しょっぴんぐもーる
僕の住処から遠く離れたところにショッピングモールが新しくできた。NノMガーデンという名前の割には庭らしい庭なんてどこにもなく、唯一の遊び場である屋上でさえもガーデンとは程遠いがしかし、水の湧き出る暖かく楽しげな場所であった。壮大な庭付きのショッピングモールが次の新しい住処になると思ってどきどきしながらやってきたのに、他のショッピングモールと大して変わらない光景に人の流れを無視して呆然と立ち止まった。通り過ぎる女性達が僕のほうを不振り返る。うーん・・・どうしようか。大して変わらないなら・・・いやもういいや。前のショッピングモールもそろそろばれそうだったし、移ってみようか。
渡り廊下の中ごろにパンフレットがおいてあったので、その場で広げてみる。1F、2F、3F、4F全ての階に於いて店舗名が細かい文字でぎっしりと詰まっていた。これは大きいな。どこから始めるか迷ってしまう。ふと、1Fの「THe GaLLeRy」というのが目に留まった。こんなもの前のショッピングモールにはなかったな・・・
僕は直感を大切にする。直感も僕を大切にしてくれる。たがいに支えあって共存しているからこそ、お互い末永く生きていけるのだ。
透明のドアに透明の箱が下りてくる。ううん、なんだか近未来だ。僕は箱に入って奥で仁王立ちしながら1Fへと降りた。女の子の視線を浴びるのはもう慣れた。
「THe GaLLeRy」はさまざまなぱっとしない絵画が売られていた。ただ、直感を信じた甲斐があった。店員が女性だったのだ。
僕がその小さなスペースしか与えられていない店に足を入れると、つまらなそうにしていたその女性が僕のほうを見てはっとした。
「いらっしゃいませ。」
潤んだ瞳を向けて僕にそっと近づいてきた。ううん、欲求不満と見える。僕の新しい住処誕生の時はすぐ側まで迫っていた。
「何かお探しでしょうか・・?」
ううん、控えめだ。
「いやぁ、家の壁に掛ける絵を探してるんですけどね、」
まぁ、もうすぐでここが僕の家になるわけだから、買わなくてもいいんだけれどね。そもそも買うお金自体ないし。
そう思って内心ほくそ笑みながら店の壁を見回したとき、僕の眼は一点で留った。
「あの、あの絵、」
そういうと、女性は目を輝かせた。
「どうかされましたか?」
「いや、あの絵、他と違って、すごく、なんていうか・・」
これが僕と、その女性と、いちまいの絵の出会いの交差点であり、新しい住処の始まりであった。
ひとついっておくけれど住処になったと言ったって僕は決してその女性に惚れ込んだわけじゃないし、その女性よりももっと魅力的で美しい店員と関係を持ちその店を住処にしたこともある。いや、まあ、住処にするために関係をもったんだけれど。まあ、神が授けて賜うた僕の容姿には、唯一感謝するよ。
それに、その上、その女性はなによりも、ノーマルであった。
僕の知っている、というか付き合ってきた女性達は少なくとも様々な過去を持っていた。人在る処に歴史在り。そしてそれが美しさの芯を型作ってきた訳だけれども、その女性の生きてきた軌跡はあまりにもゆるやかであった。彼女の歴史は普通めの字で書いてポストイットに収まるくらいだった。それだけだったら僕は久々に僕を裏切った直感を恨めしげに思い「THe GaLLeRy」を後にしていただろう。いや、今でも直感を恨めしげに思っている。その女性と居てもとにかく、つまらない。はやくこの店を出て他のところへ行きたい。なのに僕は手首をきゅっと掴みその一方をこの店に繋がれた柔いひものせいでここから抜け出せずにいた。
「この絵だけ、他と違いますね・・・。」
そのとき僕にはそれしか言えなかった。普段なら違うのに。ただそれ以上を言えばこのいちまいの絵に殺されると思った。
「そう、ですね。この絵だけ、特別に、一枚だけ、売らせていただいているんです。」
その女性の声が大きかった。興奮しているのだろう。僕はまさかと思ったけれど、だぶんそうなんだろう、これからが陰鬱な雲に覆われていく気配がした。
「この絵、あなたが描いたんですか?」
頼むから
お願いだから、もうちゃんと働いてちゃんとした生活を送るので、どうか、違うと言ってください。
