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 気がつくと目覚ましが鳴っていた。

「……寝れなかった」

 布団の中から天井を見上げながらつぶやく。

 俺はもやのかかったような頭のまま、起き上がった。

 リビングへ出て朝食をとり、制服へ着替えて教科書をそろえる。

 毎日のようにこなしているルーチンワークは何も考えなくても体が勝手にこなしてくれていた。

 しかし会話はそうもいかないらしく、お袋はもとより親父にまで大丈夫か、などと聞かれてしまった。

 寝てないせいか、顔色も相当悪いらしい。

 その間考えているのも、全部穂積のことだった。

 なんで俺があいつのことでこんなに悩まなくちゃいけないのか、少し腹が立ったがそれも自業自得だったことに気がついてよけいに腹が立った。

 携帯をチェックすると悠矢からメールが届いていた。そういえば昨日電話に出なくてメールを送っていたのを忘れていた。

『バカの考え休むに似たり』

「…………」

 とりあえず携帯を叩き付けた。

 いや、布団の上にだけどさ。


 気がづくと俺は玄関で革靴をはいていた。

 これから一時間もしないうちに穂積と顔を合わせるのかと思うと気が重かった。

『……ごめんね』

 あのたった一言が、とにかく尾を引いていた。

 口悪く罵ってくれればよかったのだ。そうすれば、俺はここまで悩まずにすんだ。

 少しだけ恥をかかせて、それでも噛み付いてきてくるあいつを口ゲンカをして別れる。それが俺の描いた穂積遥だった。そうすれば、俺はやっぱりやつは悪女で悪魔で、俺のことをたぶらかした悪者であると思えたのだ。

