会えない不安
和々の屋敷では、父を始め兄達が戻ってくるとの知らせを聞き、皆で帰りを待っていた。一度、こちらに寄るので、兄の嫁達もいる。それに、兄の子供達もいて賑やかだ。二人の義姉は、そわそわとして落ち着かない様子だった。ちらりと窺い、まだ帰ってこないようなので、自室へと戻った。何となく落ち着かないのは、和々も一緒だった。
自室の小さな障子戸に面した文机にもたれかかった。その上には、文箱が置いてあり、彰隆と交わした文が入れてある。突っ伏していた顔を上げ、文箱の蓋を開けた。彰隆と知り合ってから、それほど経っていないが、もう何通もの文が入っている。その一つを無造作に取り出した。きれいに折りたたんである文を開ける。
『和々どの
今日は、城で和々の父上の清和どのにお会いした。廊ですれ違ったのだが、挨拶しただけなのに緊張した。さすがに、この前、結婚の話をしたばかりで、和々の父上が怒っておられるのが分かっていたから、気まずかったものだ。
だが、同僚達には羨ましがられた。久世家の姫を妻に迎えるのか、どんな姫なのか、色々聞かれたが、話すのも惜しいので、しばらくは黙っておくことにした。
さて―……』
適当に手に取った物だが、これは、彰隆と出会って間もない頃に貰った文だった。思わず、くすりと笑ってしまった。くすぐったいような気持ちになる。あんな飄々とした彰隆が、父とすれ違っただけで緊張するのか。そういえば、最初に久世の屋敷に来た時も、父と晴明が部屋を出て行った後、緊張したと言っていた。やはり、感情をいつも隠して人と接していたのだ。だが、接していると分かる……和々といる時だけでも、感情を表に出している。それは嬉しいことだった。
和々は、また、読んだ文を文箱へ丁寧に戻した。そして、机の上に腕を置き、だらしなく顔を伏せた。瞼を閉じると、庭から鳥のさえずりが聴こえてくる。辺りは騒がしくもなく、父達が帰還していないと分かった。
兄の嫁達のそわそわとした様子を思い出す。彰隆と夫婦になったら、あのように彰隆との屋敷で待っている自分を想像した。だが、今も彰隆の帰りを待ちわびている。無事という事は聞いていたが、姿を見るまで安心できない。
怪我はないだろうか……。早く顔が見たい……。
そこへ、ざわざわと騒ぐ声が遠くから聴こえてきた。ぱっと伏せていた顔を上げた。父と兄達が帰ってきたに違いない。ぱたぱたと足音が廊から聴こえ、戸の前で止まる。
「和々さま、殿と若さま方がお帰りにございます」
侍女が和々に声を掛ける。
「分かった」
和々はすっと立ち上がり、母と義姉達の元へ、父の迎えをするため向かった。
父達を出迎え、一通り挨拶を済ませた。しかし、疲れている父達に彰隆の様子を聞くことはできなかった。何度か言葉を口にしようとするが、その度に母や義姉に口を挟まれ、なかなか声に出すことができない。言葉にしたとしても、結婚に反対の父からは彰隆の様子など聞き出せるかどうかさえ分からない。だが、尋ねずにはいられない。
「あ、あの……」
もごもごしながら、言葉を考える。
「殿」
母が父に話しかける。和々は眉を寄せて言葉を飲み込む。そんな事が続いたので、和々は再び、自室へ戻ることにした。廊を歩いて、ふと、庭へ目を向けると、木々の緑が青々としていた。彰隆と出会った時は、まだ新緑が眩しかった。今は、木々は深い青になっている。季節は少しずつ変わってきてはいるが、彰隆と知り合って、それほど経っていないのだ。それなのに、こんなにも彰隆を気になってしまうとは……。
また、廊へ顔を向けた。
母達は嬉しそうだった。別に、それが悪いわけではない、しかし、自分の話を少しくらい聞いてくれてもいいのではないか……。子供じみて、拗ねているのは自覚していた。口を尖らせ、眉間にしわを寄せて、自室へと戻ろうと歩き始めたところだった。
「和々!」
廊の向うから声が掛かった。振り向くと、兄・清定がこちらに向かって近づいてくる。廊は、くの字に折れ曲がっており、急いでいる時はもどかしく感じるが、今はどうでも良く、ただ兄の足音が近づくのを待った。
「何だ、その顔は」
目の前に来た兄は、呆れた顔をした。はあ……とため息も吐かれる。背の高い兄を下から見上げた。
「ひどい顔しているぞ」
額をつんと人差し指で突かれた。
「いいのです、ほっといて下さい」
拗ねた口調で、視線を逸らした。これでは完全に子供だ。こんな言い方しかできない自分に、苛立ちが募る。
「藤堂の事を聞きたかったのであろう?」
