[1]落ちこぼれの日常
少々、書き直しました。というより、一つにしました。
ご迷惑をおかけします。バブルベアのシーンはまた別の節で。
ルナ・ゴデス・カリビアはただ一人、城内にある中庭で思い詰めたような面持ちで風にあたりながら、雲ひとつない澄み切った青空を見上げていた。中庭には選り取りみどりの花々が爛々と咲き誇り、草木が等間隔に規則正しく植えられ、地面には青々とした野草が生えている。花の甘い匂いと草木の匂いが、風に流れ、漂っていく。中庭から溢れる匂いはルナの中にある不安な心を落ち着かせた。
ルナは空をみつめながら、ふと思う。
――もし、この『世界』に暗黒の時代が訪れてしまったら私は……!
時は、太陽が最も高い位置で地面を照らすお昼前のこと。場所は――――『守護界』という名の、異界の地。
一瞬険しい顔つきに変わったかと思えば、ルナが瞼を閉じて一言つぶやく。
「いよいよ、始まる……予知夢が、現実と……化す……」
地面につきそうな程の長い髪が、やや強めの風で宙に舞い、緩やかになびいた。
ルナは見た目は人間だが、神の血が流れているれっきとした神の種族。誰よりも人間らしい雰囲気の為か、子供の頃は同年代の神達から、何度もからかわれた。実年齢は定かではないが、見た目年齢は約二十歳程だろうか。体つきは筋肉質な体型ではなく、どちらかと言えば細身体型に等しい。その為、一つ一つ体の部分が細い体つきをしている。
周りの人々は、もしもルナと出会った時、ルナの瞳を見た者ならば誰だろうと気づく筈だ。瞳の奥に潜む、強い決意と精神を秘めた女性であることを。
ルナがそよ風に包まれていた頃。ルナの脳内に、ある言葉が流れ込んでくる。
――ルナ……もうすぐ、『アイツ』が目覚めるわ……。
ルナは大きく目を見開いて、額に冷や汗をにじませた。荒い息遣いで地面と対面していたが、ゆっくり背筋を伸ばすと前を見据える。
――ついに『アイツ』が……目覚める、時が、来る……!
体が震えていく感覚を覚えた。震えが恐怖からくるものだと、瞬時に判断する。
ルナは険しい表情で空を見つめると、片手に拳を作り強く握り締め、つぶやくように言った。
「それが本当ならば……大変な事になる」
もう一度、静かに目を瞑ると、眉間にシワを寄せて俯き加減に一言。
「お母様……」
ルナは復唱するように、胸の内で静かにつぶやく。
――終わりは始まりにしか過ぎない……始まりは終わりにしか過ぎない。これは、物語が始まる“きっかけ”にしか過ぎない……。
*
まもなくお昼時になろうとしていた正午前、水川玲火は自宅にある、蔵の入口を塞ぐように立っていた。不安な表情で自分の目の前で起こっている出来事を傍観しながら、武器を片手に持つ指が微かに震えている。
そして、玲火が立つ地点から少し先の地点には、玲火に背を向けて武器を構える、玲火の両親の姿があった。玲火の父は枝刃が僅かに曲がっている牛角十文字槍を、玲火の母はモーニングスターと言われる打撃武器を、それぞれ手に持つ。玲火の両親と向き合って対峙するのは、水川一家らが見知らぬ男五名。中央にリーダーを挟むように横一列に五人揃って並び、男らも水川一家と同様、それぞれ武器を片手に構えながら戦闘態勢に入っていた。
一番左に立っている、男グループの一人が、仲間に声をかける。
「ところでよぉ、このまま戦い続けて大丈夫なのか……? あの二人、相当の強者だぞ?」
「だよなあ、“あの”夫婦だもんな……こりゃ俺ら勝ち目ないだろ? “アレ”は諦めた方が……」
男Aの問いかけに対し、リーダーと男Aに挟まれるようにして立つ別の男、男Bが何度も頷きながら同意した。が、五人のリーダー、男Cが断固拒否する。
「馬鹿を言うなっ! “アレ”を、水川家が守り抜く宝玉を、手に入れる為だけに侵入したんだぞ? 宝玉の中で、最も魔力が強いとされている宝玉・ファミーユを、何があっても手に入れようと俺らで決めただろ! ここまできて、今更諦めることはあってはならない!」
