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危険と不穏な気配

 もう駄目だ!そう思ったその時だった。

「和々っ!」

 聴きなれた声。和々と男たちは、声のする方を振り返った。声の主は、やはり彰隆だった。軽い足取り、いや、飛ぶように地面を蹴って、こちらへと向かって来る。男たちが怯んで、和々の口元を覆っていた手が外れた。


「彰隆どのっ!」

「和々!」

 彰隆の表情が険しく変わった。目を吊り上げ、怒りを露わにする。それを見た腕を掴んでいた男は、和々をぐいっと引き寄せた。腕の中に捕らわれる。

 彰隆は目の前まで来ると、男達を睨んだ。


「その娘を離せ!」

 鬼気迫るとは、こういう事をいうのか。すごんだ彰隆は、怒りでいつもとは別人のようだ。

「離すわけねえだろうが。こいつは烏間との良い取引道具だ」

「ああ、お前、この女の誓いの相手か」

 男たちは口々に言う。そして、彰隆の左手首を覗き込んで、黒い石を確認する。和々の元結を編み込んだ飾り。彰隆は隠すことなく石を見せつけた。

「そうだ、俺が誓いの相手だよ。烏間に用があるなら、俺に直接言えばいい。その娘は関係ない、離せ」

 彰隆は男と話している間にも、和々の目をちらちらと見て安心させようとしていた。和々の瞳からは、まだ、涙が止まる気配がない。


「そうか、お前、烏間の奴か。じゃ、この女は用なしだな」

 男達は顔を見合わせて、にやりと笑う。

「望み通り、返してやるよ」

 そう言って、掴んでいた腕を離し、和々の背を力いっぱい突き飛ばした。

「きゃ!」

 和々は急に突き飛ばされ、彰隆の元へとたどり着く前に地に投げ出される格好となった。

「和々!」

 彰隆が受けとめようと、和々の前へと飛び出す。その隙を、男達は見逃さなかった。彰隆は和々を地面に倒れる前に受けとめた。どさりと音がして、和々の上半身は彰隆の胸の中へ飛び込む。彰隆の逞しい腕が和々の身体を包んだ。

 

 どかっ!

 頭の上で鈍い音がした。顔を上げると、彰隆は男の拳を頬で受け止めていた。

「いやっ……!彰隆どの!」

 彰隆の口の端から赤い血が滲み、すっと垂れた。和々を庇って受けた傷に違いなかった。和々の声に気が付いて、彰隆は一度、胸の中の和々に目をやった。声を出したわけではないが、にっと笑った顔は「大丈夫」と言っているようだ。

 すぐに、和々を抱えたまま、後ろへ飛び退く。その軽やかさは、以前味わった事がある。川原で天狗に絡まれた時のものだ。あの時よりも高く跳ばなかったが、和々の肩くらいの高さはあっただろう。そして、また臨戦態勢を取る。

「ちっ」

 それほど傷を負わせる事ができなかったと見えて、男達はあからさまに舌打ちをした。


「何をしている!」

 少し離れた所から声が掛かった。和々は彰隆の胸の中で窺えないが、声には聞き覚えがあった。

「兄上!」

 兄上?烏間勝信さま?彰隆の兄は一人しかいない。繊細そうな声音は、烏間の屋敷で聴いた勝信であった。


「どうした、彰隆」

 勝信は、後ろに家臣を二人引き連れている。

「和々が、この男達に襲われていたのです」

 彰隆の話す声が振動となって、胸に押し当てられた頬から伝わった。

「そうか、では捕えよ」

 ばたばたと音がして、勝信の後ろに控えていた家臣達が、男達を捕える。男達も天狗とあって動きが素早いが、しかし、勝信の家臣達の方が速い。逃げられることなく、男達を捕えた。その家臣達の左手首には、同じく烏間の石が輝く飾りが付いていた。家臣達も、また烏間の縁者なのだ。


 男達の動きが完全に封じられたと分かってから、彰隆は腕の力を緩めて和々を解放した。和々は、事の状況を把握するように、捕縛された男、捕まえている勝信の家臣、そして勝信を見た。

「この女子は、重臣・久世清和どのの御息女だ。烏間が天狗の長として、そなた達を裁くが、更に久世家も黙ってはおらぬだろう。覚悟するとよい」

 勝信は、じろりと男達を睨んで、言い放つ。そして、顎だけで家臣達に合図を送ると、「連れて行け」と冷たく言った。男達は、うなだれて和々と彰隆を見ることなく通り過ぎた。その場に残されたのは、和々と彰隆、そして勝信の三人だった。


「和々どの、怪我はないですか?」

 勝信は打って変わって、優しい顔で和々に尋ねた。和々は、彰隆が腰に手を回して支えられていた。涙でぐしゃぐしゃになった頬を拭って、頭を振った。

「私は怪我などありません。しかし、私を庇って、彰隆どのが……」

 彰隆の顔を見上げると、少し時が経って青く変色した口元が見えた。血は止まっているものの痛々しい。

「私の怪我など取るに足りません。それより、私が不甲斐ないばかりに兄上にお手間を取らせて、申し訳ありません」

 和々を支えたまま、頭を下げた。

「いや、手間などと思ってはいない、可愛い私の弟ではないか。気にするな」

 勝信は、笑って否定したが、彰隆は苦笑いだ。居たたまれないのであろう。

「しかし、和々どのに怪我がなくて良かった。天狗の者の不始末は私ども烏間の不始末。申し訳ないことをしました」

 勝信は和々に謝る。驚いて、声が上ずってしまった。

「そ、そんな!もう、良いのです!」

「烏間の前当主、つまり私どもの祖父の代に、天狗の一族が荒れてしまって……現当主である養父が、今、建て直しを計っているところなのです。だが、以前話した通り、烏間を討とうとする輩もいる。くれぐれも気を付けられよ」

