第8章 魔女たちの戦い⑤~時戻りのオルト
こうして出発した三人の初めての買い物は、リカンカの三か月に一度の大市の日のことだった。
大きな体を波立たせて八本の足を器用に動かすツァーンを操りながら、まだ薄く朝霧の残る森を抜け、大きな街道に出てしばらく進むと小山のような砦が見えてきた。リカンカは城壁に囲まれた街である。
開け放たれていた大きな門をくぐると、城壁の内側に沿って来訪者の荷物や乗り物を預かる馬屋がずらりと並んでいる。ラモーノはツァーンを馬屋の通りに進ませた。
「おや、ツァーン。久しぶりじゃないか」
一軒の馬屋から声がかかり、中から小柄でがっしりとした体躯の老人が両手を広げて出てきた。ラモーノはその男の前でツァーンを止めた。
「やあ、トレノ。元気だったかい」
「ははは。そちらは大変だと聞いたから心配しとったよ。そちらのお連れさんは見ない顔だな」
「私の姪の姪のオルトとトスカだ。長生きの叔母から魔法の手ほどきを頼まれてね。こんな田舎まではるばるやってきたんだよ」
オルトはツァーンから滑り降りて「こんにちは」とあいさつをし、ラモーノが降りるのに手を貸した。トスカはオルトの背中から口をぎゅっと噛みしめながら会釈した。トレノは軽く手を上げてにこり笑うと、すぐラモーノに向き直った。
「じつは二三頼みたいことがあるんだが、体は大丈夫か」
「預かり賃を安くしてくれるなら」
「よかった。いつも通りで安心したよ」
トレノとラモーノは店先の長椅子に座り、話を始めた。オルトは店から現れた口を真一文字に結んだ若者にツァーンの手綱を渡した。若者は魔法のかかった手袋をつけていて、その手袋で手綱を引いていく。ツァーンの巨体が馬屋の軒先をぎりぎりくぐっていった。オルトが中を覗くと、馬留の棒に一定間隔でつながれた馬やロバの他に、それらに似て非なる四つ足が何匹か混じっている。その中でもツァーンが一番大きく奇妙で、ツァーンが入ってくると、みな不安げに鼻を鳴らしたり足踏みをしたりした。ツァーンは若者に間仕切りのある奥の部屋へ連れられて行った。
「ねえ、あれ」
トスカに腕を引っ張られ、オルトは外の通りを見た。トスカが指さしたところは向かいの馬屋と馬屋の間で、その暗がりに座り込んで寝ているのは、オルトたちがクフィテナンで知っている数少ない顔のフェンゴだった。
「こんなところで何してるんだろうね」
「知らないわよ。あっちむいとこ」
ラモーノの話が終わるまで、オルトたちは馬屋の壁に寄りかかってリカンカの往来を眺めることにした。今日は一週間続く大市の中日にあたり、リカンカを出立する人もいるが、まだまだ訪れる人の方が多かった。オルトたちのように馬や馬車などの乗り物に乗って来る人もいれば徒歩でやってくる人もいる。耳慣れない言葉を話し、この辺りの服飾とは異なる着飾りをした人々も大きな荷物を持って通っていく。元々リカンカは、オルトたちの故郷であるトランバラード側のオルエンデスに近い言葉や文化を持っているが、トランバラードっぽい格好の人を見かけたりすると、オルトは一瞬身が縮む思いがした。
そうこうしているうちに、だんだんとオルトが忘れていた古い記憶がよみがえってきた。確かリカンカの街は馬屋の通りを過ぎると丸いアーチのかかった中門があって、そこからがリカンカの本格的な街並みになっていた。エルテペよりは小さい街だったと思うが、今はエルテペの市に負けないくらいの人数が集まっているはずだ。
ラモーノはトレノから渡されたいくつかの手袋に魔法をかけて返すと、トレノの店の印を体につけたロバと小さい手引きの荷車を借りてきた。ラモーノはロバにまたがり、オルトたちは荷車を引いて中門のアーチをくぐって本格的に街にくりだした。
中門からのびる大通りの両側にはすでに物売りのテントがずらりと並び、物を売り買う声が賑やかに飛び交っていたが、ごった返す人の波はさらに先の広場に進み、そこが市場の中心になっている。ラモーノはまっすぐその広場へ向かっていた。
