戦
次の日、和々は藤堂家の家臣に護られて、久世の本邸に戻った。そして、その日、彰隆は国境に向けて出陣した。久世家からは、浜名国へ行かなかった二男、つまり和々の兄・清正が出陣した。他国へ赴くのではないため、本日中には到着し、晴明達と合流できるだろう。
そして河野の軍勢が出陣して十日。戦況は良く、同盟国の浜名国も援軍として河野へ入り、美山は日に日に不利になっているようだ。
母や家人達は、父や兄達の心配をしていたが、和々は彰隆のことばかりが気になっていた。和々は気の抜けたような生活を送り、何をしても身が入らない。もちろん、父達の事も心配だが、気持ちの大半が彰隆を占めていた。
「はあ……」
ため息ばかりが口から出る。
彰隆どのは、今どうしている?
そんな言葉を、朝起きてから夜眠るまで考えているのだ。ぼうっとしていても、家の者達も何も言わなかった。和々が本邸にいる時から彰隆と会い、文を交わし合っているのを知っているからだ。白金に行っても彰隆と会っていたのは知っていた。こんなに会わなかった事など無いはずだ。和々が初めての恋なので、誰もが本人が戸惑っているのがよく分かる。当初、周りは「恋わずらい」なんて笑って見守っていたのだが、あまりにも生気が無いので徐々に心配されてしまった。
「和々さま……御可哀相に。段々と元気が無くなられて……」
「本当に。最近では、御食事もあまり召し上がらないのよ」
縁側でぼうっと外を眺めて座る和々を見て、後ろから侍女達がこそこそと話していた。普段なら気が付きそうな声の大きさでも、和々には届かなかった。
「早く戦が終わって、殿や若さま方、藤堂さまもお帰りになられるといいのに……」
ぼそっと侍女の一人が呟いた。
その頃、河野の軍勢は国境に近い城に陣を置き、美山軍と何度かの小競り合いをしていた。城と言っても、武家の館であって大層な城ではない。会談中だったので、浜名国も援軍として参戦している。美山軍は城と向かいの小高い山に陣を置き、戦っていた。それほどの兵の数ではないが、個々の兵力があり、河野と浜名の連合軍は勝ってはいるが戦を長く引き伸ばされていた。だが、河野と浜名軍は兵の数からしても、戦えば強い。いくら時間が経っても、美山軍は援軍も来ないので、あと一つ大きな戦いがあったら殲滅できると思われた。これ以上長引かせる訳にはいかない。
そして、その時はやってきたのだった。
まだ、夜が明けない内に敵陣の周りを取り囲み、一気に攻めるという作戦だった。河野軍は地の利を生かして山を登り、浜名軍はそれを援護する。それほど高い山ではないので、藪を分け入り配置に着いた。
陣太鼓が薄暗い山に鳴り響き、一斉に攻め込む。
「おおおっ!」
男達の地から響くような声が上がり、油断していた美山軍に攻めかかった。槍を持った兵が美山の兵を突き、刀を振りかざした兵が切りかかる。
「うわああ!」
美山の兵の叫びが、あちらこちらで上がった。
慌てふためく美山兵が松明を倒し、火の手が上がる。陣幕を破り、次々となだれ込む連合軍。美山軍の旗が踏まれ、白い旗に足跡を残した。
彰隆は、麓に広がる原野で戦っていた。麓にいた美山軍との一戦だったが、連合軍の急襲によって山から下りた兵も合流する。段々と陽が昇って辺りに朝日が差し始めていた。
膝の高さくらいの草が、男達により踏みしめられる。
馬のいななき、叫び声が辺りを包む。草の臭い、埃の臭い、血の臭いが入り混じって鼻を付く。矢が飛び交う。槍が肉を刺す。刀の刃がぶつかる金属音。死のやり取りを前にして誰もが否応なく、興奮を覚えた。
彰隆も刀を振るう。人が倒れる様は、気持ちのいいものではない。しかし、やらねば自分がやられる。刀を持ち、具足を身に着けていても軽々と動ける。天狗ゆえの身体能力だった。そして、美山の兵を斬っていく。手に、刀の重さと人を斬る時に掛かる重さの感覚が残る。この国の大事のために、鍛錬しているのだ。これが初陣ではなく、何度も経験している。嫌な感覚だったが、唇を噛んで次々と人を手に掛けた。
その時、彰隆の近くで、河野の旗指物を背にした男が目に入った。美山軍の馬に乗る兵を、馬から引きずり落として組み合っていたが、河野の男は刀で男を殺したようだった。しかし、倒れていたため、体の上で美山兵が息絶えて、その兵を退かさなくてはならなかった。そこへ、美山の別の兵が襲いかかろうとしている。
彰隆の身体は勝手に動いた。兵達の合間を縫って進む。人の速さではない。しかし、あの鎧と前立てには見覚えがあった。
かしゃん!
