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「捻挫ね。湿布はっておくから痛みが引かなければ病院行きなさい」
その後、俺は穂積の呼んできた体育教師によって救出された。
そして今に至る。
俺は痛む足を引きずりつつ廊下に出ると、保健室の扉を閉めるのだった。
ちなみに穂積の姿はない。
ついさっきまで一緒に居たはずなのに、いつの間に逃げたのやら。やはり奴は性格最悪だ。
そんなことを考えながら、保健室に背を向ける。
と、そこには上下ジャージのさくらの姿があった。
「あり? なにやってんだ、さくら。部活だろ」
ここの女子サッカー部はかなり活発で、毎日遅くまで練習があるのだ。
「サボってきた」
「……そこは嘘でも休憩中とか言ってほしかった。なんというか、お前の名誉のために」
あまりにも素直というか、正直すぎる幼なじみの物言いに肩を落とす。
それにしてもあの真面目なさくらがサボりとは珍しい。
「ユウスケが担がれていくのが見えたから心配してきてあげたのよ。感謝しなさい」
さくらは偉そうに腕を組みながら言った。
尊大な態度に頭痛がするが、こいつはこれで本当に心配しているのだから困る。
「で、どうなの?」
「ただ捻挫だ。大したことない」
「そう」
さくらはおもむろに俺の足首を蹴っ飛ばした。
「のあ゛あ゛あ゛!!」
「痛そうね」
「お前のせいだよっ!?」
「黙りなさい。ただの確認よ」
「なんの!?」
「本当に五月蝿いわね」
さくらは目を細めて俺のことを睨みつける。
まてまて、悪いのは俺か?
たまにさくらは俺のことが嫌いなんじゃないかと本気で落ち込む。
「送るわよ」
「え?」
「部活が終るまで待ってれば、自転車で送るわよ」
「あ、……うん」
そのくせ、たまにすごく嬉しいことを言ってくれるから、俺はいつもどう対応していいかドギマギしてしまうのだった。
「その足じゃあ歩きはつらいでしょう」
「まあ、な」
「まだ少しかかるけど、我慢して歩いても帰る時間はあまり変わらないと思うわよ」
まあ、間違いないだろう。
しかし練習で疲れているさくらの後ろに乗っていくのは気がひけた。
そんな時、廊下の奥の曲がり角からこちらを覗き見している穂積が、目に入った。なにやら頭を出したり引っ込めたりしながらこちらのことをうかがっている。なにをしてるんだ、あいつ。というか、バレてないつもりなのかあれ。
にしてもあの野郎、人に怪我させといて謝りもせずに消えたと思ったら覗き見かよ。
なんだか再び腹が立ってきた。
そうだ、こういう責任は引き起こした本人が取るべきだろう。それがいい、ついでに奴には引導を渡してやろう。くっくっく。
「ちょっと、聞いてるの?」
視線を戻すと、さくらが不機嫌そうにしていた。
「あ、ああ。でも遠慮するよ」
「そう?」
「ああ、穂積に送らせる」
奴が以前自転車で登校しているのは確認ずみだ。
「穂積さんに?」
さくらのまゆげが少しだけぴくりと動いた。
「ああ、まだ校舎にはいるはずだからな」
覗き見していた陰から頭は見えなくなっていた。もう駐輪場へ向かったのだろうか。急がないとまずいかもしれない。
「それじゃ……」
そういって裏校庭へ向かおうとした。
その時、
「待って」
さくらは俺を呼び止めた。
「どうした」
「いいえ、鈍感も度が過ぎると可愛いと思っただけよ」
そして、今度はフルスイングで俺の足首を蹴っ飛ばした。
「ギャーーーーー!!」
「死ね。………………ばか」
さくらと分かれた後、皆の突き刺さるような視線を総身に受けながらも片足けんけんで校内をダッシュする。こっち見んな。
そのかいあって、校舎の裏にある駐輪場にはまだ穂積の姿があった。
なにやら落ち着かない様子であたりをきょろきょろと見回している。
その姿は誰かを探しているようにも見える。なにやってんだ、あいつ。
しかしどうやらこちらにはまだ気がついていないようだった。
この足ではせっかく見つけても自転車が相手では追いつけない。
待ち伏せ、だな。
俺はけんけんで素早く校門へ回り込む。み、皆の視線が痛い。
そして、駐輪場からは死角になる校舎の陰に身を潜める。
そこから慎重に奥を覗き込むと、
「…………」
「…………」
ちょうど角を曲がってきた穂積と超至近距離で目が合った。
「……よ、よう」
「…………」
一瞬の空白。
「キャーーーーー!!」
パチーン!
自転車が段差に乗り上げると、チリンとかすかにベルが鳴った。
「ほんっとにあんたバカなんじゃないのっ!?」
肩をいからせて自転車をこぐのは穂積だ。
俺はその自転車の荷台にまたがり、両手は必死で自分が腰掛けている部分を握っていた。
穂積の中ではさっきの出来事は俺が隠れて脅かしたことになっている。実は俺もびっくりした、なんてのは内緒だ。まじ死ぬかと思った。心臓麻痺で。
ちなみに数分前、
俺は倒れた穂積の自転車を俺は起こしながら、
「乗・せ・ろ」
スカートについた砂を叩いて落とす穂積へ言い放った。
「……いいわよ」
拒否しようたってそうはいかない!
俺はここぞとばかりに畳み掛ける。
「乗せろったら乗せろ! そして俺を家まで送れ」
なぜならこの怪我の責任はこいつにあるのだから!!
