13:魔術師と四元素術師 (3)
紫苑の攻撃で動きが鈍くなった片方の死神は怒り任せにこちらに攻撃を叩き込む。
セドリックはその攻撃を剣や木々で流しながら、ひたすら隙を洗い出していた。
フェイントとばかりに紫苑は背後で水の弾や槍を繰り出すとその数々の軌道は見事、死神に当たり、徐々に彼らの体力を蝕んでいく。
数時間前、セドリックの攻撃が全く効かなかったのが嘘みたいだ。彼は振り向かずに紫苑に背中を預けたまま、一つの質問を行う。
「やけに精度が高いが何かやっていたのか?」
「いや、そんな大した事はしてないですよ」
紫苑の攻撃速度や手法はまだ素人の域を越してはいないが、その正確な座標固定はセドリック自身、賞賛に値する物だと考えていた。
四元素術を扱うにあたって何が一番難しいといえば、視界の中で行う空間把握である。
まともに訓練する四元素使いは大体、この場面で苦しい思いをしているのだ。
通常の魔術師とは違い、基本的には思念だけで攻撃を起こせる四元素術師は如何にして自身の視界の中に多くの敵を捉えるか、その攻撃の距離を測れるかに掛かっている。
正確無比にその攻撃を出現させようと思えばある程度の空間把握能力が必要となるのだ。
計算として組み込む手もあるが、彼らのようにリアルタイムで攻撃を行う戦闘状況下においてはほぼ役には立たない。
だからこそ、自身の感覚による空間把握が重要であり、それに優れているほど、攻撃に対する回転速度は向上する。
まさに紫苑は四元素術師として、良い素質を持っていると言えるだろう。
紫苑は彼の言葉に僅かに頭を傾げながら、隙間を埋めるように水の矢を繰り出す。
流石に何度も攻撃を行っているせいか、八本の矢は分散させるかのように避けられてしまう。
実際、彼自身、そこまで何かに固執して習っていたという訳ではない。
小学生時代にサッカーをし、教養のために習字をやっていたぐらいで、この世界からしてみれば、完全に趣味の領域の物だろう。
くるりと体制を変えて、リズム良く攻撃を押し出すセドリックの姿に紫苑は関心を覚えた。
彼自身、武道とはほぼ縁は無かったが、今、セドリックがやって退けた事は間違いなく彼が只者ではないという証明にもなる。
実際、攻撃をギリギリまで引きつけて避けるなんていう技は余程訓練を積んでいないとそう簡単に出る代物ではない。
(間違いなく、俺って部外者だよなぁ)
彼は苦笑いを零した。
セドリックに連行されるまで、日本とは違う異国の地という認識でしか無かったが、この戦闘を見る限りでは此処が異世界だという事が身に沁みて分かる。
もし、彼らに助けられなかったら、と思うと背筋が凍らずにはいられない。
一旦、距離を取り直した二人は二体の死神に対しての感想をぽつりと述べた。
「しかし、この”死神”とか言う奴、しぶとくないです?」
「……私もそう思う」
二対二での戦況は彼らにとって好転の兆しが見えてはきたが、目の前の敵は依然として攻撃を繰り出している。
片方は足を負傷しているのにも関わらず、だ。
「Aランクの死神は大体こんなものだ。恐らく、あいつらの体の中心部分に致命的な傷を与えない限りはいくらでも立ち向かうだろう」
嘘だろ、という表情を浮かべて紫苑は死神達を見据える。
動きは鈍くはなっているが、それでもまだ戦闘する力は残っている様だった。
このままでは持久戦となってしまう。セドリック自身は気が付いていないようだが、紫苑と出会う前になんらかの傷を負わされていたようだ。
少しずつ、その痛みは増してきているのだろう。最小限の動きを心掛けているようだった。
(俺は武術に心得なんてないから、セドリックさんみたいに動けないし)
この場で接近戦で率先して戦えるのはセドリックだけだ。せめて、彼のように攻撃を調節しながら出来れば良いのだが――。
そこで紫苑は気が付いた顔を浮かべて、大きく息を飲んだ。
自分は具現化という行為だけに縛られていたのかもしれない。
紫苑は隣に居たセドリックに小さく声を掛けた。
「セドリックさん、お願いがあるんですが」
「何だ?」
「囮になってくれませんか?」
攻撃の隙を埋めていくだけは決着は付かない。
紫苑なりにこの状況を打破するために考えた結論だったが、当然の事ながら、彼は何故その様な考えに陥ったのか理解に苦しむ。
「囮になるのは危険じゃないのか?」
「いいえ、俺が何とかします。いや、貴方に攻撃を受け付けさせません」
完全なる勝利宣言を用いた彼にセドリックは更に眉を潜める。
絶対に攻撃を受けさせない、なんてそんな事は可能なのだろうか?