 だが現実はどうだ。

 完全に悪者は俺だった。

 あいつは泣いたのだろうか。デリカシーのないバカ男の言葉に、枕を濡らしたのだろうか。

 そんな穂積に、俺は今日どんな顔で会えばいいのだろうか。

「はあ……」

 今日何度目になるかもわからないため息と共に扉を開いた。

「……お、おはよう」

「おはようございまーす」

 春の清々しい木漏れ日が、少しだけ目にしみた。俺個人の気分なんてなんのその、今日もお天道様は絶好調だった。

「おはようってば……」

「おはようございまーす」

 足の腫れは大したことないようだった。まだ体重をかければ少し痛むが、それでも時間をかければ歩いて学校に行くくらいなら大丈夫そ……

「おはようっ、って言ってるのに!!」

「うおぅ!?」

 あわてて振り向くと、そこには自転車を引いた穂積の姿があった。

「なんで無視するの」

「あわわ」

 俺はついに悩みすぎで幻覚まで見るようになってしまったのだろうか。

 震える手で自分の頬を思いっきりつねってみた。

「い、いふぁい」

「なにやってるのよ?」

 ジト目で睨まれた。

 どうやら現実のようだ。

「でも、なんで穂積が……」

「見れば分かるでしょ」

 穂積はベルをチャリチャリ鳴らして自転車を指す。

「見ればって……」

 目の前では。自分の家の前に不機嫌な顔をした美少女が自転車にまたがっていた。

「待ってたのっ! ……その、チャイム押すの恥ずかしくってっ」

 つまり、穂積は俺のことを迎えに来たのだ。

 俺はすっかり機能不全に陥っていた。

「い、いふぁい」

「だから、なにやってるのよ」

「いや、夢かなと思って」

 どうやら無意識に再び頬をつねっていたらしい。

 そして穂積は朝日の中で唇を噛み、わずかに首をかしげて、不機嫌な顔で俺のことを睨みつけていた。しかし一度プイと横を向き、それからちょっとうつむいて、

「……乗って。後ろ」

 次に顔を上げた時には、かすかに笑って見せたのだ。

 なんで、なんて意味のない疑問はその表情だけで引っ込んだ。

 朝から、いや昨日ここで穂積と別れてからずっと頭を悩ませていたことも、全部吹き飛んだ。

 俺は吸い寄せられるように、自転車の荷台へまたがった。

「いくわよ! 出発進行!!」

「が、がんばって」

「がんばる!」

 でも、気まずくない、なんて言ったら嘘になる。

 それでも、わずかに震える肩で穂積が普通を装うならば、それに答えてやるのは男として最低限の義務だと思ったのだ。

 自転車は軋みながらも、学校を目指す。



 だが、この事件はこんなものではすまなかったのである。



「一緒に食べよう?」

「へ?」

 今は昼休み。ようやく開放された授業に対しあくびをもらす暇もなく、突然前に座る穂積が振り向いた。

「だから、お昼。一緒に食べない?」

「……ちょっとまて。なんで、俺が、お前と、飯を食うんだ?」

「だめ?」

 さびしそうにまゆをしかめて小首をかしげる穂積。

 不覚にも少し可愛いとか思ってしまう自分が悲しい。

「ぐぅ。……り、理由がない」

 俺はなんとかそれだけを搾り出す。

 くそ、上目遣いは反則だろ。

「…………理由」

 一方穂積はなんだか本気で肩を落としていた。

 まてまてまてまてまて。なんなんだ、この展開は。送り迎いは分かる。こいつなりに昨日のことに責任を感じているのだろう。だが、それがどうして昼飯を一緒に食うことになるんだ?

「ナんだ、先約があったのか?」

 と、そこへ山田、田中、悠矢、さくらがやってくる。って、なんでさくら!?

「いや、ないない。ないって。さ、いつものところだろ? いこーぜ」

「…………山崎」

 だから、なんでお前はそこで雨の日の捨て犬みたいな潤んだ瞳で俺を見つめるんだ。そんな目で見られても俺の家はペット禁制ですっ!

「…………」

 そしてさくらはなぜかこちらへ無言の圧力をかけていた。なんなんだ、この凄まじい圧迫感は。

「ボクらは相川誘ってみたんだが、なんかお邪魔みたいじゃないか。いいよ、遠慮すんなって」

 悠矢はその唇を醜悪に歪めて、のどの奥で笑い声を転がしていた。

「…………山崎ぃ」

 頼む、お前ちょっと黙れ。

「クククッ。じゃ、ボクらはお邪魔のようだから、さっさと退散するぞ」

「待て。親友だろ、窮地に陥った友を見捨てるのかっ」

「あら、女の子と二人きりのお昼がとれるチャンスじゃない、ユウスケ」

 さくらの言葉にはなぜかとっても棘があった。その無表情、とっても怖いデス。

「ジャーな」

 そう言って去ろうとする四人。

「ちょ、ちょっと待てって。俺も一緒に食うって!」

「遠慮しなくていいわ」

「遠慮すんな」

「遠慮はナしだ」

 頼む、俺を一人にしないで。

 そんな時、今までひとり場の空気においていかれていた田中が言った。

「なら、みんなで食べればいいんじゃないかな?」


 裏校庭の一区画には天然芝が生えており、そこがいつも俺たちが昼食をとるポイントになっていた。ここなら昼休み、飯を食った後に校庭で食後の運動をするのにちょうどいいのだ。

 だが、今日はそんな運動をする時間はとれなさそうだった。

 飯が、のどを通らない――!

 今、俺の右にはさくら、そして左には穂積が座っている。さらにその横には田中、山田、悠矢。悠矢のとなりはさくらといったように、円になって並んでいる。

 穂積の前には可愛らしい包みから取り出されたカラフルで旨そうな弁当が広げられている。

 さくらの前にはなぜか男物の無骨で巨大なアルミの弁当箱。中身はハンバーグと海苔弁の二色弁当だった。うん、そうね、お前のお母さんはそういう人だった。良い人なんだけどね。

 そして山田と田中も弁当。山田は自作だそうだ。

 ちなみに俺と悠矢は購買のパンである。

 それにしても大好物のカレーパンの味が全くしないのはどうしたことだろう。

 昼食を始めてからこっち、なぜか妙な雰囲気がただよっており、パンはまるで粘土を食っているような気さえしてくる。

 左を向くと、穂積と目が合った。なぜかテレたようにえへ、と笑って目をそらされた。

 右を向くと、さくらと目が合った。なんだか初対面の時を彷彿するような、絶対零度を思わせる雰囲気を漂わせていた。怖くなって目をそらした。

 チキンて言うな。

 前を見れば一見いつも通り、三人は雑談をしながら昼食をとっていた。しかしよく見れば悠矢と山田はちらちらとからかうような視線を送ってくる。そして田中は全くこの空気に気づいていない。

