06:ミリアの過去 (1)
今から二十五年前、ミリア・ウェールズはとある郊外にある小さな街で生まれた。
優しい母親と物づくりの力に長けた父親に愛された一人っ子で、当時はまだ魔術すら学んでいない子どもだった。
毎日の生活が一変したのはミリアが十二歳の頃だった。
突然現れた謎の人物により、彼女の両親は襲われてしまったのだ。
「私はその時、母親の本当の正体を知らなかった。あいつ が母親の事について話さなければね」
家の中で、為す術もなく隠れていたミリアをあっさりと見つけたその男は幼い彼女の姿を見るなり、こう言ったのだ。
恨むなら母親を恨め、と。
当然、彼女はその理由について問い質した。
だが、返ってきた答えは彼女の想像以上にショックな物だった。
「私は”人間”じゃないってあの男に言われたんだよ。お前は魔族の子だって」
正確には人間と魔族との間に生まれた半魔族だったのだが、子どもを怖がらせるには十分な言葉である。
その男――魔王のディオン・ハイメスは当時、怯える彼女に向かって冷徹な言葉を解き放った。
元々、彼女の母親、カミラ・ウェールズは正の力を持つ魔族だった。人間界の言葉で言い換えれば、天使だったのである。
天使は負の力を持つ魔族である悪魔とは違い、世界に存在する治安の軌道修正を行うのが主な仕事である。
昔は正の力を持った魔族は魔界から忌み嫌われ、追放されていたが、負の力だけでは世界の人々の流れを均一には出来ないと考えた魔界の王は四百年前から正の力を持つ魔族を積極的に雇用し始めた。
やっと正の力を持つ魔族によって世界の正と負の均衡が安定しつつある時代の中で、カミラはある仕事をきっかけに一人の男性に恋をした。
しかし、天界の掟では仕事以外での地上との接触は禁じられていたが、カミラはそれでも諦めなかった。
カミラは通常の魔族よりも魔力の容量が多く、使える魔術の属性にも偏りなく使える珍しいタイプだった。
彼女は自身のその能力を活かし、警備の目を盗んで地上へと降り立つ寸前に禁術を発動させ、自身の痕跡を全て抹消した後に地上へと降り立ったのだ。
その禁術とは自らの魔力と引き換えに人間化する物であり、代償として魔族時代に過ごした記憶抹消が起こる。
それでも彼女は一つの望みを掛けて地上へと降り立ち、人間として彼女は想い人を探しに各地を彷徨い始めた。
探し始めてから二年。想い人を探し当てた彼女はその男と結婚し、小さな街に移り住んだ。
と、ここまでなら、一概の天使が地上へ逃げ出したという話だけなのだが、これを許さない者がいた。
天界と魔界の管理者である”魔王”だ。魔王は十二年掛けて、彼女の母親と父親を探し出しだしたのだ。
「地上へと降りて暮らすという事は天界の中で禁止事項だったんですね」
「まあ、それもあるけど、母親の場合はそれ以上に魔王からの慈愛を受けていたみたいだからね。探すなら自分で、と追い続けていたらしい」
ミリアは紫苑の言葉に対してそう答えたが実際はもっと複雑な物だった。
慈愛を受けていたと言っても、恐らく、それは魔王にとっての建前で恩愛に近い物を持っていたのかもしれない。
通常ならば、魔王自身が地上に降りてきて、一人の魔族を探し出すという事はしないはずだ。
それほどまでに彼はカミラの事を愛していたのだろう。
「彼は地上へ降りて、ただ一人で暮らしているのであれば、自分の職務を捨ててでも、彼女を連れ戻す事も考えたらしい。けど、実際、私と父親の姿を見て、悔しいと思う以上に彼女を取られたことが憎かったんだと」
コップを片手に語るミリアだったが、その顔には少し陰りを見せた。
あの時、魔王は自分に対してそう述べたのだが、恐らく、言葉以上の事をしたのだろう。
カミラの居場所を探し当てた魔王は彼女の両親達に恐ろしい仕打ちをした後、娘であるミリアにもその矛先を向けようとしたが、
直ぐに行動を移そうとしていた彼は彼女の顔を見て、動きを止めた。
カミラの子であるミリアは彼女に良く似て美しく、無意識に漂う魔力も彼女を彷彿させるようなより良い物だったからだ。
しかし、彼は意を決めてミリアの方へと向かい、ある術を行使した。
その術は痛みなく人間を倒すための術であり、カミラの子であるミリアに少しの情けで放ったものだった。
だが、その行為が結果的に仇となった。ミリアが身に付けていた魔術の反射効果を持つお守りにより、その攻撃は魔王に跳ね返ったのだ。
「魔族もその魔術を食らえばひとたまりもなかった。僅かな隙をついて私は逃げだのだけれど、魔王はそれを許さなかったみたいだね」
魔王は自身に受けた傷を物ともせず、持てる力を全て振り絞り、彼女に攻撃を放ったのだ。
