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「本屋に行きたい」
「へ??」
「送っていくから、一緒に行こ?」
放課後。
穂積は可愛らしく首をかしげながら、そんなお願いをしてきたのだった。
頭痛がした。
昼のことといいおかしいおかしいと思っていたが、いい加減我慢の限界だった。
「やだ」
俺はハッキリと拒絶の言葉を放った。
理由がない、なんていうのは俺のへタレ根性のなせる言い訳でしかないことは分かっている。でも、それにしたって理由がなさすぎる。穂積には失礼だが、ここまでくると騙されている気さえするのだ。
「なんでよ」
穂積はムスっとふくれた。勝気につり目で上目遣いににらんでくる。
うるせー。理由なんてあるか。
「やだったらやだ」
俺はカバンを肩にかつぐと、穂積に背を向けた。
しかし穂積もめげずに俺の前へと回り込んできた。
「あのなぁ」
俺は呆れながら言う。
「お、お願い」
と、今度は下手にでる穂積。例のワンコオーラを放ちつつ俺に迫る。だからうちはペット禁制だっつの。
だいたい、俺だって健全な男子高校生だ。こんな美少女に潤んだ瞳でお願いされて悪い気はしない。理由だのなんだのなんて気にせずほいほいOKしたい。
だが、
「なにあれ。クラスで浮いたから男作って逃げてやんの」
「どうせだれでもいいくせに」
「キモーい。同じクラスだと思うだけで鳥肌たつわ」
クラスのあちこちから聞こえてくるヒソヒソ声が、俺の返事をしぶらせ……
って、じゃねーよ!
そうじゃなくて!!
確かに今のこいつの状況には多少同情はするが、こいつは俺を騙した悪女なのである。そうだ、理由ならある。こいつは悪女なのである。
「あ、悪女ってなによっ」
「うっせー。お前は純粋だった俺を、三年もの長きに渡って騙し続けてきた悪女なのだ」
穂積はクラスメイトたちのささやきが聞こえないのか、なんと歩き始めた俺についてきやがった。本来なら走って振り切ればいいのだが、あいにく今の俺は負傷中で並みの女子よりも歩くスピードは遅かった。
だから俺たちは昇降口に向かって、並びながらゆっくりと廊下を歩くかっこうになってしまった。
「こ、こんなにお願いしても駄目なわけ!?」
なんだなんだ、今度は怒り出したぞ。
それに、
「さっきからあんまり純粋にお願いされた気がしないぞ!」
「ご、ごめんなさい」
今度はいきなりしゅんとしてしまった。
情緒不安定かよ。
「だいたい、なんで俺で、しかも本屋なんだよ」
「えっと、その……普通、かなって」
「普通?」
なにがだよ。
普通じゃないのはお前の頭な。
「…………」
穂積はそれだけ言うと、黙り込んでしまう。
今度はだんまりか。
それにしても、こいつは気づいているんだろうか……。
「だいたいなぁ、同じクラスの男女が私用で放課後に寄り道することを何て言うか知ってるか?」
「なに」
「制服デート」
男子高校生の永遠の夢、である。
「なっ……!!」
瞬間、穂積の顔が面白いように沸騰した。
そしてなにかをごまかすジェスチャー(?)のように手をバタバタと振り回し、
「な、なななななんなわけないでしょ!? 勘違いしないでよねっ」
へいへい、勘違いなんてしませんよ。
どうせそんなこったろうと思ってたし。
そのあとしばらく。俺たちは黙りあったまま歩いた。どうやら穂積は赤面癖があるらしく、顔をずっと赤くしたままうつむいていた。
そうして歩いていると、ようやく昇降口が見えてきた。
やれやれ。
「……あ」
そしてそれは穂積にとって交渉時間が終ってしまったことを示していた。
並んでいた穂積が急に足を止めた。
俺は、それを思わず振り返ってしまった。
「……ほ、本屋に、行きたい」
穂積は、震える声で最初の言葉を繰り返した。
いや、もしかしたら穂積の声は最初から震えていたのかもしれない。それこそ、クラスメイトの揶揄する声が聞こえないくらい、最初から緊張しながら俺のことを誘っていたのかも、しれない。
俺は居心地の悪さを感じながら、下校ラッシュを少し過ぎた昇降口を見回した。
穂積はうつむいたまま動かない。
俺は意を決し、言った。
「……ちょっとだけな」