 どうやら、この中で飯が旨くないのは俺一人のようだった。

 そんな時、

「とこロで、山崎と穂積は付き合ったるのカ?」

 山田が爆弾を投下した。

「ぐはっ」

「はい、お茶」

 その言葉にパンをのどに詰まらせる俺。そして気を利かせて自分の緑茶を渡してくれる田中。さ、サンクス。

 そして一息つくと、

「…………」

「…………」

 両脇からそれぞれとてつもなく膨れ上がった気配が俺を圧死させんとしていた。

「な、なんでそうなるんだよ」

 俺は湧き上がる冷や汗を感じながら、それだけをしぼりだした。

「ナんでって、ナあ?」

「ああ、昨日は自主的に友介の手伝いしたかと思ったら、今朝は一緒に登校だろ? 昨日の放課後になんかあったと思うのが普通だ普通」

「ぐ、なんで穂積が手伝いに来たこと知っているんだ……」

「だってあの体育教師、お前が出て行った後すぐ来て手伝い募集してたぞ」

 それを聞いて左を向くと、穂積と再び目が合った。

 穂積は顔を真っ赤にすると、俺になにか食って掛かろうと勢いよく口を開き……しかし突然周りを見回して口を閉じてしまった。そして今度は自分の弁当だけを見つめて、ぱくぱくと小さい口を動かしていた。

「ナんだ、公衆の面前でアイコンタクトなんて、ヤっぱり付き合ってるんじゃナいか」

『なっ、ちがっ……!!』

 と、今度は穂積と言葉がかぶる。

 それを見て悠矢と山田がクスクス笑う。

 勘弁してくれ。俺だってわけが分からないんだ。

「なにかって、なんにもあるわけないだろ」

 横目でちらりと確認すると、再び弁当だけの世界に閉じこもってしまった穂積に代わり、俺は言った。

 なんなんだよ、まったく。

「ふぅん、なんにもないのに女子と登下校できるほど、あなたがプレイボーイだったなんて私も知らなかったわ」

「だ、だってこの足は穂積のせいで怪我したんだがら、その分送ってもらうなんておかしくないだろ?」

 てか、なんでこんな浮気現場押さえられた男みたいなことしなくちゃいけないんだ!? おかしい、やましいことなんてしてないはずなのに!

「ふーん、そうなのかもしれないわね」

 全然納得していない口調だった。

「というかお前が説明しろよ!? このままじゃ誤解されちまうぞ」

 さっきから妙に大人しい穂積に話を向ける。

 しかし、

「…………え? あ、うん。た、食べる?」

「んぐ」

 穂積はなにかトンチンカンなことを言いつつ俺の口の中に卵焼きをつっこんだ。

 突っ込まれた卵焼きはほんのり甘く、なかなかの美味だった。

「あ、うまい」

「……そ」

 穂積はそれだけ言うと、嬉しそうにわずかにはにかむ。かと思うと、再びお弁当ワールドへ帰っていってしまう。だからなにがしたい、お前。

「ユウスケ」

 その時、冬のすきま風よりも涼しい声が背後から聞こえた。

 振り向くと、突然口の中に黒いナニカをつっこまれた。

 突っ込まれたソレはどこか炭を連想させ、炭のようで炭っぽい味だった。

「私が作った。感謝しなさい」

 すみれさん(さくら母)、あれほどさくらに料理させちゃいけないと……言ったのに……。

「ま、まずい」

「死ね」

 最後になんとか一言残して倒れた俺の後頭部を、ぐりぐりと踏み潰す革靴が追い討ちをかけた。やめて、死ぬ。



 そんなこんなで最後まで悠矢と山田は痙攣するほど笑っていたし、田中はクエスチョンマークを浮かべていた。さくらはずっと原因不明の不機嫌だし、穂積はなんだか大人しい。だが、俺はこれで事件は完結したものだと思っていた。だってすでに俺のHPは0だったし、これが穂積の策略なら大成功といっていい。だが、穂積はこんなもので俺を赦してくれはしなかったのだ。

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