プロローグ
「ワンツ、ツィス、サーフィス」
右手を軽く掲げた瞬間。
複数の魔力が彼女の周囲から舞い降りた。
常人には見えないこの粒子を彼女は巧みに操りながら、とある街の上空へと降り注ぐ。
まるで黄金の雪が降るかのように街は金色の粒子に包まれ、その姿を見た彼女は満足気に笑みを零した。
そして、彼女は意識を集中させ、歌うように言葉を紡ぎ始めた。
「fig sheri me lapona」
この国とは違う、異質な言語を発しながら、彼女は言った。
彼女はまるで全ての下準備が終わったかのように指を一度弾いた。仕掛けられていたかのように地面からは複数の爆発が起こる。
爆音を聞いた人々はその巨大過ぎる振動と烈火により、逃げ回るしかない。
そんな地上の姿を一人の女性は空から黙って見下ろしていた。
白い髪に端正な顔立ちである彼女の姿は目を引く物であったが、その姿は異質だった。
露出度の高い黒のミニパンツと上着を着込み、ショートブーツを履いたその姿は一種のマニアには受けるだろう。
ただ、赤く染まった瞳からは強い魔力が込められており、彼女の両手と連動し、街に炎を降り渡らせる。
彼女が更に声を掛けた瞬間、街の周囲からは巨大な風が吹き抜け、燃え上がる火を更に大きくする。
魔術師が少ないこの地域では一般的な消火活動を行うしか無い。次々に破壊される建物を前に皆、絶望の表情を浮かべている。
艶めかしい唇を舌で舐め彼女が再び言葉を発しようとした時、背後からもう一人の人物が現れた。
黒く揃えた髪に紫色の瞳が特徴的なその人物は白髮の女性に声を掛ける。
「その壮大さ……。お伽噺に出てくる大魔術師の爺さんかよ」
この状況下でも彼の口調は気軽な物だった。
彼は下にいる人間と同じ言葉を話していたが、彼女は振り返ると不満そうに口を歪めた。
「だって、成都二千年のフェルナーク語は音韻が凄く良いんですよ。現代の言葉は軽すぎるんです。文法的な位置は今のほうが一番ですが、やっぱり単語と音感になるとですね――」
「あー、はいはいわかったよ。お前の趣味は聞き飽きたから。ったく、わざわざ呪文を付け加えるなんて俺にはその神経が分からん」
最後まで彼女の言葉を待たずに黒髪の彼はそこで遮る。相変わらずの様子にこれ以上言葉を聞くのは良いと判断したのだろう。
彼女の唯一の趣味は歴史だ。歴史学が好きという訳ではない。歴史に纏わる全ての物が好きなのだ。
その一例として言語が挙げられる。言語は時代と共に変化した、言わば、歴史的な産物の一つである。
時系列を覚えるに飽きたらず、現代の言葉から古代の言葉までの言語学をマスターしており、それだけでも地上で専門学者として教えることが可能である。
彼女が発していた言語は今から二千年ほど前に絶滅したフェルナーク王都地域だけが利用していた特殊な言語だった。
雰囲気を害された彼女はふんと鼻を鳴らし、黒髪の男を睨みつける。
そして、彼女は右手から一本の氷の塊を取り出すと直ぐ様彼の首筋にぴったりと貼り付けた。
ひんやりとした冷たさに男は小さな悲鳴を上げながら、それを取ろうとするが、強力な何かで貼り付けられているためか上手く剥がすことが出来ない。
「私の大好きな歴史を侮辱した罰です。たかが歴史、されど歴史。人間はそれを顧みて学び直すという文化を広めているのは本当に素晴らしい事だと思いますけどね」
誰かさんと違ってね、と彼女は一言付け足す。
彼女はこの仕事に誇りを持っていた。
仕事とは言え、それなりの雰囲気を醸し出しながら術を利用する事が彼女の一種のポリシーとなっていたからだ。
「とても幻想的だわ」
手を伸ばした先に広がる巨大な炎の群れは街を飲み込んでいく。
対象物を人ではなく、建物に限定しているのは歴史を尊敬している彼女の良心からと仕事の内容からだった。
目標物が完全に崩壊したのを見て、彼女は小さく息を吐く。
魔力が潤沢にあるとは言え、これだけの広範囲を包み込むにはそれなりに神経を使う。
少しでも座標を間違えれば、この街を一つ残らず消し去ってしまう可能性もあるからだ。
「マスターも細かいことに神経を使うのね。私から見ればこの街に建物の爆破をするまでの価値があるようには思えれないけれど」
「……でも、それが俺達に課せられた使命、だろ?」
まあ、そうよね、と彼女は頷く。
彼らもあの時のような辛い時代には戻ろうとは思わない。
白髮の女性は軽く背伸びをして隣に居た男性に言った。
「これで今日の仕事も終わった事だし、行きましょうか」
彼が頷くと、二人は大きく広がる青の空の上へと消えていったのだった。