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第二章 灰燼の宰相 前篇

リアーデ姫の静かなる反撃が始まります。

戦争責任をなすりつけられ、唖然呆然、しかしだんだん腹も立ってきます。

まだまだ口数は少ないですが、ちゃんと考えて動き出しています。


その思考回路と言動に付いていけないペイジは知らず振り回されてゆくことに

(ザマ―ミロ)。

パンパンパンパン。

耳元で打ちならされた音にリアーデは慌てて飛び起きた。

身体を動かした途端に節々が悲鳴を上げる。

忽ち昨夜の…いや、明け方まで続いた出来事が脳裏に蘇り、暗澹たる気持ちとなる。


(あんの鬼畜宰相!)

内心毒づくも、いつまでも考えに浸ってはおれなかった。

寝台の横に別の鬼…いや、鬼の形相をした女官が立っているのだ。


「もうかれこれお昼近くになりますよ。カザンヌの姫は寝汚いこと」

早速にお叱り。

「申し訳ありません」

よもや、「早起きできなかったのは貴女の主人のせいなのですが」とも口にできず、

リアーデは殊勝に謝る振りをした。

先ほどの物音はどうやら女官が両手を打ち鳴らした音らしい。

人質とはいえ一応は“王家の姫”。あんまりな態度だが、両頬をひっぱたいて

起こされなかっただけでも良しとしなければならない。


「早く湯殿にいらしてお身体を清めてください。

それからお食事も。朝昼兼用(ブランチ)でよろしいですわね?」

よろめきながらもなんとか自分の足で立ち上がったリアーデをガラスはせき立てる。

まったく乱暴な扱いだが、正直湯を使わせてもらえるのはありがたかった。

自分の髪や身体に染み付いた宰相の香りに我慢ならなかったのだ。


「自分でできるわ。その方が早いから」

「ですが」

一緒に浴室へ入って来ようとしたガラスにリアーデはもう一度断りを入れた。

「中には自害できるような、剃刀一つ、帯一本ないでしょう?」

「…浴槽で溺死することは可能ですわ」

ガラスの反論にリアーデは乾いた笑いを浮かべた。

酒や薬で意識朦朧の状態であればともかく、素面(しらふ)で、しかも座高ほどしかない

水深で溺れるのは結構難しいと思う。

「ガラス、自害するつもりならとっくにそうしている。この国に“護送”される前に」

「なぜそうなさらなかったのです?姫君としての誇りがあるのならばなぜ?」

死ねばよかったのに、そんな悪意が女官の表情に見え隠れする。

此度の侵攻で愛する夫と可愛い盛りの息子を失ったガラスの怨みは冥く深い。

リアーデはどのように返答するか迷ったが、結局は本当のことを口にした。

「祖母と父が人質に取られているのよ。私が早晩死ねば、カザンヌ王妃は

“詫び”として二人の首をドレンドラに差し出すでしょうね」


「…食事の支度を見てまいりますわ」

それ以上、言い争わずガラスはきびすを返した。

不承不承ながらも一人での入浴を認めてくれたらしい。


(疲れた…)

手早く全身を洗ってリアーデは湯の中に飛び込んだ。

肌のあちこちに薄紅の痣が散っているが、確認できる限り派手な痕はない。

貴族の娘としての誇りが粉々に砕けるほどの扱いを受けたが…外見上はさほど

目立たない。それはつまり、宰相が手加減しているということだ。

もちろん優しさや同情からでなく、リアーデの“商品価値”を落とさないためで

あろうけれど。


(それにしてもドレンデラ侵攻の原因が私だったなんて…!)

道理で(自分で言うのも何だが)“人質となったうら若き王家の姫君”にどこからも

同情が寄せられなかったはずだ。カザンヌとドレンドラの両国民から

“お前のせいで”と恨まれているのだから。


居た堪れない、とか、申し訳ないという気持ちよりも、呆気にとられてしまった、

というのが正直な感想である。


ちょっと冷静になってみよう。


「綺麗な紫水晶が欲しい」といわれて他国と軍事同盟結んでまで採掘権を獲得する

人がどこにいる。

「風光明媚な別荘が欲しい」といわれて到底太刀打ちできない軍事大国に喧嘩

売って景勝地を奪取する人がどこにいるっ!

