第2章 楽園の島(1)
第2章 楽園の島
笠野さんは来たばかりの俺に色々教えてくれた。熱いものを食べるなら、その実が生っている樹の幹をノックすれば、樹の洞から必要なものが何でもひねり出されてくるため、以前の生活と同じように箸で食事をとることもできるのだ。樹は食べ物だけでなく、服や、日用品も生みだしてくれる。ここでは病気にかかる事が無く、何をどれだけ食べようが構わなかったし、物を得る為の対価も必要ない。好きな物を好きなだけ好きな時に。これがここのあり方らしい。
また、寝場所も完備されていて、食べ物の森から離れると、次は巨大な卵が並ぶ場所に連れられた。卵にはドアとドアノブがあり、開けてみると、中は普通の広い部屋になっていた。防音になっているらしく、隣に人がいてもお構いなく暮らすことができるのだという。
卵の家の前には本が羽ばたいていて、何冊とってもいいらしく、指をさせば手元に飛んで来てくれるのだそうだ。いらなくなったら空に向けて飛ばせばまたどこかに飛んでいくんだという。たまに読み返したくなったら、頭の中に思い浮かべていれば、そのイメージに引き寄せられて本が飛んで来てくれるとも教えてくれた。
「祐一君、ほら、これを見てくれ」
笠野さんに呼ばれて行ってみると、その手にはまるで水に1度浸かった紙を乾かしたような波打った葉が握られていた。
「こういう葉っぱはね、こうするんだ」
笠野さんが手を開くと、ひらひらと葉は宙を舞い、やがてボンッという音と共に煙を出して畳1枚程に巨大化した。それだけではなく、宙に浮いているのだ。
「これに乗ることもできるんだ。ほら、乗ってみて」
笠野さんが慣れたように葉に乗るので、俺も遅れて葉に乗ってみた。どうしてそうなっているのかは分からないが、葉は浮き、空を飛び始める。
「か、笠野さん!」
みるみるうちに地面が遠ざかり、落ちてしまうかもしれないという不安がよぎってきて声を上げるが、笠野さんは笑った。
「大丈夫。私は落ちたことはあるが、この葉がすぐに助けてくれたんだよ。この島に事故死なんてものはないのさ」
それでも怖いと思っていたが、葉からは蔓が伸びるようにして体を固定してくれていて、落ちる心配はなくなった。眼下には小さくなった森が見える。最初は怖かったが、少しずつ慣れてきたようで、視線を先へと進めていった。果てしなく森が広がり、その中央に巨大な火山が見えてくる。
「笠野さん、あれは?」
「あれは不思議な火山でね、1日1回噴火するんだ。噴火と言っても、出てくるのは大きな炎の玉が1つだけで、あれは空に飛んで行って1日このタソガレ島を照らすんだ。噴火した時は炎の玉は大きいんだが、時間が立つほど小さくなっていく。色も白からオレンジに変わっていく。そして1日が終わるのと同時に無くなって、また1日の始まりと共に噴火するんだ」
明日で笠野さんはここにきて1年を迎える。俺に会うまでにたくさんの素晴らしいものを見てきたに違いない。頭上には不規則に揺れ動く炎の玉が浮いている。
「これが、太陽の代わりなのか」
なんて神秘的な世界なんだろう。慣れてみると、空を飛ぶのは気持ちが良かった。暖かい風が体を撫でていき、心地よいし何より面白かった。
「俺、タソガレ島に来て良かった!」
心の底からそう思う。毎日我慢の連続だった日々が嘘のようで、これからこんな幸せな日々が続くのだと思うと急に未来が輝いているように思えた。
なんて便利で素晴らしい世界だろう。誰も返らなかったという意味が理解できる。こんな世界に来て、一体誰が帰りたいなどと思うのか。だから誰も帰ってこなかった。もちろん俺も帰る気などさらさらない。
俺は笠野さんと一緒に島を散策した。お腹が空けば好きな物を食べて、眠りたくなったら眠って。島は広く、笠野さんでさえ回れていない場所がまだまだあるらしく、興味は尽きないのだという。どんどん散策を進める俺達は、次第に仲がよくなっていった。まるで、親戚のおじさんと旅行に来たみたいで、今まで人と言うものと関わりを持ってこなかった俺が初めて、人と関わる楽しさを知った瞬間だった。
しばらくしてから、俺達は別れて食べ物を調達しに行った。明日も明後日もこれからずっと続くのだから無理はしないでおこう。辺りはまだ明るいが、どんどん暗くなっていってしまうと見えなくなるし、完全な暗闇になるとまた噴火が起きて明るくなるから、若干暗くなってきたぐらいに眠っておくのが良いらしい。
笠野さんに言われた通り、箸をイメージして樹の幹をノックすると、押し出されるように箸が出てきた。
「すごいな。やっぱりなんでも出てくるんだ」
お気に入りだった本をイメージしてノックしてみると、すぐに樹から出てくるのだ。ゲームもパソコンも、イメージしながらノックすれば何でも出てくる。それだけで夢のようだった。
タソガレ島に来るまで俺が生きてきた世界はどんなに生きづらかったことか。その世界の中で俺を救ってくれたのはゲームや音楽。特に本は素晴らしかった。図書館にこもり、借りて帰った本を何度も徹夜して読んでいたものだ。本の中の世界、ゲームの世界、それが俺の居場所だったから。




