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INSIDE CLAUDIA  作者: 雨音ナギ
第一章 四元素術師とアルトゥーロ
2/24

01:ある少年の日常

 シンプルな家具が揃えられた部屋の一室。

 比較的、歳の割に清潔感を伴ったこの部屋で一人の少年がベットで眠っていた。

 既に朝日は昇り、時刻は午前六時半前を示している。

 枕元に置いてある目覚まし時計の針が一つ動いた時。

 けたたましい音量でそれは鳴り始めると彼は被った布団から手だけを出してアラームを止めた。


「う……ん」


 朝に弱いのか中々起き上がろうとしない。

 それどころか彼は目覚まし時計のアラームを止めて安心したのか再び眠りに落ちようとしていた。

 そんな彼の眠りを妨げたのは、部屋に響いたある女性の声からだった。


「紫苑!起きなさい!早く起きないと遅刻するわよ!」


 シンプルなベージュのエプロンを身に付け、ショートカットに切り揃えた女性はドアノブを回して扉を開けるとベットの上で寝ていた少年を揺さぶり起こす。

 揺さぶられた彼はやっと気づいたのか、眠そうに薄ら目を開いた。

 その姿をみた女性、彼の母親は呆れたように溜息をついた。


「全く……今年で高校生活最後って言うのに……。いつまでだらしない格好で居るの!ご飯の準備できてるから早く着替えて降りてきなさい」


 出て行く母親に、はぁい、と彼は生返事をすると暖かい色合いを醸し出しているクローゼットから、黒のブレザーと同じ色のズボン、藍色のネクタイを引っ張り出した。

 部屋に置いてある姿鏡を見ながら、跳ねていた黒髪の寝癖を押さえつけて簡単に身支度を済ます。

 机の上においてあった黒の折りたたみの携帯を焦茶色の肩掛け鞄の中に入れて持つと彼は部屋の扉を開けて下へと降りていった。


 彼の名は三日月紫苑(みかづきしおん)。この近辺にある私立・一条高校の三年生である。

 三月の半ばから始まっていた二週間程の春休みも終わり、今日から新学期が始まる。

 長期休みによる倦怠感のせいで、起床するのが遅れてしまったな、と彼は思考しながらもそのままドアを開けてしたへと続く階段を降り始めた。

 降りた彼は直ぐに出発できるよう、玄関に荷物を置くとリビングへと向かい椅子に座った。

 机の上に並んでいる味噌汁とご飯は昨日の晩の内に母親が準備しておいた物だ。横にあるだし巻き玉子とウィンナーは今日の弁当で作った余りだろう。

 彼はいただきます、と声を掛けると食事を取り始めた。


「紫苑、今日は何時ごろに帰れそう?」


 母親は食器を洗いながら彼に聞く。

 今日は彼の十八歳の誕生日だった。

 母親は彼の時間に合わせてケーキを作っておきたいのだろう。

 三日月家では毎年、家族の誕生日は手作りケーキで祝っている。

 今頃は購入したホールケーキで誕生日を祝う家庭も多いが、紫苑は市販のケーキよりも家族が作る手作りケーキの方が好きだった。

 彼は味噌汁を口につけながら、母親の問いに答える。


「んー、そうだな……。始業式の日はいつも早いんだよな。確か四時間だったかな。昼前には終わると思うよ」

「分かったわ。それと今年のケーキは何がいい……」


 母親の言葉を待たずに彼はご飯を済ませて荷物を持ち、急いで玄関へと向かうが、まだ聞くことが残っているのか彼女も皿洗いの手を止めて、彼の後を追いかけた。


「ちょっと待ちなさい!ケーキは何がいいの?」


 ドアに手を掛けて扉を開こうとした彼を制止し、母親は再び聞き返した。

 急いでいる気持ちが強いのか、彼は少しうんざりしたように彼女のほうへと振り向き帰る。


「ケーキはいつものでいいよ。チョコレートケーキね。んじゃ、行ってくる」


 急いだ口調でそう言うと直ぐにドアを開けて、駐車場の裏手に置いてあった自転車を引っ張りだして跨った。

 そして、焦りにより逸る気持ちを抑えながらも自転車のペダルを踏み込み、自身が通う一条高校へと自転車を乗り進めていった。


 ◇◆◇


 商店街、はたまた大通りを抜けて最後の難関である坂道を登り切るとその先に佇んでいる一条高校の校舎が彼の目に映った。

 そのままスピードを落とさずに彼は漕ぎ進めていきながらも、正門へ向かう途中にあった学校内に設置してある時計をちらりと見やる。

 時刻は午前八時二十分を示しており、遅刻ギリギリのタイミングで学校に着いたようだ。

 この時刻になると登校者は殆どおらず、生徒は朝会が行われる講堂の方へ行っているようであり、紫苑は乗っていた自転車を専用の置き場に置くとすぐさま始業式が行われている講堂へと走っていった。