彰隆の刀と美山兵の刀がぶつかり合った。鍔ぜり合いで、美山の兵を押すと兵は後ろへ転がった。
「藤堂っ!」
倒れていた河野の兵が叫ぶ。ちらっと窺うと無事な姿が目に入って、にやっと笑ってしまった。そんな場合ではないのだが。
彰隆は起き上がった美山の兵に刀を突き刺した。「ぎゃあ!」という命の最後の叫びが耳に届いて、眉をしかめた。
「藤堂!」
呼ばれて振り向くと、河野の兵が自力で立ち上がっていた。
「義兄上、大事ないですか?」
見覚えがあると思った男は、和々の兄・清定だった。まだ、敵が周りにいる、二人して刀を構えて臨戦態勢だ。しかし、清定は、彰隆の顔を見るなり口の端を上げた。
「まだ、お前の義兄じゃないぞ!」
「ははっ!」
背中からの文句を聞きながらも、立ち向かってくる敵に斬り掛かりながら、思わず吹いてしまった。和々と同じ事を言うなんて、やはり兄妹だ。出陣してから、和々の事を考えないようにしてきた。まだ、婚約しただけで心配は尽きない。
また、烏間に反抗する天狗に襲われているんじゃないか。自分の事など気にも留めないでいるんじゃないか。泣いてはいないか。迷いが出そうで考えないようにしていた。
「藤堂!和々が悲しむ、無事でいろよ!」
足を踏ん張り、刀を持つ手に力を入れる。組み合っている敵を相手にしていると、後ろから清定の声が掛かった。
「義兄上も!」
「おう!」
お互いに声を掛けあって離れた。まだ敵は向かってくる。あと少し……。思い出さないようにしていた和々の事を、考えてしまった。早く和々の元に帰りたい。
彰隆は向かってくる敵に刀を構え、走り出した
その日、美山と河野の戦は終わりを迎えた。重臣達は、手ごたえのなさを感じているようだったが、そんな事はない……と彰隆や周りの者達は訴えたかった。まだ、敗走した武将の残党狩りをしている兵もいるのだ。
陣所である城は埃っぽくて、ただでさえここの所、雨が降らないため、風が吹くと土煙が上がった。城からは、美山の陣所が見える。小高い山は、それほど離れていないので、まだ燻っている煙が昇っていくのが見えた。彰隆は山を見上げ、ため息を吐いた。
帰れる。
引き伸ばされたとはいえ圧勝。だが、戦で傷つかない軍などない。誰かは傷つき、誰かは死ぬ。一人も欠けずに戦から戻るなど、不可能だ。しかし、訴える身分ではない……父は重臣だが、自分はまだ下っ端だ。戦で功績を上げて藤堂の名を利用し、のし上がっていくしかない。
もやもやとした気持ちのまま、彰隆は井戸の水で顔を洗った。周りを見ると、交代で井戸の周りに人が集まってきていた。汗と埃と踏みしめた草の青い臭い。敵の血が身体にこびり付いているのでは、と思うほど忘れがたい臭い。全てを洗い流せる訳ではないが、それでも少しは気持ちが落ち着いた。
そこへ、浜名の兵が走っていくのが見えた。兵達を掻き分け、晴明達の元へ走る。どうやら、浜名国からの使者のようだった。彰隆には窺い知れないが、何かあったのだ。
しばらくして、それは浜名国が美山に攻められたという知らせだったと知った。しかも、河野へ攻めた軍勢よりも、かなりの大軍だ。河野へ同盟国であるため出陣していた浜名の留守を狙って攻めたのだった。
何だ、それは。
彰隆は思わずにはいられない。本当の狙いは浜名だったのか。確かに、浜名は河野に比べ、栄えている。 海に面していて大きな港は、都と浜名を行き来する船が沢山ある。理由は色々あると思われる。美山は、あわよくば河野も手に入れるつもりだったのだろう。しかし、河野を踏み台にされた感じが気に入らない。和々との幸せな時を邪魔され、命のやり取りまでして……堪ったもんじゃない。彰隆は舌打ちした後、唇を噛み締めた。
美山軍は河野国で敗れ、後に浜名国での戦も河野国の援軍が駆けつけ、両国の戦は終わったのだった。