顔を上げた穂積の、まだ少し赤みのさした笑顔は正直ちょっと可愛いとか思ってしまった。
美人はずるい。
学校は駅から徒歩3分の場所にある。そして駅を大通り挟んでさらに奥へ進んだところにその大型本屋はあった。うちからは逆方向とは言わないが、それでも少しそれたところにあるので今まで知らなかった。
そしてそれは地元が同じ(はず)の穂積も同じはずだ。学校とは逆方向、俺の家の近所には個人運営の小さな本屋がちゃんとあるのだ。それなのにこんな所を知っている、ということは穂積はよく本を読むのだろうか。
俺はそんなことを考えながら巨大な書店の中を漫画コーナーを探して歩き回る。
穂積は馴染みの店らすくよどみない足取りで奥のほうへと入っていった。
それにしても、穂積がなにを考えているかはサッパリだった。ここまでも相変わらず自転車の荷台に乗っけられて来た。道中に会話はない。でも穂積の背中からは不機嫌な空気は見えず、むしろどこか楽しげにさえ見えた。
そんなこんなをつらつら考えながら陳列されている漫画の表紙を物色していたが、何を見たのかなんて全く頭に入ってきやしなかった。
そして漫画のコーナーがそんなに大きいわけもなく、あっという間に一周してしまった。
手持ち無沙汰になってしまった俺は、仕方なく穂積を探すことにした。
店内を回ること数分。
穂積は推理小説のコーナーで立ち読みをしていた。
……小説、か。最近はすっかり読まなくなったな。
中学に上がっていこう、ずっと友達と遊ぶことに夢中になっていた。アウトドアだろうと、インドアだろうと、自分の遊ぶところには必ず他人がいた。運動するのも、ゲームをするのも、漫画を読むのでさえ、自分の周りには三人以上は必ずいたのではないだろうか。
そういえば、入学したてにも関わらず自分の周りにはすでに常時三人以上がいる。悠矢、山田、田中、そしてさくらの顔が浮かんで、少し笑えた。思えばこんな風に誰かと二人きりでどこかに寄り道をするなんて、いったいどれくらいぶりだろう。
思い出す、小学生の時。あの時の俺には時間をつぶすための手段はこれしかなかった。それを思い出すからだろうか。俺は無意識に小説を避けていたのかもしれない。
本棚の列から覗く穂積はなにが楽しいのかにこにこしながら様々な本を少し読んでは本棚に戻すを繰り返していた。どうやらこちらに気づいた様子はない。
それにしても、そこにいる穂積は俺の知る穂積とは全くの別人であり、同時によく知る彼女の姿だった。
ドクン、と自分の心臓が早鐘を打つ。
そこいる彼女の人懐っこそうな雰囲気が、完全に自分の知っていた初恋相手の印象とかさなってしまったのだ。
まて、落ち着け俺。奴は暴力的で気が強くて思い込みの激しいタカピー女だ。お前の想いの人などでは決してない。それは勘違いだったんだっ。
「あ、山崎」
……でも、今目の前にいる彼女が全てだろう?
「はぅ!?」
「ちょ、ちょっと、変な声ださないでよ」
「あ、ああ。すまん」
穂積は普段クラスでしているいるような不機嫌そうな顔で睨みつけてきた。
そうそう、その顔だ。
俺はあやうく再び悪女の毒牙にかかってしまうところだったぞ。深呼吸深呼吸。
「だからその悪女ってなんなのよ」
穂積はまだしかめっ面を作っている。
「なんでもない。こっちの話だ。……それより、なんかいいのは見つかったか?」
「まあまあね」
俺は穂積の物色していたあたりの棚をのぞいてみる。
「げ、お前こんな難しそうなの読んでるのかよ……」
「ふふーん、あんたとは頭のできが違うのよ」
穂積は得意げににやりと笑う。表情がコロコロとよく変わる奴だ。まあ見ている分にはあきなくていいが。
「だいたいあんた、小説なんて人間さまの読み物読めるわけ?」
今度はくすくすと人を小馬鹿にしたように笑ってみせる。前言撤回、やっぱ腹立つわこいつ。
「あのなぁ、俺だって小説くらい読んだことあるぞ」
最盛期で主に年間三百冊くらい。
それ以降はパッタリと読まなくなったわけだが。
「へ〜ぇ、どんなのよ?」
完全に疑っている顔だった。
ほんとむかつくな、こんちきしょう。
俺は自分の好きだった作家の名前を三人程度、言ってやる。
