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 さらに数日がたった。

 土曜が過ぎ、日曜は悠矢の家へ突撃し、週はあけ月曜日がやってきた。

 突然だが俺は学校が大好きだ。

 ありきたりだが友達に会えるからだ。

 自分のあり方しだいでは毎日が祭りのように騒ぐことが許される場所だからだ。

 社会がどんなところだかは知ったこっちゃないが、きっと今よりはずっと退屈なところだろうという予感だけはある。

 だから、俺は学校は大好きだが社会にでるための準備である授業は大嫌いだった。

 どうだ、ガキのようだろう。うはは。

 だが、俺には授業なんかよりももっとずっと嫌いなものがある。

 それは俺の楽しい楽しいスクールライフを退屈でつまらないものにしてしまう“敵”だ。

 たとえば、それはこんなルーズリーフの切れ端なんかだったりするわけだ。

 “それ”は教師の声とチョークの音しかしなかった古典の時間に、後ろの男子から回ってきたのだった。

 教壇の上からはダルマがメガネをかけたような教師が、平安時代かそこいらへんの古文を朗々と読み上げている。

 俺はもう一度、回ってきた紙切れにかかれている文面を読む。

 ――穂積がムカつく奴。

 その下には人数をかぞえる正の字がびっしりと書き込まれていた。

 ――ひとり十票まで♪

 可愛らしくピンクで彩られた音符が、俺の目にはあまりにも禍々しく映った。

 確かめなくても分かる。

 これを書いたのはあのリーダーだ。

 いつまでたっても自分になびかないお姫さまに業を煮やした女王が、ついに己の権力にものをいわせようとした、といったところだろうか。

 しかし、紙の下を見て俺は思わず笑ってしまう。

 ――そうでもないやつ♪

 意外なほど達筆で書かれた字の下には正の字が二つ、並んでいた。

 ダルマが再び板書を始めた時を見計らって、俺は右の席を見た。

 そこにはシャーペンをまつ毛になんとか乗せようと奮闘している悠矢の姿があった。

 ……乗るわけねーだろ、バーカ。

 そう思いつつ、手元の紙へ視線を戻した。

 そして、シャーペンを取り出して俺もそこへ正の字を書き足す。

 ――そうでもない奴♪

 …………。

 なんか悔しいので残り五票は「ムカつく奴」に入れておこう。

 ――穂積がムカつく奴。

「…………」

 書き込んでから、なんだかそれも腹ただしくなってきた。

 俺は確かに穂積遥にむかついていた。だが、それはこんな風に他人によって形にされてしまうようなものではない。俺は俺個人の感情で、穂積にむかついているのだ。

 そして、俺は俺の“敵”を憎んでいた。

 この紙は、その“敵”そのものだった。

 あのリーダーが憎いわけではない。穂積遥は確かに腹の立つ奴だ。だが俺は“敵”が憎かった。

 その感情に任せて、俺は紙をくしゃくしゃに丸めて机の中へつっこむのだった。

 やがてチャイムがなった。


「手紙、見せてちょうだい」

「は?」

 それが初めて穂積から話しかけられた言葉だった。

 ナニ訳ワカンナイコト言ッテンデスカ?

 穂積は古典の授業が終るとすぐに立ち上がり、振り向き、こちらを見下ろしながら高圧的にそう言い放った。

「さっき、授業中にまわってたでしょ」

「…………」

 やっとなにを言われているのかが分かった。手紙、とはつまりさっきの切れ端のことだ。そういえば女子なんかはよく授業中に回る紙を手紙と呼ぶ。

「あんだが今持ってるでしょ」

 席に座ったまま見上げた穂積は、とても透明な目をしていた。

 正直、おまえは背中に目がついてるのか!? とか半ば本気で思ったのはナイショだ。

「ちょっと、聞いてんの。あんた」

「あ、いや……」

 透明だった瞳が、いつものようにつり上がりみるみるうちに怒りの色に染まった。

 かと思うと穂積は俺の机の角に手をやると、自分のほうへ強引に回転させた。

「いってぇ……!!」

 その時、机の足が俺のひざを強襲した! ってかなにしやがんだこの暴力女!!