 急いで向かうと既に全校生徒が集まっていたが、幸いな事にまだ始業式は行われていないらしくその様子に彼はホッと胸を撫で下ろす。

 走ったせいで少し息が切れながらも人の合間を抜けると自らが所属しているクラスへと立ち並んだ。


「やっぱり遅刻したか。紫苑」


 大きく息を吐いて列に並んだその時、隣の方から声が聞こえた。

 紫苑と同じ黒髪を撫で付け、今風のお洒落な髪型をしているその男は、彼の幼馴染の宝生彰(ほうじょうあきら)であった。

 彼とは幼稚園の頃からの親友であり、恐らくこの学校の中では一番付き合いの長い人物だろう。

 彰はカッターシャツの中に着込んだ色つきのシャツや首につけたシルバーアクセサリーやブレスネットが目立っており、一見遊び人のように見えるような格好をしているが、実は遊び人を毛嫌いしており、寧ろ困った人は放っておけない優しい性格の持ち主である。

 人は見かけによらないという事はこういうことなんだろう、と紫苑は毎回会う幼馴染にそんな感想を持ちつつも、言われた事に若干顔をむくらませて反論した。


「やっぱりって何だよ……。いつもそんな格好してるお前に言われたくねーよ。今回の風紀検査でそれ、取られるんじゃないのか?」


 彰のからかいに対して紫苑は少し皮肉った口調でそう言い返す。

 こんなやり取りは彼らにとっては日朝茶飯事の出来事だ。

 しかし、当の本人はアクセサリーは絶対に取られない自信があるから大丈夫だ、と言ってあまり気にしていない。


「どうだか……。ったく、お前の自信はどっから来るんだよ……」


 紫苑が呆れて嘆息をしていると、全校生徒のざわめきが静まり始めた。

 彼は前方へ視線を戻すと同時に校内のチャイムが鳴り響き、一年間のスタートである一学期の始業式が始まったのだった。


 ◇◆◇


「んー、やっと終わったなー」


 彼の隣の席に座っていた彰は退屈だったのか軽く背伸びをして立ち上がった。

 紫苑も一緒に帰る為に、鞄の中に荷物を纏めて立ち上がると、二人で教室を後にする。

 始業式終了後、彼らは新しいクラスの教室へと戻り、ホームルームで今学期に行う委員会の役員を決めたのち、すぐさま解散となった。

 今年は例年より早く終わったらしくまだ時刻は午前十一時前だ。

 部活に入っていない彼らは校内に居ても特に何もすることは無いので、直ぐに学校を出ると街中にある商店街へと足を進めていた。


「今年は意外にも早く終わったな、紫苑」

「そうだな。今年は楽な担任で助かったよ」

「確かに俺らの担任って面倒くさい事嫌ってそうだしなー。去年はやかましくて耐えられなかった」


 今流行りのスマートフォンでメールをチェックしながら、彰はそう呟く。

 その言葉に、去年も彰と同じだったクラスの状況を思い出したのか、紫苑は思わず苦笑いの表情を浮かべた。


「ああ、あの先生は神経質すぎたんだよ……。まあ、確かに今年は楽で良かったな、彰。それより今日はどうする?こんなに早く終わると思わなかったし……どっか遊んで帰るか?」


 去年、彼らの担任であった教師は良く言えば面倒見が良い、悪く言えば押し付けがましい、というタイプの教師であったため、少しの事でもすぐに説教を行って殆どのクラスの人々からは鬱陶しがられていた。