「オルト…気分が悪い…」
慣れない大人数にもまれたトスカはふらふらになってオルトに寄りかかってきた。オルトは荷車とトスカを引っ張りながら人波をより分けてラモーノについていった。
大広場に着くと、さらに天幕と人と荷物が密集して、大市の活気がむせかえっていた。だが、中へ入りこむと、広場の真ん中にはポツンと空間があって、そこで少し冷えた空気を吸うことができた。そこには舞台のような木の台があって、テントは張れないようになっていたからだ。台の上には物干しのような木枠が組まれていて、輪っかになった綱が三つ垂れ下がっていた。誰が見ても罪人を吊り下げるためのものだった。人混みから脱出して、大きく深呼吸していたトスカがげんなりしながら言った。
「オルトぉ、なんでこんなものがこんな所にあるのぉ…」
「見せしめにするためよ。今日使われてなくてよかったね」
オルトはトスカによく市場を見渡すよう目配せをした。道の交差点や建物の影に同じ形の短剣を差した男たちがいて、市場を見張っている。来る途中の通りにも辻ごとに立っていた。
「あの人たちってエルテペの──」いつもの声量で〈エルテペ〉と聞いて、オルトはあわててトスカの口に手を当てた。トスカも気づいて声を小さくした。「──エルテペの自警団みたいな人たち? 私たちも捕まったら吊られちゃう?」
オルトもトスカの耳元でひそひそと喋った。
「そうだよ。吊られたりはないかもだけど、ここでその話はしないで。ラモーノについて行ったら大丈夫だよ」
オルトの記憶によれば、リカンカを治める賢老たちから特別な剣を貰った若者が組を作り、それぞれの持ち場の区で火事や事件などが起こらないよう努めていた。そこで信頼を得られれば閉鎖的なギルド相手でも仕事ができるとか。クフィテナンの役人や騎兵隊も常駐しているが、市中ではリカンカの自治を重んじていた。
そして……オルトの古い記憶がまた蘇ってきた。今度は頭痛を伴っている。オルトの最初の旅の時、あの台は使われていた。誰かが吊られていたのだ。オルトは頭を抱えて呻いた。リカンカに逃れてきたばかりの頃で、今のトスカのようにぞっとしたのだった。今でいえば、それはいつのことになるのだろう。これからあることなのか。もう終わっていてほしいのに……
「オルト大丈夫?」トスカはオルトの肩を揺さぶりながらラモーノを探した。「ねえラモーノ、オルトが大変だ。どこかで休もうよ」
トスカに呼ばれてロバから降りて市場の天幕内をのぞいていたラモーノが振り返った。
「これはいけない。買い物は後回しじゃな。ついてきなさい」
ラモーノは足を引きずりながらロバを引っ張って狭い通りに入っていく。今度はトスカがオルトを支えながら後を追った。
その通りにも露店が並んでいたが、客は比較的少なく静かな通りだった。しばらく歩いて、ラモーノは魔方陣を刺繍したハンカチや小さなお守りを売っている露店にいたオルト達と変わらないくらいの歳の店員に声をかけた。
「やあ。今日は店主はいるかい」
「ラモーノさん、久しぶりですね。いますよ。どうぞどうぞ」
ラモーノは店員にロバの手綱を渡すと露店の後ろの石壁の店に入っていった。若い店員はオルトとトスカを物珍しそうな上目遣いで見送った。
店の間口は狭かったが、扉の奥は長く、魔紋や魔方陣を縫った布地や杖、薬草のドライフラワーや美しい石などが整然と置かれている。魔導士御用達の小道具屋といったところだった。ちょうど商品を棚に並べていた中年の男が振り返った。
「おや、ラモーノさんじゃないですか。どうしました、その子たちは?」
「私のめいのめいなんじゃが、そこで具合が悪くなってな。少し座らせてもらえないか」
「それは大変です。そこへどうぞ」
オルトとトスカは壁側にあった長椅子に倒れこむと、ラモーノはオルトの顔色をうかがった。
「オルト、頭が痛むか。疲れが出たのかもな。店主、頭痛薬はあるかい」
