表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/24

彰隆の影

 彰隆は、和々の手を繋いだままごろんと岩の上に横になった。一度、顔を横に向けたが、ゆっくりと和々の方へ向けて、そして何事もなかったように起き上がった。

「和々、驚いた声を上げるなよ」

 目が真剣だ。彰隆が真剣な顔をした時は、何かある時だ。和々をからかう為に、そんな事をする男ではないのが、ここ二日の間で分かったことだ。和々は小さく頷いた。

 

 彰隆はそっと手を離し、和々の腰へ手を回す。そして、しっかりと抱えた。

「行くぞ…」

 小声で耳元へ囁いた。それを合図に、彰隆は和々を抱え岩から飛び退いた。

 ふわっと身体が浮いて、彰隆と共に背丈よりも高く跳び上がった。そして、川岸へと着地した。一瞬のことにも感じたし、時が止まってしまったかのようにも感じた。昨日も彰隆に抱えられて屋敷へと帰ったが、この感覚は不思議なものだった。自分ではせいぜい跳び上がっても膝丈くらいだ。それを、彰隆は和々を抱えても、息を切らすことなく背丈よりも高く跳ぶ。


「和々、大丈夫か?」

「はい」

 彰隆が和々を気遣って声を掛けた。昨日、きゃあきゃあと怖がっていたのもあるのだろう。和々の返事を聴くと頷いた。頷いたのを確認すると、彰隆は和々を抱えたまま、所々に生えている木の陰を見据えた。


「何の用だ!」

 和々の頭上で大声で叫んだ。彰隆の胸に顔を押し当てられて、その振動が伝わる。そっと、顔を覗かせると、木の陰から男が二人出てくるのが見えた。

「烏間の奴じゃないのか?」

「いや、烏間の者だ。腕輪の石の色を見てみろ、烏間の石が付いてる」

 男たちは、こちらにも聴こえる声で話している、格好は武士のようだが、久世や藤堂と違ってかなり身分が低いように思われた。年齢も彰隆より少し上だろうか。鋭い目つき、浅黒い肌、そのような男と関わりなく暮らしていた和々には、自然と恐怖心が沸き起こる。ごくりと唾を一つ飲み込んだ。彰隆はその動揺を感じたのか、和々を抱く腕に力を込めた。

「和々、大丈夫だ。俺が護るから、ちゃんとつかまってろ」

 男たちに聴こえない声で囁いた。その声に、和々は彰隆の胸元の着物を強く握る。大体、この男たちは何なのだ、あんなに離れていても印が見えているのか。和々は、はっと気が付く。二人とは大分距離を取っていても印が見えているとは、人ではないのだ。


「何の用だと聞いている!」

 彰隆は再び、男たちに尋ねた。

「用?お前の事はどうでもいいが、烏間の奴になら用はある」

「俺は烏間じゃない」

「烏間の石が付いてるだろうがよ」

 男たちは話しながらも一歩一歩近づいてくる。

「ああ、お前、烏間から出た姫さんの所の羽がない奴か。じゃあ、話になんねえな」

 男たちが下品な笑い方で大声を出して笑った。いくら雑なしゃべりをしていても、彰隆とは違う。和々には男たちに対して嫌悪感しか抱かない。

「だから何だ。俺は藤堂の者だ…それ以上、無礼を働くと……切る」

 彰隆は刀の柄に手を掛けた。和々はぎゅっと目を閉じて、ただひたすら耐えた。

「おお、こわ…。お前じゃ話になんねえよ、行こうぜ」

 そう言って男たちは、「がはは」と下品に笑いながら、去っていった。がさがさという草を踏みしめる音が遠のいていく。


「大丈夫か?和々…」

 彰隆が和々から手を離した。ゆっくりと彰隆の温もりが離れてしまう。聴こえていた心臓の鼓動も、彰隆の響く声も離れてしまうのは寂しく感じた。和々が不安気な顔を彰隆へ向けると、安心させるように頬を撫でた。大きくごつごつとした掌だ。

「和々、すまない。怖い思いをさせたな…」

 彰隆は苦笑いを浮かべた。

「今の男たちは?」

「今のは、天狗だ。烏間は長の家柄だからな、恨みを買うことも多かろうよ。俺は兄上と違って、天狗の力を全て持って生まれてきたわけじゃない。だから、ああやって相手にされない事もよくある事だ」

 男たちが言っていた「烏間の姫さん」というのが彰隆の母で、「羽がない奴」っていうのが彰隆のことなのだ。先ほど、彰隆が言っていた考えが卑しく、異形の者と言っていた意味が分かる気がする。彰隆の顔を見た。


「ん?何だ?」                                 

 彰隆は首を傾げた。「よくあること」なんて言わないで欲しい。彰隆は傷ついていないわけじゃない…天狗としても人としても半分の自分に。きっと、ここに至るまで葛藤や困難が沢山あったのだろう。自分を含めて「異形」と言ってしまうのは、それなりに傷ついてきた証拠だ。天狗ということが分かれば、昨日のように術を使って記憶を消すことある……彰隆は少なからず傷ついているはずだ。


「彰隆どの」

 和々はたまらず彰隆に抱きついた。背中に手を回し、抱きしめる。自然と身体が動いた。

 今まで、そして先ほどの事…彰隆が抗いきれない事実と向き合い続けて、心に傷を負っていることが悲しい。知り合ったばかりだが、彰隆の気持ちを思うと切ない。成り行きとはいえ、自分の夫になろうとしている人物の心の傷……考えると胸が苦しくなった。

