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出会い

 杉林は昼間とあっても薄暗い。和々(なな)は足元の悪い道を手桶を持って、杉林の奥へと進んで行く。道の両脇には、薄暗い中でも鬱蒼と草が生い茂っていて、手入れが行き届いていない。今は春。夏も盛りになったら道が塞がってしまうのではないか、などと和々は思う。

 

 時は戦国の世、ここは河野(かわの)(のくに)白金(しろかね)(じょう)から少し離れた山里だ。河野国は南を浜名(はまな)(のくに)、西を美山(みやま)(のくに)に接し、山々に囲まれた国だ。白金城に暮らす河野国主・高科(たかしな)(はる)(あき)は、同盟国の浜名から正室を迎えて、その正室の嫡男は昨年元服した。美山からは三の姫が側室として晴明に嫁いでいる。婚姻による結びつきを重ね、河野国は乱世と言っても、あまり争いのない国だった。その高科家の重臣の一人が、和々の父・久世(くぜ)清和(きよかず)だ。今日は、晴明が鷹狩のため和々の住む屋敷のそばまで来ている。鷹狩の際、休憩をするのは、いつも久世家だった。久世の屋敷より少し離れた杉林の奥に湧水があって、その水で淹れた茶を晴明は大層気に入っていた。そのため、久世家では晴明が訪れる度に、水を汲みに行っていた。


「ふう…少し暑い…」

 和々は額の汗を袖で拭った。春とはいえ、荒れた道を歩くと汗ばむ。いくら陽の光を遮る枝があろうと、気温が上昇すれば関係なく暑いものだ。

 しかし、久世の屋敷では晴明が訪れるとあって、皆、忙しそうだった。和々は水を汲んで来るくらい、自分が行こうと思ったのだ。家人たちには止められたが、彼らだってやることが沢山ある。和々が代わりに行くと押し通して出てきた。晴明は和々が幼い頃から、鷹狩の度に久世家に訪れている。和々にとって晴明は、父の主君である前に、幼い頃から可愛がってくれる伯父のような存在だ。その晴明が喜んでくれるなら、水汲みなど苦とも思わない…と思っていたのだが。


「やっぱり、暑いな…」

 案外、大変なものだった。帰り道は、さらに水を手桶に入れて歩かなくてはならない。帰りのことまで考えると、もう引き返そうかとも思えてくる。

 いやいや!こんな事で弱音を吐いてどうする!

 頭を振って否定する。ふうとため息を吐いた。取りあえず、桶を土の上に置いて、乱れた髪を直した。和々の髪は艶やかで、家事の手伝いをしている割には日焼けもせず白い肌で、黒髪を更に引き立てる。今年、十五になった和々は目が大きく、やや小ぶりな口が可愛らしい。


 和々は手桶を放り出したまま、近くの杉の木に寄り掛かった。幹の表面は、ざらざらとしていて小袖越しにも気持ちが悪い。後ろを振り返り、少し背中を離して、お尻だけを幹に着けて休んだ。立ち止まると、木々の間から風が吹き抜けてくるのが分かる。風が汗ばんだ肌を冷やしていく。気持ち良くて目を閉じた。

ざざざっと葉擦れの音が響く。さわさわと草が揺れる。鳥のさえずりが聴こえる。木と草の緑のにおい―目を閉じると、耳で、鼻で、肌で林の中を感じた。

 その時。ざざざっと葉擦れの音が大きくなった。和々は思わず目を開けた。何かある?周りを見回してみた。特に何もない。風が葉を揺らすくらいの音しかしない。

 

 しかし、確かに大きな音がした。猪か…?いや、それでは、草が大きく揺れるはずだ。和々は、木の幹から身体を起こすと周りを注意深く見回す。不安からか、自然と胸に手を当てていた。

