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第一章 仮初の王女 後篇

「真珠貝の宰相」ぼちぼち再会します。

週一くらいの更新をめざしますので(目標です・・・)気長にお付き合い

ください。

冷酷非情な宰相が・・・まぁ、最後まで酷い奴なんですが、リアーデという

お嬢さんに会って、ちょっとあれ~?な方向に変わってゆくお話です。



カザンヌ国が無条件降伏に応じた時、ドレンデラ宮廷ではその後処理を巡って

論争が巻き起こった。小国といえども千年の歴史を誇る伝統国であるため、

滅亡させるのは惜しいという声もあったが、大勢はカザンヌ王家を皆殺しにし、

国土全体を軍による略奪対象とした上で隷属せしめんという意見であった。

それほどまでに、此度のカザンヌ王国及びヒジリ山岳連合国による

ハルマヤ地方侵攻はドレンデラを激昂させた。


ドレンデラにとってカザンヌなど古いだけが自慢の、ちっぽけな国で、

征服する価値もないような相手だった。いちおう国交もあり貿易も行われているが、

大した利益を生んではいない。

つまりドレンデラにとってカザンヌは“邪魔にならないから生かしておいてやる”と

いう程度の存在であった。そんな小国が、よりにもよって北方の国境線画定問題で

15年以上紛争続きのヒジリ山岳連合国と軍事同盟を結び、ドレンデラ一の景勝地

と名高いハルマヤ地方に侵攻したのである。


目の付け所は悪くない、そうペイジは思っている。

ドレンデラ国宰相である彼はカザンヌ国王アルディードが噂ほど愚か者では

なかったと評価している。カザンヌ王の狙いがドレンデラに打撃を与えることで

あったとしたら、その目的は十二分に達せられたと言うことができるからだ。

同盟軍の急襲により、ドレンデラは3万2千もの死者を出した。

王都や基幹都市であれば国軍大隊による厳重な防衛網が敷かれているが、

ハルマヤは盛夏の避暑地に選ばれるものの要は田舎である。そんな場所が攻撃目標に

されるとは想定外であったため、国軍はおろか地方兵の駐屯もわずかであった。


カザンヌとヒジリ同盟軍が行った侵攻は、ハルマヤを“制圧する”という生易しい

ものではなく、ドレンデラ民の大量殺戮(ジェノサイド)であった。

ドレンデラが王都から大軍を投入し、本格的な反撃を開始したのが侵攻から6日後

で、それまでのわずか数日の内に10万ほどいた人口の4分の1が命を奪われた。

わずかばかり配置されていた国軍と地方軍会わせて2千人は全滅。

地元民は、女性の自殺者も含め2万6千の死者を出した。

しかし政治的に最も深刻であったのは、避暑に訪れていた4千人近い都人が

殺されたことだ。

この内千人は中央貴族とその家族で、その他は使用人と平民の富裕層である。

折しも盛夏で、多くの政府要人が避暑に訪れていた。

財務大臣、逓信大臣、司法副大臣、工部副大臣、副宰相、宰相補佐官などの要職

にあるものが凶刃に倒れたほか、ナバン公爵、サガラ侯爵、ロイバン侯爵、

ソンナ伯爵など王室と縁続きの中央貴族の家からも死者を出している。


カザンヌ国を地上から消滅させてしまえ。

カザンヌ国民を殺し尽くし、

カザンヌ国土を焦土と化せ。


そんな怒号がドレンデラ宮廷に轟くのも無理からぬこと。


しかし、宰相ペイジはこれに控え目ながらも反対した。

彼とて、カザンヌ国が滅亡しても痛くも痒くもないと感じている。

むしろ、憤懣やるかたない国民が納得するなら、それも良しと考える。

ただし、宰相として利益衡量するなら、カザンヌ完全消滅は余計な金と時間が

かかるだけで得るところが少ない。

そこで、表向きには次のように奏上してみる。

「此度の侵攻はカザンヌがヒジリを唆して行ったものとはいえ、実際の殺戮は

ほとんどがヒジリの手によってなされております。

カザンヌに責任があるのは当然ですが、実行犯というには無理があるかと」

これは嘘ではない。

小国カザンヌがドレンデラ侵攻に大軍を投じられる訳がないのだ。

ハルマヤ地方にやってきた同盟軍3万の軍勢の内、ヒジリ山岳連合軍とその傭兵が

2万5千、カザンヌ軍の正規兵は5千に過ぎなかった。

「同盟軍は我らが国軍によって既に全滅せしめておりますし、元凶である

カザンヌ国王は既に病死しています。ここでカザンヌを消滅せしめても、

何ら国益に繋がりません」

もちろんペイジの注進は、四方八方から罵声を浴びせられた。

「それではこのまま奴らを許せというのか?」

「このままで、国民が納得すると思うのか?」

「我らの恨みと哀しみは尽きぬというのに!」

その場に居合わせたものは皆、頭に血が上っていた。

冷静であったのは、一言も口を利かず面白そうに臣下の様子を観察している

ドレンデラ王と、3万2千もの犠牲に一片の感傷も伴わない宰相ペイジのみ。

「もちろん、このままで収めるつもりはないですよ?

