願い事と再び迫る危機
馬に乗り、しばらく進むと、大木が立ち並ぶ林の奥に目的の社はあった。辺りは山に囲まれているにも関わらず、参拝者は思ったより多い。馬を降り、石段を登る。結構な階段だが、彰隆が手を引いてくれていたので、それ程苦にならずに登ることができた。石段を登って後ろを振り返ると、視界が開け、遠くまで見渡すことができた。天候にも恵まれ、かなり遠くまで見える。
「わあ……」
和々は感嘆の声を上げた。遠くには、久世の屋敷がある山の方、そして、先ほど休んだ川原、田畑が広がり、家々が集まる所には白く輝いている白金城。すごい……白金城の天守よりも高い所にいるのだ。
「凄いのね!」
後ろにいた彰隆へ興奮気味で、振り返って話す。彰隆は、満足そうに口の端を上げた。こんなに喜んでもらえるとは、連れて来たかいがあるというものだ。
「そうだな、ここからの眺めはいいもんだな」
彰隆も頷く。ふいに、彰隆が袂に手を入れた。そして、手拭を取り出すと、和々に手を伸ばした。
「疲れただろ?汗かいてる」
彰隆が和々の額を、取り出した手拭で拭いた。次いで、頬を拭った。太い指が手拭と共に触れる。
そんな……彰隆どのだって汗かいているのに。細かい事に気が付く優しさ。先ほどの素っ気ない態度を考えると、触れていてくれる事が嬉しい。和々は安心して、微笑んだ。
「ありがとうございます」
和々が礼を言うと、彰隆は嬉しそうに笑って、手拭を袂に入れた。
周りを見ると、やはり木々に囲まれていて、石畳の先は本殿へと続くようだ。先は、まだあるようだ。木々の切れ間に、更に石段があり、別な場所へ続くのが見えた。
「あの先は何があるのです?」
和々が、その石段を指差す。すると、彰隆がそちらへ目をやったが、表情が変わってしまった。曇ったような表情。その顔には覚えがあった。
「あれは、猿田彦を祀ってある社だ」
「猿田彦神……」
繰り返して呟く。
「そうだ。天狗の祖とも言われる神だ。河野は天狗が多いからな、祀ってあるんだろ。太陽に住む烏の話はしたな…地上では、天を翔ける狗として地上に降りた神々の道案内をしたらしい。天狗一族は、主に河野に住んでいて黒い羽を持っているが、他国の天狗は犬のような奴もいる。そいつらは猿田って名前らしい。どっちにしろ先祖は、犬だったか、烏だったか知らないが、今じゃ黒い羽を持つ異形の奴等だ。赤い顔も長い鼻も持ってないが、人じゃないだろ」
彰隆は、誤魔化すこともなく嫌悪感を露わにする。自分を含めて、卑下しているのだ。悲しい……自分の生まれを嫌っているのは分かるが、でも……。
和々は彰隆の手を両手で握った。和々から彰隆に触れることは珍しい。驚いた彰隆が手を引こうとしたが、和々は力を入れて逃さなかった。本当は男の力には敵わない、加減されているのだ。和々は、少し背の高い彰隆を見上げた。
「彰隆どのは、彰隆どのです!」
言葉に力が入った。でも、伝えたい。ずっと、一族と自分を卑下したままで生きるのか。自分の能力を使う度に、一族を思い出すとしても、彰隆は彰隆なのだ。もっと自分を大切に思って欲しい。
「天狗だろうと、人であろうと、彰隆どのという方の人となりは変わりません。彰隆どのは、彰隆どのなのです。そんな自分を卑下するような事を言わないで下さい……」
最後は伝えるのが苦しくなって、力が抜けていくように小声になってしまった。思いを言葉にするのは難しい。言いたい事の半分も言葉にできない……もっと、もっと伝えたい事があるのに。悔しくて、彰隆の手を握ったまま俯いた。
「和々……」
頭上で低い声で呼ばれた。勢いよく言い始めたのに……悔しくて顔を上げる事ができない。
「和々、嬉しいよ」
その言葉に顔を上げた。すると、少しはにかんだ笑顔の彰隆が目に入った。
嬉しい?