…故国の王であり、自分の伯父にあたるアルディードがそれほど愚かであったとは

思いたくない。


確かに、カザンヌ王が妹姫のウェルシーを溺愛していたのは有名な話だった。

大きな持病がある訳ではなかったものの、華奢で季節の変わり目には決まって体調を

崩す妹姫が兄王は心配でならなかったのだろう。

また、両親である先王夫妻が早くに亡くなったため、妹姫にとって兄王が親代わり

であったとも聞いている。

ウェルシーの娘であるリアーデも物心つくころから伯父に可愛いがってもらった。

8年前に母が亡くなると、王は遺された(リアーデ)を不憫がり一層気にかけてくれた。


(何か心配ごとはないか?)

(ないわ)

(困ったことも?)

(大丈夫よ)

(欲しいものは?)

(別段ありません、伯父上)

毎週、王に召し出され、昼食や茶などを二人きりでとる時間に繰り返される問答。

ウェルシー王女が降嫁したヴェルデンテ子爵家は、由緒こそあるものの、

王女の嫁ぎ先としては今ひとつ“ぱっとしない”家門であった。

夫となった子爵も社交界にほとんど姿を見せない学者肌の偏屈男で通っていた。


それにしたって歴とした子爵家。リアーデが生活面で苦労したことはなかった。


心配や迷惑があるとすれば、カザンヌ国王である伯父のことで。

頻繁に姪を呼び出しては1時間も2時間も話し続けるので、政務は滞らないのかと

心配になるし、毎回欲しいものはと尋ねられるのも迷惑であった。

何しろ、王妃やその取り巻きの目がどんどん冷たく厳しいものとなるのだ。

亡くなった母との思い出話を嬉しそうに語ってくれる伯父には申し訳ないが、

その前後に洩れなく付いてくる彼女らの嫌みや陰口には辟易していた。


もっとも王の態度にも問題ありで、カザンヌ国内の有力侯爵家から迎えた王妃との

仲は結婚当初から冷めきっていたという。

二人の間に生まれたた唯一の王子は王からほとんど顧みられることがなかった。

王妃も王子も放置して、(ウェルシー)(リアーデ)ばかりに愛情を注ぐ王。

王妃勢力がリアーデを白眼視するのもある意味当然の結果であった。


「あれが“失敗”だったなんて…」

首まで湯に浸かって、リアーデは記憶の中に埋没していた過去を掘り起こした。

祖母に口酸っぱく言われるまでもなく、カザンヌ宮廷でリアーデは己の言動に

細心の注意を払っていた。王に対して何かを無心するのはもちろん、不平不満を

漏らすようなことも厳に慎んだ。どこで足元を掬われるか分からないのだ。


頭が痛くなったのが、“成人祝い”と“婚姻祝い”で、これに関してはいつもの

“お気持ちだけで”とか“何も要りません”という返事をする訳にはいかなかった。

伯父である国王が姪である娘に贈物をするのは当然で、これを断るのはかえって

礼を失する。この“難局”に対処するため、子爵家では家族会議が開かれたほどだ。


ドレンドラ侵攻以降、あまりに過酷なことが立て続けに起こったせいで、

リアーデの思考回路はあちこち麻痺していたが、こうして一度記憶の糸が解れると

次々思い出してくることがある。


あの時、父である子爵は「陛下に任せてしまえ」と言っていた。

何か特定のものを強請(ねだ)るのではなく、陛下自身に選んでもらえば良い、と。

これには祖母が反対した。

「何を言っているんだい。陛下に任せたら、あれもこれもと山のように贈って

 くださるに決まっている。国庫を空にする気かと財務長官が怒鳴り込んで来るよ」

祖母の提案は祝いに代えて「病院や学校を新設するか、既存の施設に寄付してもらう」

だった。しかし、これには父が反対した。

「母上こそ何を考えているんですか?リアーデの名を冠する施設やら公会堂が

 できてごらんなさい。あざとい慈善事業だと、ますますリアーデが宮廷で肩身の

 狭い思いをします」

祖母と父が睨み合う中、助け舟を出したのは意外なことに継母であった。

リアーデの母が亡くなって5年間、ずっと喪に服していた父だったが、由緒ある

子爵家に男子がいないのはいかがなものかと半ば王妃一族にごり押しされ後妻を

迎えたのであった。それでも表向き…継母とリアーデの関係は悪くなかった。

王妃の実家である侯爵家の縁戚にあたり、家格も上の伯爵家出身であったが、

もともと父と継母は幼なじみであった。

実家の力に驕ることなく、妻としての役割を全うしようと努力していたようだが、

嫁して3年、後継者を作れず、父との仲も“微妙”という状態に落ち込んでいる

最中(さなか)の家族会議である。


「陛下に失礼にならない無難なものをお願いすれば良いのです。

 成人祝いには宝石、結婚祝いには領地が定番だから…」

継母の助言に、祖母、父、娘の3人は頷き、更に検討した結果が「あれ」だった。

豪華な金剛石(ダイヤモンド)などは問題だが、紫水晶(アメジスト)ならばさほどではないし、

細工を凝らしてもらえれば相手を侮った要求にもならない。

何より亡くなった母の好きだった貴石であり、そのことは王も覚えているだろう。


また広大な領地を王室から移譲されるということになれば財務も黙っていまいが、

別荘地にある荘園一つくらいなら目くじら立てられることもないだろう。

何しろカザンヌ内の“風光明媚な土地”など限られており、要するに田舎なので

国庫をどうこうするような問題にはまずならない。


(いっそ国宝級の金剛石(ダイヤの)首飾りとか王城近くの大邸宅を

 もらっておくべきだったのかしら)