 今回はその教師は別学年の担当のため、彼らはこうしてホッと一息を撫で下ろしているのである。

 紫苑の提案に彰は歩きながら端末を操作するのをやめて、おっ、いいね、とこちらに振り向いた。

 予定を聞く限り、彼も今日の昼は暇を持て余していたらしい。


「今はまだ春だからいいが、夏になると皆受験勉強し始めるからなー。今のうちに遊んでおかないとな。何処行く?昼前だし、先に飯食いに行くか」

「そうだね。……っとちょっと待ってくれ」


 紫苑は彼に一言声を掛けると、何かを思い出したように鞄から携帯を取り出した。

 黒い折りたたみの携帯を開き、目当てのアドレス帳を探し出して選ぶと彼は通話ボタンを押して電話を掛け始める。

 相手に繋ぐために呼び出し音が数回コールされた後、一人の女性が電話口に出た。


「もしもし?母さん?今?彰と一緒に居るよ。で、ご飯一緒に食べて帰るから作らなくていいから。……わかってるって、夕方までには帰るからさ。それじゃ」


 彼は携帯のボタンを押して通話を終了させた。

 その姿をみた彰が、お前って母親思いなんだな、と何気もなく言ったのを彼は聞き逃さなかった。


「ん?そうか?彰んとこの母さん優しいじゃないか。俺にとっては理想の母親像だよ。美人だし」

「お前、人んちの事情知らないからそんなこと言えるんだろうよ……。俺の母親はお前の理想とは正反対なんだぜ。まあ、お互い母親には頭が上がらないって事だよな」


 屈託の笑顔を見せつけながら、彰は足を進めていくと目的地だった商店街の前に着いた。

 そして、商店街の中にある店を一軒一軒見比べていくと、彼らはある一軒の中華料理屋の前で足を止めた。

 店の前に立てかけてあるマジックで書かれた何処か懐かしい手書きのメニュー表を見て、彰は道端に立っていた紫苑を呼び寄せる。


「特製ランチ三百五十円だってよ。此処にしないか?メニューは好きな料理三品+ライス+卵スープって書いてあるし。得じゃね?」


「そうだな……そういえばこの店の中華料理屋ってまだ食べたこと無いんだよな。三百五十円ならファーストフード食べるより安いしここにするか」


 二人は互いにランチで食べる好きな料理を三品決めると、他愛もない話をしながら中華料理屋へと入っていったのだった。


 ◇◆◇


 今日は紫苑が誕生日だから奢るよ、と言って彰は二人分の料理を払った後、二人は街中にあるゲーセンへ遊びに行った。

 メダルゲームや格闘ゲームで遊んでいた頃にはすっかり日が暮れてしまったのか、二人が外に出た時には既に夕日が映し出されており、今か今かと沈もうとしている綺麗な夕焼けを見上げ、彼らはたわいも無い話で盛り上がりながらも、それぞれの家へと足を進めて行く。


「今日は楽しかったぜ。んじゃまた今度な!」


 道端で彰と別れた後、紫苑は無事に家へと帰宅した。

 ただいま、と声を掛けて玄関の扉を開けると美味しそうな匂いが漂ってきており、早く食べたいと言わんばかりに彼のお腹が鳴る。

 玄関のドアを閉めて靴を脱ぐと、奥から途切れ途切れに聞こえてくる会話に耳を澄ませた。

 会話の内容からして今日は彼の誕生日のために美味しいご馳走を用意しているらしい。

 彼はリビングへと行くと妹の紗枝(さえ)が母親と一緒に作りたての誕生日ケーキを準備している所だった。


「あっ、お兄ちゃんお帰り!」


 エプロン姿の紗枝は帰ってきた兄の姿が見えたのか、嬉しそうに近寄って話しかけてきた。

 その姿に何かいいことでもあったのだろうか、と紫苑は思いながらもリビングを後にし二階にある自分の部屋に荷物を置いた。

 彼が再び戻ってきた時には既に夕食の準備がされており、紗枝は手作りケーキをテーブルの上へと運んだ。


「お兄ちゃんがチョコレートケーキがいいっていうから、二人で頑張って作ったんだよ!」

「もう……紗枝ったら、稀に見ない勢いで、一緒にケーキ作るって言い出したのよ。いつもは私一人で作ってたのにね。彼氏でも出来たのかのかしら……」

「そ、そんなこと無いよ!私はいつでもお兄ちゃんの事大切にしてるもん!」


 母親のからかいの言葉に妹は少し焦った表情を浮かべて反論したが、恐らくこの反応を見る限りでは妹には好きな人が居るのだろう。

 その人の為に母親からケーキの作り方を指南してもらったようであり機嫌が良かったのも頷ける。

 紗枝は恥ずかしいのか、少し頬を赤らめながらも、さっ、早く食べないと料理冷めちゃう!と彼らを急かしつけて席に座らせた。


「お父さん、今日も仕事で遅くなるって。いつも誕生日の時にお祝いできなくてごめん、って電話で言ってたよ」


 紫苑が帰ってくる前に父親から電話があったのか、紗枝はそう告げると少し寂しそうな表情を浮かべた。

 彼の父親は主に夜勤がメインの仕事の為、中々夜頃に家に居ることは少ない。


「しょうがないよ。父さんの仕事も大変なんだから……先にご飯食べてようぜ」


 いただきます、と一同が手を合わせた後、まずは彼女らがハッピーバースデーの音楽に合わせて歌い、紫苑は彩り豊かな蝋燭に灯った火を消した。

 消された蝋燭を抜いた後、母親と妹が作った特製チョコレートケーキを切り分けて口に運ぶ。


「ん……!美味い!」


 ケーキが余り好きではない紫苑だが、母親の手作りケーキだけは特別だった。

 母親が作ったケーキは甘さ控えめのビターチョコレートが使用されており、甘いものが苦手な紫苑でも食べやすくなっているからである。

 余談だが、紫苑はケーキよりも和菓子の方が好きで、幼馴染の彰とは正反対の好みのため、いつも何処かのスイーツ店へ食べに行こうとする際、揉めることが多い。


「私も頑張って作ったんだよー。お兄ちゃんが嬉しそうで何より」


 満面の笑みを浮かべて、妹も自らが製作に携わったケーキを食べ進めていく。

 皆が満足に食べ終わったのは夕食を摂り始めてから、一時間半後のことであった。

 紫苑は満足した一日だったのか、風呂に入ってから二階にある自室へと戻ったのだった――。

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