04:聴取
「さて……と。こちらへどうぞ」
二人は紫苑を下ろすと周りに張っていた風属性の魔術を解除した。
紫苑達は風の魔術を利用し、隣町へ移動していた。
どのぐらい時間が経ったのかは紫苑には分からないが、少なくともそこまで遠い距離では無さそうだ。
入り口から一分程度歩き、大きなレンガ造りの建物へと辿り着いた三人は案内された受付嬢に部屋室番号を伝えられるとそこへと足を踏み入れる。
最後に入った紫苑がドアを閉めると部下のミルヴァがこちらに座って下さい、と言って簡素なソファーへと薦めた。
紫苑は若干、遠慮しながらも言われた通り、ソファーへと座る。
金髪の男は向かい側の席へと座り、貴族らしい優雅な座り方で腰を下ろした。
「まさか、本部に戻る前に面白い逸材を見つけるとはな。出張先で見つけるとは思わなかった。おっと、紹介が遅れたね。私はセドリック・アランジ。首都・ヴェルゼの警備隊本部に務めているまあ、管理職クラスの者だ。まずは君の名を知りたい」
「三日月紫苑です。あの、俺もちょっと今混乱していて……」
「確かにこの辺鄙な田舎に単身で来るには理由が不可解だしな。何があったのだ?」
思い出せる範囲で良い、とセドリックは優しい声音で彼に伝える。
現状では彼が行った奇術も周りの人達の容姿も全てが気になっていたが、紫苑は心を落ち着かせる為に小さく深呼吸を行うとなるべく分かる範囲で二人に事情を説明始めた。
此処に来る直前の記憶は断片的にしか話せなかったがそれでも彼らは黙って聞いてくれている事に紫苑は安堵しながら全ての話を終えた。
彼の話を聞いた彼らは、ふむ、と小さく声を上げると話を頭の中で整理し、復唱を行う。
「つまり、君はニホンという国に住んでおり、誕生日の日に血走った目を持った何者かが自分の部屋に現れ、死に間際、赤髪の人物が現れ、何かが歪むのと共にそこで意識は途切れた、と」
「ええ。目が覚めたらあの場所に居たんです」
「何かが歪む、となれば……あれしか無いな。しかし、赤髪の人物となるとあいつか……?」
どうやら、金髪の男性、セドリックは赤髪の人物に心当たりがあるらしい。
隣に居るミルヴァはその言葉に複雑な表情を浮かべている。
あまり良い雰囲気ではないが、彼はもう少し踏み込んで二人に事情を聞いてみることにした。
「その人、知っているんですか?」
紫苑の発言に思わず二人の言葉は詰まる。
互いに顔を見合わせた彼らは何かを言うことに躊躇してる様だったが、セドリックは意を決して紫苑の方を向くと一つ一つ言葉を掛けるように話しかけた。
「恐らく、その赤髪の人物は、バーニスだろう。彼女は私の本部で働く部下でね。数日前から行方が分かっていないんだ」
その言葉に紫苑は息を飲んだ。
セドリックの部下である赤髪の女性、バーニス・ダニエルソンはある任務に出かけ、五日前に連絡を取って以降、消息不明な状態が続いているらしい。
現在、この国の時刻は昼であり、日本との時差はどの程度あるのかは分からなかったが、そこまで時間は経っていないはずだ。
人の行き交うあの場所で倒れていたらまず誰かが声を掛けるはずであり、紫苑がこの国へと現れて経った時間は現地時間で見積もって一日以内と考えてもいいだろう。
ならば彼女も彼と同時にこちらの世界へ戻ってきたはずだ。
「四元素術師は特殊ですからね……。こちらとしても捜索に当たってますがなかなか見つかりません」
聞きなれない単語に紫苑は眉を潜めるが、後で詳しく話す、とセドリックの言葉を信じ、この場での言及は避ける。
とりあえず、紫苑は何も知らないこの世界のことにおいては二人に任しておいたほうが良いと判断したからだ。
「まあ、バーニスの捜索は引き続きしておくとして……。一体、君はいつからその力に目覚めたのだ?」
「目覚めた?さっきの水柱ですか?」
紫苑は彼の話に首を傾げた。
確かに彼の周りに渦巻いていた水柱に驚きを隠せなかったが、意図して使っていたわけではない。
「呪文を唱えず、水を取り出せるなんて、水属性に適性のある四元素術師ぐらいしか居ないよ」
「あの、魔術とか四元素術師とかなんだかさっぱり……」
セドリックは近くにあった一枚の紙を取り、ペンを走らせる。
彼が掛けてくれた魔術の影響か、紫苑は会話以外にも文字が読めるようになっていた。