 穂積は勝手に俺の机の中をがさごそとあさり始める。

 いやん、えっち。

 じゃなくて!

「なにすんだよ」

 俺は慌てて机をひったくる。

 しかし、その時にはすでに穂積は目的のものを手に入れていたらしく、机はあっけなく俺の元へ帰る。

 穂積の手元には一枚のルーズリーフ。

 いや、くしゃくしゃに丸められたルーズリーフの切れ端が握られていた。

 スッと、血の気が引いた。

 そして、どうやらそれは俺だけではなかった。ピタリと、あれだけ騒がしかった休み時間のクラスから喧騒が消えたのだ。

 となりのクラスで男子の騒ぐ声が、いやに遠くから聞こえた。ドクン、ドクン、と血の逆流する音が聞こえる。

 そんな中、彼女だけが動いていた。

 丸まった紙をほどくと、手で軽くアイロンをかけ、書かれた文面を目で追っていく。

 その目は、たった一秒で動きを止める。

 当たり前だ。あそこに書かれている言葉はたった一言だ。

 そしてそれは他でもない、穂積への“悪意”だった。

 一秒がたち、二秒がたった。

 誰も動かない。

 穂積も動かなかった。

 そして四秒がたち、五秒がたった。

 そこでふと、穂積は目を閉じた。

 泣くかな、と俺は思った。

 だが穂積は泣かなかった。

 再び目を開いた穂積の瞳の奥には決意の光があった。

 今だ穂積以外は誰も動けないでいるクラスの中を、穂積はツカツカと歩いた。ルーズリーフの切れ端を手に、教室の最奥、窓際の席へ歩いていった。

 そして、あのリーダーの前へたった。

 クラス中の視線が、そこに集まった。

「な、なによ」

 対する穂積は冷静だった。

 あくまでも、見た目だけは。

 だがそれは見た目だけでしかなかった。

 穂積は勢いよくルーズリーフをリーダーの机へ叩き付けた。

 バシンッ、という音が響いた。

 そして、


 ピシャン…………!!


 穂積が、リーダーの頬を張った。

「…………っ!?」

 リーダーはなにが起こったか分からないようだった。おそらく、手紙のことを糾弾されるのだと思っていたのだろう。そして、それならいくらでも言い逃れられると思っていたはずだ。だが、実際は一言もなく、ただ穂積は手を上げたのだった。

 リーダーはただただ、張られた頬を押さえながら呆然と穂積を見つめていた。

 対する穂積は、

「フン」

 満足げに鼻を鳴らすと、踵を返し、クラスを出て行ってしまった。

 瞬間、手を離した風船のようにクラスは騒がしさをとり戻した。

「大丈夫!? カナちゃん」

「なんなの、あいつ」

「手上げるなんてサイテー」

「感じワルーい」

 ――この瞬間、クラスのなかでひとつのルールができる音が聞こえた。

 とりまきの四人はあわててリーダーを囲う。リーダーも、どうやら音ほど強く叩かれたわけではないようで、仲間には大丈夫大丈夫と笑って見せていた。

 そして他のクラスメイトたちも、

「こ、こえー」

「あの程度で殴るとか、超ヤンキーじゃん」

「穂積さん……、ひどい」

「どうしよ、あたし席近いんだけどー」

 口々に穂積の行動について意見しあっていた。

 だが、その内容はどれも好意的なものはなく、あるはずもなかった。

 リーダーは穂積の出て行った扉を恐ろしい形相で睨みつけていた。

「ありゃりゃ、あの子もなかなか思いきりのいいことするねー。ま、ボク個人としてはスッとしたけど」

 悠矢が話しかけてきたが、俺は穂積の出て行った扉から目が離せなかった。

 こうして、穂積はクラス内での孤立を確たるものとしてしまった。

 俺は、あの時泣いてしまえばよかったんだ、と確証もない予感を抱いていた。



 ◇ ◇ ◇

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