 カザンヌは無条件降伏したのです。この後、いかような要求を我らが突きつけ

ても、あちらは文句を言えません」

宰相は幾つかの提案をしたが、その主要なものは次の三箇条である。

一 カザンヌ国をドレンデラ国の属国とすること。

二 カザンヌ王室の存続を認める代わりに、王室からドレンデラへ服従の証として

  “人質”を差し出すこと。

三 カザンヌ平民の内、20代の男女1万人徴用し、10年間の労役に従事

  させること。


ペイジの現実的な提案は、しかし、ドレンデラ宮廷で直ぐには認容されなかった。

多くの者たちにとって、頭では理解しても、感情がついていかないのだ。

心の底から沸き起こる「カザンヌを滅ぼせ、カザンヌ人を殺せ」という叫びに

誰もの翻弄された…最終的に国王がこれを収めるまで。

「宰相の申す通りにせよ。

ドレンデラ国政に携わる者がいつまでも子どものように泣き喚いているのだ。

カザンヌごとき小国に我が国が辛酸を舐めたなど史書には残せぬ。

速やかに…原状に復せ」

滅多に声を荒げたりしない王だが、無能を側近にしておくほど寛容ではない。

これ以上、生産性のない議論を続ける者は退場させる…王の碧眼がはっきり

そう告げていた。


そうしてカザンヌ国中から強制徴用された1万人もの労働力はハルマヤ地方に送り

込まれ、現地復興のために使役された。「ハルマヤ再生のための特別労働者」と

呼ばれた彼らは、つまり有期奴隷である。過酷な労働や虐待などは禁止されたが、

憤懣やるかたないドレンデラ国民が彼らを人道的に扱うはずはなく、解放される

10年後に果たして何割が生き残れるのか怪しいものであった。

もちろんペイジは分かっていて彼らを捕り、そして戦地となったハルマヤに送った。

「特別労働者」はつまるところ生贄だったのだ…彼の地方を鎮静するための。


もう一つ、中央を鎮静するために利用しよう考えたのがカザンヌ王室からの

“人質”であった。宰相が想定したのは、王妃エルヤか王子ソルマのいずれか。

カザンヌ王室といっても、驚くほど数が少なく、アルディード王亡き後、

国政を担っているのは王妃エルヤと彼女の老父で政務大臣のフッフェル公爵である。

アルディードとエルヤの間には一子ソルマしかおらず、それもまだ12歳。

どちらが来るか…ドレンデラからは敢えて指定をせず、ペイジは意地悪く成り行きを

見守った。敵国の王室で汚辱にまみれるのは母か子か。

しかし、送られてきたのは…アルディード王の姪という18歳になったばかりの娘

であった。


カザンヌ国ヴェルデンテ子爵令嬢リアーデ。

王妃エルヤの書簡には王女ではないが、それに準ずる“王家の娘”であると

記されていた。しかし、いかに王家の血を引くとはいえ所詮は小国の、それも

下級貴族の娘だ。“人質”として不十分と、ペイジは娘を始末し、新たな人質を

求めることを考えた。しかし…エルヤの書簡は巧みにリアーデの価値を綴っていた。

曰く、リアーデが王の溺愛した娘であり、此度の侵攻のきっかけを作ったとのこと

であった。

(カザンヌ王室から最も罪重き者を送ります。貴国のお怒りをわずかでも解くため、

 娘の身は如何様にも罰して構いませぬ。されど、王家の血を引く娘ゆえ、

 命ばかりはお許しくださいますよう、伏してお願い申し上げます…)

書簡にはリアーデがアルディード王に「誕生日の贈り物」をねだったことがヒジリ

山岳連合国との軍事同盟に繋がったと、「婚姻の贈り物」をねだったことがハルマヤ

侵攻に繋がったと、こと細かに記してあった。そしてカザンヌ恭順の証として

罪人を差出し、その一方で娘の命乞いも行っていた。


(欲深なクソババアだな)


