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持て余す感情

 和々と兄・清定はしばらくして烏間の屋敷を出た。特に二人の間で会話はなかったのだが、清定は一つだけ聞いた。

「烏間どのの翼を見たのか?」

 横に並ぶ和々の顔を見ずに尋ねた。和々は、兄の横顔を窺ったが、真っ直ぐ前を見ている。和々も視線を戻し、前を見て歩き出した。

「見ました。兄上は烏間家の事を知っていたのですね」

「ああ、一応、久世の跡取りだからな。河野国の重臣の子として、知っておかねばならない事だ。藤堂家の事情も知っている。和々が結婚すると決まって、父上も母上も口には出さないが複雑な気持ちだったはずだ……天狗の元へ嫁ぐのだからな…」

 返す言葉がなかった。成り行きで結婚する事になったのだが、やはり父と母に心配を掛けていたのだ。胸が痛む。和々も本意ではない…いや、なかった。だが、決まった事だから、受け入れたい……と思う。

 あれから、父とは、あまり話をしていない。どこか怒っているようで話しかけられなかった。兄の言う通り、彰隆は天狗という血筋だけではなく、複雑な家柄もあって、何も娘をそんな家に嫁がせなくても……というのが本音だろう。初めて彰隆が久世家に訪れたあの日、和々を黙って見ていた父の顔が思い出されて胸が痛んだ。父も母も心配してくれている、ありがたいことなのだ。そう思いながら、兄の隣で俯いていまった。

 

 しかし、和々の様子を見た清定は、ふっとため息を吐いて苦笑いをした。そして、安心させるように、和々の頭をぽんと撫でた。

「ま、決まった事だ。そなたは気にするな。藤堂とせいぜい仲良くすることだ」

 兄は「はははっ!」と笑って、和々を安心させようとしていた。

 

 そして白金城の曲輪にある久世の屋敷に着いた。和々は、庭に面した廊にだらしなく足を投げ出し、兄の言葉や勝信の言葉、そして漆黒の翼を思い出していた。誰に文句を言われる訳でもないので、気の抜けただらしない格好だ。兄の清定は、仕事があるという事で城へ向かって、屋敷の中には和々の他に数人の侍女くらいしかいない。きっと、こんな姿を見たら、兄にしろ父にしろ、怒られるに決まっている。ただ、今は勝信の前での緊張が解けて力が入らない。

 

 その時、ばたばたと慌ただしい足音が聴こえてきた。和々は、とっさに音のする方を見た。

「お待ち下さりませ!」

「今、和々さまに取り次いでまいりますゆえ!」

 侍女が大声で誰かを止めているようだ。何事かと小袖の裾を払って直しながら、すっと立ち上がる。私に誰か用事が?思いつく人物がいないので、首を傾げた。

「和々っ!和々っ!いるんだろ!」

 彰隆の声だった。ばたばたと廊を曲がって現れたのは、後ろから二人の侍女に必死で止められている彰隆だった。二人の事など気にも留めず、キョロキョロと一つ一つの部屋の中を覗き込んで和々を探している。

 しかし、和々が自分の進む廊の先にいるのを見つけると、歩みを早めて近づく。その間にも、後ろの侍女たちが追いすがっていた。

「彰隆どの……!」

「和々!」

 目の前で立ち止まった彰隆は、急いでいたのか髪が乱れて、顔に幾筋か張り付いていた。必死な様子から、急ぎの用らしい。和々は、後ろで手をこまねいている侍女に視線を送ると、分かったと言うように頷いた。

「お止めしたのですが……和々さまにお会いしたいと言って聞かなくて……」

 侍女が申し訳ないと、もじもじしながら頭を下げた。

「分かった……すまないが、彰隆どのに白湯を持ってきてはくれないか」

「はい」

 和々に言われ、二人の侍女は厨へと向かった。残った和々と彰隆は、言葉もなく視線を合わせた。


「彰隆どの、奥へどうぞ」

 目の前にある座敷へと手を差し伸べて促すと、彰隆は素直に座敷へと足を踏み入れる。向かい合って座ったところで、先ほどの侍女の一人が白湯を持ってきたので彰隆に進めると、喉が渇いていたのか、一気に飲み干した。

