09:召獣魔術師
(さて、と)
ミリアは周囲にいる敵の数を確認する。
細長く磨き上げられた長剣からは刃の長さに沿って彼女の魔力が大きく込められていた。
セドリックとの相談の結果、後方の敵は彼の無詠唱の恩恵を活かして広範囲に渡る遠距離攻撃で足止めを行う手筈となっている。
近距離で繰り広げられる突発的な攻撃を切り返すのがミリアの役目だ。
既に後方でざわめいていた敵達は彼の攻撃を受けて、ある程度、動きの制限を受けている。
彼女はそれがチャンスとばかりに黄金の柄を強く握りしめると白銀の刃を向けて駆け出した。
「真なる神よ、我に力を与えよ――身体強化!」
まず彼女は簡単に身体強化の魔術を唱える。
魔術の効果を得たミリアの体は見た目こそ変わっていないがその威力は大きく、小柄な体躯に似合わない大きい剣を魔物の方へと突き刺す。
五感が全て強化されている彼女の目からは魔物の動きはのんびりと歩いているようにしか見えない。
当然、素早い攻撃を受けて急所を貫かれた魔物は悲鳴を上げながら地に伏せていく。
(やっぱり、四元素術師がいると心強いな)
大きく伸びた木の枝が直撃し吹っ飛んでいく魔物の姿を見ながら彼女は思考する。
背中を任せるという意味では、四元素術師の方が能力的に遥かに優れているのだ。
ミリアも国内では有数の魔術師の一人である。
それも、全属性の上級魔術を利用できるという稀有な力を持つ魔術師だ。
本気を出せば、国家の軍隊レベルですらも返り討ちに出来る。
しかし、それは現実として叶う事はない。
彼女が魔術師としての特性を大きく持ちすぎているからだ。
一般的に魔術を利用するには詠唱という作業が必要だ。
この詠唱という物は大きい魔術を発動すればするほど長くなる。
つまり、それだけラグを生むということであり、理論上では軍隊レベルを一人で率いて倒せるとは言えども、その制約上、机上の空論としか言えないのである。
今、彼女が一度の魔術を使って奥にいる敵を倒そうとしても、自分の視界にいる者の視線を欺いて時間を稼げれば良い所である。
彼女並の優秀な魔術師であれば、二、三回魔術を唱えれば殲滅出来るが、通常ならばその倍以上掛かると思ってもいい。
ミリアはその弱点を補うために武術も併用して行っている位だ。
しかし、四元素術師であるセドリックは詠唱を必要としないため、一度で敵をなぎ倒してしまう。
自らの意思のみで詠唱が不要な四元素術師は主力としてもサポートとしても優秀なポジションであると言えるだろう。
(そりゃ、これだけ力があったら政府も戦争で使いたくなるわ)
まさに政府からすれば、理想の人間兵器である。
故に年々、国家兵士として出撃する人数は増えており、国内の人外対策が疎かになっている原因でもある。
この世界で一番権力を持つとされているシスカ帝国は魔術国であるアルトゥーロに対してあまり良い関係を築けていない。
それはかつて、帝国管理下にあったアルトゥーロが一つの国としての自立を始めたからだ。
魔術という新技術が発見された当初、当然、軍事力を重きに置いている帝国は魔術の力を欲しがった。
それでもアルトゥーロは数多と受けた好条件をはねのけ、帝国からの独立を行い始めたのだ。
結果的にこの国は何処の国からの主従関係にも屈する事無く、独立国として機能し始めたのだが、当然の事ながら帝国は面白くはない。
国交関係のもつれが泥沼化を呼び、数年前からちょっとした小競り合いとして各国の兵士が戦場に立たされ始めたのだ。
(魔術師は兵士の十倍、四元素術師は兵士の百倍以上の力を持つって言われてるしね)
しかし、アルトゥーロ側もそう多く魔術師や四元素術師を出せなかった。