「ございます。今煎じてきましょう」
トスカがラモーノに言った。
「疲れのせいじゃないよ。首吊り台のせいだ。あんな恐ろしいものがどーんとあるなんて怖いもん」
店長が薬の準備をしながら優しく笑った。
「安心しなさい、おじょうさん方。あれは戒めとしてあるだけです。使うことはないから怖いものは見られませんよ」
「本当にぃ?」トスカの眉間にはまだ皺がよっている。
「昔は使っていましたよ、ええ。リカンカにも盗賊や魔物が出たり、怖い事件があったりしましたからね。でも、今はこうして落ち着いています。騎兵と十手組がよく働いてくれたおかげでそんな事件はとんとなくなり、魔物や盗賊はオルエンデスの雪山に追い払った。もう場所を移そうという人もいますが、みんなの気持ちを引き締めるためってことでそのままあるんですよ」
それなら一回目とは違うってことなのかしら──頭を抱えながらオルトは思った──思い出した記憶は鮮明だ。吊られている罪人の顔も分かるほどに。あの時漂っていた不穏な空気は確かに今のリカンカにはないし、ないことになったのだろうか……
オルトの耳元ではトスカがぶつぶつ呟いている。
「オルエンデスの雪山って、私たちのいたところじゃないのさ……」
店内に清涼感のある香りが漂ってきてオルトははっとした。
「イハラのお茶は私には効かないの。サザリを使ったものはない?」
カウンターの奥で薬を煎じていた店主が顔をあげた。
「それはしまったな。ちょうど切らしているんです」
「そこに根っこがあるわ。そのお湯とカラファテの実も三粒持ってきて」
店主が言われた通りのものを盆に乗せてくると、オルトは頭痛に耐えながらお湯の入ったポットにサザリの細長い根を三本、カラファテの実と一緒にボトボトと突っ込んだ。そしてポットを両手で包み、魔方陣を想像しながら急いで呪文を唱えると、ポットの中身はたちまち溶けて黒い湯気をたてながらドロドロした黒い液体に変わった。オルトはすぐにそれを飲もうとした。
「あちちちち!」
「おじょうさん、それは無理ですよ!」
店主が水の入ったカップを持ってきて、熱いドロドロを薄めて飲ませてくれた。
「にしてもすごいじゃないですか。こんな歳でこうも簡単に薬が作れるなんて。天才ですか」
「そりゃあ、わしのめいのめいじゃからな」
「これからラモーノさんに何かあっても、上級魔法の薬が手に入るってことですね」
「……そ、それは言い過ぎじゃないか」
「オルトさんですか。これからペペロの魔法店をよろしく」
「わかったわ」
「握手しないで! わしはまだまだ現役なんじゃぞ!」
しばらく休んでいると、オルトの気分はすっかりよくなった。オルトは薬代の代わりに黒い液体を更に濃縮して店主に渡した。ラモーノは待っている間に店主が煎じていた薬湯に店にあった材料を加えて魔法をかけ、飴玉を生成してみせた。
「どうじゃ。頭スッキリのどもスッキリするキャンディーじゃぞ」
店主は大市の目玉商品ができたととても喜んで飴玉を引き取り、ラモーノとも握手を交わした。
再び三人は買い物の続きをすることができた。日が暮れて、大市を取り仕切る若者の組が終わりのラッパを街の隅から隅まで吹きまわる時間まで歩き回り、ようやく今日の宿に戻って来たのだった。
買い付けてきたたくさんの日用品、服、これまでの三倍以上になった食料など(これでも半分は後で森に配達してくれるよう手配したのだが)をやっと部屋に運びこむと、ラモーノとトスカはベッドに倒れこんでぐったりとしたまま動かなかった。
ひとり元気に荷物を整理していたオルトが二人に聞いた。
「お腹空かない? 晩ご飯食べに行こうよ」
「わしは疲れた。二人で行ってきなさい」
「私も疲れすぎて食欲ない……」
「それなら私一人で食べてくる。大市の日限定のメニューが並ぶんでしょう」オルトはまくっていた袖を戻しながら言った。「食べたくなったら買ったものでしのいでね」
「干し肉かじっとく……」
