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知ってしまった気持ち

 それから、しばらくは大人しく屋敷からは出なかった。また、怖い思いをするのではないかという気持ちもあった。それに、父をこれ以上心配させたくなかった。

 彰隆は、日を置かずに毎日、顔を見せていたが、上手い具合に父と顔を合わせることはなかった。

 

 ある日、父と兄が晴明と共に、浜名国へ会談のため行くことになった。そのため、和々は、久世の本邸に戻らなくてはならない。元々、父と兄の世話をするのに、白金の屋敷に来ていたのだ。

 そして、父と兄が、浜名国へ出立した次の日。本邸に戻る前に、彰隆と出掛けることになった。白金城から少し離れた神社に行くと決めて、昼前に屋敷を出た。歩いて行ける距離なのだが、彰隆は普段、一人で移動していても速い歩みで移動しているため、ゆっくり歩くというのを嫌がった。結局、馬で行くということで合意し、彰隆の馬で行くことにした。


「そんなに、くっつかなくても…」

 予想していた通り、彰隆は必要以上に和々に密着する。彰隆は、手綱を両手で持っているのだが、ほぼ、和々を抱きかかえているのだ。

「いいだろうが。夫婦なんだし」

「まだ、違うって言ってるでしょう!」

 あれから少しは元気になって、彰隆のからかいにも言い返したりする。彰隆は、「ははっ」と笑って上機嫌だ。和々が後ろを振り返ると、彰隆の笑顔が目に飛び込んだ。和々も自然と笑顔が零れた。


「少し休むか」

 彰隆が川の隣の横道で言った。城からは大分離れて、一際輝く天守が小さくなっていた。田畑が広がり、家々もまばらになっていた。しかし、参拝客なのか、同じ方向を目指す人々やすれ違う人々が多かった。目指す神社は、山の中にある。和々の住む久世の本邸からは逆方向の山だ。ここからは、段々と木々が増え、山深くなってくる。その前に馬も休ませなくてはならなかった。

 和々が「はい」と返事すると、彰隆は馬に水を飲ませた後、川辺のすぐ傍にある木に手綱を括りつけた。馬は、春の芽吹いたばかりの青々とした草を()んでいた。


「疲れたか?」

 彰隆が和々を気遣い、顔を覗き込んだ。

「いいえ、楽しいです」

 首を振って笑顔を返すと、彰隆は微笑んだ。二人は、馬より少し離れた木の陰に腰を下ろした。彰隆は、腰に差してある刀を自分の横に置いた。草の上に腰を下ろすと、青い草の匂いが鼻を擽った。川を渡る風が心地良い。風が、ざわざわと二人の頭上の木の葉を揺らす。枝葉の陰も揺れていた。二人だけで、誰にも邪魔をされず、なんて平穏なのだろう。


 ふと、和々は空腹を覚え、持ってきていた包みに手を掛けた。休憩のついでに丁度良い。和々は、隣できらきら光る水面を、眩しそうに見ている彰隆に声を掛けた。

「彰隆どの、私、握り飯を作ってきたので、宜しかったらどうぞ」

「和々が作ったのか?」

 彰隆は驚いた顔をした。和々が頷くと、彰隆は膝の上に載せてある開いた包みに手を掛けた。丁度、二人分。握り飯は、竹の皮で包まれ紐で結ばれている。それが、二つ。彰隆は、一つの包みを自分の膝に載せ、手際よく開いた。そこには、三つの握り飯。和々は二つだ。

「いいのか?食っても……」

 そこまで開けておきながら、駄目と言う訳がない。和々は、「どうぞ」と再び声を掛けた。

「美味い」

 彰隆は、一言だけ言うと、次々と飯を口に運んだ。

 良かった……口に合わなかったらと心配だったのだ。不器用な和々は、結構、早起きして作ったのだ。普段から家の事をしているので、飯炊きなどもできる。しかし、時間が掛かるのだ。要領が悪いと言ってしまえば、それまでなのだが。


「和々さま!まだ、やっておいででしたか!」

 厨にて侍女が驚いていた。しばらく前から厨にいたので、まだできないのかと驚いていたのだ。

「後は包むだけだ!」

 和々が振り返りもせず、怒鳴る。

「藤堂さまが、お迎えに来てしまいます!ここは私どもがやっておきますゆえ、和々さまは早くお支度なさって下さいませ」

「分かった、頼む!」

 ばたばたと厨を後にして、和々は自分の身支度を整えるため、自室に向かった。後ろで呆れた侍女のため息が聴こえるようだった。


 そんな事があったとは露知らず、彰隆はさっさと二つ目の握り飯に手を付ける。それを見て、和々も一つ手に取って、口に運んだ。漬物と一緒に握ったものだが、塩加減も丁度良くて、自分で言うのもなんだが、美味しいものだった。

