目の当たりにした力
彰隆の元に来た男達は、藤堂家の家臣だった。父・重孝に付いて浜名国に行った者もいるが、彼らは留守役だ。彰隆は、不機嫌だった。家の者達には、和々と出掛けると話しておいたが、まさか邪魔されるとは……。
しかし、火急の用があったに違いない。和々を席から外して話を進めた。ちらりと、和々の方を窺うと、大木の木陰で心配そうな顔が映った。早く、話を終わらせ、和々の元へ行きたい。
「それで、こんな所まで来て何用だ」
ため息交じりに言った。
「若、大変でございます。美山国の軍勢が、我が河野へ押し寄せてきております」
「何……?本当か?」
和々と周りを気遣って、小声で返す。まさか……こんな時に?
「ええ、本当でございます。晴明さまが浜名国へ向かわれ、留守を狙って攻めたのです。しかも、その情報を流したのは、松の方さまで、今は城にて捕えられたとのこと……」
「松の方さまか……」
この前の徳姫から聞いた話を思い出した。確か、嫁ぎ先の家より、実家の命が大事だと言っていたと聞いた。それならば、美山より命を受けて河野へ嫁いで来たということか。最初から、河野を乗っ取るつもりだったのか……。
「若、急ぎ戻り、戦の支度を!」
眉を寄せて考える彰隆を、家臣の男が急かす。
「ああ、すぐ戻る。で、今、美山軍はどの辺りにいる?」
彰隆は、煩わしそうに答えた。
「美山軍は、現在、河野との国境を越えた辺り。晴明さまに遣いを送ったので、すぐに戻られるかと思われます。若も出陣の支度をなされませ」
「そうだな」
仕方ない、遊んでいる場合じゃない……戻るか。
彰隆は名残惜しくて、ちっと舌打ちをした。それを、家臣達は気まずそうに眺める。和々と、もう少し楽しい時を過ごしていたかった。
「和々を送り届けてから戻る」
「若……。若は先に戻って、我らが和々さまを送る……って言っても無駄ですね」
家臣達は顔を見合わせて苦笑いだ。彰隆が、和々を大事にしているのは、知っている。出会ってからというもの、彰隆は和々のために自分の時間を削って会いに行っていた。
「よほど、和々さまが大事なのですね」
「当たり前だろ」
一人の家臣が、くすりと笑う。だが、彰隆は誤魔化すつもりもなく、さらっと言った。
「若っ!」
もう一人の家臣が叫ぶ。何事かと、二人はその家臣の視線の方向へ顔を向けた。全身の血が引くとは、この事だろう。頭から背筋、足の先まですっと冷えた。
「和々がいない……」
ぽつりと呟いた。先ほど見た時は、心配そうな顔をして立っていたのに。ほんの少し目を離した隙に居なくなってしまった。
「どこに!?」
焦る。
またか!また、和々を危険な目に合わせてしまった!今度は、俺が傍にいながら。
しかし、それほど時間は経っていない。まだ、近くにいるはずだ。彰隆は、おろおろと辺りを探す家臣をよそに、目を閉じた。落ち着かなくては、冷静な判断ができない。
和々の気を探る。彰隆は、人よりも気配に敏感だ。それは、天狗の力なのだが、今までどうでも良かった力が、今は必要だ。兄には及ばないながらも力はある。婚約の儀を済ませ、彰隆の気を注いだ和々の居場所を探すのは、それほど難しくない。心を落ち着かせ、和々を探した。意識が吸い込まれる。
木が沢山見える……林の奥……崖を駆け上がる男……和々を抱え、口を塞いでいる……!
和々が泣いている!
彰隆は、ぱっと目を見開いた。この上、猿田彦の社の傍だ!
「和々はこの上にいるっ!」
きょろきょろと辺りを見回していた家臣達に告げた。二人は頷き、少し先の石段へ向かう。彰隆は、木が生い茂る中へと一人、走り出した。
何も起こってくれるなよ!
彰隆は苦しげな顔をして、男の後を追った。
一方、和々は男に口を塞がれたままだった。男は、大きな木の幹に足を掛けて、蹴り上げると、ふわりと身体が浮いて太い枝へと着地した。本邸の近くの川原で彰隆に抱えられて、飛び退いた時にも感じた事のある浮遊感。男が天狗であると確信した。枝からは、猿田彦神の社の屋根が間近に見えた。こんな高さに足一つで登ってしまう……。枝に着いても、男に抱きかかえられる手は放してもらえない。男は後ろから、耳元へ顔を近づけて囁いた。
「悪いな。あんた、久世の娘だろ?恨みはないが、取引の材料となってもらう」
掛かる息に、ぞくりと背中が寒くなった。取引とは、一体……。
「この前、城で捕まった奴等がいたろ?あんたを材料に奴等を解放してもらう」
あの男達の仲間なのか……。彰隆を傷つけた男……。あの嫌悪感を思い出し、怒りと恐怖が入り混じる。ただ、流れ落ちる涙は止まらなかった。
彰隆どの……!気が付いて!