リーダーから右側のポイントにそれぞれ立っている、他の仲間二人も男Cを援護するかのように、声を揃えて「そうだ、そうだ」と叫んだ。
三対二でこのまま戦いを続けることが決まった。その決定に、男Aと男Bはしょんぼりとした面持ちで、深いため息を吐く。
――ファミーユ。宝玉の中で最も魔力が強く、世界を動かせるほどの力を秘めていると噂されている宝玉、それが水川家が守り抜いているファミーユである。詳しいことは未だに解明されていないという。
玲火の母が夫に「あなた……」と声を掛けた。
「ああ、真砂美。行くぞ」
玲火の父は妻の名前を口にすると、一歩前に踏み出す。玲火の母も夫の後を追った。
水川一家はそれぞれ役割を担っていた。玲火の父は男達に攻撃する役割を持ち、玲火の母はその夫のサポートを、そして玲火は番人役を任されている。特に玲火は隙があれば役に立とうと勝手な行動に移してしまう傾向がある為、玲火の父は娘に対し、「お前は何もしなくていい。ただ、扉を守っていればいい」とキツく言っていた。
玲火の母が敵を引き付ける為に唱歌魔法を繰り出す。足元に浮かび上がる魔法陣、魔法陣から出現する白光と風、風に乗って運ばれていく歌声。それらがほぼ同時に巻き起こって発動される唱歌魔法は、話し合っている男達を瞬時に引き付け魅了した。
唱歌魔法に気を取られている隙に、玲火の父は男達に攻撃を開始する。敵に見つからないように男達の視界から姿を隠し、気配を消しながら背後に回り込み、まずは男Cを援護した男二人の背中を牛角十文字槍で素早く突いた。
攻撃を受けた男二人は、目を大きく見開きながら思わず振り返るも、槍の一撃によりその場で倒れ込む。仲間ら三人は不意打ちに気がつき、背後を向いてそれぞれ、攻撃態勢を整えようと試みていた。
玲火の父は彼等の攻撃を受ける前にその場から離れ、ふわりと宙を舞い、最初に立っていたポイントへ着地する。
「やべぇよ! やっぱし相手が悪かったて!」
「だよな! ここは退散した方が……」
玲火父の華麗な槍さばきを目の当たりにした男Aと男Bが慌てふためく中、男Cは冷静な声色でほくそ笑みながら言う。
「いや、一人だけ……俺らが勝てそうな相手が、いる」
男Cがそう言うと、怯えたように立つ玲火を見つめる男達三人。攻撃をし返すターゲットは玲火に絞られた様だ。
ターゲットが決まった瞬間、男達は直ぐ行動に出る。
男Aと男Bの二人がそれぞれ、玲火の両親らに攻撃を仕掛け、玲火の手助けに行けないよう足止めした。男Aは短剣の二刀流、男Bはロッコバー・アックスと呼ばれる斧を、それぞれ自らの武器を振り下ろす。
仲間が玲火の両親の足止めをしている間、リーダーである男Cが玲火に襲いかかった。
「ひっ、来たぁ!」
玲火は後ずさりしながら叫ぶと、顔を歪ませていく。武器を持つ手の震えが大きくなる。
玲火の父が敵の攻撃を槍で押さえつつ、娘である玲火に向けて、やや大きめ声で言う。
「玲火! 勝負に挑もうとするな! まずは攻撃を避けることだけ考えるんだ!」
「うぅ……! で、でも……!」
玲火は自身に向かって来る敵と父親の背中を何度も交互に見ると、荒い息遣いで不安そうにつぶやいた。
玲火の父は娘の優柔不断さにしびれを切らしたのか、叱咤するように思いっきり叫ぶ。
「ともかく、攻撃を避けることを第一に考えろ! いいな! 命令だ!」
父親の叫びが耳に入った瞬間、玲火の脳内が瞬時にフリーズする。
――“命令”。玲火が父親から言われる言葉で、一番苦手な言葉だった。
そして、玲火は迷った結果、一つの賭けに出る。自身にとっては成功するか否か難しい賭けである。例えそうだとしても、玲火にとっては、これに賭けるしかない。玲火は心に決めた。
――やらなきゃ。やってみないと……上手くいくかは、分からないんだから!
