03:彼の真意
「さて、と」
警備隊本部の正面玄関から出て行く紫苑達をセドリックは七階の窓から見下ろした。
正門から出てくる二人の姿が見え、久々の遠出にミリアは笑顔を浮かべている。
隣にいる紫苑と他愛もない話をしているのか、彼の方も先ほどに比べて、若干、緊張の色は薄くなっていた。
二人の姿に彼は小さく笑みを零し、彼らの姿を見送る。
楽しそうなミリアの顔を見たのは久々かもしれない。
毎年のように新米隊員は各支部に配属されるが、本部での配属はほぼ無いに等しい。
それも大体は各警備隊部署からの中途加入が殆どで、それも一年に一度、一人配属されるかされないかの非常に数の少ない異動である。
この中で紫苑を除いた後輩はバーニスであるが、彼女が加入してから五年以上は経っており、それ以降のミリアは新人らしい新人との付き合いは無かった。
それは彼やバーニスも同じ事だが、彼女はこの世界において余りにも強い力を示しているため、実際にこの職場以外で好意的に近づく者の方が少ない。
そして、彼女は弟子は取らない主義である為、若手と交流を行うことも無い。
せいぜいギルド仲介役として市場に赴く時に若者と話すくらいで、そこには一切の私情を入れないのが彼女なりのやり方である。
そのおかげで、常に公正な取引を行えると狩者達から評判であるが、何故そこまでして徹底的に公私を分けているのかは彼女とセドリックしか理由を知らない。
(まあ、人間言いたくない事は一つや二つあるだろうしな)
セドリックと初めて会った時の彼女は既に見習い魔術師の域を超えており、師匠であるアルベルト・ユーギンでさえ、当初はその力に驚愕したと聞く。
尤もその彼も十年前に亡くなって以降、ミリアの意識が変わってしまったのも致しがたない事なのだろう。
そんな事を考えながら、彼は窓際に置いてあった資料を取ると再びドアの方まで歩みを進めた。
彼はドアの前で軽く一息つくと近くに居たバーニスに一言声を掛ける。
「バーニス、悪いが、少し出てくる」
「分かりました。行き先は何処です?」
「……拘置所だ」
彼の言葉にバーニスは作業する手を止めて眉を潜めた。
基本的に犯罪者の処遇処理を行うのは、警備隊の中でも日常的な犯罪を防ぐ治安部隊が行っている。
勿論、そこにはそれなりの役職を持った指揮官がいるため、本部に勤めているセドリックがわざわざ出てくる必要性も無い。
それが国内で指名手配されていたラウルであってもだ。既に数カ月前に本部からの取り調べは終わっている。
本部ではあくまでも実働部隊の中枢系としての役割を担っている。死神を退治する特殊な案件や今回のテロまがいな事案などが無ければ出てくる事もない。
怪訝そうに浮かべるバーニスの姿を見て、セドリックは一言付け加えた。
「少し、気になることがあるんだ。昼前には帰ってくると思うから、後の処理は頼む」
「……分かりました。何かあれば、魔術無線で連絡しますね」
無駄に動きまわるセドリックではないことは彼女も知っている。
何かの意図があって、そのような行動に出るのだろう。
バーニスは彼の言葉に承諾するとそのままセドリックを見送ったのだった。
◇◆◇
銀色に塗られた壁は周囲の建物と比べても異様な風景を醸し出している。
此処は本部から十五分程度離れた場所に存在する拘置所だ。
それも通常の拘置所ではない。危険な魔術師を拘束するためにわざわざ作られた特殊な施設である。
セドリックは近くの警備員に声を掛けて、国家魔術師用の認証IDを見せると拘置所の中へと入っていく。
玄関の先へ進むと金属製で作られた探知機が設置してあり、荷物検査と共に不必要な物は全て持ち場の警備員が預かる事となっている。
全ての検査が終わり、彼はいつもの表情を浮かべて、ある部屋へと歩き始めた。
対魔術師用として作られたこの施設ではどんな魔術師であっても魔術を行使する事が出来ない。