彼の考えている事は予想は付かなかったが、此処で攻撃だけで燻っているよりもマシかもしれない。
事態は一刻を争う。無闇に立ち止まっていては敵の思うツボという訳だ。
セドリックは迷った様な表情を浮かべ、綺麗に整えられた金髪を右手で大きく掻きむしる。
彼は紫苑の方をちらりと見やり、その言葉、信用するからな、と言って再び戦場へと降り立った。
出任せで言っているようには見えなかった。切り札が削られつつある状況において、闇雲に動いていくのは得策ではないと彼も判断した様だ。
一概の一般人でしかない紫苑の発言を受け入れたセドリックの心の広さに感謝しつつ、彼もセドリックと同じく、戦闘態勢に入る。
彼の言葉通りに、セドリックは二体の死神に対して挑発を仕掛けた。二体一で攻撃を行うには厳しいだろうが、避けるだけならまだ少し猶予は残っている。
戦闘訓練を受けているだけあって、彼の戦術と回避能力には目を見開かざる得ないが、紫苑としても早めに準備を行わなければならない。
彼は二体の敵に意識を集中させる。四元素術師の特性を一番理解しているセドリックが上手く誘導してくれているだけあって、視界に収めやすかった。
再び、紫苑は髪色と瞳が薄い青色に染まり、彼の周りには十本ほどの槍が出現する。
更に意識を集中させ、彼は自身で一番良いと思うタイミングでその槍を高速に繰り出した。
回転を含んだ槍は、更に威力を増して死神の方へと突っ込んでくる。通常ならば、攻撃を繰り出して、次の武器を用意する所なのだが、紫苑は違った。
近くで接近戦を行っていたセドリックも回避と同時に起こった出来事について混乱を起こさずにはいられなかった。
死神が当たる直前、槍は一瞬消え、下から突くように現れて死神に当たったのだ。
その攻撃はそれぞれの距離で攻撃を行っていた二体の死神を巻き込み、この世の物とは思えないぐらいの悲鳴を上げながら、彼らは地に伏せる。
半分ずつ当たった攻撃の量は並大抵の物ではなかったようだ。それでもまだ幻術による攻撃を出そうとするが、それをセドリックが打ち止めた。
「おっと、流石にこの場面を見逃すわけにはいかないな」
セドリックは蔓を操り、一気に死神の元へと走り抜ける。
剣を握り、彼は刃に大量の魔力を込めると横に大きく薙ぎ払った。
断末魔の様な叫び声を聞きながら二体の死神は灰と化し、吹いた風に流されて消滅したのだった。
◇◆◇
「――ほう」
目にも留まらぬ速さでバーニスは身を翻すと大きく後ろへと飛ぶ。
魔剣による恩恵で全ての能力が向上しているとはいえ、まさか自身の刃を抜け出すとは思っていなかったらしい。
バーニスは肩で息をしながら、ミリアの元へと戻った。攻撃を受けた背中はまるで火傷を負ったかのようにヒリヒリと痛むが、そんな事は言っていられない。
紫苑を助けに行きたいが、もう時間的に間に合わない。ただ、彼が運良く木々に受け止められて無事であることを祈るしか無かった。
それに二人がこの場所から抜けたくても抜けれない事情があった。
バーニスの攻撃を行った時に彼は魔剣による牽制を行い、周囲に濃い結界濃度をひしめかせていたのだ。
出ようにも出られないこの簡易結界はラウルのフィールドと化していると言っても過言ではなかった。
最初に黙って大きく踏み出したのはミリアだった。
この様な状況下においても彼女が持つあの効果は維持されているらしく、通常の時と変わらずに攻撃を打ち込んでいく。
彼女はバーニスの風属性付与のおかげで、機敏な動きで彼を攻めつつ有る。最初は澄ました顔で攻撃を流していた彼の表情は徐々に曇ったものへと変化していた。
(ふむ……。スピードが加わると此処まで厄介な物なのか。ならば――)
ラウルは大きく剣を弾き返すと後ろに飛び、剣を一回転させた。
まるで隙が出来たかのような動きだが、リズム良く攻撃転換を行った彼の姿にあえてミリアは突っ込むような真似はしなかった。
次の瞬間、まるで槍が複数に投げられたかのように剣の姿が分裂し、彼女を串刺しにしようとしたからだ。
間合いを取った彼女は速さを活かして回避を行うと唱えていた魔術を放つ。
「夜空に駆ける星空よ、我が闇に答えよ――闇夜刃」