 一息ついて落ち着いたのか、彰隆は茶碗を置いて、胡坐をかいたまま畳を擦るようにして近づく。


「和々、兄上とお会いしたと聞いた」

「はい。烏間の屋敷前にてお会いしたので……」

「そうか。で……兄上の羽を見たのか?」

「はい」

 頷くと、彰隆は少し困ったような顔をした。そして、黙りこんでしまった。彰隆の許しもなく、勝手に会って話をしたとあっては、何かまずかっただろうか……それとも、勝手な振る舞いを怒っているのだろうか……不安が頭をもたげる。和々は膝の上に置いてあった両手を重ねて力が入った。


「どうだった?兄上の羽を見た感想は。正直に言ってみろよ」

 怒られると思っていたのに、まったく違う事を言われた。自然と彰隆と目を合わせないために下を向いてしまったが、彰隆は覗き込んできて尋ねる。

 烏間さまの翼……思い出すと、あの黒い羽が光に当たって色が変わるのが浮かんだ。まるで螺鈿のように、見る角度で色が変わる羽……。


 顔を上げると、彰隆は和々の言葉を待っていた。口を引き結んで、黙って待っている。

「驚きました。人の背中から、鳥のような羽が生えているなんて…」

 思ったことを正直に話してみる。彰隆は、和々をからかったりするが、嘘はつかない。しかし、そこまで話しただけで、彰隆の手に力が入るのが分かった。でも、この言葉には続きがある。和々は構わず、話しを続けた。

「でも……羽はきれい……いえ、美しかった」

 彰隆は驚いたのか、ぱっと目を見開いた。

「美しい?」

「はい、とても美しかった。光の当たり具合で黒い色が青へと変わるのは、すごいと思いました」

 そこまで話すと、彰隆は不安そうな表情が一変、満足そうに口の端を上げて、いつもの嫌な笑い方をしていた。

「へえ……」

 一人で何か納得したのか、首を縦に振って頷いている。彰隆は膝の上に肩肘を着いて、その上に顎を乗せた。

「ふうん……俺の目に狂いはなかったって事だな」

 目を細め、にやにやと笑う。これは、からかわれるか?和々は、眉をひそめた。


「そんな顔すんなよ、褒めてるんだ。だいたいの奴らは、変な目で見るからな……きれいなんて言ってくれる人間なんて、そんなにいない。そんなだから和々は俺の術が効かなかったのかもな」

 顎を乗せたまま、下から和々の顔を見上げた。

「やはり和々は、俺の選んだ女だけあるな」

「な、何を急に言ってるの!?」

 にやにやと笑って言われた。得意げな態度が和々の神経を逆なでする。また、からかわれたと分かっているのだが、つい恥ずかしくて大声を出してしまう。なんだか彰隆の思う壺ではないか……。

「彰隆どのは、いつもいつも人のことをからかって……」

 ぶつぶつと文句を言うと、頭を上げて態勢を戻した。顎を乗せていた掌を、和々の方へ伸ばす。

「そうやって真っ直ぐ反応するから面白いんじゃないか」

「面白いってひどい……」

 眉を寄せて彰隆を睨むが、何事もないように伸ばした掌で、和々の頬を撫でた。彰隆は、よく頬を撫でる。包むように触れる時もあるが、軽く当てる時もある。そんな時の彰隆の瞳は優しくて、どきりとさせられる。案の定、すぐに和々の頬が、赤く染まっていく。今日は、ずっと掌を動かし、何度も撫でている。一瞬のことなら、意識する前に手が離れるのだが、長い時を撫でられると掌の温かみや、太い指を意識して恥ずかしくなった。