歴史ある国らしく銀沙を散らした料紙に流麗な文字が綴られている。

最後の締めくくりは、人質の将来を憂えているようにもとれるが、ペイジは

騙されない。書簡から揺ら揺らと立ち上るのは王妃の娘に対する紛れもない

悪意だ。容易く殺せぬほどに…王妃はリアーデという娘を憎んでいるらしい。


「…面白い」

ペイジはこの“人質”を受け取ることに決めた。

娘がカザンヌで最も罪深い者かどうか、王妃の書簡だけでは判断できない。

侵攻の責任が本当に18歳の小娘に在ったのか…実はどちらでも構わない。

ただ、利用はできると思ったのである。

高慢な王妃や子どもの王子を受け取ってもタダ飯を食わすだけ。

それくらいなら若く美しい女の方が幾らでも面白い使い道があるというもの。


「“王家の娘”リアーデです」


そうして

ドレンデラ宰相ペイジとカザンヌ子爵令嬢リアーデは出会う。

それが二人の人生を根底から覆す邂逅となることも知らずに。


*** *** *** *** *** 


「…強情な娘だな」

ペイジは汗ばんだ身体を離し、上体を起こした。

晩秋の夜明けは冷気を帯びているが、彼の内には発散できぬ熱が籠っていた。

怒りと憎しみと苛立ちと…そして訳の分からぬ諸々の感情が脳裏に渦巻く。

次に襲ってきた感情を一言で吐いてしまえば敗北感。

(ばかな)

けっして、けっして認められぬ。

自分が彼女に負けたなど…小国の貴族に過ぎない、18歳の小娘に、

大国の宰相である自分が負けたなど。

けれども一晩かけても彼の手の中に娘が堕ちてこなかったのは事実であった。


傍らでは、カザンヌから来た娘が身を伏せたまま荒い息をしていた。

身体がバラバラになるような痛みに、身動き一つできないでいる。

呼吸すら自分のものではないようで…意識を保っているのもやっとの様子だ。


宰相は自分が主人であることを分かり易く認識できるよう、容赦なくリアーデを

責め苛んだ。娘は最初から憐憫も同情も期待していなかったのか、ペイジに命ぜ

られるがまま黙って服を脱ぎ、寝台に身を横たえた。世辞や追従を口にしないのは

もちろん、慈悲も許しも乞わなかった…そのために余計に酷いことになったのだが。


彼の男としての矜持(プライド)は傷つけられた…小娘一人を陥落できなかったなど。


「そんな石のような身体で、誰の、何の役に立つのだ?」

ペイジは屈みこむと、もう一度試すようにリアーデの唇を奪った。

しかし、甘さも弱さも娘からは返ってこない。娘はただ無抵抗なだけ。

そのまま、深く侵入し、口腔内を存分に荒らし回っても、反応はなし。

その容貌も姿態も男を惹きつけてやまない魅力に溢れているのに、

その心は熔けぬ氷、穿(うが)てぬ石のように宰相ペイジを拒絶していた。

 

「これから私がお慰めする方々は、私を罰し、苦しめたいのでしょう?

 そうすることで多くを奪ったカザンヌに意趣返しをしたいのでしょう?