見抜かれて、追ってきてくれたのか。驚いて、拗ねていた事も忘れて兄の顔を、目を丸くして見た。すると、兄は優しく笑った。
「何で……お分かりになったのです?」
「分かるさ。そなたの兄を何年やっていると思っているんだ」
何でも知っているとばかりに、兄は得意げだ。母や義姉達と話していても、気にかけて見ていてくれた事が嬉しかった。子供達も父親が帰ってきてくれた事が嬉しくて、はしゃいでいたというのに。
「藤堂は、無事だ。怪我もない」
兄の言葉を聞いて、少しほっとした。一番知りたかった事だった。
「あいつに、戦場で会ったよ。あいつに助けられた」
「助けられた?」
「ああ。あいつがいなかったら、危なかったかもしれん……。和々、あいつに会いたいんだろう?すぐに会いに行けばいいじゃないか」
「はい。しかし、会いに来てくださると仰っていたので、私からは……」
彰隆は、『すぐに会いにいく』と言っていた。戦が終わって戻ってきたばかりなのに、すぐに来るというのは無理だ。きっと、明日にでも会いに来てくれる、そう思った。いつものように、『和々!』という元気な声と共に、飛び込んでくるに違いない。だいたい、藤堂家に帰宅して間もないと思われるのに、自分の欲求だけで会いに行くなんてできない。
和々は兄に大丈夫だと笑顔を作ってみせた。
「きっと、すぐにお会いできます」
「そうか。分かった、これ以上は、何も言うまい」
兄は和々の頭をぽんと軽く叩く。いつまでも子供扱いだった。
あ、そうだ……。
たった今まで、拗ねて子供じみた事をしていたのだった。子供扱いでも仕方がないのか。はにかんで俯くと、兄は微笑んだ。「じゃあな」と言って、妻と子供達の元へ戻って行った。
いいなあ……家族がいるというのは。
寄り添って生きていくのは、大変な事も多いだろうが、なんて素敵な事だろうか……。微笑ましくて、ふっと笑った。彰隆とも時期が来れば、こんな夫婦になるのだろう。彰隆がいて、子供がいて……自分がいる。
彰隆どの……。
早く会いたい。戦の後だから、会って自分の目で無事を確認したい。唇を噛み締めた……。彰隆は、からかうが嘘は吐かない。会いに来ると言っていた言葉を信じよう。
『和々っ!』
彰隆の声を思い出す。声を思い出すだけで、胸が高鳴った。
いつの間に、こんなに好きになってしまったのだろう。強引で嫌な出会いだったのに……。彰隆は、自分の事を好きだと言ってくれた。何の取り得もなく、美しくもない自分の事を。きっと、術が効かないという事がなければ、好きになってくれなかった筈だ。自分に自信なんてない、ただの武家の娘というだけ。
ふと、左腕に嵌っている腕輪を見た。
婚約の印。彰隆が生まれた時から身に着けていた、烏間の黒い石が光る。紐は、糸を編んで作られているが、所々、擦り切れている。和々にとっては、今は、これが彰隆との繋がりを感じる唯一の物だった。
早く会いたい。
和々は烏間の腕輪を右手で包んだ。掌に石の冷たさが伝わる。不安で、不安で仕方がない。和々は目を閉じて、不安に耐えた。
しかし、それから数日経っても、彰隆は会いに来なかった。すでに、二十日は経っているだろう。もう、かれこれ一月以上会ってはいない。会えない時は文をくれたのに、それすらもない。こんなに音沙汰がない事は初めてだった。
いつものように、会いにきてくれると思っていたのに……。不安ばかりが、募っていく。本当は、怪我をしていたのではないか。白金に戻ってから、風邪などひいたのではないか。会いたくない……つまり、嫌いになってしまったのではないか。他に好きな人ができたのではないか。段々と、酷い事ばかりが頭に浮かぶ。
耐えられなくて、父達が帰って来てから五日目に文を書いた。
『彰隆どの
御無事でお戻りと聞きました。無事で戻るとの約束を守って下さり、ありがたく、そして嬉しく思います。
今は、どうしておられるのでしょうか』
これ以上、書けなかった。本当は、なぜ会えないのか知りたいのに、図々しく聞いて良いものかためらってしまう。もし、本当に怪我をしていたら……風邪をひいていたら……それならばきっと、和々の文は迷惑だ。自分の気持ちを押し付けているのではないか、そう思ったら書く事が出来なかった。
しかし、文の返事は来なかった。そして、まだ不安な日々を送っているのだ。
兄夫婦が仲睦まじいのを見かける度に、和々にとっては、一人だけ取り残された気分になる。
彰隆の姿を見るまでは、和々の戦は終わっていない。
平穏な日々だが、和々にとっては不安な日々は続いていた。