それは四元素術師であっても適応され、下手なテロが合った時には此処に逃げ込めば、崩壊も防ぐことが出来るだろうと言われるぐらいの代物だ。
この設備の中でも尤もセキュリティの高い部屋に来た彼は扉の前に立ち止まるとノックをする。
中の主からは返事はないが、彼はそのまま扉を開けて、目の前にいる人物を黙って見据えた。
相変わらず、人を欺く様な表情でその姿を見ていたのは濃い紫色の髪を持った男性――ラウル・シムノンだった。
脱走と暴力を防止するために二重に手錠が掛けられていた。魔力の放出を防止するこの装具はラウルですら外すことが不可能な強力な物だ。
今はまだ国家裁判の手続き中であり、処罰が決まるまで彼は此処にいる手筈となっている。
これだけ監視の目があってもラウルは顔色一つ変えることもなく、いつも通り、不快な表情を見せつけているだけだ。
セドリックは彼の元へ近づくと背けていた顔を無理矢理にこちらに向かせた。
「いつから、そんな傲慢に出来る権限があるんです?」
「お前に聞きたいことが有る」
何です?と退屈そうにラウルは尋ねる。
「単刀直入に聞く。お前、先日のテロ事件について何か知っているな?」
「テロ事件?ああ、歴史都市での爆破事件のことですか。残念ながら私は何も知らない」
彼は今日、警備隊員に頼んで見ておいた新聞の一面の記事内容を思い出しながら答える。
しかし、追求されることに面倒臭さを感じたのか、彼は煙たそうな表情を浮かべて他所に視線を向けていた。
こうなるとラウルはそれ以上、余計なことは話さない。数ヶ月間に渡って、聴取を繰り返してきたセドリック自身はそう感づいていた。
だが、彼は此処で引き下がるような真似はしない。
「事件当時、建物の下から爆発があった。通常の魔術は術者と密接に関わっているため、そんなことは出来るはずがない」
一般的な魔術というものは便利そうに見えるが、全ての属性において共通のルールがある。
魔術師の体から直接魔力を創りだし、詠唱で発動させる時は遠隔的に魔術を発動させる事は出来ない。
つまり、特定の時間に鳴らす目覚まし時計の様なタイマー機能は直接型詠唱においては不可能だ、という事である。
地面などに術式を書いて詠唱を行う記述型詠唱であれば、そのような事も出来るが、調査した限り、そのような痕跡は残っていない。
何もない場所から魔術を発動させたという事は直接型詠唱で行ったと考えるのが一番の考えだろうが、それにしてはあまりにも不可解過ぎる。
それをわざわざラウルの元にやってきて話した。セドリックが求める意図に彼は気づいていた。
「つまり、過去に貴方達の前であり得ない真似をした私だったらその正体が何か知っているのかと思い、わざわざこんな場所に来たって事です?」
ああ、そうだとセドリックは言って掴むのを辞める。
「そんな事出来るのは人間じゃない奴に決まっているでしょう」
「ほう……。あの時のお前も人間じゃないぐらいの強さだったと思うが。魔族に魂でも売ったのか?」
「以前から言っているが、私はそんな無粋な真似はしませんよ。もっと便利な物を使う」
ラウルは自身の右腕の薬指を左手で指をさす。
彼の所有物は逮捕時に全て警備隊が保管しており、特に魔道具に至っては彼の手に触れられないように厳重に保管されている。
彼が身に付けていたその中で、薬指に嵌っていた物と言えば――。
「指輪か」
「まあ、あれは不完全だったようで壊れてしまいましたがね」
セドリックはラウルの言葉に何か引っ掛かりを覚える。
まるで本当なら完成品が存在しているかのような言い様だったからだ。
彼はラウルの気が変わらない内にすかさず追加の質問を投げかける。
「あの時の指輪は一体なんなんだ?」
魔道具に関しては彼の組織内での調査が進められていたが、全て判明には至っていない。
特にあの時に壊れた指輪に至っては彼自身も何であるか、言おうとしなかったからだ。