 …私が相手に抱かれて歓んでいたのでは、ご満足いただけますまい」

ようやく呼吸を整えると、リアーデは褐色の瞳を真っ直ぐに、ペイジに注いだ。

何度も何度も責められながら、彼女は屈服しなかった。

その身は穢されても、その瞳は澄んでいて…その心がまだ不可侵であることを示す。

吐息を感じるほどの距離にいながら、リアーデはペイジの届かぬ所にいた。

それが許せない。

敗戦国の小娘のくせに宰相より高みに留まろうとするなど。


「しかし、初めてではなかったのだな?確か婚約者がいたとか。

 その男と既に割りない仲になっていたのか?婚姻前に奔放なことだな」

小国とはいえ伝統国家であるカザンヌはトレンドラ以上に貞操観念が強かったはず。

庶民ならいざ知らず、貴族の、ましてや王家の血を引く令嬢だ。当然、婚姻までは

(みさお)を守ることが当然とされてはずだが…リアーデは処女ではなかった。

「お前の純潔を散らしたのは誰だ?…言わないつもりか」

無言でそっぽを向く娘にペイジの片腕が伸びた。

ゆっくり頬と唇を撫で、それから指先が滑るようにして細い首へと向かう。

窒息させられそうになった恐怖が甦り、リアーデは口を開いた。

「…知らない男です」

「知らない男を相手にしたのか?“王家の姫”が聞いて呆れる。とんだ淫乱だ」

リアーデの貴族の娘としての誇りが、悲鳴を上げる。

「トレンドラ行きが決まった時、ほどなく婚礼を挙げる予定であった伯爵様との

婚約破棄も言い渡されました…そればかりではなく、王妃さまは伯爵様の目の前で

私の純潔を見も知らぬ男に奪わせました」

抑揚のない声で淡々と語る。


「…カザンヌ王妃はよほどお前が憎いらしいな」

ぽつりと呟いた言葉は意外なことに憐れみがこめられていた。

しかし、リアーデがそれに気づく前に宰相の口調は再び厳しいものとなった。

「寝台では、泣き叫び、這いつくばって許しを乞うべきだな。

 相手の加虐心を煽り、ごめんなさいを繰り返しながら、奉仕せよ」

朝日の中で、リアーデの両目が丸くなったのを見て、ペイジは少しばかり

溜飲を下げた。素材は悪くない…どころか極上なのだ。

彼の命ずるままに動く小鳥になれば、大切にして可愛がってやらぬこともない。


しかし、リアーデは無表情のまま宰相に問うた。

「それで私は何の許しを乞うのですか?」

「何だと?」

宰相の顔が怒気に染まる。

「侵攻により我が(ドレンデラ)にどれほど犠牲が出たのか知らぬというのか?