「美味かった」

 彰隆は食べ終えて、包みを片付けていた。

 早い!もう終わり?和々も慌てて、口に運ぶ。父や兄もそうだが、男というのは食べるのが早い。戦場ではいつ敵襲があるかもしれない、きっと、そのくせが抜けないのだろう。

「ははっ!そんな慌てなくていいって。ほら、飯粒が付いてる」

 彰隆は、和々の口元に付いた飯粒に手を伸ばした。しかし、途中で手を止めて、腕を下げた。そのまま、地面に手を付けて身体ごと和々にすり寄る。和々は、何事かと彰隆の様子を見ていた。彰隆は、顔を寄せてくる。にやっと笑った。

 正面から迫って、彰隆の息が顔に掛かった。そして彰隆は、和々の口元に付いた飯粒を舌で舐め取った。


「な、に……?」

 まさか、舐められるなんて思っていなかったので、全身が強張った。舌の感触は、柔らかくて温かい。顔を離していく彰隆は、得意気な表情だ。

 口づけられるのとは違った恥ずかしさ。感触の生々しさに加え、女なのに口元に飯粒を付けていたという恥ずかしさもある。和々は、顔を真っ赤にして俯いた。

 何て恥ずかしい事をするの!

 いつもの彰隆らしいと言えば、彰隆らしいのだが。心の準備も何もなく、恥ずかしさしかない。

「彰隆どのは、いつも、いつも……」

 少し言ってやろうかと怒った顔をして頭を上げると、彰隆は目を細めて微笑んでいた。

 は?何があった?拍子抜けしてしまう。怒っていたのに……。


 彰隆は微笑んだまま、和々の頬に左手を伸ばした。彰隆のごつごつとした大きな掌が、火照った頬を包む。その手首には、和々と揃いの石の付いた飾りがある。和々は吸い込まれるように、彰隆の瞳から目が離せなかった。

「好きだ、和々」

 驚きで心臓が跳ねた。

「愛している……」

 真っ直ぐ目を見て告げた彰隆は、先ほどの微笑みが消えて真剣な眼差しだった。

 好きだ……愛している……彰隆の言葉が、頭の中を繰り返している。いつも行動ばかりで示されていた愛情表現だったが、初めて告げられる和々に対しての気持ちだった。

 

 しかし、彰隆は、すぐにふっと視線を逸らし、頬から手を外した。どう、反応して良いか分からない。ただ、心臓の音が聴こえるのではないかというくらい、早鐘を打っている。思わず眉を寄せて、胸を押さえた。掌から、鼓動が伝わる。

「彰隆どの……」

 和々が呟くと、視線を逸らしたまま返事をしなかった。たった今、愛していると告げてくれたのに冷たい態度だった。冗談だったのか……。


 彰隆は、しばらく顔を背けていた。そして、急に立ち上がる。

「そろそろ行くぞ」

 彰隆は座ったままの和々を見下ろした。表情が読めない…和々は不安で顔が強張った。自分は彰隆に対して、気持ちを伝えていない。しかし、彰隆はその答えを求めはしない。良いのだろうか……勝信はお互いの気持ちがないと婚姻は成り立たないと言っていた。彰隆の気持ちを、はっきりと知ってしまった今、自分の気持ちを伝えなければならないのでは、と気持ちが逸る。

 だが、気持ちを伝えたからといって、父は反対している……複雑な心境で眉をひそめた。

 その様子を見た彰隆は表情を変え、再び微笑んだ。そして、少し屈んで手を差し伸べた。

「どうした?行くぞ」

 何事も無かったような態度。和々は困惑したが、彰隆の手を取った。重ねた手は、上気した和々の方が熱くて、彰隆の少し冷えた掌が彰隆の心と同じように冷えているのではないかと思ってしまった。


 彰隆は、和々の手を引っ張り上げ、立たせた。すると、いつもは長い間、触れていたがるくせに、あっさりと手を離した。和々は戸惑いながらも、両手でお尻の草をぱんぱんと払う。その間、彰隆は何も言わず、待っていてくれた。和々が視線を戻し、彰隆を見ると、陽の光に目を細めている横顔があった。束ねた黒髪が風に揺れる。精悍で凛々しい横顔。和々の胸は高鳴り、見惚れていた。

 男らしくて、凛々しい。そんな彰隆が、自分を好いていてくれる。じわりと、嬉しさが込み上がってきた。

 だが……。彰隆は素っ気ない。自分の聞き間違いだったのでは……そんな不安も湧いてくる。彰隆は、和々が見ていた事に気が付いて、振り向いた。いつもの彰隆だった。

「ほら、手、貸せ」

 道などない川原では歩き難いため、彰隆は和々の手を取って歩き始めた。再び繋いだ手は、やはり少し冷たい。和々の手を引いて、馬のいる木の元へと向かった。


 前を歩く逞しい背中。ごつごつとした手。引いてくれる左腕に見える、和々の元結を編み込んだ飾り。

 どうしたらいいの?

 素っ気ない彰隆が分からない。困った顔を見られずにいる事に、今はほっとしていた。


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