第5章 サトラゲとの攻防(2)
「早く行って」
怖いなんて言っていられなかった。外で何が待っているのかも分からないが、とにかく狭い穴に体を突っ込んだ。木がバキッと音を立てて折れていく。何度木が刺さっても、無理矢理折って進んでいく。胸まで通ると、腕で壁を押すようにし、体をねじらせながら進んだ。
後ろでは樹が折れて入口が破壊された音が聞こえた。あまり長い時間は持たない。早くしなければ! 痛くてもいいからとにかく体をねじ込んだ。腰まで通ると、腕の力で穴から何とか這い出した。
「ヤサ!」
穴から出てすぐに振り返る。ヤサも穴に体をねじ込んでいた。入口は完全に破壊されたようで、バリケードにぶつかる音が聞こえた。ブチブチと弦が引きちぎられていく音がして、俺は焦る気持ちを抑えながらただヤサが出て来てくれるのを待った。小柄だった事が幸いし、俺よりもはるかに短時間で穴から脱出に成功した。穴から出た瞬間長い腕が穴から出てきて、俺達は反射的に飛び退いた。
「行こう!」
ヤサに言われるがまま、俺はまた走った。ここに来るまでこんなに走ったことは無かったから、体力的にもかなり厳しかった。息は上がってしまい、足もガクガクと震えだしている。それでも早く逃げたくて、俺は手斧を握りしめて無我夢中で走った。
なんとか撒いたらしく、俺達は樹に背中をつけてしゃがんだ。肩で息をしている俺の隣で、聞いたことがない程苦しそうに呼吸しているヤサがいた。玉の様な汗が吹き出して、ただ必死で呼吸しているのだ。
「ヤサ、大丈夫?」
ヤサが今にも倒れてしまいそうで、思わずそう声を掛けて背中をさすった。ヤサは声を出さず、ただ俺の顔を見て少しだけ口角をあげた。それが精一杯のようで、すぐにまた目線を逸らして喘ぐように息をしていた。俺以上に、ヤサは重症だった。
「一体、どうしたんだよ」
途切れ途切れに、ヤサは言った。
「僕は、入院してたって、言ったでしょ?」
ヤサは、体が弱いのか。それどころか、入院してたってことは十分な運動もできなかったはずだ。俺以上に体力が乏しいのだ。
呼吸が落ち着くまでその場で休み、ヤサが動けるようになってから俺達はタソガレ島の出口を目指して歩いた。走ればその分ヤサは多く体力を消耗してしまい、いざという時逃げられない。それに加えて、走っていれば見つかり易いのだ。俺達は辺りを確認しながらゆっくり、だが着実に出口へと向かっていた。
落ちついてみれば、まず考えるのはヤサの事だった。どうしてこんなに色んなことを知っているんだろう。1年ここにいた笠野さんですら知らなかったのに、ヤサは平気でやってのける。それに、葉っぱに乗った時もそうだった。あまりのスピードに、どんな運転の仕方をしていたかは分からなかったけど、その腕はかなりのものだった。でも、ヤサはなぜそんなに詳しいのかという俺の質問に対してあまり答えたがらなかった。それなら……。
「ヤサ、出口は分かるのか?」
驚いたようにヤサが俺を見た。
「こんなに樹ばかりじゃすぐに方向感覚見失っちゃうし、どんな風に居場所を知ってるのかと思って」
そこまで言ってから、ヤサの顔色を窺った。
「僕は内地に詳しいんだよ」
「それって、ここにいる時間が長いってこと?」
ヤサはそれ以上答えてはくれなかった。どこか気まずそうな顔をして、言葉を濁すばかりで話しは一向に進まなかった。
サトラゲは完全に俺達を見失ってしまったようで、辺りは静まり全く気配がなかった。ヤサも俺が心配していると考えて何度も大丈夫だと言ってくれたし、その分気持ちは落ち着いた。2人で歩いている間、俺の中ではある考えが占めていた。それは、ヤサと友達になれないか、と言うことだった。今俺がタソガレ島を脱出できたとしても、待っているのは地獄の日々。でも、ヤサがいてくれるなら人生は少しぐらい良くなる気がした。友達と呼ばれるものに俺は今まで縁がなかった。何度友達になってもそれは演技でしかなくて、本気で友達だと思っていたのは俺だけだった。でも、ヤサなら嘘はつかない気がする。確かに、謎が多いけど、それでも俺に嘘を言ったことはない。演技をする人間が命がけで助けるだろうか。そう思えば思うほど、ヤサとは友達になれるのではないかと思うのだ。
ヤサは友達がいるのだろうか。いや、タソガレ島にいるのだ。もしかしたら俺と同じようにいなかったのかもしれない。
「なぁ、ヤサ」
声を掛けると、ヤサは笑顔で振り向いた。
「何?」
信じられる、そんな気がする。だから俺は言った。
「俺と、友達になってくれないか?」
いいよ、と言ってくれると思っていた。そんな期待を裏切って、ヤサは目を伏せた。
「ごめん。裕とは、友達にはなれない」
衝撃的で声が出なかった。どうして、という心の声が口から出てしまっていたと錯覚するほど的確に、ヤサは答えた。
「詳しくは言えない。もちろん、裕のせいじゃない。でも、僕らは友達にはなれない。だから、共同戦線ってことでどう?」
納得はできなかったが、ヤサはそれ以上何も答えてくれそうになかった。俺は渋々それで納得することにした。無理矢理、ではあったが。
俺の前をどんどん歩いていくヤサを見た。なんだか心の距離が広がったような気がした。それ以上に、ヤサが何故人との距離を置きたがるのか、理由を知りたくなった。