彰隆の兄
それから彰隆は、あまり日を空けないで和々の元を訪れていた。忙しい時は文をくれた。乱暴な言葉を使っている割には、案外、達筆で丁寧な文面だったのには驚いた。本当は、傷つきやすく繊細だと思う。それを隠すための、乱暴な言葉使いなのか。和々は、まだ彰隆の全てを知るほど信頼関係を築けていないため、本心は分からない。だが、一緒にいて楽しい男だと思った。
今日は、和々と一番上の兄・清定と白金城の曲輪にある久世の屋敷に向かっていた。和々の屋敷からもそれほど遠くはない。しかし、父・清和がしばらく帰れないため、着替えを届け、身の回りの世話などをしに行く。白金の邸にも家人がいるのだが、あまり城に行くこともないし、城下を見たいのもあって、行こうと決めた。
春の柔らかな日差し、爽やかな風、きらきら光る小川の水面…歩いていても飽きることがない。兄・清定は馬に乗せてやると言っていたが、折角の気持ちの良い日に景色を楽しみたいので歩いている。だいたい、和々も馬には乗ることができるのだ。兄は面倒がっていたが、それは城へ頻繁に行くからで、和々には何も面白くないではないか。
城下町に差し掛かり、人々の行き来が多くなると、和々の心は浮足立った。色々な店が立ち並び、お腹がすくような匂いがしたり、覗いてみたくなる小物を売る店などがあり、キョロキョロと辺りを見ながら進む。
「これ、和々!迷子になるではないか」
堪らず前を歩いていた清定が振り返って、和々に怒った。背が高く大柄な兄は、声を張ると皆が振り向く。もう慣れたが、あまり人通りの多い所ではやめて欲しい。
「だって…」
和々が口を尖らせて後ろから続く。
「嫌だったら、兄上は先に行って下さい。私はゆっくり行きますゆえ」
「ばかっ!私がいる意味がなかろう!それに、迷子になったらどうするのだ」
清定が当たり前の事を言った。確かに……。しかし、たまに城下に出てきたのだから、少しくらい良いではないか。でも、自分を心配しての言葉だと思うと仕方がないのか…とも思う。もっとも、心配というより何かあったら面倒という方が合っているのだが。
大きな屋敷前を通りかかった時だった。門より出てきた若い男に声を掛けられた。見知らぬ男だ。
「久世どの」
男は二十歳前後だろうか。線が細く、きれいな顔立ちをしている。どことなく彰隆に似ている気もしたが、彰隆はもっとがっしりとしていて精悍だ。どこかの武家の子息だろうか。立ち居振る舞いもしなやかで先ほどすれ違った町の者たちとは違う。男は、にこやかな笑顔を浮かべ、近づいてくる。
「烏間どの」
清定が言った名前は、最近よく耳にする名だった。和々は唖然として男を見る。
烏間って……彰隆どのの兄上?
「久世どの、今日はいかがされた?」
「ああ、白金の久世の屋敷に妹を連れていく所だ」
ちらりと男が和々を見た。どきりと胸が跳ねる。値踏みされるのでは……そう思ったが、男は微笑んだだけで、また清定に向き直る。
「久世どの、悪いが少しよろしいか?妹どのに話があるのだが」
何!?驚いて顔を強張らせる。清定の顔を見ると、お互いに顔を見合わせた。清定が頷いたので、男を見た。すると、男はにっこりと笑った。
「ああ、構わないが」
清定は和々の代わりに返事をした。何の話があるのか。和々の緊張をよそに、男はしれっとしている。清定もいきなりの事で戸惑い気味だ。
「では、どうぞ。ここが私の屋敷ですので」
ちらりと見たところは、目の前にある大きな屋敷だった。ここが、天狗の長、烏間家だったのか。門構えは、かなり立派で重厚感がある。周りは武家の屋敷が多いが、他の家とは比較にならない大きさだ。烏間家は名門の家柄で、河野でもかなりの重職に就いている。彰隆と知り合う前から知っていた家名だった。和々は呆気にとられて、門の先を見たが、奥行きがあり過ぎてよく分からない。手入れが行き届いた庭が続いている。
男は、清定と和々を烏間の屋敷に招き入れた。長い廊が続く。清定とは別室に通されて、男と二人きりになった。庭に面した部屋で、障子と襖を閉めて密室にされる。昼間とあって、戸を閉めても部屋の中は明るい。周りが武家屋敷とあって、町の喧騒がなく静かだ。たまに、庭から鳥のさえずりが聴こえるくらいだ。
和々は男と向かい合って座った。男は落ち着いているが、和々は初対面な上に二人きりなんて落ち着かない。自然と手に汗を握っていた。
そんな和々をよそに、男はにこやかだ。
「久世の和々どの…?でよろしいか?」
「はい」
「私は彰隆の兄・烏間勝信。私と藤堂家、烏間家の事情は知っていますか?」
和々は大きく頷いた。声が震えて出なかったのだ。
「そうですか。藤堂の家から彰隆と婚約したと聞きました。それで、見かけたついでに呼んだ次第です」
「どうして私だとお分かりになられたのです?」
「清定どのと一緒に歩いていたので、久世家の方だと…それに、石が付いているので」
そうか、黒い石は烏間の石。彰隆も最初に説明しただけで、その後、何事もなかったようにしていたので、和々自身、気に留めないでいた。下を向き、左手首を見ると、しっかりと輪が嵌っていて、腕輪には烏間の石が付いていた。
「和々どの」
勝信に呼ばれ、顔を上げた。しんとした部屋では、勝信の声は大きく響いた。きれいな顔は真剣で、口を引き結んでいる。
「和々どのの前では、彰隆はどのような様子です?」
言葉に詰まってしまった。
彰隆どの?彰隆どの……。彰隆どのは……最初の印象とは違って、強引なだけではない。思っていたより繊細な性格だ。傷つきやすく、しかし、それを隠すために強がっているように見える。
「私たちの前では強がっているようなので、和々どのの前では、どうしているかと思ってね」
「そうです。私の前でも同じです」
勝信は大きなため息を吐いた。
「変わらないのか……」
家族の前でも装っているとは。強がり続けていては、いつ心を休めているのだろう。二人の間に沈黙が流れた。
「和々どの、あんな弟だが、彰隆を支えてくれまいか?」
「はい……」
夫婦になるのだから、頷くしかない。勝信は苦笑いだ。そこまで信頼関係が築けていないのを分かっているのだ。まだ出会って間もないのだから仕方あるまい。
ふと、胡坐をかいている勝信の手首が目に入った。膝の上に拳を握って置いてある腕……その左腕には、二重の輪が付いており、二つとも烏間の黒い石があった。