全身に大きく受けた彼女は最初はお守りの力によって守られていたが、限界を超えて壊れてしまった。
そして、その術は彼女の体を包み込み、強い衝撃力と痛みに襲われ、倒れこんだのだ。
次に目が醒めた時にはベットの上に寝かされ、全身が包帯だらけになっていたらしい。
「次の日の昼頃、不自然にドアが開いていたのを不審に思った近所の人が私の家に来たらしい。その時の様子は凄まじい状態だったと聞いてる」
部屋は荒らされたというよりも破壊されたという方がしっくり来るほど、家の中は酷い状態になっていた。
その中で僅かな呼吸を行う彼女の姿を見たその人物は、急いで病院へとミリアを運んだと言う。
そして、両親を失ったという絶望の状況の中で、彼女に対して更に重い仕打ちが待っていた。
「医者から言われた時には驚いたよ。貴方は一生この姿のままですって言われた時にはね」
魔王から攻撃を受けた時に何らかの原因で呪怨魔術と呼ばれる魔術へ変化してしまったらしく、それが彼女の全身に掛けられているという事だった。
この魔術は掛けた術者が倒れないと解除できない物らしく、どんなに素晴らしい魔術師でも解除の対応が出来ないという代物だったのだ。
「恐らく、強力な術の力は母親から貰ったお守りから守れずに一部だけ行使されてしまったんだろうね。
それが体の成長部分にだけ響いたみたいで、結果的には不老の体になってしまったってわけ」
ちなみに当時の詳しい検査の結果、成長はしない不老の体になったというだけで不死にはなっていない。
その為、彼女は毎回の戦闘で大きな怪我をしないように心掛けている。
「そうだったんですか……」
彼女の話を聞いた紫苑は下を向き、黙って考える。
同級生が成長とともに大きくなる姿を見ている一方で彼女は術の呪いにより体が成長しなくなった。
どれだけ恐ろしい事なのだろう。同い年の者は年齢と共に成長を遂げるのに彼女はそれが許されない。
いつまで経っても同じ容姿のまま。自らが望んだ不老ならば喜ぶ者もいるが、ミリアの場合はそうではないのだ。
紫苑は俯いていた顔を上げると何かに気が付いたように彼女に対して声を上げた。
「まさか、ミリアさんが魔術師になったのは……」
「そう、自分の体をどうにかするためと魔王を倒す為だね。両親が死んで、私の体もこんな事になっちゃったし、暫くはショックで暴れまくってたよ」
入院中の間は両親を失くしたショックと自身の成長の無さを痛感し、病院内で医療従事者が困るほど、問題行動を起こしていたという。
母親も父親にも親戚は居らず、引き取る身寄りも無かった彼女は退院するまでの間、自らが生きる意味をずっと考えていた。
退院した後からは学校に行かず、虚ろな目をして違う場所を転々と動き回っていたのだ。
「自分自身に対する嫌悪が限界を迎えた時だったかな。私は生きる意味を見失って、失踪者が多いと言われる魔物の森に出かけたんだ。奥まで歩いて行ったその時、私の目の前に魔物が現れたんだ。ああ、私は此処で死ぬんだな、って思った時に一人の男の人が魔術を使って助けてくれた。それが私の師匠であるアルベルト先生だった」
当時の彼女は何をするにしても絶望という文字が頭の中で駆け巡るほどの精神状況だった為、助けてもらった男、魔術師のアルベルト・ユーギンに食ってかかったという。
そんな彼女に対し、アルベルトは無言で彼女の頬を叩いたのだ。
彼女は驚き、反射的に打ち返そうとした時に右手を捕まれてこんな風に怒られたという。
「先生はね、『若い君がわざわざ魔物なんかの餌になる必要はない』って怒ったんだ。けど、当時の私は助けられたことに感謝する事無く、更に怒っちゃってさ」
凄い剣幕で怒る少女の姿に当初はアルベルトは驚いていたが、何かを察した彼は直ぐに手を引っ込め、近くにあった大きな岩に腰を下ろすと黙って話を聞いてくれたという。
彼は支離滅裂になっていた彼女の言葉を一つずつ拾い上げて事情を聞き出したのだ。
そして、ある程度の事情を聞き終えた彼はミリアに対してこう言ったのだ。
自分自身のコンプレックスを打ち消せる程の力を教えてあげよう、と。
「まさか、あんな普通のおじいさんが、伝説の大魔術師、アルベルト・ユーギンだとは思わなかったよ」
アルベルト・ユーギンは、一般人にでも名は広がっており、まだ十二歳だったミリアでも知っていた。
その理由については彼の意外な魔術師人生にある。
通常、魔術は遅くとも十代後半までに確立しておかなければ、魔術師としての力を持てるほどの者にはなりにくいと言われているが、
彼は四十を超えてから、本格的な魔術を学び始め、現代の多くの魔術理論の基礎を解明させた、遅咲きの魔術の天才であった。