 ざざざ…。

 やはり、音がする。しかも移動しているようだ。先ほどより近くに感じる。上?葉擦れの音は、葉が茂った上の方から聴こえた。

 猿?よく見えない。目を凝らしてみても、杉の木は下の方は枝がないが、上には枝と葉が茂っていて、よく分からない。

 ざざざざざ…。

 一際大きな音が聴こえた。


「きゃ…」

 和々は顔を覆った。突風が吹き、目が開けられない。上から落ちてくる杉の枝の皮や、埃が舞い上がる。何が起こったのか分からない。髪が風になびいて、ばたばたと着物の袖がはためく。

「おい」

男の声が聴こえた気がした。それと共に風が止んだ。髪も着ている小袖も乱れたまま、だらんと垂れた。

「おい」

 また、男の声が聴こえた。これは本物だ。和々は恐る恐る顔を覆っていた手を離し、瞼を開けた。そこには、声の主と思われる男が立っていた。驚きのあまり、声が出せない。

「こんな所で何してるんだ?」

 男は若い。年は十五・六で自分と変わらないように見える。脇に差してある刀といい、身に着けている着物の格好といい、どこかの武士の子息だろう。背は和々よりも頭一つ大きいくらいで、見え隠れする腕は筋肉質で普段から鍛えているのが窺える。顔立ちは、目が吊り上っているが、薄い唇と鼻梁すっと通って整っている。男らしくて精悍な顔立ちだ。和々は、思わずじろじろと物珍しくて男を眺めていた。しかし、はしたない上に、男に対して失礼なことをしてしまったと、今更ながら気が付いた。ぱっと、恥ずかしくて下を向いてしまった。


「何をしているんだと聞いている」

 男は苛立ちながら、和々に少しずつ歩み寄る。男の声が怒っている。和々は、恐怖で下を向いたまま顔を上げることが出来なかった。

「あの…水を汲みに…」

「林の外に川があるのに…か?」

「はい。この先にある湧水で淹れたお茶は、大変美味しいのです。その水を汲みに行く途中なのです」

「へえ…」

 男は感心したように返事をすると、今度は逆に和々をじろじろと眺め始めた。居心地が悪くて顔を上げると、男と目が合った。すると、男は先ほどの鋭い眼差しではなく、笑顔だった。和々は、ただ驚いて目を見開くだけだ。

「悪かったな、驚かせて。俺は、藤堂(とうどう)(あき)(たか)

 藤堂?その名には聞き覚えがあるが…いや、知り合いと関係あるかどうか分からないので口にはしない。

「私は久世の和々と申します」

「ふうん…久世の、ね…」

 藤堂彰隆と名乗った男は、一人で納得した様子で頷いている。しかし、この彰隆という男は一体、どこから出て来たのか。突風と共に現れたとでも言うのか。

「しかし、藤堂どのは一体、どこからお出でになったのでございますか?」

「どこからだと思う?」

 口の端を上げて、悪戯そうに尋ねる。

「木の上からで…ございますか?」

 素直に思ったことを口にしてみた。あの時、大きな音がしたのは、確かに木の上からだ。

「当たり。木の上からだ」

「え!でも、そんな…人は簡単には…」

 無理だ。目で上を、ちらりと窺う。杉の木は高い。枝もない幹を登り、上の方の細い枝は人の重さには耐えられず折れてしまうだろう。しかも、あの時、移動しているようだった…枝から枝へ飛び移っていたというのか。そんな事をできるのは、忍びの者か。それにだいたい、登る意味が分からない。


「俺は、人なんだけど、人じゃないのでね」

 そう言いながら、自分に付いた埃を手で払う。さも当たり前のような言いぐさだ。和々は、驚きのあまり返す言葉が見つからない。何を言い出すのだ。


「ああ、俺は天狗だ」

「天狗?」

 彰隆は、横目でちらりと和々を見た。

「人の(なり)して、武士の身分で、人に紛れて暮らしてる」

 天狗―深い山に住むという(あやかし)で、鼻は異常に高く、(からす)のような羽とくちばしを持っているという。聞いたことはあるが、まさか…からかっているのか。だったら、質の悪い冗談だ。和々は、疑いの目で彰隆を見た。飄々(ひょうひょう)としていて考えが読めない。すると、和々の視線に気が付いて微笑んだ。思わず、どきりと心臓が跳ねた。単純に笑っただけなのか、裏があって笑ったのかさえ分からない。


