」
怒りで歯を剥き出しにし、何か言い返そうとする騎士を無視し、側面から、敵を狙う。
怪物の対応も間に合わず、腰から抜き放たれた雷撃まとう一刀は、脇腹を斬り裂く。
「ん?」
手応えは合った……が、外傷なし。
懐に飛び込み、太刀筋が十字を描く。
スフィンクスを両断した、その技でもやはり見た目に変化が現れない。
こちらを追い払おうと、我武者羅に暴れるので距離を取る。
『のけぞりすりゃしないか……。景護に分かりやすくゲーム風に言えば、スーパーアーマーってやつか?』
『そうかもね。でもその分、体力は削れてるわよ』
「と、なるとちまちま攻撃するより、高火力を叩き込みたいな」
『景護、弓を』
先生の頼みに頷き、仕掛ける。
まずは、足止めを!
『怨みつらみは重き鎖、……沈め!』
術を展開し、ミノタウロスの足元に、沼を発生させるが……。
「先生!もっと大きくできない?」
『無理よ。人、一人分が限界。あんなの大きすぎて入らないわ』
『姐さん、もう一回言って』
「大将、馬鹿言ってないで、全力全開!」
片足を取られ、こちらへ倒れ込んでくる牛の頭を拳で弾き返す。
ぐらりと傾いた巨体はそのまま、背中をつく。
地響き、洞窟内が大きく揺れ、降ってくる砂を手で払う。
できた隙。
景護は視線を動かす。
「さて、後でなんと謝るか……」
二ヶ崎の槍を拾い、右手にチャージした高温放つ放電で無理やり形状を変える。
完成した大弓もどきに雷の弦を張る。
『良い槍ね。魔力か加護が込められているわ』
刀を抜き、矢のように番える。
沼の効果が切れ、怪物は立ち上がる。
引き絞り、一点に最高、最大の火力を。
狙うは、胸部。
心臓の有無など、どうでもいい。
生という概念を貫くのみ。
怪物が踏み出す。
退かぬ。
地を揺らす、巨大な獣の咆哮。
狙いは外さぬ。
嵐のような進軍で距離が縮まる。
「景護様!」
敵は、眼前。
迷いは不要、後は放すだけ。
『「雷風暁闇」』
紫電翔ける、怪物貫きその先へ。
紫の軌跡は終わりを告げる。
景護の目の前で動かなくなったそれは、崩れ落ちることなく、徐々に消えていく。
「……え?き、消える?」
「そうだ、アナタは自由だセツハ」
「け、景護さま……」
セツハの赤い瞳からは、ぼろぼろと涙が溢れる。
「ど、どうして、記憶も消されたのにどうやって、ここに?どうして私を……そ、その、助け……」
「何回も言ってんだろ」
セツハに背を向ける。
「アナタが助けを求めていたから、助けに参りました」
「あ、あ、あああああああ。うああああああ」
役目から、死の運命から解放された彼女は泣いた。
死ななくていい、これから生きていける。
それより、それより、自分の言葉に応え、自分のために何かをしてくれる人がいたことに泣いた。
孤独に生まれ死にゆく、この場所で。
そうじゃなかった。
そんなことなかった。
それが、本当に、本当に……。
景護は、セツハの声を聞きながら、消えたミノタウロスがいた場所を軽く撫でる。
「怪物にも幸せになる権利がある……か。強い言葉だ」
ふと、ギルドで読んだその言葉を思い出す。
だが、選んだ。
怪物を消し、少女を救うことを。
「すまないな。君と共存できるほど、人間は強くないんだ」
人を喰らう存在に投げかける言葉として正しいかどうか、分からなかったが、自然と動いた口は、その時の気持ちだった。