 勝信は和々に言った後、彰隆に目線をやる。


「彰隆がしっかり護るのだぞ」

「はい」

 彰隆の返事に満足したのか、勝信は烏間の屋敷へと戻って行った。和々と彰隆は頭を下げて見送ると、腰に回された手が離れた。どちらからともなく顔を見合わせた。そこには、痛々しい傷がある。

「私を庇ったせいで、こんな…」

 和々が腫れて青くなった口元へ指を伸ばす。痛そうで触れる事はできないが、代わりに彰隆の頬に手を伸ばして触れた。彰隆は眉を寄せて困ったような笑顔だ。

「俺はいいんだ。和々が無事なら」

 彰隆は頬を包む和々の手に、自分の掌を重ねる。和々の手は、彰隆の頬と掌に挟まれて、彰隆の温もりを感じていた。男達に襲われた時、自然と求めた彰隆……その彰隆を直に感じる事ができて、安心感が全身を包んでいた。


「悪いな……俺が護ってやれなくて、怖い思いをさせたな」

「そんな!彰隆どのに助けてもらいました!」

 何を言っているのか。彰隆が来なかったら、自分はどうなっていたのか分からない。ちゃんと助けてもらえたではないか!

「和々の父上に怒られるなあ…俺、良く思われてないしな。初めて和々の家に行った時なんて、すごい睨まれたもんな」

 それは、婚約した日の事を言っているのだ。ああ……彰隆どのも父が良く思っていない事に気が付いていたのか。

 彰隆は、そっと重ねた手を外した。和々の手もそのまま、下ろされた。


「もっと気を遣っていれば、こんな事はなかったかもしれない。徳姫さまが、和々の様子がおかしいから、傍にいてやれと言われなかったら、和々を探すこともなかった。俺自身が、和々の様子に気が付いてやれれば……。もっと天狗としての力があったら、和々の危険を予見できたかもしれない。それに天狗としても、人としても、俺は中途半端な奴だ。兄上の手がないと、天狗の奴等も裁く事ができない」

 悔しさを滲ませる。そうか、徳姫と別れた後に、徳姫は彰隆を呼んで和々の傍にいろと命じたのか。それで、彰隆は和々を探しに来てくれたのかと納得するが、徳姫の言葉がなかったら、自分はあのまま男達に……。考えるだけで、ぞっとした。彰隆を見ると、眉を寄せて苦しそうだ。

 しかし、彰隆は助けてくれた。間に合ったのだ。

 でも、掛ける言葉が見つからない。いくら大丈夫だと言っても、傷つけたと思っている和々の慰めなど、今は入って行かないだろう。でも、放っておけない。


「彰隆どのは、私を助けてくれた。それでいいの」

 和々は、にっこりと微笑んだ。そして、彰隆の手を握り引っ張った。

「私の屋敷の方が近いから、傷の手当をしに行こう!」

 わざと元気で明るく声を上げる。思いがけない事だったのか、彰隆は呆けていたが、やがてされるがままに、和々に手を引かれて歩き出した。手を引いて前を歩く和々には分からないだろうが、彰隆は目を細めて微笑んでいた。


 その日の夜、和々は、父に自室へ来るよう呼び出された。灯りの揺れる父の自室で向かい合わせに座る。

 やはり……昼間の……。

 昼間、城で襲われた事が父の耳にも入っているのだろう。勝信は、久世家にも知らせるような口ぶりだった。腕組みをし、黙ったままの父の顔を、真っ直ぐ見ることができない。俯いて、和々はこの何とも言い難い重苦しい空気を耐えた。やがて、父は大きなため息を吐いた。

「昼間、城で天狗の連中に襲われたそうだな?」

 本題がいきなりぶつけられた。やはりその話か。

「はい」

 隠す事もできないので、正直に言った。


「彰隆との婚約は、解消したらどうだ」

 やはり、反対されているのか……。彰隆を知るにつれて、彰隆への気持ちははっきりしないが、今更知らない人へ戻ることもできないところまで、気持ちは進んでしまっている。解消なんて嫌だとも言えない……父の決めたことなら、娘である和々は従うしかない。

「藤堂家は複雑な家だろう?別に彰隆が駄目なわけじゃない、だが、苦労すると分かっているのに、そんな家に娘を嫁がせる親がどこにいる」

 和々を心配してくれている気持ちから出た言葉だった。和々は、言葉に詰まって俯いた。こんなに心配させてしまうなんて……親不孝に違いない……。望まれない婚約は、いつ父の手で解消させられるか分からない。そう思うと、親を心配させたくないと思う気持ちと、笑顔を向けてくれる彰隆を傷つけてしまうのではという気持ちが渦を巻いていた。

「少し考えてみてくれ」

 父は冷たく言い放つ。和々は言葉が出ないまま、頷くと自室へと戻って行った。


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