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再会

しばらくして屋敷の侍女が、和々の元へ彰隆が帰ってきたと知らせてくれた。途端に緊張が走る。何て切り出そう……。いきなり来て、迷惑だっただろうか。

 いや、いや!何を考えているの!覚悟して来たんだから。

 膝の上に置いた手に力を込めて握った。知らせを聞いてからの時間が長い。

 その時、ばたばたと廊を歩く音が聴こえてきた。姿勢を正し、廊をちらりと見ると、もう夕暮れが近く空が茜色に染まっていた。


 一歩一歩、足音が近づく。ごくりと喉が鳴った。

 そして、足音は部屋の前で止まった。

「和々」

 彰隆の声だった。確かめるように顔を上げて、戸の所に立つ人物を見た。

「あ、き……たか、どの……」

 声が震えた。そこには、確かに彰隆が立っていた。

 少し陽に焼けた肌、凛々しく精悍な顔、和々が知っている彰隆だが、ほんの少し会わなかっただけなのに逞しく見えた。

 胸が早鐘を打つ。目が離せない。掛ける言葉が見つからない。


 会いたかった、ずっと。嬉しいはずなのに、胸がいっぱいになって苦しい。眉を寄せて、目が熱くなるのを堪える。真っ直ぐ顔を見られなくなり、下を向いてしまった。

「和々、元気そうだな」

 彰隆は戸の前から歩き出して、和々の前に座った。

 こんな手の届く場所に彰隆がいる。下を向いたまま視線を動かすと、彰隆の手首が目に入った。そこには、和々と揃いの腕輪が嵌っている。

 腕輪を外していない。儀式がどれだけの重みがあるか分からないが、簡単には外せるとは思えない……まだ彰隆は、自分を想ってくれているのだろうか。


「和々」

 何度も名前を呼ぶ。そんなに、呼ばないで欲しい……胸が苦しいのに。

「ふ……」

 だめだ、もう。堪えきれなくなって涙が頬を伝った。一度溢れてしまうと、次から次へと溢れてくる。ぽたぽたと、手の甲や膝へ雫が落ちて染みを作った。

「和々、約束を守れなくて悪かった」

 彰隆が、ぼそっと呟いた。折角の彰隆の声が、耳の奥で膜を張ったようになって、よく聴こえない。

「すまない」

 彰隆が和々に手を伸ばした。膝の上に重ねてあった手に、彰隆の手が重なる。ごつごつとした大きな掌には覚えがある。その温もりが懐かしい。

 彰隆を感じる。今、触れてくれている。そう思っただけで、身体が自然に動いた。顔を上げると、彰隆は複雑そうな表情をしていた。

 どんな表情でも、目の前にいるのだ。やっと会えた……彰隆どの!


 和々は彰隆に抱きついた。

「っ!」

 彰隆が息を飲んだ。和々は彰隆の首に腕を回し、抱きしめる。鍛えた逞しい身体を掌で確かめ、息遣いを頬で感じた。こんなに人を求めた事などない。彰隆の全てが愛おしい。

 彰隆は、和々に身体を預けていた。腕をだらんと下げたまま、応える事なく抱きしめられている。和々の掌は、彰隆を確かめるように背中を包み、すすり泣く声が耳元に届く。彰隆は、ゆっくりと瞼を閉じた。

 このまま強く抱き寄せてしまっていいのか、和々が抱きついてきたのは―

「和々。和々が泣いているのは、俺に会いたかったからか?」

 和々はゆっくり身体を離した。手の甲で涙を拭い、赤い瞳で彰隆を見る。潤んだ瞳は、彰隆の理性を壊しそうになる。思わず、眉をしかめた。

 だが、彰隆は和々から逃げる事はできない。自分で約束を破ったのだから、和々の気持ちを全て受けとめる責任がある。どんな気持ちだろうと、聞かなければならないのだ。結婚は決まっている。しかし、もし和々が自分を嫌っているのなら、次に和々に口づけた時には、最初の口づけの時に交わした彰隆の気が薄まり、和々に強い拒否反応が起きる。そうなると、破談もありえるのだ。天狗の先祖は神……淡々と人のように、家柄や身分、政のために婚姻できる訳ではないのだ。想いあってこその、婚姻。