この安宿に食べ物は売っていないので、オルトはまた街へ出た。
夜になってもリカンカは人通りが途絶えてはおらず、オルトのようにご飯や飲み物を求めたり何かしらの用事で出歩く人がちらほら見え、また居酒屋や料理屋はどこも大いに盛り上がっており、こうこうとつく明かりが動き回る人影をちらつかせながら石畳を照らすので、オルトは一人で歩いていても不安はなく、嫌な思いをすることもなかった。
オルトは街角の小料理店から総菜を挟んだパンを六つ買うと、一つをもぐもぐ頬張りながら、自分の宿がある路とは違う路地に入っていった。
昼間オルトは市場を巡りながら懐かしい集団を探していた。最初の旅の時ここで出会いしばらく行動を共にした織物売りの女たちである。処刑の現場のようにないことになっているのではないかと思ったが、今でも女たちはちゃんといて、同じように威勢よく布や敷物を売っていた。オルトはほっとしたような泣きたくなるような複雑な気分になった。最初と同じなら大市の途中で彼女たちは別の街へ移動し、その道中で盗賊に会い、オルトの魔法で追い払うことになったのだ。今のリカンカの様子では盗賊は出ないかもしれないが、もし出たらどんなことになるかを考えると、すぐさま教えたくなる。しかし、そんなことをしても知らない子供の忠告では信じてもらえないだろう。
どうしたものかと考えながらオルトが歩いていると、角を曲がったところで大きな荷物を担いだ女たちに出くわした。先頭にいた女は間違いなく思い出の中にあった顔で、織物売りの女たちのまとめ役であった。オルトは思い出の走馬灯に巻き込まれ、つい親し気に「あら、どこへ行くの?」と声をかけてしまった。
「どこって、トルクラムよ、お嬢さん。次の市がそこであるから」
まとめ役の女は面食らった顔をしていたが、丁寧に答えてくれた。
「ま、まだリカンカの市が終わっていないじゃないですか」オルトは焦りながらも自然に聞こえるよう言葉を繋いだ。「しかも夜ですよ。危なくないですか」
「今出ないといい場所がとれないのよ。お嬢さん、私たちに何か用?」
「あの、買いたい敷物があったので……」
「ああ残念だわ。門番に時間を約束していて、遅れると大金を払わないといけないの。また今度おねがいね」
女はオルトに手を振ると足早に通り過ぎて行った。その後を十名ほどの仲間の女たちと三名の男たちがついていく。男たちは女たちの誰かしらの夫だ。オルトは彼らを見送り、この世界ではオルトと彼女たちは完全に他人同士なのだということを改めて実感して、しばらく茫然としていた。それなら、盗賊に襲われたことで気に病む理由はないし、そもそも前とは違っている世界なのだから、もう襲われないかもしれない。でも、盗賊に出会ってしまったらおしまいだろう。男たちは用心棒の役目も負っているが、盗賊たちには多勢に無勢、女たちも激しく抵抗し、自分も炎の魔法を繰り出してやっと撃退したのだから。
その戦いを思い出すとオルトは居てもたってもいられなくて、そっと彼らの後を追った。同じように夜中に出立する行商人たちがそこかしこから歩いてくる。彼らは外門のそばまで来ると、みな馬屋でそれぞれ預けていた馬や馬車を出してもらい、荷物を積み込むと、門番が日暮れに閉めた門を一時開けるのを列をなして待った。
オルトが少し離れた建物の陰からその様子をうかがっていると、近くからぐうぐうといびきが聞こえてきた。昼間は馬屋の近くで寝ていたフェンゴが、今度はこの家の誰かが路肩で日向ぼっこに使う椅子に座って寝ていたのである。フェンゴはいびきだけでなくぎりぎりと歯ぎしりもしていた。酒気帯びのひどく疲れた顔で悪夢を見ているような悪い人相をしていた。それは、オルトが思い出した絞首刑になってだらりと垂れ下がっていたひとりとそっくりだった。あそこに吊られていた一人はこの男なんだとオルトは確信した。罪状は分からないが、寝ている今でもあともう少し悪夢に浸かっていたら絶望とこの世への怨念に振り回され、何か大事なものを打ち壊してしまいそうな危なっかしい雰囲気を醸し出している。もしかしたらこれから罰せられることになるのかもしれない。