彼女の胸辺りから複数の闇の刃が彼の方へと駆け抜ける。
闇属性の能力を持つこの魔術は当たれば人間相手の精神に何らかの影響を及ぼす。
魔剣を持っている今ならば、魔物に絶大的なダメージが与えられる光属性の魔術でも良かったのだが、彼の剣に打ち勝つような光属性の魔術となると詠唱が長くなってしまう。
それならば、短く唱えられて少しの隙でも与えられる可能性のあるこの魔術を使った方が良い、と彼女は判断したのだ。
相手も魔術師であり、闇属性の特性を知らないわけでもない。当然の事ながら、ラウルは魔剣でその刃を切り払おうとした。
「!?」
ラウルは驚きのあまりに一瞬、硬直した様子を見せた。
彼が刃に当てようとした寸前、刃は軌道を変えて彼の足元を掬ったのだ。
驚く彼にミリアは笑みを浮かべながら、髪を靡かせてラウルの姿を見据える。
「どう?負の感情を入れられた感じは?」
「うっ……くっ……。貴様……」
「アルベルト・ユーギンの弟子である私の力は大した事無い?少し攻撃を避けれたぐらいで何様よ。六大魔術師の力、舐めんな」
可愛らしい容姿から発せられる低い声音に背後に居たバーニスはぞくりとした感覚に襲われる。
いつもは優しくお茶目なミリアがあそこまで激情している事は早々無い。
原因は間違いなくバーニスだろう。ミリアは彼女のために此処まで怒っているのだ。
ミリアは続けて白銀の剣に魔力を込めると光の弾を打ち出した。
同じ攻撃の二の舞は避けたいと思ったのだろう。
赤の魔剣に秘められた特殊防壁を張り出して防御に備えるが、此処でもまた大きな誤算が生まれてしまった。
光の弾はまたもや、防壁に当たる寸前に方向を変え、彼の横で爆発したのだ。
円状のシールドで防御していたとは言え、魔力が優れた魔術師を拡散させたこの弾の威力は凄まじいものとなっている。
風圧で数本の木々をなぎ倒し、彼の周りにはクレーターの様に地面が少し下がっていた。
魔剣で作成された防壁自体は無事だが、それを支える力は彼には無く大きく飛ばされてしまう。
これはまずい、と彼は体制を整えた直後、先ほどまで何ともないと思っていた風の弾が彼の足を貫いた。
視界の先には剣で体を支えながら、息を整えるバーニスの姿があった。
彼女とて、ミリアが必死に攻め込んでいる姿を黙って見過ごす訳にはいかない。
バーニスは肩で息をしながら、ひたすら具現化に励んでいた。
彼女が操る力は正確極まり無い物であり、出現した六本の内の風の刃が持っていた魔剣を掠める。
その時、付けていた何かが割れる音がした。下を向いて確認すると嵌めていた指輪が粉々に砕け散っていたのだ。
「嘘だろ……」
指輪の効力をなくした剣は元の物へと変化し、恩恵として掛かっていた身体能力強化の魔術は全て解除される。
ラウルは腕から感じる痛みに思わず地面に倒れ込んだ。回避力に特化した彼には攻撃に耐える体力が無かったのだ。
ミリアは懐から一本の道具を取り出し、すかさず後ろへ回ると彼の両手を拘束した。
「ラウル・シムノン、禁術の使用と多数の魔物の私物化、国家組織に対しての反逆行為――それと私に対する侮辱罪で貴方を拘束する」
彼女は小さく何かを唱えて彼の手を完全に封じ込めた。
拘束用の魔道具には魔力の遮断の機能が付いている。有能な魔術師でも小さい子どもと同じぐらいの力にまで抑えてしまう代物だ。
きつく結ばれた拘束用の魔道具に彼はうめき声を上げながら、諦めるかのように地に伏せる。
ラウルは溜息をつきながら、先ほど行ったミリアの行為について尋ねた。
「さっきの技、一体何したんだ」
軌道を変えるなんて技、魔術師で行うなんて聞いたこと無いぞ、と彼は呟く。
ミリア自身、この状態で戦意があるとは思えなかったらしく、淡々とした口調で簡単に種明かしを行った。
「私の魔術にバーニスから付加された風属性を少し加えただけよ」
「何だって?」
信じられないとばかりにラウルは表情を変える。
基本的に魔術は一属性の物しか放てない。
無属性であれば、何かの属性を付加して効果を得ることは可能ではあるが、彼女が攻撃した属性は闇属性だ。
「通常の魔術の属性付加なら出来なかったかもね」