「赤くなったな!」

「意地悪ねっ!」

 赤くなった事を指摘されて、和々は彰隆の手を片手で振り払った。そのまま、彰隆の手は元あった膝の上へと戻っていく。顔が熱いまま、和々は負けじと睨んだ。


「はははっ!和々は、やっぱり言うことが厳しいなあ」

 和々が睨んでも迫力などなく、彰隆は笑っただけだ。余計に面白くないではないか。和々は膨れたまま、彰隆から視線を外した。すると、彰隆は身を乗り出して、和々に顔を寄せた。とっさに、視線を彰隆に戻すと、彰隆の顔は和々の耳元へ近づいていた。正面から覆い被さるように、和々の両脇の畳の上に手を着いて、顔だけは吐息が掛かるくらいの距離まで近づく。

「可愛いから、からかうんだ」

 話す吐息が髪と耳に当たった。和々は、彰隆から目が離せない。至近距離で見つめ合う。すると、彰隆は、にやっと笑った。

「和々は可愛いよ」

 彰隆は瞼を閉じ、そのまま和々の唇に口づけた。

 いきなりの事で、訳が分からず動くことができなかった。目を見開いて、身体を硬くするしかない。彰隆の精悍な顔が目の前にある。鼻が微かに触れ、彰隆の引き結んだ唇からは体温が伝わる。

 彰隆はゆっくりと瞼を開けて、唇を離した。


「これで三度目だな」

 三度目の口づけ。一度目は、婚約の儀式の時……、二度目は、その後すぐに。そして、三度目は今。彰隆は、座っていた元の場所に態勢を戻す。照れる事もなく、平静な態度だ。和々は、はっと我に返り、指先で口元を隠した。隠しても遅い……彰隆の唇の感触が残っている。

「ま、また勝手にこんな事をして!」

 和々は顔を真っ赤にして怒鳴った。全身が熱い。恥ずかしさが、頭の中を駆け巡る。

「はははっ!じゃ、今度は和々に許しを貰ってからするとしようか」

「ふざけないで!」

 悪びれない彰隆に、怒りが込み上げる。目を合わせづらくて、顔を横に背けた。冗談なのか本気なのか、分からない。


「嬉しかったよ」

 彰隆は、先ほどまでの冗談のような声音ではなく、ぼそっと呟くように言った。その声が耳に届いて、和々は背いていた顔を彰隆に向けると、彰隆は、和々を真っ直ぐ見ていた。真剣な顔で、どきりとさせられる。

「何が?」

 いきなり話が変わって、真剣な表情と声に怒りも忘れて聞き返した。

「和々は、兄上の羽を見て人ではないと恐怖を感じて、俺との結婚をやめたいと言い出すのかと思ってた。それが、美しいとまで言ってくれて嬉しかったよ」

「だから……だから、急にここに来たの?」

 彰隆は、苦笑いで顔を歪めた。

「まあな……屋敷で烏間の者から和々が来たと聞いたから、和々がどう思ったか早く知りたくてな。和々の口から確かめたかった」

「でも、私がどう思っても、彰隆どのの妻になるのは変わらないのでしょう?」

 あれほど身を焼かれるような儀式をしているのだから、簡単に破談にできるものでもないと思う。だいたい、晴明さまに結婚について「めでたい」との言葉まで貰っているのだ。

 しかし、勝信に言われた言葉を思い出す。彰隆は何も言わない。別れる事もありえるのだと……気持ちを伴ってこその婚姻……。

 苦痛を伴わないということは……自分も彰隆への気持ちが少しはあるということなのだろうか。まだ、自分では分からない。

「そうだな、俺との事は変わらない……。いや、俺が和々を手放す気はないんだ。だが、和々にそれほど気持ちがないまま一緒になるのは寂しいだろう?」

 和々は目を丸くした。寂しい?自分に何とも想っていないと思われるのが?彰隆は、術が効かないというだけじゃなく、本当に自分を求めてくれているのか?そんな疑問が湧いてくる。