その答えはもう幾ら考えても出ない…もはや考えても無駄なこと。

10年前に母を亡くした。そして今、伯父を喪った。

リアーデのドレンデラ行きに最期まで反対した父は投獄され、祖母は屋敷に軟禁された。

リアーデの婚約は破棄され、お相手の伯爵は王妃の息のかかった家の娘を新たに妻に

迎えるよう命ぜられたと聞く。


多少なりとも救いがあるとすれば、継母(ままはは)の存在だ。

王妃の遠縁である彼女がいるかぎり父も祖母も命まで取られることはあるまい。

それに今に思えば、婚約者との関係も燃えるような恋愛でなかったのが救いだ。

王が引き合わせた縁であったが互いに静かな愛情は在ったと思う。

ただし、あの伯爵は骨の髄まで貴族の男だ。

主筋に逆らい家門を潰してまでも…リアーデを守ることはしてくれないだろう。

記憶の暖かい笑顔に向けて別れを告げるように、知らず水面の上で片手を揺らす。

そしてその方の名を呟こうとして…


「リアーデ様、溺れていらっしゃいますか?!」

まるでそうなっていてくれと言わんばかりの怒号が響く。幻が霧散する。

「今、出ます!」

慌ててリアーデは湯から立ち上った。

腰が重いのは相変わらずだが、だいぶ筋肉が解れて楽になった。

浴槽には鎮静や鎮痛効果のある薬草(ハーブ)が配合されていたのだ。

リアーデ付となった女官は言動の乱暴さはともかく良い仕事をする。

もっとも礼を言ったところで逆に嫌な顔をされるのがおちなので、

気づかない振りをして、元の無表情な仮面を被った。


「よくお召し上がりになりますこと」

その女官(ガラス)から次に出た嫌みがこれだ。

手早く着替えを済ませたリアーデが朝昼兼用食(ブランチ)を口にしている最中である。

固くなったパンや冷たくなった具のないスープが出てくることも覚悟していたが、

卓に並べられたのはきちんと調理された、それも美容や健康に配慮された

1汁五菜に果実(デザート)付であった。


久方ぶりに空腹を覚えたリアーデは、作法に留意しながらも

…次々に平らげていったのだった。

「喉を通らぬと、粥でも用意し直すことになるかと思いましたが」

ガラスの嫌みは続く。

故国は亡国瀬戸際、人質として敵国移送、初日からして宰相に(なぶ)られ…と確かに

か弱い姫君なら食事はおろか寝台から起き上がってもこれないだろう。

我ながらこれほど図太かったっけと(スプーン)を加えながら首を傾げてしまう。


さて、無言を貫くのもどうかと思い、何とか無愛想な女官との会話を試みる。


「これから“お務め”するに当たって、血色が悪く貧弱な姫君では何かと不都合

 なのではないかしら?体力だって必要でしょうし」

「ハルマヤ地方に送られたカザンヌの“特別労働者”たちは日に4、5時間の睡眠と

 二食しか与えられていないというのに、お姫さまは良い御身分ですこと」

ずきりとリアーデの胸が痛む。

カザンヌの“特別労働者”たちはハルマヤ地方で瓦礫の除去や水路の修復、

新たな建築工事や道路敷設のため長時間労働を課されていると聞く。この他、

