10:脱出
「はぁ……はぁ……」
荒く息を上げながら、紫苑は目の前にある頑丈な鉄格子を強く握りしめた。
あの男が去った後、二人は此処からの脱出を試みようと様々な事を行っていた。
近くにあった鉄の棒を利用し、強引に引き離そうとしたのは勿論の事、彼女が得意としている風の刃を生み出し、数多くぶつけるという荒業も行ったが、何事もなかったの様に鉄の柵は佇んでいる。
全くと言っていいほど刃が立たない様子に彼女は大きく溜息を零しながら、吹き出る汗を袖口で拭った。
「ヒビも入らない鉄格子なんか初めて見たよ」
彼女は悔しそうに地面を踏みつける。大きく響き渡ったブーツ音が静寂を包み込むだけだ。
あれからどのぐらいの時間が経ったのだろう。死神を連れて出て行った男は一向に戻って来ない。
唯一の望遠手段である窓も小さく、それほど遠くまでは見渡す事は出来なさそうだ。
(あいつが居た地点の窓ならどの場所に居るのか掴める可能性があるんだけどな……)
丁度、その場所は死角となっており、彼らの目には行き届かない。
まさに此処は緻密に設計された監獄場所と言えるだろう。
紫苑も疲れたのか地面にへたり込んでしまった。
「大丈夫か?」
「ええ。少し力を使い過ぎただけですから」
いくら現代でそこそこ運動神経が良く、体力も人並みにあるとも言えども、彼らの様に実践を積んだ者達とはあまりにも違い過ぎた。
固い棒を何度か打ちのめす内に手は痛みだし、体は疲労を訴えかけているのだ。
我ながら情けないな、と紫苑は思いながら、息を吐いて湿っぽいこの部屋の空気を吸う。
心地が良いというものではないが、大きく深呼吸をしておき、心をある程度落ち着かせておいたほうがいいだろう。
「暴風にも耐えられる様に強く柵を設置してある。もうこうなれば、物理行使しか無いな。支え以上の力で押し倒せる物があったら良いのだが」
(押し倒せる物……か)
彼女は溜息を付く。この部屋に見渡す限りある物と言えば、彼らを取り囲む鉄の柵と光を失った窓のみだ。
風属性は速度が素早く繰り出せる反面、他の属性に比べて物理的な具現化の力が弱い。
物理面での攻撃が一番強いと言われている土属性の具現化の力を百とした時、風属性の力は最大でも六割程度にしかならない。
バーニスが以前、繰り出した投げナイフ程のサイズであれば、威力に大した違いはないが、大剣や長剣などの大きい物になるとその威力は最悪、半減してしまう事となる。
ただ、特定属性で創りだした剣と言うのはそれなりに効力も有り、通常の剣より強度は強いが、剣士や上位冒険者が愛用しているような上質な剣には程遠い。
特に対四元素術師用に作られているこの鉄であれば、彼女の力ではどうする事も出来ないだろう。
その時、ふと何かを思い出すように紫苑は眉を寄せる。
数時間前、セドリックとの会話が脳裏によぎり、迷わず彼は隣に居た彼女にある質問を行った。
「バーニスさん、能力を使う時ってどんな感じですか?」
不意に掛けられた質問に彼女は戸惑いながら、懸命に頭の中で言葉を探す。
四元素の使い方はまさに感覚で掴むといった物であり、魔術の様に理論的に直ぐには答えれない。
彼女は慎重に言葉を選びながら、自身が使っている感覚の説明を客観的に行った。
「そうだな……。自分が呼び出したい物を厳格にイメージし、内側にある魔力の器から引き出す感じ、と言えばかなり近いかもしれないな」
「魔力、ですか……。原理とかよく分かりませんが、なんか無理そうだなぁ……」
魔力を生成する能力はこの世界にはある。自分には寧ろ無いに等しいのではないか。
紫苑はそう言ったニュアンスを含みながら小さく呟くが、意外にも彼女はその言葉を否定した。
「ああ、魔力は生まれつきとかじゃないんだ。勿論、生まれつき持っていて使えるという人も居るが、三分の一ぐらいの人達は無魔力のままで生まれている」
「えっ、じゃあ、魔力は後天的に付加することが出来るという事ですか?」
「魔術や四元素は感覚で覚えるものなんだ。ただ、呪文を読み上げたりするだけでは発動はしない。大事なのはそれを行うという強い意思だな。最初はその意思を固めるのにも苦労するが、コツさえ掴めれば、自分の固有能力として持つことが出来る。その時に基礎となる器が出来て以降は魔力を増やすための訓練を行うんだ」
まあ、一生に持つ個人の最大魔力容量と言うのは決まっているから、どうしても努力と天才の壁は超えれないが、と彼女は最後に付け加える。
魔術が発展しているこの国では基礎的な魔術を教えるのも早いと思われがちだが、どの魔術学校へ行っても十代を少し超えた辺りから本格的に習う様にカリキュラムされている。
実践魔術を行わない間は魔術に対する基礎知識や一般素養などを学ぶ期間とされており、その期間は五年間とされている。
これは政府の方針であり、帝国からの独立以降は一層の事、その考えを強めており、大きな理由としては魔術暴走による被害を最小限に抑えたいからだ。