最初の旅と同じじゃないのにこれから同じようなことが起こりそうな不気味さに、オルトはまた頭痛がしてきそうだった。この頭痛の種を取り払いたくてオルトはその要因を考え始めた。
この気分の悪い最初の旅の出来事とのずれはどこから始まった?──トスカと逃げ出すことができたという最初にできなかったことをやっているからに違いない。
重苦しかったオルトの頭が急に軽くなってきた。呪文を唱えたら魔法が出てくるように、違う行動をしているのだから、ちょっと違う現実になってきているということだ。でも、悪い方へずれているわけじゃない。売り子たちと知り合えなかったのは残念だけど、もっと違うことをやってもっとずれを大きくすれば、織物売りたちは盗賊に会うことなくトルクラムに着くことにならない? 知り合うことより彼女たちの無事が大事だ。やきもきしているくらいならそれに賭けよう。
オルトは行動することを決めた。何を起こす? 織物売りたちの馬車の車輪を外す? 魔法で火を点ける? でもそれだと自分が門番や騎兵に掴まってしまう。女たちも生活がかかっているのだからちょっとぐらいのアクシデントじゃ行くのを止めないだろう。それに、良い方へずらしたいのに悪い事を起こすのは縁起が悪いというかなんというか……
ゆっくり外門が開き始めると馬車の列が動き始めた。焦るオルトの耳に蹄と車輪が土を鳴らす音とフェンゴのいびきが重なった。仕方がない、とため息をついた。あまり触りたくないけれど、この男を巻きこむことも「最初になかった行動」と言える。
ポンポンと、オルトはフェンゴの肩を軽く叩いた。案の定、叩いた方の腕が勢いよく振られ、オルトを払いのけようとする。オルトは予想していた動きをさっと避けた。そして、またポンポンと叩くと、また腕がしなり「うるせえ、かまうな!」と怒鳴り声が追加される。オルトは大きく息を吸うと、肩を叩きながら話し始めた。
「こんなところで寝ていたら風邪引くよフェンゴさん。起きてよ」
「うるせえ、あっち行け」
「昼間もここにいたよね。ラモーノが心配してたよ。ちょっとお願いしたいことがあるの。いい話よ」
「ああ? ラモーノ?」フェンゴは薄目を開いた。「なんだよ。ラモーノんとこの小娘か」
「いい晩だね、フェンゴさん。いい仕入れをした行商人たちがほくほくしながら次の市へ出ていくよ。あなたは稼がないの? 寝ているにはもったいない話があるんだけど」
「うるせえよ。商売なんて、小銭うんちゃらなんてどうでもいいよ」
「そんなこと言わないで聞いてよ。あなたにしかできないって、ラモーノが。腕は確かなんでしょ」
「ああ? 何の話だ?」
「トルクラムへ向かう街道に盗賊が出る。居酒屋で話聞いちゃった。賞金首もいるって。そいつら行商人たちを狙っているそうよ。ラモーノが、フェンゴがついていってくれればって言ってた」
「そんな話、騎兵か今の十手組の奴らにでも話せばいいだろう」
「私が小耳にはさんだ話だもん。子どもの言うことなんて信じてくれない。今のリカンカは平和だってみんな信じているし」
「俺ならホイホイ信じるってか。馬鹿にするな」
「でも、すごく怖い。ほんとの話だったらどうしようって。織物売りのおばさんたちすごくいい人だった。だから、すごく心配で仕方がないの。ちゃんとトルクラムに着くか見届けるだけでいいからついて行ってくれない? もし本当に盗賊が出ても逃げていいから」
「逃げるって? 俺が? 俺を何だと思っているんだ。今のリカンカから野盗や魔物を追い払ったのは元ろ組のボスの仲間、フェンゴはその一番の腕だって話は耳にしなかったのか。くそ!」
「そう怒らないで。私は昔の話は知らないから。でも、この話引き受けてくれるなら信じるよ」