女性労働者に対しては公にできないような夜の仕事も付加されているという。


しかし。


「ここで私が絶食しても彼らの待遇が改善されるとも思えないわ。

 それに両国にとって分かり易い“憎悪対象”がいた方が良いでしょう?」

あの王妃のことだ。

「リアーデが無茶な願い事をしたせいでカザンヌ王が血迷った」などとあちこちで

吹聴しているに違いない。恐らく、リアーデは今やドレンデラのみならず自国の

国民からも恨みをかっていよう。


淡々と語るリアーデにガラスは肩をそびやかした。

そして、服の隠し(ポケット)から小さな帳面(ノート)を取り出すと、一息に巻くし立てる。

「それだけお元気でしたら、本日のご予定を全てこなすのも問題なさそうですわね。

 30分後にお召し物・飾り物・履き物の専門官が参りますのでご準備を。

 2時から4時まではドレンデラの宮廷作法及び儀式について学んでいただきます。

 4時から6時まではドレンデラの宮廷舞踊と雅学の稽古。

 夕食の後はドレンデラ語と文学について学んでいただき、就寝前にご入浴と

 全身美容(エステ)の施術を受けていただきます」


僅かに残っていた眠気も吹き飛ぶ。

思わず仰け反ったリアーデを見て、ガラスは嬉々として説明を加えた。

曰く、奥の部屋の衣装棚に詰め込まれている服は、当座の日常着なので、

公式行事や晩餐会用に身体の線に合った礼服や訪問着が必要であり、またそれに

合った装飾品(アクセサリー)や靴なども用意しなければならないこと。

伺候にあたってドレンデラ独自の作法(マナー)舞踏(ダンス)の修得が望まれること等など。


「殊にドレンデラ語を話せないのは論外です。

 “レクサンス”ではお高く止まっていると思われますわ」


(だってドレンデラに来る予定なかったし)

と、反論したくてできないリアーデである。


リアーデが目下用いているのは“レクサンス”と呼ばれる大陸共通言語であった。

レクサという古代国家から派生した言語で、語系を同じくするカザンヌ人にとっては

比較的修得し易いものであった。一方、工学・法学分野の専門用語については

大分ドレンデラ語からレクサンスに取り入れられているものの、もともとの語系が

異なるため、ドレンデラ人にとってレクサンスの修得は難しいという。

そのため流暢に話せるのは特権階級の、それも教養人とされる一部か、

国際貿易に従事する商人のみだそうだ。


ちなみに、リアーデはカザンヌ人にしては珍しく、ドレンデラ語の読み書きが

ある程度はできた。が、もちろんそれをガラスに披露するつもりはない。


(父さまの研究がこんなところで役に立つなんて)

獄中の父に心の中で手を合わせる。

学者馬鹿…いや、学者肌であった子爵はレクサンスで書かれた本ばかりではなく、

大国ドレンデラで出版された理工書の収集にも精力的であった。

しかし、残念なことにだらしない…いや、整理整頓ができない人であったため、

手伝う過程でリアーデもドレンデラ語を少々学ぶことになったのだ。


「ええと、全身美容までは」

(要らないのでは…?)