「……成る程。そういう事か」
通常の魔術の属性付加ではないとなると答えは一つしか無い。
彼女はバーニスから全身に付加してもらった風属性を利用したのだ。
四元素術は通常の魔術による干渉とは違う。理論上、魔術の上乗せ効果として四元素術を付けることも不可能ではない。
ミリアは闇属性を唱える際、自身についていた風属性を術式と一緒に少しだけ組み込み、軌道の設定経路として機能させていたのだ。
バーニスのように魔力同化による軌道修正は出来ないので、回避角度を読んで彼女は設定して放ったわけだが、どうやらその読みはきちんと当たっていたらしい。
彼女がラウルに言い放った言葉を思い出す。
六大魔術師の力を舐めるな、と言うのは確かにその通りだった。彼は自嘲気味に笑みを零すと小さく呟く。
「全ての力を束ねられると思ったのにな」
「ん?何か言った?」
「いや、別に何も」
ミリア達には聞こえなかったのだろう。
怪訝そうに見る二人だったが、その姿は遠くから見えた人影によって表情は元に戻される。
なぎ倒された木々の奥から現れたのはセドリックと紫苑だった。
無事な様子の紫苑にバーニス達は胸を撫で下ろしながら、二人に声を掛けた。
呼ばれた二人は前に見えるミリア達に手を振りながら、その姿を徐々に縮めていく。
完全にミリア達と合流した彼らはラウルを捕らえた姿を見て安堵の表情を浮かべている。
「流石、六大魔術師の力は伊達じゃないねぇ」
「これでも大変だったのよ。茶化さないでくれる?それに貴方もかなり苦戦したみたいね」
あはは、バレたか、とセドリックは告げる。
ミリアそう言ったのは彼女よりもセドリックの方が疲弊している様に見えたからだ。
彼女は横にいる紫苑に視線を向け、無事で良かった、と小さく息をついた。
「セドリックさんが助けてくれたので……。俺もあの時は死を覚悟しましたよ」
運良く助かったとしか言い様がない、といった様子で彼は答えていると前にいたバーニスが歩み寄り、彼に頭を下げ始めた。
「君を守れなくて済まなかった」
「まあ、予想外でしたし、結果的には助かったので……」
「一般人を危険に知らしめてしまったのだ。私が完全に悪い」
一向に頭を上げないバーニスに紫苑は戸惑いの表情を浮かべる。
あれは完全に想定外の出来事だったのだ。
バーニスが言っている事は事実だが、危険な目にあった彼とは言え、彼女を責める気にはなれなかった。
頭を上げて下さい、と紫苑は何度も言って促す。バーニスの目には僅かながらに涙が浮かんでいた。
「あの時の脱出も含めて、貴女は十分に守ってくれていました。だから、自分を責めないで下さい」
お世辞でも何でも無く、それが紫苑の本心だった。
此処まで連れてきてくれていたのもバーニスだったし、一応、自分の四元素術を使って抜けだしたが、彼女が知識を教えてくれなければ、ずっとあそこに閉じ込められていたかもしれない。
自分はそれを使っただけに過ぎないし、彼女が居たからこそ、恐怖もあまり感じなかった。
柔和な表情を浮かべ、手を差し伸べる紫苑に彼女は小さく頷いてその手を取った。溢れだした大粒の涙は紫苑の胸の中へと消えていく。
「バーニスだけじゃない。監督下にある私の責任でもある。シオン、今回は済まなかった」
見張りであるミルヴァが離れなければ、彼をこんな目に遭わせていなかった、とセドリックはずっと考えていたのだ。
それでも紫苑は、もう、終わったことですから、と言って二人を咎める。
アクシデントがあったとは言っても、自分を精一杯守ろうとしてくれた気持ちは十分に伝わったからだ。
最初に彼らに流れる重い空気を全て振り払ったのはミリアだった。ラウルの手を取り、こちらに注目させる。
「さて、目的は達成した訳だし、シャルの警備隊にこいつを突き出しておかないとね」
他の三人はそれに賛同し、反対側に位置する森の方と方向を変えた。
じゃあ、帰りは私の風属性で行こう、とバーニスは提案すると直ぐに彼らの周りに風の結界を張り巡らせる。
五人を乗せた風の結界は森の上空を駆け抜け、高度と速度を維持しながら、奥の道へと消え去っていったのだった――。