「こんなに枝やら葉っぱやら付けて…」

 彰隆は和々に近づくと、腕を伸ばした。何をされるのか。和々は目をぎゅっと瞑って俯いた。よく分からない、とにかく怖い。

「はあ…そんな怖がるなよ」

 彰隆はため息を吐いて、和々の髪と小袖に付いた埃を丁寧に取った。和々は、彰隆のため息を聴いて顔を上げた。すると、少し呆れた笑顔で乱れた髪を梳いてくれていた。

「和々はイイとこの姫さんだろうが」

 和々。自分の名を呼び、更に身体に触れられている。

男の人に触れられている!急に意識しだして顔が真っ赤になって、再び俯いてしまった。

 いや、でも…こんな埃だらけになったのは、この彰隆どののせいだし。でも、こんな大きな手で…触れて…。

 彰隆の手は和々の手とは違い、大きくてごつごつとしていた。武士と言っていたのだから、普段から鍛えているのだろう。彰隆の体温と感触が伝わる。和々は恥ずかしくて顔が上げることができない。

「何だ、照れているのか。可愛いところもあるんだな。まあ、怖がられるよりマシだが」

 そうだ、先ほどまで彰隆が怖かった。思い出したように顔を上げると、彰隆は一瞬驚いた顔をしたが、また髪を梳いてくれる。しかし、笑顔ではなく真顔だ。

「怖いか?」

 それは、彰隆が言っていた「天狗」という事についてだと思われた。和々は、彰隆の目を見つめた。嘘を言っているようには思えない。どこまで本当か分からないが、今、こうやって接している彰隆は普通の男だ。

「少し…。でも、真に天狗なのですか?だって、人にしか見えない」

 真っ直ぐに彰隆が見つめ返してくれるから、本音を言ってみた。怖くないと断言できるほど、彰隆のことを知らないし、親しくもない。


 彰隆は和々からゆっくりと手を離した。名残惜しいとでも言わんばかりに、毛先を掌で弄びながら離す。

「言ったろう?人と同じだって。ただ、人より動けるくらいだ」

「動けるって言っても…あんな風に空を飛べるものなの?」

「ああ、まあな。羽を出さなきゃ、木を蹴って飛び移るくらいだな」

 そうか。あの時は羽など出ていなかった。あの葉擦れの音は、枝から枝へ飛び移っていたものなのか。  羽?羽を持っている?どこに?和々は、不思議そうに彰隆の背中の方を窺うが、小袖を着ていて分からない。隠しているのか。

 彰隆は和々の興味深々な顔を見て、ぷっと吹き出した。精悍な顔が破顔する。先ほどの呆れた笑顔ではない。思わず笑った顔は案外、可愛らしい。和々はその笑顔に見惚れた。家族以外の男の笑顔など、そう滅多に見る機会はなく、どきりとさせられる。彰隆は、和々の視線が気に障ったのか、見られていることに気が付くと眉をひそめた。

「しかし、お喋りはここまでだ。和々には俺のことを忘れてもらわねばな」

「忘れる?」

「ああ、今見たこと、聞いたこと、俺のこと全てだ。俺が生きて行くためには仕方がない」

 彰隆は真剣な眼差しで、和々の目を見る。獰猛な獣のような目。その瞳で射殺せるのではないか、というほど鋭い眼差しだ。

「安心しろ。何も痛くない。和々を傷つけたりしないから、俺の目を見ろ」

 何かされると分かっているのに、目が離せない。その目に吸い込まれそうだ。

 

 ざざざ…。

 風が吹いて葉擦れの音が大きくなる。和々の髪と小袖を揺らして風が通り抜ける。

「藤堂どのの事を忘れてしまうの…?」

 ぼそっと呟いた。風の音で彰隆には聴こえないと思った。出会ったばかりで大して親しくもないが、全て忘れてしまうのは惜しいと思った。


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