無駄と知りつつ、本日の予定を短縮できないかとリアーデは足掻いてみる。

施術よりも、さっさと寝かせてくれたほうが健康上も精神衛生上もずっと良い。


「宰相閣下におかれましては、カザンヌの姫君の美貌を少しも損なうことの

 ないようにとのご配慮です。またお身体にご不快のないよう、3日ごとに医師と

 看護士が診察に参りますのでご承知おきください」

「…宰相閣下のご厚情に心より感謝いたします」

リアーデは平坦な声で礼を述べた。他に言いようがない。

要は今後のために磨き上げておけ、という命令なのだ。

それに“ご不快”が何の婉曲表現なのかくらい理解している。

医師と看護士が来るのは…性病と妊娠がないかの確認に違いない。

「それからこちらを。 今晩からは違うお薬を差し上げますので、以降、

 就寝前に飲み忘れのないようお願します」

「………」

全く腹の立つほど有能な女官である。さすがに宰相の腹心と言うべきか。

ともあれ、ドレンデラで父親の特定できない子を生む事態は避けられそうだ。

リアーデは半眼で薬包を受け取り、水と共に喉に流した。


元より毒薬の類とは思っていない。

あの宰相がリアーデに投資し、それを回収する前に殺すはずがないのだから。


*** *** *** *** ***


ドレンデラ宰相ペイジは、当初の発言を翻し、3日ほどカザンヌから来た姫を

放置した。理由は端に忙しかったからだ。

小国カザンヌなどとは違い、大国ドレンデラの、宰相ともなれば昼夜を問わず多忙を

極める。ハルマヤ地方の復興にばかり時間を割いていられないし、ましてや

小娘一人に構ってなどいられない。


誰が何と言っても彼は忙しいのだ。


リアーデを後回しにするのは当然だ。けして小娘の強情に手を焼いたからではない。

けして小娘が陥落しなかったことに自信喪失したからではない!断じて違う。

とはいえ、30を過ぎて知らぬ間に親爺(オヤジ)臭くなり、己が魅力が半減していたとなると、

コトなので、“仕事”をしながら何人かの女性で試してみることにする。


まずは定期的に慰問しているサガラ侯爵夫人。

夫と娘を侵攻で亡くした彼女は「わたくし、寂しくて寂しくて」とペイジを見るや

泣きじゃくる。それでいて使用人たちを下がらせ、二人きりになった途端、積極的に

脚を絡めてくる。

ペイジが義理の息子になる話すらもち上がっていたのに、この態度である。

もちろん宰相は傷心の未亡人を懇ろに慰めやった。何といってもサガラ家は資産家だ。

侯爵夫人はペイジの言うままに投資してくれる…俗に金ヅルであった。


それから王妃付きの女官。夫が地方赴任して5年、すっかり宰相に飼い慣らされ、

宮廷での噂話や内緒話などをペラペラと喋ってくれる。“密会”を重ねるごとに、

当初の恥じらいはどこへやら、今では「宰相さま、もっともっとぉ」と鬱陶しいほど

迫ってくる。もっとも昨日は王が愛人にと狙っている娘に王妃が刺客を送ろうと

していることを知らせてくれたので、ご褒美に随分と可愛いがってやった。

これでまた王に貸しを作ることができたし、王妃の弱みを握ることもできた。


更には非公式ながらも宮廷への出入りを許された元・高級娼婦もいる。

40過ぎの好色な中年女で、表向き紳士専用の香水を作る調香師を名乗っている。

特別注文の香水をあちらへこちらへと届けるついでに情報収集もしてくれる。

たまに相手をしてやると、ちぎれんばかりに尻尾を振って、あれこれ教えてくれる

ほか、頼んでもいないのに睡眠薬だの興奮剤など…おおっぴらには入手を躊躇う

薬剤などを貢いでくれる。


結論。

自分の魅力は少しも衰えていない。

おかしいのは、あの小娘の方だ。“人質”の分際で、あの態度は何なのだ。

もっと泣き喚めけば良いものを。もっと…自分にすがりつけば良いものを。


「それで私は何の許しを乞うのですか?」

そう静かに問い返してきたカザンヌの姫。

美しい顔立ちをしているのに感情を映さない瞳。

無言で、そして恐らく無意識の内にぶつけて来る圧力(プレッシャー)。小生意気な。


むしゃくしゃしてペイジは手元に有ったぶ厚い書物を壁に向かって投げ付けた。

衝撃で背表紙の綴糸が千切れ、バラバラと(ぺーじ)が舞って床に落ちる。

そこで漸く気を取り直した宰相はカザンヌから報告書が上がってきたのを口実に

日中であるが自分の執務室に娘を呼びつけることにした。


「リアーデ様をお連れしました」

護衛のブランに伴われて、入室したカザンヌの姫にペイジは目を細めた。

しばし目を奪われた…わけだが、彼自身はそんなこと絶対に認めない。


毎晩、美容に時間をかけるように命じておいたが、数日でもその成果が出ていた。

結いあげられていない黒髪は肩からさらりと背を滑るように広がり光彩を放つ。

褐色の瞳は、感情を消しつつも、意志の強さを隠し切れていない。

ほっそりとしているが痩せすぎではいない身体はしなやかで瑞々しい。


「元気そうだな」

「お陰さまで」

ペイジの言葉にリアーデはきちんと頭を下げた。

実際、体調は悪くなかった。宰相が指示してくれたお陰といえる。

日中は講義やら稽古やらに明け暮れ頭脳も体力も使う。

そして栄養のある食事に十分な睡眠が与えられ、全身美容(エステ)付き。

姫君として極めて規則正しい、健康的な生活だ。


(もっと言ってしまえば、この男が夜に訪れないお陰、なのだけれどね)