一つずつ、セドリックは言葉を選びながら、紫苑に対して様々な説明をし始めた。
「まずはこの国についての説明をしておかないとね。此処はアルトゥーロという国だ。建国から千五百年経っており、近隣諸国の中でも最も歴史のある国だ。昔は鉱物輸出が主だったのだが、ある学者によって魔術という技術が開発されたのは二百年前の事でね。そこまで深い歴史のある技術でもない」
歴史が長い割に意外と魔術の発現が認められたのは数百年前であり、それに伴い魔術は進歩していった。
そして現代のような術式へと変化したのは百五十年ほど前であり、魔術という歴史はまだ浅い事が知れる。
彼は再び黒のペンを持ち上げ、紙に簡略な図を書き始めた。
複数個に跨る多角形の図を中心にアルトゥーロと書かれていることから、何らかの地形的な見取り図でも描こうとしているのだろう。
「まあ、歴史はその辺にしておこう。それほど得意ではないのでね。君が居るのは中心地よりはるかに離れた場所だ。正確に言えば西部のど田舎って所かな」
彼は細長く描かれた図の左側を指し示す。
国境に近いこの街、シャルでは農産物の輸出が盛んである。
ただそれ以外は目立った有名場所や建造物もなく、セドリックが西部のど田舎と揶揄しても仕方が無かった。
「で、私はこの国の中心より少し離れたヴェルゼという街から来た。さっき言った通り、バーニスの件でね。最後に彼女が目撃されたこの場所だったようだ。何か掴めると思ったら君があの通りで騒ぎを起こしていたわけだ」
「成る程。大体の貴方達の目的は分かりましたけど、そのさっき言った魔術と四元素術師って何かが違うんですか?」
「そうだ。だが、まずは魔術についての説明をした方が分かりやすいだろう」
魔術とは異次元の空間からあるものとあるものを組み合わせて物体や現象が生じるようにする術である。
起こせる術の大きさは術者自身の経験と才能に左右され、優秀な者ほど、自分自身に存在するエネルギー源の魔力と呼ばれる部分の消費が少なくより大きな魔術を扱うことが出来るらしい。
紫苑の現代知識に置き換えて言えば、ガソリンと車の関係に近いだろう。
燃費の良い車に乗れば乗るほどガソリンの消費量は少なく、より多くの距離を走る事が出来る。燃料面から見ても同じ事が言えるだろう。
この世界では通常の魔術を使う者は魔術師と呼ばれ、彼らは様々な地域で過ごしている。
主な生活例としては、賞金が掛かっている魔物討伐などを目指す狩り者や病人のために適切な薬を作る魔法薬学師など幅広い職種を持ち、国内の四分の一が魔術師である事を考えればその職種の需要度の高さが垣間見えるだろう。
「魔術の属性は分かっているだけでも数十種類存在している。それらを全て扱える人もいれば、不適性であり、威力が弱まったり使えなかったりするケースもあるんだ。で、この話が終わった所で、君が質問した”四元素術師”についての本題が来るわけだ」
今から百年ほど前。
魔術が発現されて五十年ほど経った頃、この国で生まれた子どもから不思議な力が芽生えるようになった。
魔術の様に呪文を唱えて行使する事は出来ないが、自分の意思によって、特定の元素を何もない場所から呼び出したり、元素を基に物体としての具現化を行う者が出始めたのだ。
「勿論、多くの学者が興味を示し、それらの正体を探っていた。そして、発現事例が発見されてから三年という短い間にその元素のパターンを特定することが出来た」
それが出来たのは一年に十例程度の割合で発見される事が多くなり、それだけ研究材料も整ったからだった。
研究の結果、力を生まれ持った彼らは数ある魔術の属性の中でも自然に近い属性の要素を持っている事が判った。
日常でも目にする事が多い属性である火・水・風・土の属性を総括して、彼らは次第に四元素という名で呼び始めたのだ。
しかし、未だどういう理由で発現するのか、どの様な条件を満たせば力を持つのかが分かっておらず、日々、学者達の間では論争は絶えない。
「後は単純。魔術が使えるのが魔術師なら、四元素が使えるのは四元素術師になった。それだけの事さ」
「じゃあ、四元素術師は凄いじゃないですか。何もない場所から特定属性でも色々と作り出せるんでしょ?」