各地域の治安を守っているのは警備隊と国家に所属する魔術師だったからである。
魔術師が少なくなるとその地域の治安は悪化する。優秀な者ばかり、国家としても多くは引き抜けなかった。
(現にその結果が現れているし)
南部の一部の地域は国家魔術師の減少により、治安が悪化し、観光客が減った。
裏取引や密輸売買も横行し、重く見た政府は魔術師を追加する決定案を出したが、以前のような治安水準には戻っていない。
と、此処でセドリックが攻撃を繰り出すのを止めた。辺りの気配は大幅に減少し、残りの魔物は二人の出方を伺っている様だった。
気配は感じるが恐らくそれはこの地特有の物だろう。明らかに戦意を喪失した魔物も居るのか、奥の方へと逃げていくものもいる。
「セドリック、ありがとう」
「この土地が私向きで助かったよ」
彼は服に被った砂を払いながら言う。
土属性を持つセドリックにとってこの場所は好都合な場所であった。
四元素術師は戦う場所で全ての戦況が変わるという特殊な性質も持っている。
彼のような土属性であれば、森や高原といった自然味溢れる場所は大きな力を引き出し、利用する魔力も少なくなる。
逆に砂漠に近い土地やレンガで作られた道なりの場所は、自らの魔力で具現化を行わないと行使できないため、消費する魔力は大きくなり体にも負担が掛かってしまう。
今回ばかりはこの土地性質に感謝すべきだろう。
「ほう……。大きな音が聞こえたと思えば、ネズミが舞い込んできたか」
二人が持っていた剣を横に持ち替えて小さく息を吐こうとした時。
一人の人間の男の声が辺りから聞こえてきた。
彼は石畳の上をゆっくりと歩きながら、優雅な足取りで彼らの元へ一歩ずつ近づいて一瞥する。
如何にも魔術師らしい紺のローブに身を包んだ服と濃い紫色の髪に二人は見覚えがあったのか大きく目を見開かせた。
「ラウル・シムノン!どうしてお前が此処に……!」
紫色の髪の男性、ラウル・シムノンは彼らの言葉にそれ以上は答えない。
まるで愚問と言いたげに灰色の瞳を冷たく見据えているだけだ。
ラウル・シムノン。優秀な魔術師であると共に召獣魔術師の異名を持つ、この国有数の召獣使いの一人である。
その実力は確かなもので、何度か小競り合いの時に召喚招集されていたはずだ。
ただし、その性格は破滅的であり、手に入れようとする物は全て手に入れ、必要なければ容赦なく切り捨てる。
違法な召喚実験もやっていた疑いも有り、警備隊当局からも目を付けられていて、逮捕状も出ていた。
だが、その時に彼の足取りを掴もうとした時にはもう遅く、住処はもぬけの殻だった状態だったと聞く。
あれから数年が経ち、何件かの事件には関わっているとされ、現在では指名手配犯の一人として名を馳せていたはずだ。
まさかこんな所で会うとは、とラウルは言いながらも言葉を紡む。
「おやおや、四元素術師のトップに双璧の魔術師ですか。通りで私の家の庭で賑やかにやっていたわけだ」
「あんたがあの洞窟の魔物に何かしたのか?」
単刀直入にミリアは問う。
彼ほどの力を持った召獣使いであれば、あの程度の細工は可能である。
そして、先程の彼は此処は自身の家の庭と述べていたのだ。
関係のないとは言わせない、とセドリックは彼に視線を送りながら睨みつける。
その様子にラウルは肩を竦めながら、さも悪びれた様子もなく、彼らに言い放った。
「別に良いでしょう。自然界の魔物ですし、私が何をしようと関係ない」
「魔物も一応は国家の管理物だ。召獣使いが使役していい魔物の数は限られているはずだぞ」
召獣使いは無闇に召喚を行っていると思われがちだが実際には違う。