2日目の夜こそ宰相の来訪に怯えて、睡眠不足になったものの、次からは腹を括った。

来るならこい、である。自分でもどうしようもない事に際して、開き直った。

単にヤケッパチになってきたともいう。


「カザンヌから報告書が届いている。

 お前も近況が知りたいだろうと思って呼んだのだ」

「御心遣いに感謝いたします」

型通り答えるも、リアーデの気持ちは沈んだ。

この宰相が明るい知らせをもたらしてくれるとは到底期待できない。


「まぁ座れ」

そう言って、示されたのは向かい側の席ではなく宰相の真横。

しかもやたらと甘ったるい笑顔を向けてくる。

自分の造作が良いことを熟知しての振る舞いだろうが、はっきり言って気持ち悪い。

リアーデは姫君らしく優雅に歩みを進めて、しれっと向かい側に腰をかけた。


「こちらだ」

ぽんぽんと宰相が自分の横を叩く。クッションで背もたれまで準備してくれる。

「怖れ多いので、こちらで結構です」

遠慮しているのに、ペイジの手が強引にリアーデを捕らえ、真横に座らせる。

「家族のことを知りたくないのか?」

耳たぶに触れそうな位置で囁かれる。何がしたいのかさっぱり分からない。


「明るい話題であれば教えていただきたいのですが」

「明るい話題だ。全員“まだ”生きているぞ」

嫌な言い方だった。


リアーデがわずかに顔を強張らせたのを見て宰相は一層笑みを深くした。

片方の手で彼女の腰を拘束したまま、もう片方の手で波打つ髪を撫でる。

腕の中に獲物を捕え満足したのか、ペイジはいささか饒舌になってゆく。


「ヴェルデンテ子爵は娘の返還を王室に訴えて依然入牢中。

 夫人の嘆願で危害は加えられていないようだ。

 子爵の母も孫娘救済を訴えて、絶食(ハンスト)を開始するも、やはり夫人が王立病院に

 運び込んで大事には至らなかったとのことだ、良かったな」


ヴェルデンテ子爵、リアーデの父はまだ王妃に盾突いているらしい。

そして祖母も頑固だ…自分のために無茶をするのはやめてほしいと切に願う。

仲良しとは言えなかったが、継母が姑と夫のために動いてくれるのが救いだった。


「イルガンド伯爵、お前の元・婚約者は、王妃の命でレッテ侯爵の次女ミネアと

 新たに婚約したそうだ。娘はもう伯爵家に移り、来月、婚礼式とのことだ

 …賢明な男だな」

実は伯爵からはリアーデに対する寛大な処置を乞う書状が何通も届いたのだが、

それについては触れず、新たな娘との婚姻についてだけ教えてやる。


イルガンド伯爵クロード。ようやくリアーデは彼の名前を思い出した。

伯爵が主命に従うだろうとリアーデは予想していた。怨む気持ちは、ない。

別の娘と婚姻するというのも驚かない。

相手が自分も面識のあった侯爵令嬢…ミネアであることも救いだ。

内気で他人(ひと)と話すのが苦手な彼女はそれでも不器用な優しさの持ち主だったから。


「ソルマ王子もお前を擁護しようとして王妃の怒りを買い、謹慎処分になっている。

 “姉姫”さまは王子さまから随分と慕われていたようだな」


(姉さま、姉さま…!!!)

リアーデがドレンデラ行きの粗末な馬車に押し込まれた時、城壁の上で暴れる王子の

姿が目に入った。何とか囲みを突破して、こちらに来ようとするも阻まれ、終には、

近習に打たれたのか、失神するように倒れ込んでいた。

3つ年下の彼は、リアーデによく懐き、従弟というより弟のような存在であった。

あの優しい王子は、実の母親である王妃の所業にどれほど心を痛めているだろう。


「手紙を書くことをお許し願えますか?