「確かに呪文を唱えなくても良いという部分では大きなメリットだろう。だが、それを有に超えるデメリットも存在するんだよ。何故、私は部下に頼んで君を此処まで連れてきたと思う?」
そこまで聞いて、紫苑は小さく声を上げた。
確かに先程の風の魔術による移動手段は彼の部下のミルヴァが行っていた。
今の話を纏めて考えて導き出せば、セドリックは風属性に適性が無かったか、もしくは使えなかったという道しか残らない。
「私の場合は使えなかった人でね。適性どころか、土属性以外は利用することすら出来ないんだ」
「つまり、四元素術師は通常の魔術を行使することが出来ないということですか?」
そういう事だ、とセドリックは紫苑に返した。
便利なように見えても四元素術師は日々、通常魔術との兼ね合いに苦しみながら生活している。
中には自らの力に苦しみを感じながら生活している者もおり、誰もが全て好意的な力だと感じ取ってはいないらしい。
「四元素が使える者は全体でもそう多くはない。中にはその希少価値性を見出して、裏社会の者に狙われる者もいる。そして、私が君に対する適性を知った以上、野放しには出来ない」
「俺は元の世界に帰れないんでしょうか」
「その件に関しては全面的に協力をしよう。ただし、君は無意識の中でもあれほどの力を持っている。いつ誰に狙われてもおかしくはない。四元素術師の適性が見受けられた以上、君が帰る手段を見つけるまでは私達が監視をしなければならないだろう」
監視という言葉に紫苑は僅かに顔を引き攣らせる。
流石にいきなり役人に連れて行かれ監視されるとなると居心地が悪くなるのは当然の事だろう。
しかし、セドリックは彼にある提案を持ちかけてきた。
「監視をするとなれば君の行動はかなり制限されるだろう。外へ散歩するのも役人と同伴という息苦しい生活になる。私の国では入国パスを持たない者には厳しいのでね。君がもし私に協力してるという事であれば、前の世界――と同じかどうかは分からないが、それなりの生活は保証しよう。だが、それを受け入れた以上は君には大きな危険な生活が待ち構えている事だろう。安全策を取って制限付きの生活を送るか、危険な道を選んで自由な生活を選ぶか。それは君次第だ」
セドリックは二枚の紙を取り出す。
上質な紙に書かれたそれらはどちらも誓約書だったが、書いてある内容は違っていた。
簡単に要約すると書かれていた内容は、セドリック率いる先鋭部隊に入隊するか、中央官省率いる特別保護を行うか、という事だった。
下に署名をする欄があり、期限は二つとも今日から三日間の日付を指している。
「この二つの紙の締切期限は三日間だ。それまでの間に答えが欲しい。
三日間経って、君がノーコメントを突き通すのであれば、どちらの条件にも属さない処遇をさせてもらう」
彼は紫苑の元に二枚の紙を置くと部下を引き連れて、ドアの外へと出た。
言いようもない空気の重さが紫苑の周りを包み込むが、彼はセドリックが何故この内容を提示していた意図に気が付いていた。
(幾ら俺が不審者ではないとしても、この国の入国パス的な物は持っていない。このまま俺が放浪していてもいずれはこの国の警察もどきの役人に捕まっていただろう)
彼はこの国は入国パスを持っていない者には厳しいと告げていた。
容姿から見てセドリックはそれなりの階級に属している役人であることは分かったが、彼の権限を持ってしても紫苑を野放しには出来なかったのだ。
勿論、四元素術師の件の台詞は嘘ではなかったのだろうがそれ以上に自分の立場が危うくなる可能性の方が高かったのだ。
入国パスを持っていない紫苑は直ぐにでも警備関係の役人に引き渡されてもおかしくはなかったが、彼はそれをせず、紫苑に結論を出させようとしている。
彼なりに考えた紫苑に対しての優しさなのだろう。
だが、紫苑も直ぐに答えを出す訳にはいかなかった。
先鋭部隊で働くという事は、自らの命を危険に晒す可能性があると言う事だ。
(果たして、俺はそこまでする価値はあるのだろうか)
家族、親友、そして元の世界。
いつも通りの日常を歩んでいた彼にとってこの出来事は予想外だったが、今の気持ちとしてはそれ以上に不安で一杯だった。
彼は二枚の紙を前に小さく息を吐くと窓越しから見える風景に視線を向けたのだった。