一人あたりに使役する数は限られており、最大で五匹までだ。
それ以上の契約は認められない、というよりも人間の魔力容量を超えてしまうため、現実的には無理、といった方が正しいだろう。
元々、魔物であった者を使役するにはそれなりの力が居る。強ければ強いほどその消費量は大きく、術者自身の体が持たない。
そして、術者のコントロールを失った召獣達は暴走を起こし、人々に被害を及ぼす事が多いのだ。
「使役……ね。召獣使いは数が多ければ多いほど力を発揮するのに何故制約を課すのか私には理解できない」
二人を軽蔑するかのようにラウルは笑う。
まるで、そんなルールなど無駄だと言わんばかりに。
彼らも此処で敵の挑発に乗ったら負けだと分かっている。
理解しているからこそ、あえて冷静に目の前にいる人物を客観的な物言いで評価した。
「流石、指名手配を逃れている魔術師だ。常識は通用しないって訳か」
「噂に聞いてたけど、此処まで皮肉屋だとは思わなかったわ」
ラウルの印象に対して二人は感想を述べていると彼の表情は曇る。
つまらないとばかりに唇を尖らせながら、反論を行った。
「優秀な召獣魔術師とでも呼んで下さい。私はそこら辺の三流とは違う」
不意に彼が右手を軽く回した瞬間、ラウルの下から魔方陣が浮かび上がる。
彼が身に付けている”何か”と同調ししながら、召喚に必要な理と紡ぐ。
淡い光が彼を包みながら召喚されたのは、二人が良く知る敵対者だった。
虚ろな瞳にボロボロなコート。血走った眼からは彼らに対しての強い敵意を感じる。
「死神だと!?」
「驚くのはまだ早いですよ」
驚くセドリックを他所にラウルはもう一振りして召喚する。
現れた二体の死神は目の前にいる二人に強い殺気をまき散らしながら主人の指示を今か今かと待っているようだった。
(嘘でしょ……!)
信じられないといった様子でミリアは強く唇を噛み締めた。
国家を代表する大魔術師を師に持つ彼女は数多くの魔術書も読み解いてきた。
彼女が魔術に関して知らない事はない。
それほどまでに知識を蓄えていた彼女にとって、今、目の前で行われた非現実的な事についてショックを隠せずにいた。
「死神まで使役する奴なんか聞いたことない」
隣にいたセドリックも彼女と同じ気持ちを抱えていた。
死神の討伐はセドリックの専門である。逆に言えば、ミリアよりも詳しい立場にある。
それでも彼は今、起きた現象に目を見開かざる得なかった。
今までの戦闘の中で術者の命令を聞く死神なんて見た事が無かったのだ。
「貴方達がいるから死神の数も減って契約が出来ない。要するに私から見て、貴方は邪魔なんですよ」
更なる冷徹の視線を向けながら彼は言う。
流石に死神を使役するには一筋縄ではいかなかったようで、彼らに対して苛立ちを見せずには居られなかったらしい。
「貴方、死神は敵対者なのよ?だから、私達が討伐する。それは義務であり、人の総意でもある」
死神は人々にとって敵対者であり、悪である。
彼らは人間を糧にして生活している。言わば、魔界から出てきた人喰い悪魔と変わりないのだ。
そんな感想をぶつけた彼女に対して気に入らなかったのか、ラウルは苛立ちを隠さずに告げる。
「誰がそんな事決めたんです?少なくとも私は違う。勝手に私を頭数に入れないで下さい」
これ以上話しても無駄と判断したのか、ラウルは側に立っている二体の死神に行け、と命令する。
主の命令を受けた死神はそれぞれに鈍く光る鎌を持ち、彼らの方へ向けた。
「どうにかしてあいつを止めるしかないな」
「全く……。ひねくれも大概にしろってんの!」
死神が飛ぶタイミングと同じく、二人は互いの武器を向けて駆け出したのだった。