「和々?」

 和々は答えない。彰隆をじっと見つめるだけだ。

 今、言わなくては!彰隆どのを好いていると。

 だが、和々は泣いていたせいで、声が上手く出せない。彰隆の瞳が、自分の返事を待っている。和々は、一つ鼻をすすると、大きく頷いた。

「ほんと……か?」

 彰隆は目を丸くし、身を乗り出す。

 伝えるなら、今しかない。

「は……い……。お会いしたかったです」

 掠れた声で返事をした。

 彰隆は、ゆっくりと両腕を伸ばした。目の前にいるので、腕を伸ばすと和々の身体は彰隆の腕に挟まれる。そのまま背中に手を回された。


「和々……」

 ぎゅっと引き寄せられた。温かい。

 顔が彰隆の胸に押し付けられ、包まれる。彰隆の高鳴る心臓の音が聴こえた。腕の中の温もりと鼓動に、雨で打たれて冷えた身体が、心から温かくなっていく。満たされる。

「すまん」

 和々を抱き寄せて、ぎゅっと目を閉じて呟く。

「俺も会いたかった」

 会いたかった―その言葉が、再び和々の瞳を潤ませる。

 だめだ。限界だった。つっと涙が伝う。和々は、彰隆の背中に手を回した。彰隆同様に力を入れて抱きしめる。

「うわあああん!」

 和々は、子供の様に声を上げて泣いた。

 彰隆に会うまで溜まっていたものが、溢れ出るように涙が出た。会えない事が、こんなに苦しい思いなんて知らなかった。

 大声で泣いても、彰隆は笑わなかった。いつものような、からかいもない。黙って背中を叩く。幼い子をあやすように……。

「雨の中、来てくれたんだな……まだ、髪が濡れてる」

 彰隆は背中を叩きながら、和々の髪に触れて言った。いくら拭っても、まだ髪は湿っていて乾ききっていない。彰隆は艶やかな和々の髪の毛先を弄ぶ。

「う……ひっく……」

 彰隆は、髪から手を離した。しゃくり上げてしまった和々の背を、優しく宥める。

 掌の暖かさと逞しさが、彰隆が傍にいると感じさせてくれて、余計に涙が止まらない。自分でも、気持ちを止めることができない。嬉しさと、満たされる気持ちと、今まで我慢してきた気持ち……全てがない交ぜになって、和々を襲う。

 そのまま和々が落ち着くまで、彰隆は背中を擦り続けた。


 どれくらい経っただろう。茜色に染まった空は、すでに夕闇へと変わっていた。夜になり涼しくなった風が、廊から通り抜けた。ジジジ……と、庭の方から虫の鳴き声が聴こえてくる。

「和々、落ち着いたか?」

 彰隆は、和々が泣きやむのを待って声を掛けた。大分落ち着いたと見えて、もう、しゃくり上げていない。全身の力を抜いて、大人しく彰隆に身体を預けていた。

 和々は胸の中で、小さく頷いた。耳の奥の膜の張ったような感覚も収まり、鼻水も出ない。彰隆の声は、くぐもっておらず、微かに愛用している香も匂う。逞しい身体に全て預けていると、安心していられる。この満たされた感覚は、何だろう……。好きな人が傍にいるだけで、こんなにも心穏やかで、落ち着くものなのか。

「そうか、なら良かった」

 彰隆は抱いていた和々を少しだけ離して、顔を覗き込む。涙と鼻水でぐしゃぐしゃな顔のはずなのに、彰隆は笑いはしなかった。

「ちょっと待ってろ」

 彰隆は立ち上がると、一度部屋を出て、今度は濡らした手拭を持って現れた。その手拭で、和々の涙の跡を拭ってくれる。

「痛い……」

 男のようにがしがしと顔を洗ったり、拭ったりしないので、少し痛い。掠れた声で文句を言うと「わるい」と言って手の力を少し緩めてくれた。彰隆は何も言わず、ただ黙って拭い続けた。

「よし」

 拭っていた手を顔から離して、少し微笑んだ。

 その時、廊から声が掛かった。


「兄上」

 声の主は、彰隆の弟だった。後ろに一人、大きい方の妹も控えている。二人とも神妙な表情で、こちらを窺っている。

 彰隆は振り返り、二人を見た。

「どうした?二人して」

「兄上は義姉上さまをいじめたのですか?」

「はあ?」

 彰隆は、和々と話していた時のような声音ではなく、心の底から分からないといった声だった。その声は、素っ頓狂で面白い。和々は吹き出しそうになったが、顔を逸らして堪えた。