「……じゃあ乗って」
「いーや、貴様に拒否権はない。なぜなら…………って、あれ?」
「おいてくわよ?」
すでに車体を校門へ向け、サドルに腰掛けた穂積はジト目でこちらを睨んでいた。
そして数分後。
自転車の前カゴには二人分の学生カバンが揺られているのだった。
「あんなところに隠れてるなんて、ほんと小学生並みっ。ガキよ、ガキ!!」
穂積はいまだに苛立ちをかくせずにいるらしい。
牛乳飲め。
「あんだのせいでしょ!?」
「否定はしない」
「肯定しなさいよ」
「素直になると死ぬ病気なんだ」
「死ね」
「……生きててごめんなさい」
あ、死んだ。
そんなこんなで自転車は快調に町を進んでいた。
「あ、そこ右で」
「次の十字路左〜」
なんて案内しつつ、道を進んでいく。
「ここの商店街を直進で」
「え? う、うん」
そして、道を進んでいくうちにだんだんと穂積が首をかしげる数が増えてきた。
「あのさ、山崎の家ってこっちのほうなんだ?」
「そうだけど?」
「へ、へぇ〜」
そして、とある小学校の前を通り過ぎたあたりで、俺はついに仕掛けることにした。
「なあ、穂積。小学校の修学旅行って覚えてるか」
「なによ、突然」
「いいから」
「まあ、少しは」
前方から、運転する穂積の戸惑ったような雰囲気が伝わってくる。
「小学校の修学旅行っていうと日光行ったよなぁ」
都内の小学校はたいてい日光だと、さくらに聞いたことがあった。
「……そうね」
「夜、部屋を抜け出したりもしたなぁ」
「…………」
「確か全部のクラスの男女が抜け出したんだよな、きもだめしっていって」
「…………」
だんだん、黙っている穂積の雰囲気が変わってくる。そして、
「……な、んで」
「そうそう、それで結局一組の先生に見つかっちまって、その後夜中にホールで全員正座させられたんだよな。あれは傑作だった」
「なんで……」
「お前、一組だろ? あの後大丈夫だったか? ……あ、ストップ。ここ、俺んち」
そういって、中流家庭風の一軒家を指差した。
そして俺は捻挫していなほうの足で自転車から飛び降りる。
自転車は少し進んで止まった。
後ろから見る穂積の肩は、少し震えていた。
「なんで、あんたがそれを知ってんのよ……」
「のんのん。現実はしっかりと受け止めなきゃ駄目だぜ」
俺はこちらを振り向いた穂積に対し、得意になって腰に両手を当ててみせた。
「ださい三つ編みに、黒縁メガネの穂積さん?」
「うそ、だってそれ……」
バタン、と穂積は自転車を倒した。
「俺はお前と同じ北小の卒業生だ! 貴様がどんなにクールなカリスマ女を装たって、俺はお前の正体を知っている……!!」
「いやぁぁぁぁ――――!!」
穂積は先ほどの生まれたての子馬よろしくストン、とその場に崩れ落ちた。
「うそっ、なんでっ、あんたっ」
穂積は顔を真っ赤にしてぷるぷると震えていた。
「な、ななななんで言ってくれなかったのよ。そうやって、わたしのこと笑ってたんだ!?」
「はっはっは」
自転車の横でまだ錯乱している穂積を立たせ、言ってやる。
「だから言ったじゃないか。俺はお前の秘密を知っているぞ、って」
穂積はその瞬間、ピタリと口を閉じた。
目を見開いたまま、自分を落ち着かせるように何度か大きく息をして、
「じゃ、じゃあ……。入学式の日に言っていた秘密って、このこと……なの?」
「そうとも! なのにお前は俺のことをナンパ男扱いしやがって。だがなぁ、俺は知っている。どんなにクールぶったって、どんなにかっこうつけたって、お前の本性は教室の端で本を読んでいるような地味子なのだ!」
わはは、言ってやった!
ポカーン、と口を半開きにした穂積に指を突きつけ、俺はとうとう言いたかったことをぶつけてやったのだ。
……そのはず、だった。
「あ、……あれ?」
穂積はまるでかかしのように立ち尽くしていた。ただ静かに、まばたきだけをしていた。
そして、
「あの、……穂積、さん?」
声もなく、くしゃ、と顔を歪めた。
クラスで孤立した時でさえ歪めなかった顔を、歪めていた。
その一瞬で全てを後悔した。
俺はたぶん、触れてはいけないところへ触れてしまったのだ。
どうしよう。
……どうしよう。
「あ、あの……」
手が、宙をさまよう。
謝ってしまえ、と思った。しかし穂積は首を振った。今にも決壊しそうな表情のまま、俺の言葉を制した。そして、
「……ごめんね」
穂積が、俺に、謝罪したのだ。
待ってくれよ。今お前に謝られたら、俺はどうすればいいんだよ。
俺はただ、恥をかかされた仕返しができればいいと思っただけなんだ。こんな顔するなんて分かっていたら、絶対にやらなかった。誓ったっていい。穂積は乱暴で横暴で頑丈で、なにを言っても傷なんかつかないと思っていたんだ。
本当に、後悔していた。
だから待ってほしかった。
もう一度、やり直しをさせてほしかった。
だが、そう思った時にはすでにすべてが遅く、穂積は自転車をこぎだしていて、追いつけないところまで行ってしまっていた。
ごめん、そうつぶやいた時の憂いを含んだ顔が、初恋の少女のそれと重なって、より一層俺を苛んだ。
◇ ◇ ◇