「ああそうだ。昔の話さ。もう俺たちは十手組の“ろ”を若者に譲った。そして、あの商人たちのように職人から仕入れたいろんな物を売っている。でもな……くそ、俺の腕はなまっちゃいねえ。まだその価値はある。そうだ、商売はただでやったらダメなんだ。気前よくしちゃいけない、だとさ。この腕は高価な品物だぞ小娘。いくらで買う?」
「あなたが腕を振るうなら私も自分の腕で払う。一度だけただで魔法を使うよ。この間と違うのは、材料がいるなら私がそろえるっておまけがつくこと。あなたは魔法の仕事を探して代金を受け取ればいいんだよ」
「そうか。よし、なら今使え。俺の酔いを醒ましてくれ。頭がガンガンするんだ」
「……それでいいの?」
「うっかり道を間違えたら賞金首に会えねぇ。トルクラム、ちと遠いな。森の先はリカンカの領分じゃないから慣れてねえからよ」
オルトは薬などの触媒を使わず酔いを醒ます魔法は知らなかったので、とにかく頭痛がなくなればいいんだろうと、フェンゴの背後から両手をかざして体調を整える魔法をかけた。
「ああ、すっきりした」とフェンゴがのびをしながら立ち上がった時、並んでいた行商人たちは全部外に出ていって、あとは門を閉めるだけになっていた。
「良くなったなら早く行って。門が閉まってしまう」
「準備ぐらいさせろ。なあに、門番は知り合いだからその弁当で十分さ。それよこせ」
オルトはしぶしぶパンの入った袋を渡した。
「あんまり彼女たちに近づかないように見張ってよ。あなたほうが盗賊にまちがわれそうだから」
「そのくらいわかる。うるせえな」
フェンゴは袋を肩にかけ、意気揚々と通りを横切ってとある馬屋に入っていった。すぐ出てきた時には馬を一頭引いていて、店前でさっとまたがった。馬の背には弓矢と以前あった時に持っていた剣がくくりつけられている。馬屋の奥から年配の男が飛び出してきた。
「おいフェンゴ。預かり賃が貯まっとるぞ!」
「すまんなオヤジ。ボスにつけといてくれ」
フェンゴは馬を動かし門に向かった。門はすでに閉じられ、あとは閂をかけるだけになっている。オルトがハラハラしながら建物の陰から見ていると、フェンゴは門番たちに何か話しかけながらパンの入った袋を差し出した。門番たちは袋を受け取ると門を少し開け、フェンゴがするりと出て行くと、すぐに門を閉じて閂をかけてしまった。
「今時分どこへ行くんだ。大人しくなったと思っていたら……」
馬屋の親方がブツブツ言いながら引っ込むと、オルトの周りは馬屋の生き物の鳴き声だけになった。オルトはもうできることはないと思ったので、今は他人の織物売りの女たちへ、巻き込んだフェンゴへ、そしてこの世の運命を握るあらゆるものへの祈りの言葉をつぶやきながらそっとその場を離れた。
オルトはもう一度パンを買った小料理屋に寄ってみると、パンは売り切れになっていた。何も持たずに宿屋に戻ることになったのだが、幸いラモーノとトスカは熟睡していたので、食事は改めて朝になってから三人で小料理屋で取った。オルトは昨夜のことを二人には話さなかった。
それから三人で買い物リストで買い忘れはないことを確認して、ツァーンの待つ馬屋でツァーンに荷物を載せ(ツァーンの後ろを凹ませるといい荷台ができた)、その日のうちに森への帰路についた。
大市が終わった頃、ラモーノの家の近くの森の道でオルトとトスカが待っていると、契約した運送屋の大きな馬車が来て、オルトたちの買った物を下ろしていった。運送屋は一日一回、二三日おきに三回来た。オルトは運送屋が来るたびに「リカンカはどんな様子か」尋ねたが、だいたい「大市が終わって、いつもの静かなリカンカに戻った」という返事だった。盗賊の話も久しぶりに処刑台が使われたという話もなかった。
最初オルトは「フェンゴって知ってる?」と運送屋に聞いてみたのだが、その時の運送屋は首を振った。
「どうしてあいつのことを聞くのさ」
そう言ってトスカが睨んだので、オルトはフェンゴのことは聞かないことにしたのだった。