玲火が決意した時は、あと五分もすれば正午になろうとしていた。
倉庫前で見構える玲火に目掛け、全速力で向かっていく男C。男Cの手には、大剣が強く握りしめられていた。
玲火は大きく息を吸い、呼吸を整えてから、大声で呪文を叫ぶ。
「コントロエル=セルクル・ソルシエール!」
瞬間、玲火の足元に魔法陣が姿を見せた。玲火の表情は固い。
玲火の父が、娘が魔法陣を出現させたことに、気が付いた。
「まずい! 玲火、魔法を使う気だ! 止めさせないと!」
しかし、今は男Cの仲間と戦闘中の為、玲火を止めようにも手が離せない。玲火の母も同様に、もう一人の相手と戦うだけで、精一杯だった。
娘を止めるべく、玲火の父が大声で命令する。
「玲火、魔法は止めろ! これは命令だ、絶対に止めるんだ!」
玲火の父が叫んだ時には、男Cは玲火のすぐそばまで近づいていた。玲火を見つめ、ニヤリと口元を緩ませる。
玲火は一瞬、「ひいっ!」と声を漏らし、怖気づいたように後ずさりした。やられる。そう感じた時、玲火にとって、最大の『賭け』を決行した。
「バシュラ=プティッテ・トゥルヴォーテ!」
――魔法。
玲火にとって、最大の賭け。魔法が成功するかは、本人でも分からない。それでも、試したかった――――自身の実力がいかがなものか、自分の目で確認したかった。
その結果は速攻で判明する。
何も、起こらなかった――――反応なしだ。
と、同時に玲火以外の人物全員が、動きを止める。数秒経過した時、どこからか、「ぷっ」と吹き出す。そして、連鎖するように、ファミーユを狙う男達が爆笑し始めた。
「ギャハハハッ! 何にも起こらねえじゃん!」
「俺、初めて見たぞ! 水川家の人間で、魔法失敗する奴!」
「なっ、言っただろ? 勝てそうな奴って。あいつは九割の確率で魔法が成功したことがない、『水川家最大の落ちこぼれ』と評される奴だからな!」
男達は玲火をチラ見しながら、しゃべっている。
男達が笑い続けている中、玲火の父と玲火の母がアイコンタクトを交わすと男達に武器を振り下ろした。男Bが不意打ちの攻撃をまともに受け、その場で倒れ込む。男Cが玲火の母に突進するも、モーニングスターの打撃攻撃が男Cの腹部に直撃、男Bと同じくして気絶した。数分もかからずに仲間を倒した二人の攻撃に、男Aの表情が一変する。ここで自分もやられてしまう――一瞬で状況を読み取った。
「くっ……隙をつかれた。これ以上の戦いは無理か……」
男Aはポツリとつぶやき、苦悶の表情を見せた。急いで一人ずつ仲間達に回復魔法と移動魔法を施していく。
「今回はこの辺で引き上げてやる! 次は容赦しない!」
そして、倒れた仲間達と共に、水川家の敷地内から姿を消した。
数分後――――水川家の敷地内には、水川夫婦と夫婦の娘だけが残っている。その表情は疲れ切ったのか、疲労困憊の様子だった。
玲火の父は、青ざめた表情で立ち尽くす娘を睨みつけながら、なりふり構わずに怒鳴り散らす。
「玲火! 何故、私の命令に従わなかった! 言っただろう! 何もするなと! なのに何故、魔法を使ったりなどした!」
「ご、ごめんなさい…………! お父さん、ごめんなさい…………!」
鬼のような形相で睨む父親に対して、玲火は何度も謝罪の言葉を吐いた。
――また、父親の命令に背いてしまった。
それが、玲火の心を何度も苦しませる。罪悪感という名の苦しみを、何回味わっただろう。
自分の夫がいつもの如く、娘を説教し始めたことに気が付き、玲火の母が二人の間に入る。
「あなた……止めて! あなたが命令するからでしょう」
妻の一言に、玲火の父が「なっ…………!」と顔を引きつらせた。
夫の反応を気にすることなく、玲火の母は淡々と話し続ける。
「それに、玲火は魔法を上達させたい、魔法を成功したいと思ったからやったのよ? 魔法陣の魔法は成功したんだし……良い傾向じゃない」
「よくない! まともに魔法が使えない奴が魔法を使おうとするなど……戦いに悪影響を及ぼしたらどうする!」
玲火の父は意見を変えようとはせず、信念を貫き通そうとしていた。しかし。
玲火の母は夫を諭すように言う。
「でも、今回はそのおかげで、奴等の隙をつくことができたじゃない。それは事実でしょう?」
妻の発言に、眉間にシワを寄せながら言葉を詰まらせる玲火の父。
「そ、それは………………ふん! 勝手にしろ!」
荒々しく扉を開けて室内へと戻る父親の姿をしばらく見つめると、玲火は弱々しい声でつぶやいた。
「お母さん、ごめんなさい…………」
玲火の母は、娘を責めようとはせず、何事もなかったかのように笑顔で話す。その瞳は、娘を見守るような優しい瞳だった。
「いいのよ、玲火。それくらいのことで気にしないの。ねっ?」
――自分の所為で、父に恥をかかせた。自分の勝手な行動が、戦いに影響を及ぼした。
「で、でも…………私………………」
玲火は自分を責めようと発言するが、玲火の母が言葉を遮る。
「良いから、気にしないの! お母さん、先に戻って、お昼ご飯を作るから。できたら玲火を呼ぶから」
玲火の母は娘に言い残して、忙しそうに家の中へと入って行った。庭には、玲火だけが残される。
「私は……一生、魔法が使いこなせないままなのかな…………」
玲火は一人、瞳から一筋の涙をこぼした。落ち込む心を落ち着かせるように、雲一つない澄み切った青空を見上げる。風で飛んでくる草木の匂いを感じながら、ひたすら空を見つめ続けていた。
内容が変わった訳ではないので、ご心配なく。