 全てはお前の国の王が起こしたことだぞ」

何を今更とペイジは噛みついた。

しかし、心のどこかで気づいてもいる。彼女を責めるのは誤りだと。

「恐らく、皆様もそのように私を責めるのでしょう。

 だからこそ教えて欲しいのです。聡明なる宰相閣下。

 カザンヌ国の罪、アルディード王の罪とともに、私の罪を。

 カザンヌ国に生まれたことが罪と仰いますか。

王の姪として生まれたことが罪と仰いますか。

この世界のどこに自分で国や親を選んで生まれてくる者がいるのです?」

リアーデは殊更にペイジを挑発したりしなかった。

ただ冷めた目をして淡々と問いを発するのみ。


つまりは…小国の小娘でありながら、彼女には全てお見通しということ。

ペイジがリアーデ個人に罪のないことを知りながら利用しようとしていることを。


彼は自身を何とか正当化するために、彼女を弾劾すべき罪を探した。

「紫水晶や別荘はどうなのだ?王に強請(ねだ)らなかったと申すか?」

「殿下。伯父から誕生日祝いをと尋ねられて宝石を、結婚祝いをと尋ねられて

 不動産をと答える貴族の娘は私だけですか」

リアーデだけどころか、ドレンデラ貴族の娘も同じような答えを返すだろう。

小国とはいえ、伝統国の王に対し、宝石(ダイヤ)ではなく(アメ)(ジスト)を、

広大な領地ではなく別荘地を願うあたり、むしろ控え目ともいえる要求だ。

「それに殿下、仮に私の“おねだり”とやらに王が本気になったとしても、

 我が王室にはただ一人も…伯父を止めることのできる忠臣がいなかった

ということでしょうか」

リアーデが伯父に溺愛されていたとしても、王一人では大国への侵攻などで

きはしない。誰が見ても無謀と思える戦にカザンヌ王室がのったのだとしたら、

それは小娘一人の責任ではなく、王妃や政務大臣やその他、宮廷人全員が

首を差し出して然るべきであろう。

「愚かな小娘でもほんの少し考えれば分かるものを…それができなくなるくらい、

 病んでしまったのですね。カザンヌもドレンデラも」

「無礼な」

「確かに。病まずに“国益”を追求する御仁もいらっしゃいましたな」

誰と言及せずとも、宰相ペイジを指しているのは明らかだ。

その証拠にリアーデは更にペイジを苦境に立たせる問いを発した。

「教えていただけますか?此度の侵攻で、宰相殿ご自身は

 どのような被害を蒙ったのです?お仕事がそれまでよりお忙しくなった

 ことと、このような厄介な娘を押し付けられたこと以外に」

一体この娘はどこまで読んでいるのか。

宰相である自分が小娘からの質問に先ほどからまともに返答できすにいる。

小娘にはドレンデラの内情など知る術はないはずだ。

ましてや宰相の個人的立場など知る術はないはずだ。

「それは…」

実のところ、ペイジ個人にとっては、侵攻による損害よりも利益の方が

遙かに大きかった。政敵の財務大臣と司法副大臣はハルマヤ地方にある別荘で

饗宴中に討たれている。また、宰相との縁組をごり押ししていたサガラ侯爵は

その娘もろともに亡くなってくれた。

更には、カザンヌ・ヒジリ同盟軍への反撃を開始するにあたって、宰相として

国軍への発言権を、終戦後の後処理をするにあたって宮廷での発言権をいずれも

強くした。彼は全てを…“国益”の名の下に自己に都合良く動かしていた。


「妻に迎える予定であった侯爵家の娘が亡くなったな」

サガラ侯爵がいかに執拗に迫ろうと、娘を迎える気など毛頭なかったくせに、

ペイジは被害者ぶろうとしてわざとそんなことを言った。

リアーデの瞳が少し揺れた。そこに垣間見られるのは罪悪感。

ペイジの狙いは成功した。

「さて、婚約者を喪った私をどのように慰めてくれるのだ?

 カザンヌ王家の娘は」

朝日は昇っていたが、ペイジはもう一度リアーデに挑もうと近づいた。

「命より大事な、最愛の婚約者の方が私のせいで亡くなってしまったと。

ごめんなさい、ごめんなさい…と謝りながら、這いつくばって許しを

乞うのでしたね。その“演技”、今からやってみましょうか?」

「………っ!」

リアーデは真面目な顔でペイジを見ていた。彼を馬鹿にしようとも、

茶化そうともしていない。

むしろ、厳格な教師から講義を受ける生徒のような(おも)持ちだ。

ペイジは小娘に掴みかかろうと手を伸ばしたが、その手は空中で止まった。

侯爵の娘など、もとより歯牙にもかけておらぬ。

相手の誘いにのって夜会などの後で数回遊んだだけの関係だ。

彼とて守りたいものはあるが、自分の命より女が大事になることはこれまで

ただの一度もなかったし、今後もないであろうことは断言できる。

侯爵家の娘は…彼にとってそう、“どうでも良い女”であった。

宰相の地位まで登りつめた今となってはもはや侯爵家と縁続きにならなくても

構わない。むしろ舅に侯爵を迎えた方が鬱陶しいといえた。


「では、今宵また…そなたを試すとしようか」

ペイジは呟くように言って、リアーデに与えた部屋を後にした。

小娘に心中を見透かされ、退散したとはどうしても認められぬまま。


リアーデは宰相の後ろ姿が消えるのを待って、寝台に倒れ込んだ。

そうしてほとんど気絶するように意識を失った。


何が起こっていたかを扉の外で聞いていた騎士はさすがに部屋に入ろうとは

しなかった。カザンヌから来た娘に同情する気持ちは相変わらず湧かない。

ハルマヤ地方に送られた「特別労働者」の方がより過酷な環境にいるはずなのだ。

お姫様のお相手は“取りあえず”宰相閣下であるだけましといえる。

けれども「私の罪は何ですか?」と問うた娘の声が忘れられない。

ブランはリアーデが生まれる国と親を選ばなかったことを責めていたのだから。

そうして騎士は心の定まらぬままに、娘をしばし夢の世界に憩わせた。


女官は心ならずも仕えることになった娘を起こすことができずにいた。

“人質”となった娘が朝寝などもってのほか。

しかし控えの間で、ガラスは夜中漏れて聞こえてきた、か細い悲鳴を持て余した。

最初は娘の苦痛を愉快とさえ思っていた。リアーデは夫と子どもの命を奪った憎き

敵国の女で、救いなどない暗闇で泣き叫べば良いと思っていた。


けれども、相手は“あの”宰相だ。

彼に近づく女は数多いるが、近くで働いていれば嫌でもよく分かる。

彼が非情な政治家であり、女にとっては残酷な男であることを。

18歳の娘が必死に声を殺して、殺して…それでも漏れ聞こえる悲鳴は、

だんだん耳を塞ぎたいものになっていった。

だから、ガラスは昏倒した娘を叩き起こすことができずにいた。

昼までには身を清め、綺麗に飾り立てておかねばならないが…もう少しだけ、

もう少しだけと、娘が夢の世界に憩うことを許した。


次回 「灰燼の宰相 前篇」 

    ドレンデラ国王の覚えめでたい若き宰相ペイジがカザンヌから“人質”

    としてやってきたリアーデを嬉々として苛め・・・じゃなかった・・・

    熱心に教育してドレンデラ宮廷にお披露目します。

    もちろん暖かく歓迎されるはずもなく、リアーデの苦難は続くのです「が」

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