魔術の暴走化の原因の殆どは幼い子どもであり、術の大きさと自らの魔力の大きさを理解していないが故に悲惨的な事故が起こってしまうのだ。
「魔力を身に付けるのに年齢制限は無いが、実際のデータからして早ければ早いほど成長速度が伸び、魔力容量も大きくなるらしい。昔、四十代の頃から魔術を習い始めて、百歳の寿命を迎えるまで、国を代表する大魔術師として君臨していたという話もあるが、あれは例外だな。そんな事を聞いてどうするんだ?」
訝しげに思う彼女も無理は無いが、彼は黙ってバーニスの言葉を頭の中に刻みこみながらゆっくりと立ち上がる。
まるで気を高めるかのように目を瞑り、黙って何かを模索し始めるように集中を行う。
一見、心を落ち着かせるために瞑想を行っているようにも見えるが、直ぐに彼女は彼が何を行おうとしているのかに気が付いた。
(この魔力感覚は……)
次に彼女が言葉を紡ごうとした瞬間、彼の周囲からは溢れだすような魔力に包まれる。
彼の瞳と髪は能力の発動により薄い青色へと変化し、彼のイメージと同調しながら一つの物が生み出される。
氷の様な透明さを持ちながら、決して脆くはない水の塊は、彼の右掌に載せられたままその姿を維持している。
紫苑はその水の塊を浮遊させながら、バーニスに一つのお願いを申し出た。
「バーニスさん、この塊に風属性の力を付与してくれませんか?」
「……成る程。そう来たか」
紫苑の意図を読めた彼女は頷きながら、先ほど出来たばかりの塊に風属性の力を付け加える。
土属性よりかは劣るが、水属性も具現化能力としてはかなりの力を兼ね備えている。
これに風属性による速さを付け加えれば、投擲する威力は増し、壊すことも出来るだろう。
ありがとうございます、と彼は言ってその塊を持って大きく腕を振り上げる。
大きな音を立てた塊はそのまま鉄格子へとぶつかり、維持する力を失い、前方へと倒れこんだ。
力を保ったままの塊はその姿を保ったまま、地面に転がり落ちている。
「これで外に出られますね」
「あ、ああ……。こりゃ、あの変人魔術師もびっくりな光景だな」
「多分、四元素の耐性だけに拘りすぎて、鉄棒自体の強度には目を向けなかったんだと思います。
こればかりは運が良かったとしか言えないですね」
湿っぽい空気からようやく抜け出せると安堵した紫苑は喜びの表情を浮かべながら、柵の外へと降りる。
彼は奥にある階段に向けて歩みを進み始めるが、彼女は先ほど彼が発した感覚に違和感を覚えていた。
確かに四元素術師が使う魔力の放出感覚と似ており、間違いなくそれは彼が発したものだったが、それ以外にも幾つか気がかりな点があったのだ。
(あの魔力密量……。尋常じゃないぞ)
彼は人間が持つにはそれなりに大きい塊を作り上げていた。
バーニスの風属性による効果も相まって、その軽さは小石を拾い上げるぐらいの重さだっただろうが、
ぶつけても壊れないという物を創りだそうとすれば相当な魔力をつぎ込まなければならない。
具現化という物は無から有を作り出す方法でも有り、それなりに良い物を作ろうと思えば、その分の魔力の消費量も多い。
それが出来ない人も居ない訳でもないが、それでも数少ない四元素術師の中ではかなり数が絞られる。
実際、当の彼は何事も無かったかのようにあの塊を作り出し、平然と階段を上っているのだ。
あの短時間でかなりの集中をしていたとしても間違いなく相当なやり手と言っても過言ではない。
(それでも、あの不安定さは初心者その物だったんだよな……)
確かに必要魔力を抜き出す量は発動する物に比べて多めだった。
四元素を利用した事が無いというのはあながち嘘でもないだろう。
強張った表情でバーニスが思考をしていると怪訝そうに紫苑はこちらに視線を向けた。
こうして見る限り、街中に住んでいる一般の男の子と言った所だ。彼が生み出した巨大な魔力波は一切感じない。
「ああ、ちょっと考え事をね。大した事じゃない。先に進もう」
気配を探りながら慎重に二人は進んでいく。地下から上がった先には何とも言えない光景が待っていた。
瓶に入った怪しげに蠢く色の液体や柵に入っている魔物は品定めするかのように鋭い目つきをこちらに向けている。
「居心地悪いったらありゃしないな……。あいつが帰ってこない内にさっさと此処を抜けよう」
その意見には彼も同意だったようだ。苦虫を踏みつぶした表情を浮かべながら、彼は萎縮しながら前へ進む。
広い部屋の先にあるドアを開けると森の様な景色が目に入る。
生き物の生気を感じないこの場所が逆に薄気味悪くて紫苑は寒気を覚えていた。
「森の中をむやみに駆けまわるのは危険だろう。此処は真っ直ぐ進んでいくしかなさそうだ」
彼女はそう言って風属性の術を行使し始める。バーニスと紫苑の周りには僅かに風の結界が施され、二人の体は宙に浮いた。
じゃあ、行くぞ、と彼女が合図した瞬間、追い風が彼らの体を押し出し、物凄いスピードで草道を駆け抜けて行ったのだった。