「どうした?俺に見惚れてんのか?」

「馬鹿な事を言わないで!」

 彰隆のからかいに乗るまいと思っているのに、口は自然とひどい事を言い返してしまう。このままじゃ、嫌われてしまうのは和々の方だ。言ってから気落ちして、彰隆から視線を外した。

「どうしたんだよ、急に元気なくなったな」

「何でもないの……大丈夫」

「だったらいいけど。さて、俺は帰るか」

 そう言って、さっと立ち上がる。和々も続いて立ち上がった。

「もう帰るのですか?先ほど来たばかりなのに……」

 最近は、彰隆が忙しいせいで文を交わしていた程度で、会ったのは久しぶりだった。もう少し、ゆっくりしていくと思っていたのに。残念だと感じる。

「和々の話を聞いて、慌てて屋敷を抜け出してきたからな。今日は戻らなくては」

「そう……」


 白金の屋敷で特に話をする相手もおらず、寂しくて残念だと思った。自然と瞳が彰隆にすがるような色を見せた。

「そんな顔すんなよ、帰れないだろ?」

「そんな顔って……」

 彰隆は口の端を上げ、にやっと笑う。一体どんな顔をしていたのだ、自分は。彰隆を引きとめたいと思っていた……?しかし、残念だと感じたのは自覚している。よく、分からない感情に頭の中が整理できなかった。

「しばらく、ここにいるのか?」

「はい。父が忙しいゆえ、身の回りの手伝いのために、しばらくおります」

「そっか、じゃあ、俺の屋敷からも近いし、毎日顔を見せるか」

和々は彰隆の申し出に驚いた顔をした。

「毎日?」

「ああ、城に出仕してるし、俺の家もすぐそこだ。顔見るくらい、毎日できるだろ。源氏物語とかの通い婚みたいだな」

 通い婚!な、何てことを言うの!

 和々は頭に血が上り、顔を真っ赤にした。だって、通い婚とか……それって……男の人が女の人の元に忍んでやって来て、一夜を共にして……。彰隆どのと?考えるだけで、恥ずかしくて顔が赤くなるのを止められない。

「何だよ、怒らないのかよ。って、顔真っ赤だな、想像しちゃったか?」

 悪戯そうに顔を覗き込む。和々は、顔を赤くしたまま唇を噛んで、彰隆を睨んだ。冗談にもほどがある。

「彰隆どの!ひどい冗談です!」

「冗談?けっこう本気で言ったつもりだけど。俺は、そうなってもいいが、和々はちゃんとした家の姫だからな。一夜を共にするのは婚儀の後にするから、安心しろよ」

 彰隆は肩をぽんと叩いた。そして、そのまま部屋の外へ出るため歩き出す。和々も後を追うと、戸の前で急に彰隆が振り返った。急な事に、和々は足を止められず、彰隆の胸へ飛び込む形になってしまった。顔が彰隆の胸に当たり、慌てて一歩後ろへ下がる。

「すみません、ぶつかってしまって。でも、なぜ急に―」

 振り返ったのか、そう言葉を続けようとした時だった。彰隆は屈んで、和々の耳元に口を寄せた。

「少しでも会えて良かった」

 低い声で呟く。顔を見合わせると、彰隆はにやっと笑った。どうして、そんな事をさらっと言えるのか…戸惑うばかりではないか。

 彰隆はそのまま、頬に軽く口づけた。ちゅっと音がして離れる。

「あ、彰隆……ど、の…」

 また勝手に口づけて。触れられた頬に、指を当てた。一つ一つの感触が生々しく残っている。彰隆は悪戯後の、してやったりというような顔をしていた。目を細め、子供のようだ。

「じゃあな!」

 彰隆は和々の動揺を知らぬふりして、明るい声を残し、久世の屋敷を後にした。


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