今、彼が言おうとしている気になっているのを此処でわざわざ押しとどめる理由は無い。
彼は自身が知っている事実をセドリックに告げた。
「あれは一時的に人間を辞めることが出来る代物ですよ」
「魔力増幅の効果を持つ物なのか?」
「そんな柔な代物じゃない。神と同等の力が得られる魔道具ですよ」
お前、何を馬鹿なことを言っているのか、とセドリックは思わず言いたくなったが、心の中で押しとどめる。
この世界では神はお伽噺にしか存在しない架空の人物としての認識しか無い。
魔術がまだ発達していない旧時代に信仰の象徴として使われていた時期はあるが、実際に彼らを見たという事実は無い。
「ふむ……。その顔を観る限り、私の話を信じていないな?」
「当たり前だろう。神がいるなんて話を信じるのは未だに旧時代の宗教を信じる信徒か、気まぐれな歴史学者ぐらいだ」
「だが、私は君達にあり得ない光景を多く見せてきたはずです。その件についてはどう説明します?」
彼の言葉にセドリックは思わず言葉を詰まらせた。
半年前、彼と対峙した時には現代の魔術では解明できない出来事が多くあった。
死神の使役、魔剣の使い手。人間では到底出来ないことをこの男は多く成し遂げていた。
確かに神の力で操っていたと言えば、全ての体裁は丸く収まるだろう。
彼の言葉に何処か腑に落ちない様子だったが、少し沈黙した後、再び言葉を紡ぎだす。
「お前は何処であの指輪を手に入れた?」
「さあ……。私は人を介して購入しただけですからね。使うまでは唯の魔道具だと思っていましたし」
実際、魔力増幅により禁忌の魔術も利用できるという売り込みは眉唾ものであり、強引に推し進められなければ買う気はなかった、と彼は告げる。
大きな理由としてはそうなのだが、それ以外にも彼が購入を断れない理由があった。
「まるで私を包み込むかのような威圧感を出していましたからね。あの魔力は尋常じゃなかった」
逃げたら何か起こる。
上級魔術師としての実力は折り紙付きな彼であったが、此処で逃げたら間違いなく危ないと当時のラウルの第六感が告げていたのだ。
セドリックは左ポケットに入れていた手帳を取り出し、今までに出てこなかった新たな情報として書き留める。
「それでお前と取引したそいつの特徴は?」
「紫色の瞳と黒に流れる髪。中性的な容姿で私が女性なら間違いなくあいつに惚れていたでしょうね」
切れ目で一見してみればクールそうに見える顔立ち。
しかし、その発する魔力は魔術としての生計を立てているものであれば、間違いなくその圧力に驚くでしょうね、と彼は述べた。
「で、これが例のテロ事件と何の関係があるんです?」
「それ以上はこっちの捜査権限があるんでね。話すことは出来ない。それに例の件以上にお前の聴取が捗った」
「最初からそれが目的だったんですか」
「いいや、違う。非道的な魔術に詳しいお前ならなにか知っていると踏んだから聞いただけだ」
途中からラウルが持つ情報を引き出そうとはしたが、それはあくまで流れ的な物である。
実際、彼からテロ事件に関する技術について聞くようにするつもりだった。
何故、わざわざ、此処に出向いてセドリックが聴取を行ったのか。それには理由がある。
現代に多くの伝説を残したミリアには絶対に聞けない話だったからだ。
彼女は魔術を正の力として、正しく世に残そうとしている。
そんな人物に負の要素を含んだ話をすれば、彼女が今まで築いてきた魔術に対する考えが全て潰されてしまう。
唯でさえ、あの時にショックを受けていたのにこれ以上、彼から分からない話を擦り付けるつもりは無かったのだ。
「魔術に詳しい、ね。所詮は私もあの女から見れば二番手ですか」
自嘲気味にラウルは言う。確かに過去の彼はミリアに次いで上位に属する魔術師であった。
「そう思うなら、しっかりと罪を償え」
セドリックはそう言い残すとドアを開け、部屋を後にしたのだった。