 

 彰隆は驚いて目を丸くした。胸にしがみつく和々を見ると、目をぎゅっと閉じているが、その目尻からは涙が溢れている。

「和々、何泣いてんだ。怖かったのか?」

 いつもは、彰隆から触れるのに、和々が抱きついても彰隆は腕を回してはこない。彰隆は困惑して、和々を窺う。だが、和々は嗚咽を噛み殺しながら、彰隆に抱きついたままだ。

「はあ…和々、何泣いてんだよ。そんなに俺に抱きつきたかったのか?」

 ため息を吐く音が、和々の頭上でする。しかし、裏腹に彰隆は次の瞬間、和々を強く抱きしめた。首元に顔を埋め、これ以上抱きしめられないというくらいの力で和々を引き寄せる。彰隆の息が首に当たる。力強い腕と掌が和々の背中に温もりを与える。彰隆という人物を全身で感じた。


「和々が俺のことで傷つくことはないんだ」

「でもっ!」

 やっと絞り出した声で言う。しかし、彰隆は、顔を和々の肩に埋めたまま首を横に振る。

「俺は大丈夫だ……ありがとうな、和々」

 彰隆は和々が泣きやむまで、しばらく抱きしめていた。和々の背中をとんとんと叩いて落ち着かせると、「やや子じゃないのよ」と文句を言われた。しかし、彰隆の手は不思議と落ち着く。大きな手は包容力がある。心地良かった。


「もっと抱き合っていても良かったんじゃないか?」

 離れる時に彰隆が言った。

「何言ってるの?まだ、夫婦でもないじゃないの」

 指で涙を拭って、まだ、ぐすぐすとした掠れた声で言うと、彰隆は笑いながら和々の指を退かして自分の指で拭い始める。その時、にやっと悪戯そうな笑みを浮かべた。からかわれる……そう思ったが、言われた言葉が、和々の考えからかけ離れていた。

「相変わらず厳しいなあ……しかし、今日は和々から抱きついてきたことだし、良しとするか」

「な、何を言っているの!」

 自分から抱きついたなどと言われたくない。恥ずかしくて、顔を真っ赤にして否定すると、涙を拭っていた指を離した。声も裏返ってしまう。

「ははっ!和々は可愛いな」

「可愛いって…」

 昨日も言われたことだが、言われ慣れないことなので、ただ恥ずかしいだけだ。

 一歩ずつだが和々と彰隆は、お互いに距離が近づいた気がした。本当ならお互いに顔も知らない者同士で両親が決めた家に嫁ぐ。婚儀の前からこんなに知り合って話すなどないことなのだ。

 しかし、和々の場合は彰隆の事情がある。それは、婚礼前に知っておかないと、覚悟ができない。ただ、知っておかなければいけない事が重いとはいえ、彰隆の人となりを知っていくことは幸せなことなのだろう。だが……彰隆を取り巻く環境は、和々が今まで生活していたものとは違う。彰隆は別れ際に、また真剣な顔をした。


「和々、腕輪が付いていることで…しかも、印は烏間の石だ。今日のような事が起こるかもしれない」

「はい」

 彰隆は小さく頷いた和々を見届けると、確かめるように自分も頷いた。

「くれぐれも、気を付けろ」

「……はい」

 やや間があって、和々が返事をした。そうだ…今日みたいな事が起こらないとは限らない。しかも、いつも彰隆がいる時とは言えないのだ。一人で大丈夫だろうか、不安が頭をかすめる。

「ま、俺は和々に会いたいから、しょっちゅう来るさ。心配すんな」

「会いたいって!……また、そんな事を言う!」

 最後には、いつもからかいの言葉が出る。きっと、彰隆なりの気遣いなのだろうと思う。場を明るくしてくれる。それは、彰隆の優しさなのだろう。

「和々から俺に会いに来てもいいんだぞ?寂しいだろう?」

「そんなことありません!私は一人で大丈夫です」

 彰隆のからかいに乗るまいと思っているのに、実際に言われると、怒った態度を取ってしまう。もっと、恥らって控えめでいる方が女らしいのに。可愛らしくできれば良いが、なかなか難しい。

「和々?どうかしたか?」

「あ、いえ。何でもありません」

 考え事をしていたので、顔をしかめていたらしい。彰隆が顔を覗き込む。

「なら、良いが……じゃ、俺は帰るか。屋敷まで送る」

「いいえ、ここからなら一人で戻れます」

「そうか」

 少し寂しげな顔をして、名残惜しそうに和々の頬に掌を当ててから、軽々と馬にまたがる。


「お気をつけてお帰り下さいませ」

 和々が頭を下げると、彰隆は手を上げてにっこりと笑った。

「ああ、じゃあな。今日は楽しかった」

 彰隆は、そう言い残して帰っていく。和々が何か返事をしようと思っても、さっさと声が届かない所へと行ってしまう。段々と馬に乗った背が遠ざかっていく……。

 和々は両の拳に力を込めた。ひどい……言い逃げだ。彰隆の気持ちばかりが分かっても、彰隆へ和々の気持ちが伝わらないのは悲しい。

 そんな……。怖い思いもしたけど、楽しかったのに。一人残された和々は眉を寄せ、唇を噛んだ。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