だが、案の定穂積の反応は薄かった。当たり前だ、俺が当時読んでいたのは小学生あたりに向けた児童書ばかりだ。いや、意外と面白いんだって。バカにすんな。
それでも穂積の疑いは晴らせたらしい。
「すぐに名前が出るってことは、よく読んでる証拠だしねー」
うんうん、と頷きながらご機嫌な顔をしている。
どうやら読書仲間だと思われたらしい。人のことを疑っといて調子の良い奴だ。
「う、ご、ごめんなさい……。怒ってる?」
そう言うと途端にしおれてしまう。この間の平手打ち事件は夢か幻かと思わせるほどの打たれ弱さである。
「べ、べつに怒ってはねーけど……」
そのギャップに、俺は戸惑うしかなかった。
しかも、
「ほんとう? えへへ」
なんて言って子供みたいい小さく舌を出して見せるのだった。
なんていうか、精神的に幼い感じだ。
それにしても、
……こ、こんな奴だったのか。
今のは見てるこっちが赤面ものの恥ずかしさだった。俺は知り合いに見られているんじゃないかと周りをきょろきょろと見回してしまう。見るからに挙動不審だな、俺。それにしても、そんな恥ずかしすぎることですらなんだかさまになってしまうのだから、やっぱり美人はずるい。
俺はそんな思いを振り切るためにも、話題をそらす。
「お、俺もまた読み始めるかな」
そう言って、適当に一冊抜き取ってあらすじを眺める。
「そうしなさいよ、なんならオススメあるわよ」
「お、まじか」
とは言ったものの、今手にしている本のあらすじを見ていても全く興味は持てなかった。推理小説なんて、なにが面白いんだ?
「でも、読書はやっぱりいいわよね」
「え?」
そんな時、穂積がなにかを言った。
その言葉の持つ耳触りが、なんだかついさっきまでの穂積のものはと異質に感じられたのだ。
だから横に並んでいる彼女をまじまじと見つめてしまった。強い光を持った、しかし俺にはどこを見つめているのか分からない瞳がそこにはあった。あの時の顔だ、と思った。その瞬間、すぐ近くにいると思っていた彼女がどこか遠くへ転げ落ちてしまうような焦燥感が、俺の胸をこがした。
「本を広げれば、そこにはちゃんとした秩序を持った確たる世界があった、そこには血肉の通った人間がすんでいて、わたしのこころをこんなにもしっかりと掴まえていてくれる」
彼女はゆっくりと、まるで愛しいラブソングを紡ぐようにして、語る。
それはたった今の今まで感じていた幼い印象を打ち破ってありあまる、さざつきのある声だった。
「孤独は、怖くないわ」
「こわく、ない……?」
彼女の語ったそれが、なぜその結論に行き着くのかが俺には分からなかった。いや、俺は知っていたからこそ、分かりたくなかった。だって、どうして、よりによって彼女がそこにたどり着かなければならなかったのかが分からない。
「わたしにはわたしの世界がある。だからわたしは孤独が怖くないの」
「それは……」
それは違う、と反射的に言ってしまいそうになって、俺はあわてて口をつぐんだ。
そんなことを言ってどうする。
彼女は俺とは違う。
違うんだ。
穂積が怖くないと言う以上、きっとそれは怖くないのだ。
ただ、俺の心中は複雑だった。
孤独が怖くない、なんて言葉は大嫌いだった。
だから代わりに、
「それで、お前は楽しいのか?」
「ええ、楽しいわ」
自分の疑問をぶつけた。
そして、それは即答だった。
だから俺は納得することにした。
「ていうかなによ、それ」
「なんだよ、変かよ」
「変よ。あんた、変わってるわ」
そう言って、穂積はくすくす笑いながら俺の肩を遠慮なくぶったたくのだった。
「痛ってえな、なにすんだよ」
「あはは」
そこにいるのは暴力的で気が強くて自意識過剰なクラスメイトだった。
結局、その後さらに一時間も書店で時間をつぶした。俺が昔読んでいた児童書も見つけ、バカにする穂積にむりやり買わせてやった。店員や他の客が露骨に嫌な顔をするくらいの大暴れだったが、なかなか楽しかった。ほんとすんませんでした。
だけど俺はずっと気になっていた。
嫌だ嫌だと叫びながらも買った後はそれを大事そうに抱えていた穂積のことが。
気が強く口の悪い穂積と人懐っこくて幼く笑う穂積。
いったい、本当の彼女はどちらなのだろうか、と。
◇ ◇ ◇