 ドレンデラで、宰相様の下で“無事”であることを知らせたいのですが」

“無事”といえるか微妙だが、祖母や父をこれ以上、危険に晒したくない。

王子も、未来(さき)の見えない(カザンヌ)の舵取りを近い将来担わなければならない身だ。

検閲されるのは百も承知でリアーデは頼んでみた。


「…他人(ひと)に物を頼む時はどうするべきか、知らないのか?」

宰相が低音の、甘い声で囁く。彼の手は相変わらず彼女の髪を撫でていた。

リアーデは必死に記憶を巻き戻す。こんな場合の対処は…知る訳がないっ!

ペイジの顔が近づいてきた。闇色の瞳の奥に暗赤色(ガーネット)の妖しい煌めきが見える。

華やかな宮廷に身を置いても、この男は死神だ。廃墟や灰燼がよく似合う。


リアーデは渾身の力で顔をそむけるや迫真の演技を試みる。


「ペイジさまぁ、お願い、わたくし家族に手紙を書きたいのぉ」

………一応努力したことは認めて欲しい。

潤んだ瞳に鼻にかかった声。両手は(こぶし)にして口元に。

尤も、そうそう都合良く涙が出るはずもなく、自分の間抜け(ヅラ)を晒すだけと

なったが。


「……………」

宰相は数刻固まった。

(俺に異常はない。この娘が異常なのだ!)

ペイジはそう自分で自分を納得させることにした。

彼の魅力に動揺しないばかりか、色気のイの字もない下手な、というか、変な

演技で強請(ねだ)ってくる。語尾をま伸びさせている割に、棒読み。駄目駄目である。

外見は極上でも、このままではとても彼が期待する“商品”には成り得ない。


「…もう少し、媚の売り方を修行しろ。

 丁度よい、3時から宮中でご婦人方が集まる小さな茶会(サロン)があるから、行ってこい」


“是非、カザンヌの姫君にお越しくださいますよう宰相様からお口添えくださいませ”

いかにも何か企んでいる様子がありありの、薄紫色をした招待状をペイジは屑入れ

から拾い上げ、娘にドレンデラでの現実を垣間見させる決心をする。


…本当は断るつもりであった。

リアーデを宮中に晒すのはもう少し勉強させてからと思っていたのだが。

この小娘に何より必要なのは“社会勉強”だ。


「あの、宰相様…」

「なんだ、“今回の”茶会は貴婦人ばかりの“健全な”集まりだ。

 うまく立ち回れたらカザンヌへ手紙を出すことも許可してやる。

 ガラスに言い付けるから、出席の仕度をしろ」

「その前に、絹糸と針と貸していただけますか?」

“今回の”だの“健全な”などわざと含みをもたせた部分を綺麗に無視(スルー)して

リアーデはあさっての質問をした。

「何をするつもりだ?」

「そこに散らばっている本の応急処置をしたいのですが。

 お見受けしましたところ大変貴重な書物のようで、気になります」

ペイジは怒りに目を剥いた。

彼の魅力にも無反応。ドレンデラ宮中の茶会も無関心。

最後に控え目ながら言い出したのが、よりにもよって…壊れた本の修復。


「確かに、あの本が壊れたのはお前の責任だ。よし、その辺に道具箱が

 あるからガラスが迎えに来る前に修理しておけっ!」

そう叫ぶや、怒りも露にペイジは部屋から出て行ってしまった。

本の破損の原因が何で自分にあるか分からぬまま、リアーデは“その辺”とやらを

探して道具箱を見つけ、ついで散らばった頁を拾い上げた。


「これ、間違ってなければ、『レクサ工学書』よね。こんな高価な物を駄目にして」

これだからお金持ちは…ぶつぶつぶつ、

自分以外、誰もいなくなったのを良い事に不満を口にする。

現存する写本は大陸にも数冊のみと聞いている。

カザンヌで一度、競売(オークション)にかけられた時、リアーデの父も落札しよう頑張ったが、

とても手が届かなかったのを覚えている。というか万一落札していたら家計が傾く。


ドレンデラ宮中の茶会など、どうせロクでもないものに決まっているのだ。

せっせと針と糸を動かしながら、リアーデはしばしの現実逃避を試みた。


次回、「灰燼の宰相 後篇」

宮中の茶会に参加したリアーデに歓迎の花吹雪・・・ではなく、

紫水晶の雨あられが降り注ぎます。さてどうする、リアーデ?

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