アルベルトの素性を聞いた彼女は思わず顔面蒼白に近い状態になったが、彼は彼女の心情を理解して優しい言葉で慰めてくれたらしい。
「もしかしたら、君はそれを乗り越えられるかもしれない、って先生は言ってね。直ぐに連れられて魔術の修行を始めたんだ。あれは事件があってから半年後の事だったかな」
それから彼女は生まれ育った故郷から、南部のとある都市へ移り住んだ。
自然豊かな地方都市・セレナ郊外に家を持っていたアルベルトは彼女を弟子として引き取ったのだ。
そして、彼女が魔術師としての才覚が見え始めたのは修行を始めてから僅か三ヶ月の頃だった。
まずは魔術に関する知識とその発現の的確さに向けた練習を行っていた所、彼女はあっという間に全ての技術と知識を習得してしまったのだ。
この二つをそつなく固めるには最低でも一年以上掛かると言われている最初の難関をミリアは十二歳という若さでクリアしたのだ。
流石にその姿を見たアルベルトは驚いた表情を見せたが、何かを確信したようにひたすら彼女に対して、現代の魔術理論を全て把握するように指示したのだ。
そして、その努力は実を結び、彼の元で修行を始めてから三年になった十五歳の春、彼女は若手ながら高度な術の解明を行う研究者として、その世界で名を広げ始めた。
「まあ、その後も先生の元で修行していたんだけど、幸せな日々は長くは続かなくてね」
彼女は一息ついて、夜空を見上げる。
その表情は何らかの後悔をしているかのように固いものへと変わっていた。
ミリアは何かを決めたように一度、目をつぶると上に向けていた視線を戻して紫苑の方へと顔を向ける。
「初めて一人前の魔術師として魔術理論を学会で発表した夜、アルベルト先生が自宅で倒れてたんだ。直ぐに病院に運んだんだけど、事態は深刻でね。もう手は施せないって言われたんだ」
ミリアは今まで抱えた想いを吐き出すように一つずつ言葉を紡いでいく。
「この時ばかりは自分が魔術師であることを恨んだよ。先生を救えずにして何が魔術師だ、ってね」
魔術は何でも人の願いを叶えられる万能な物ではない。
緻密な制約条件と誰かの魔力が成り立つことによって生まれる一つの技術である。
現代の魔術ではこの世の自然原理に逆らうような事象は再現出来ない。アルベルトの治療もまた、魔術では補いきれない物だった。
「魔術はあくまでもこの世に存在する物質を便利に生み出すための技術なんだ。魔術によってその人の治癒力を高めることは出来ても、病気に対する根本的な治療は出来ない。だから、毒蛇とかに噛まれた時には薬草と薬品を使って、噛まれた人自身が毒を体外に押し出すしか無い。魔術は便利なように見えて、便利じゃないってこの時に初めて分かった」
目に涙を浮かべるミリアに紫苑は一枚のハンカチを取り出した。
一瞬戸惑ったミリアだったが、ありがとう、と笑顔を浮かべると軽く目元を拭った。
「だから私は先生の死後、理論を紐解くだけの研究者を辞めたんだ。解明した理論だけじゃ、人は救えないってわかったから。尤もそれをきっかけに研究に日々を費やす人も居るだろうけど、私は二度、同じ気分を味わったから、そんな気にはなれなかったな」
元々は自分の体をどうにかするためと人を守るために覚えた魔術だったが、二度も大切な人を失う経験をしてしまった事により、彼女の中での心の葛藤が起きてしまった。
そして、ミリアはこの一件以来、魔術師としての本当の役目は何かを考えるようになった。
本当に自分は魔術を学んできて、人を守るために利用できているのか、と。
それから彼女は好きだった理論研究を十五歳の冬から一切しなくなった。いや、したいと思わなくなってしまったのだ。
現代に生きる伝説の魔術師として名を残すのに、一切の魔術理論の本を残していないのにはそういう理由がある。
ミリアはそうした葛藤の答えを見つけるため、師匠であるアルベルトの身辺整理を手伝った後、数年間、各国へ旅に出たのだ。
「で、魔術師とは一体何かを考えるために二十歳ぐらいまで旅をした。五年間の旅は色んな事があったけど、自分自身の事を考えるには十分な時間だったよ。魔術以外の技術が実際に見れるのも旅の利点だしね」
「……ミリアさんはその旅の中でどんな結論を出したんですか?」
「それがね、結局、”魔術師”としての結論は出せなかったんだ」
ミリアは苦笑いを浮かべながら、紫苑に言う。
それを聞いた紫苑は怪訝そうな顔を浮かべるしか無かった。
では、彼女は何をきっかけにこの国へ戻ってきたのだろうか。
彼の心情を読み取るかのように彼女は薄らと目を細めるとあの日の出来事を思い出すかのように話を続けた。
「私がこの国へ戻ってきたのは五年前でね。たまたまある小国を訪れていた時にセドリックと出会ったのがきっかけなんだ」




