第2章 楽園の島(2)
ふと気がつくと、根元が青い炎で燃えている樹があった。樹自体に炎が燃え広がっていくことは無く、ただ根元でゆらゆらと不規則に燃えているだけだ。近づいて見てみると、流れる樹液が燃えているようだった。
「なんだろうこれ」
手を伸ばしてみると、その炎は予想に反して冷たく、反射的に手を引いた。まさか火が冷たいと思っていなくて、今度は少しずつ手を近づけて炎の冷たさを感じた。
「やっぱりすごいな、この島は」
その時、急に声が聞こえた。
「やっと見つけた! 急いで!」
そう言って、声の主は俺の手を強く引いた。振り返ると、全く日焼けしていない、透き通るような白い肌が特徴の、小柄な男子がいた。細い腕からは想像しがたい力でそいつは手をまた強く引いてきたが、俺は断固として動かなかった。
「いきなり何するんだよ。離してくれ」
正直、そんなことを言っている時間も惜しいのだ。早く、もっといろんなものを見たい。もっと感動したい。初めて自分から何かをしたいと思えたのだ。そんなやりとりに貴重な時間を割いていられなかった。
「そういうのは他の人とやってくれ」
邪剣にするのは申し訳ないが、生憎こちらはそんな茶番につきあう余裕も暇もない。食事の時間さえ惜しいというのに。
「よく聞いてくれ。君は騙されてるんだ」
そいつは真剣な顔で言った。
「このままでは君は取り返しのつかないことになる。今も、君は、君をとり囲む全てのものを失っている状態なんだぞ!」
正直、意味が不明だった。俺は食べ物を調達しているだけなのに、一体何がどうしてそうなるんだ?
「あのな、俺は早く食事を済ませて散策に行きたいんだ。人も待たせてる。やめてくれないか」
本当は笠野さんも食事を摂っているのだが、それくらい話を盛ってもバチは当たるまい。それに、こういうたちの悪いやつは、オーバーに話すくらいがちょうどいいのだ。
「あのおじさんだろ? あの人はもうダメだ。残念だけど、もう手遅れだ。それに、一緒にいるのも危ない! 今すぐ僕と一緒にここを出よう!」
それを聞くと、もう俺は限界だった。
「お前な、いい加減なことばっかり言うなよ! かまって欲しいにしてもひどすぎるぞ! デタラメなことばっかり言って、言われた人がどう思うかもわからないのかよ! 鬱陶しいんだよそういうの!」
こいつは一体何を考えているんだ!? こんな奴もこの島にいるのかと思うと嫌になる。
「とにかく、二度と俺に近づくな!」
そいつを睨みつけてその場を離れた。そいつはそれでもついてこようとしたため、俺は森の中を走り、樹に隠れて撒いてやった。全く、邪魔なやつだ。二度と顔も見たくないなと思いながら笠野さんを探すことにした。
遅かったな、と、声をかけてきたのは笠野さんだった。かなりの量を食べたのか、お腹はさらに膨れてはち切れそうだ。
「すいません。頭のおかしいやつに絡まれたもんで」
「そりゃ災難だったな。可愛い女の子でも見つけて行ったのかと思ったよ」
と、笠野さんは笑った。
「そんなバカな。生れてから一度もモテたことありませんよ。得をするのはイケメンだけですから」
笠野さんは、違いない、と、笑った。いつの時代もイケメンばかりが得をする。イケメンに優しい世界だった。恋がしたくても、恋をする相手がみんなイケメンにゾッコンだったら、恋をしたところで寂しいだけだ。なんて理不尽で不平等な世界だったのか。
「同い年ぐらいの男子だったんですけど、危ないだとか色々言ってきて、なかなか諦めなかったんですよ。信じられます?」
会って初日で愚痴を言うのも、と思ったが、この気持ちを誰かに伝えたくて仕方がなかった。笠野さんにも身に覚えがあったようで目を見開いて食いついてきた。
「あ! それって、あの少年だろう? 色白の」