「義姉上さまの泣き声が聴こえました!それは、兄上が義姉上さまをいじめたからでしょう!」

 妹が、手に力を入れて彰隆を責めた。必死な表情が可愛らしい。

「そうです!義姉上さまに謝って下さいませ!」

 弟も責めた。

 家中に聴こえるほどの声で泣いたのか。そう思うと、彰隆の父母もいるのに、恥ずかしい。あの時は彰隆しか見えなかったから、感情を彰隆にぶつけてしまった。そうだった……完全に二人きりなわけではなかったのだ……。

 今更ながら恥ずかしくなって、顔を逸らしたまま眉をしかめた。

 彰隆は、苦い顔をして頭を掻いている。

「悪いことを……、いや、まあ……うん、したな」

 歯切れが悪く認めると、幼い二人は怒りを露わにした。

「やっぱり!」

「謝って!」

 二人の怒りに、彰隆は困った顔だ。兄の勝信を大事に思っているように、幼い弟と妹達も大事にしているようだ。言い返す事をしない。困った顔をしている彰隆など、初めて見るので新鮮だ。いつもは、和々がからかわれて困った表情を見せていて、彰隆はどこか得意げで飄々としている。

 和々は堪えきれなくなって、ぷっと吹き出した。

「ふふっ!彰隆どの、困ってる」

 肩を揺らして笑いを忍ばせる和々を、彰隆と廊で立っている二人は唖然として見つめた。「和々?」

 彰隆が様子を窺うと、和々は逸らしていた顔を戻して三人の方を見た。その瞳には涙が滲んでいたが、それは笑いを堪えてのものだった。和々は笑顔で、目じりの涙を人差し指で拭った。

「兄上さまとは、仲直りしたから大丈夫よ」

 廊の二人に言う。しかし、疑い深く顔をしかめたままだ。

「義姉上さま、本当ですか?無理をしなくても宜しいのですよ?」

「そうです!父上や母上、勝信兄上にも叱ってもらうから、大丈夫です!安心して本当の事を仰って下さいませ」

 口々に言う二人を、彰隆が呆れて見ていた。

「お前らなあ……俺が完全に悪者じゃねえかよ」

 はあ、という大きなため息を吐いて、彰隆はこめかみを押さえた。その様子が、また和々の笑いを誘う。

「ふふふ。大丈夫、本当に仲直りしたのよ」

 笑顔を向けると、二人は眉を寄せてはいたが、納得したように頷いた。その表情が可愛らしい。兄の子供・つまり和々の甥だが、その子達は、まだ一歳と二歳だ。こんなくるくる変わる表情は、見せてくれない。


「そんで、お前らは何の用だったんだよ」

 彰隆は、片膝を立て、片手を後ろに付いて言った。先ほどまでの力が抜けて、寛いだ格好だった。彰隆も彰隆で、和々とのやり取りは緊張感があるものだった。正直、弟達が来てくれて助かったくらいだ。

「兄上、義姉上、遅くなりました……夕餉です」

 弟の淡々とした声に、彰隆は再び、ため息を漏らした。

「早く言えよ、腹減ってたんだよ」

 彰隆は、立てた片膝に手を付いて立ち上がる。そして、和々に手を差し出した。

「ほら、行くぞ」

 先ほどの事が嘘みたいに、何事も無かったような態度。まだ、彰隆どのに伝えていない。弟達が来てしまって、機会を逃したが、彰隆に気持ちを伝えていない。今まで、どんなに苦しかったか、なぜ会いに来てくれなかったのか、そして、和々が彰隆を好きだということ。以前、勝信から聞いたが、天狗は愛する気持ちがないと結婚できないという…彰隆は、川原で気持ちを伝えてくれた、今度は和々の番だ。

 考え事をしていたせいで手を出すのが遅れると、彰隆は一瞬、曇った顔をしたが、すぐに和々を立たせてくれた。

「どうしたんだよ?ほら、行くぞ」

「はい」

 彰隆自身からすっと手を離す。素っ気ない態度が、寂しく感じる。弟と妹の前なので、当たり前の態度と言えば、その通りなのだが。

 彰隆は、和々の前を弟と妹と歩く。廊は陽がすでに落ちて薄暗かった。しかし、彰隆の二人と話す横顔は、楽しそうに笑っているのが見えた。まだ、再会してから、彰隆のあんな笑顔を向けられてはいない。

 胸がつきんと痛んだ。会えた嬉しさで忘れてしまいそうになったが、まだ自分の想いを伝えきっていない。もっと、ちゃんと話さなければ……そんなことを思って彰隆の笑顔を見つめた。


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