声を出すことが出来ないまま、ただひたすら願う。
石段の方から、ばたばたと人が近づく音がした。目だけを動かし、そちらを見ると、彰隆の家臣二人が息を切らして来るのが見えた。
「んんっ!ん―っ!」
塞がれたままでは、言葉が出ない。それでも、必死になって声を上げた。
気が付いて!お願い!
男は、口を押える手に力を入れ、強引に黙らせる。押さえつけられ、顔が後ろへ反り返る。
「いい加減にしろよ、女……。大人しくしてろ」
再び耳元で囁かれた。横目で窺うと、男と目が合った。鋭い眼差し……何をされるか分からない。
「大人しくするのは、お前の方だ」
聞き覚えのある声。胸の奥が跳ねた。途端に流れ落ちていた涙が止まった。
和々を抱える男の頬に、峰を向けた刀が当たっていた。
いつの間に。
男も気配に気が付かなかったようで、驚きに目を見開いた。
「少しでも動けば切る」
彰隆の声だった。和々は窺う事は出来ないが、男の背後から刀を向けていた。彰隆は、右手に刀を持ち、他の枝に立っていた。いつ、背後に回ったのか……気配なく近づいて、男の頬に刃を当てていた。峰を向けているのは、男が自棄になってしまわないための余裕を残してやっているためだ。これ以上ないくらいの気迫が伝わる。
「はっ!女がどうなってもいいのか!」
男の額から、つっと汗が流れ落ちた。和々を押さえつける手が、汗ばんでいるのが分かった。刀が当てられているために、男は顔を動かさず、彰隆を挑発する。
「それよりも己の心配をした方がいい。何が目的だ」
冷静な声音が、和々を落ち着かせていく。
「か、烏間に捕えられている奴等を解放しろ。そうすれば、女は放してやる」
心なしか男の声から焦りが感じられた。彰隆が気配なく背後を突いたことは、予想外だったらしい。彰隆は天狗ということを置いておくとも、武士なのだ。名門藤堂家の跡取りとして、鍛錬しているはずだ。
「そうか……へえ……」
彰隆は、にやっと笑った。いつもの悪戯そうな人の悪い笑み。しかし、刃を向けられている男と和々には見えなかった。
「そんなの、はい、分かりました……って」
彰隆は、話し終わる前に峰を返し、左手だけで刀を持って刃を向け直す。男が驚いて、彰隆を振り返った。態勢が崩れ、和々は男の手から落ちた。枝から地面へ落とされる。
「きゃあ!」
悲鳴を上げて枝に手を伸ばすが、するりとすり抜けた。もう、だめだ!
「言えるかよっ!」
彰隆は切っ先を向け、態勢の崩れた男に右手の指を向けた。念を込める。
「捕縛っ!」
男の身体に彰隆の指先が触れた。すると、男の体が後ろ手で縛り上げられたように、動けなくなった。
どさっ。
落ちた……。落ちたのだが、痛くない。ぎゅっと瞑った目を、そっと開ける。
「和々さま、お怪我はないですか?」
藤堂家の家臣に抱きとめられた。驚いて、ただ首を縦に振って頷く。くすりと笑われて、ゆっくりと立たせてくれた。
「ありがとうございます……」
「いいえ」
家臣の男は、にこりと笑った。唖然としていたが、そうだ……彰隆は!自分がいた枝を見上げた。彰隆が動かない男を片手で抱えて、枝の上で立っていた。
「よっと……」
彰隆は、男を抱えて枝を降りた。軽やかに枝を蹴り、ふわっと降りた。和々が落ちる速さではない……ゆっくりと降りてくる。まるで、見えない羽が生えているようだった。そして、音も無く着地した。
「重いな」
彰隆は、抱えていた男を放り出した。どさっと音がして、男が地面へと転がった。紐も縄も見えないのに、男の手は後ろで縛られているようだ。
「悪いな、俺は羽は無いが、天狗としての力は、少しはあるんだよ」
彰隆は、冷たい目で男を見下ろした。せめてもの反抗なのか、転がったまま男は彰隆を睨んだ。
「烏間に裁いてもらうんだな」
ふっと笑う。人の悪い笑みだった。天狗を裁くのは長である烏間だ。家臣達は分かっているように、転がっている男の両側に回って、引き摺りながら起こした。ぎらっと光る目は相変わらずで、和々はびくんと身体を揺らした。
「烏間家へ連れて行け。俺は和々を送ってから戻る」
命を下すと、家臣達は「はっ」と返事して一礼し、男を連れて石段を降りていった。
残されたのは、和々と彰隆だけだった。