「そうなんですよ! そいつです。どうせこの島を一人占めしようとでも思ってるんですよ」
「一人占めしたい気持ちも分かるけどなぁ。やっぱりお互い譲り合っていかないとだめだよね」
笠野さんはのんびりとした雰囲気のまま頷いた。
「に、しても、今日はもう暗いな。散策の続きは明日にしようか」
「はい」
少し残念だったが、さすがに足元がほとんど見えないから進むのは危ない。俺は笠野さんが案内してくれた樹の前まで歩いた。
その樹は、まるで1000年生きているくらいに幹が太く、俺の体ほどもある巨大な洞があった。洞だけ紫に光っていてなんだか不思議な感じがした、というのも、これは俺達に居場所を知らせる光なのだそうだ。言ってみればこの島のホテルみたいなもので、この樹はあちこちにあり、散策に出て帰ってこれなくても心配はいらないのだという。
「ほんと、助かりますね」
「結構寝心地良くてね、私はもう使った回数2桁いっちゃうよ」
「もう常連じゃないですか」
洞の前にくると、突然くぼみが外側に押し広げられるようにして穴が空き、中が見えた。中はログハウスを思わせるものだった。ベッドやテーブルもあり、生活することに不便な点が見当たらない。樹の中がこんな風になっているとは考えもしなかった。本当にこの島は見どころに溢れている。
中に入ると、木製であるおかげか落ち着いた。大体直径9メートルの円形の造りで、中央にはコブのように突出したような机があった。もちろん物を乗せられるように上側は水平になっている。床は樹の皮が張られているようで、それが絨毯の様な役目を果たしていた。樹の皮みたいなのに、手触りは毛皮の様でふわふわしていて、不思議だった。設置されているベッドもまた床と同じような素材だったが、床よりもはるかに柔らかかった。
「この島にいると、風呂に入らなくてもべたついたりしないから、入りたい時だけ入ったらいいよ」
それはかなり助かった。正直そんなに風呂が好きではなかったから、これからその手間が省けると思うと嬉しくなる。恋しくなったらまた入ればいいし、ここはとにかく自分の思うがままに生きる事ができる。
「なら、俺はもう寝ちゃいますね」
「私もそうしようと思っていたんだ」
俺達は笑って床についた。今まで使ったことが無いような寝具で、体が少し沈み、掛け布団と敷布団に文字通り包み込まれるような感覚だった。一度寝てしまえばもう出るのが嫌になる。ずっと眠っていたいくらいだ。
「本当にここはいいね。私は、元にいた世界に居場所がなかったから本当に救われたよ」
不意に笠野さんが言った。
「家族は私に無関心でね、いつも1人で缶ビールを飲む日々さ。気遣っただけで睨まれて、うざいって言葉ばかり。いつも妻と子供の機嫌をとることばかり考えていたから、本当に今の生活が幸せだよ」
「俺もです。毎日苦しいことばっかりで、なんかこう、ここは俺に合っていない世界なんだな、みたいな」
「あ、それ分かるよ! 私達が生まれるべきだったのはここなんだと思うよ。最初は都市伝説とばかり思っていたけど、来てみると、誰がこんないい所から出るんだって思うね」
「分かります! 俺も半信半疑だったんですけど、実際に体感してみると、帰るわけにはいかないって思います。それに、人魚も綺麗でまた会いたいですし」
美しい人魚を思い浮かべながらそう言った。
「いいね。なんてったって美人だし」
そう言って笑いあい、やがて笠野さんは眠りについたようで何も言わなくなった。
「真っ暗になればそれは今日が終わったってことなんだ」
そんな笠野さんの言葉が蘇ってくる。目は冴えていて眠れなかった俺は、ほとんど光が無い照明を見つめた。頭上にある照明も今の太陽と同じような明るさなのだ。