「すまない、和々に嫌な思いをさせて。そうだな……俺は俺だな」
嬉しかったのは、和々の方だ。その笑顔が嬉しい。握った手に力を込めた。彰隆は、驚いた顔をしたが、和々の掌の中で手の向きを変えて、指を絡ませた。彰隆が反応してくれていると思うと、嬉しくて顔がほころんだ。
二人は、また歩き出した。本殿へ参拝したら、彰隆も行った事がないという更に先の、猿田彦の社へも行ってみようと、彰隆自身から誘われた。和々は笑顔で頷く。少しは吹っ切れたのだろうか……和々の言葉でそう思えてくれたなら嬉しい。
林の中の石敷きの参道を歩く。参道は中央を歩いてはいけないため、木陰を歩く。日陰で少しは涼しい。参拝者も多く、遠くから来たような格好の人や、商人、武士、身分もそれぞれに見えた。本殿へは、この長い石畳を歩かなければならない。木々の向うに、大きな社の屋根が見えた。屋根だけでも、荘厳で立派だ。 鳥居の下で頭を下げ、更に進み、手と口を清めた。社は遠目からも立派に見えたが、近くに来ると圧倒的だ。和々にはよく分からないが、所々に彫刻が施され、荘厳さを増していた。人々は、入れ代わり立ち代わり参拝していく。二人も参拝する。二拝二拍手の後、願い事を祈る。
和々は手を合わせたまま、目を閉じた。家族の健康を祈る。ありきたりだが、一番の願い事だ。父が結婚に反対している事も思い出したが、神様の力で何とかできるのだろうか……そんな事を考えていると、目を閉じたままでも、肩に隣にいる彰隆の腕が当たって、存在を感じた。
彰隆どのが、幸せになれますように……。
彰隆が自分自身を好きになってくれたらいい。本当は繊細で周りを気遣える優しい男だ……何事からも傷つけられないといい。幸せを感じて生きて欲しい。
瞼を開けて、隣に感じる彰隆を窺った。彰隆はすでに祈りを終えていた。しばらく祈りを続けていた和々を見ている。目線を合わせ、また本殿へ向き直って最後に一拝をした。
参拝を終え、ご朱印を頂き、参道を戻る。帰りは、行きとは反対の端を歩く。その後も、参拝者は後を絶たず、何人もの人達とすれ違う。
「さっきは、長い間、何お願いしてたんだ?」
彰隆が横にいる和々を見下ろす。その顔は先ほどとは、打って変わって晴ればれとしていた。
「え、と……」
本人に言えるはずもなく、口ごもってしまった。彰隆は、にやりと笑う。
「俺のことだろ?」
「え?ええ。まあ……」
歯切れが悪いが、素直に頷いた。どうせ、違うと否定しても、からかわれるのは目に見えている。だったら、素直に頷いても一緒だ。和々は、肩が触れ合う彰隆を見上げた。髪が歩く度に揺れ、精悍な横顔が目に飛び込む。その顔は満足そうだ、そして、和々を見下ろす。
「俺は子宝に恵まれますようにってお願いしたぞ」
「はあ!?」
思わず素っ頓狂な声を上げた。何事かと、周りの人々が振り返る。慌てて口を押えると、また人々は動き始めた。恥ずかしい……。
いや、違う!そんな問題じゃない!
「まだ夫婦じゃないのに、そ、そんなこと…」
恥ずかしくて、顔を赤くした。からかう事が、和々の想像を超えている。
「ははっ!いずれ願う事なら、今、願っても同じだろ?」
「そういう事を言ってるんじゃないの!」
まだ夫婦ではないのに、気を急いてどうする。和々は、彰隆を横目で窺う。飄々とした様子で気にも留めていない。何を言っても無駄な気がする。呆れてため息を吐いた。
その時、男二人が和々達に走り寄ってきた。
ざっざっ、と足音を立てて近づいてくる。彰隆は、すっと表情を引き締めた。脇に差してある刀が遠くからでも目立つ。身なりからして武士だ。
「若!」
彰隆に向かって「若」と呼ぶのは、藤堂家の家臣か。彰隆は、和々を手で自分の後ろにやり、一歩前へ出る。男達は、石段も駆け上がってきたのだろう、かなり息が切れていた。質素な服を着ているが、以前に襲われた時の男達とは雰囲気が違う、しっかりとした武家に仕えているのが分かる。男達は彰隆の前まで来ると、息を整えて話し始めた。
「若、大変でございます!」
「何だ、こんな所まで来て……」
あからさまに、嫌な顔をする。和々との二人きりの時間を邪魔された事が、腹立だしいらしい。男は、彰隆の後ろに隠れている和々をちらりと見た。和々がいては、話し難い内容なのだろうか……。彰隆はそっと振り向いた。
「和々、すまない……少し外してくれるか」
眉を寄せて、苦笑いだ。完全に水を差され、楽しいと思っている気分が下がっていく。しかし、こんな所まで来て話をしなくてはならないとは、急ぎで重要な内容に違いない。素直に頷いた。
「はい」
「悪いな」
和々が男達に視線を向けると、男達は、和々に頭を下げた。和々も慌てて頭を下げる。
「和々さま、申し訳ありませぬ」
「いいえ、私はあちらで待っております」
少し離れた所にある木の下を指差した。そして、和々は後ろ髪を引かれながら、歩き出した。何の話だろう……。和々が声の届かない所まで行ったのを見計らい、男達は彰隆に話し始めた。
和々は、三人の様子を木陰で見ていた。話している内容は全く分からない。こうして見ていると、彰隆はちゃんとした家の跡取りだと感じた。表情は、真剣で凛々しい。どきりとさせられ、見惚れてしまう。
この方に、好いていると言われたんだ……。
冷静になると、川原で言われた事が思い出された。嬉しくなって、一人で俯いてしまった。
その時だった。
「んっ!」
和々は苦しくて、悲鳴を上げようとした。しかし、口を塞がれ、声が出ない。そのまま、林の奥へと引っ張りこまれる。突然の事で、何が何だか理解できない。
視界から彰隆が遠ざかる。参道の横の林の奥へ引っ張られ、徐々に薄暗くなっていく。足元は木の葉が覆い湿っていて、不安定だ。口を塞がれたまま、横目で後ろを窺うと見知らぬ男が、和々を抱えていた。右手で口を塞ぎ、左手で和々を抱きかかえる。その左手には、天狗の証である腕輪が見えた。石の色は緑、烏間ではない。遅れて襲われたと気が付く。恐怖が全身を駆け巡った。
男は、城で見た男よりも身支度はきれいだったが、鋭い目は同じだった。頬は痩せ、目が鈍く光る。怖い……声が出ない。
口を塞ぐ手は節くれだっていて、その感触に悪寒が走る。男は和々を抱えていても身軽で、木の間をすいすいと進む。やがて、進む方向に崖が見えた。それを、男は気にも留めず、足を掛けて段を昇るように上がる。ふわふわっと身体が浮き、これが天狗なのかと思い知らされた。この先は、彰隆と行こうと話していた猿田彦の社だ。
彰隆どの!助けて……気づいて!
来た方向を見ながら、彰隆の姿など既に見えないが、心の中で叫んだ。虚しく、どんどんと参道は遠ざかる。涙がつっと流れ、口を塞ぐ男の手を濡らした。