顔を赤らめて下を俯きながら、その女性ははいと言った。
もう少しでため息が出そうになった。なんでだよ。こんな激しい、目を燃やされるような絵を描くのはこんなノーマルな人間じゃないだろう?僕の価値観ががらがらと崩れていきそうであった。いや、待ってほしい。僕は崩れそうになるのを両手いっぱい広げて体を押し付けながら考えた。ノーマルじゃないんだたぶんこの人は。胸のうちにとんでもない化け物、猛獣・・なんでもいいけど、そんなのを飼ってるんだきっと。彼女は優れた化け物、猛獣の使い手なのだ。
僕は彼女の深遠を覗くべく、此処を我が家にすることに決めた。決めたのだ。決定権は常に僕にある。この世界に女性がいる限りね。その点に於いてのみ神に感謝するよ。
それ以来僕はひそやかに「THe GaLLeRy」に住み続けた。文字通りね。彼女は僕にぞっこんだったし、当分は住むことが出来そうであった。ただ、僕は一刻もはやくこんなつまらないところから出たかったけれど。前述したとおり、彼女は深遠までノーマルだった。化け物、猛獣は居たことは居たけれど、とても小さくいつもからだが震えていた。もちろん、手綱もすぐ千切れそうな脆いものだったけれど、そんなものは最初に彼女に会ったときからわかっていた。僕はもういっそ問いただしたかった。あの絵を描いたのは君じゃないんだろう?誰のを持ってきたんだい?ノーマルな君にはあんな絵描けないだろう?
しかし、彼女は産み出していた。僕のめのまえで。静かな、何の狂気も狂喜も凶器も伴わずに狂気も狂喜も凶器をも生み出す絵を描いた。僕は眼を疑い、そして自分自身にまでそれは広がった。こんなノーマルなやつにこんなものが描けてたまるか。それは僕の叫びであり、僕がいままで出会った人々の叫びでもあった。
それでも僕は自分の考えをあきらめなかった。まだ覗いていない深遠があるのかもしれないしもしくはもっと深い処まで潜ってみないといけないのかもしれない。
それでも、彼女は、ノーマルだった。凶を押し殺してバランスが崩れているというわけでもなく、普通に怒り笑い泣き、小さく揺れ動く小さな心はむしろ絶えずバランスをとっていた。
いつの日か、静かに降る太陽のひざしの下で、屋上の湧き出る水をふたりで眺めながら、もちろん僕はつまらなく感じていたわけだけど、ぽろりと聞いた。
「きみは、どうして、あんな絵が描けるんだい?」
僕がどうしてに込めた想いを彼女が知るはずもない。
「わからない・・・。今まで習ってきたことを思い出しながら描いてるだけ。」
感嘆と受け取った彼女はそんなつまらないことを答えた。君がそんなことをすればただのありふれた一枚の絵になるはずだろうと僕は言いたかったけれど、これから産み出すであろう彼女の絵は見たかったから、黙っておいた。そう、そうなんだ。僕が「THe GaLLeRy」を離れられない理由は、残すところ、彼女の絵をもっと見続けていたいという思いからであった。僕なんていう人間はいままでこれっぽっちも絵なんてものに興味がなかったのに、彼女の、正確には彼女の絵のせいで、頭か心かに潜んでいたなにかが深い眠りから目覚めを通り越して突然に覚醒に至ったのだ。
「あんな絵を描けるなんて、きみは天才だよ。」
僕は手に持つストロベリーのアイスクリームよりも甘く彼女の耳元で囁いた。それが僕にとっての最大限の皮肉だとは知らずに、彼女は素直に照れて耳がストロベリーのアイスクリームよりも紅く染まった。ほら、弱い手綱だろう?
天才。それはもっと違うものだ。深い狂気を宿したものが全身を様々な色に被りながらなにかに憑りつかれたように一心に描くのが天才ってもんだろう?彼女は決まった時間に筆をとり決まった時間に筆をおろし、次の日もまたノーマルに作業を繰り返すのだ。ただ、何度も言うようだけど、彼女の描いた絵それ自体は間違いなく天才だった。
暇でショッピングモールをうろついているとき、僕にいい考えが浮かんだ。
「ねぇ、いちど、絵を描くのを少しの間だけやめてみない?」
ショッピングモールはとうに閉店し、従業員が帰る頃、私服に着替えた彼女に僕はそう提案してみた。
「え・・。どうして?」
ここで疑われてはまずい。しかしまあそもそもノーマルな彼女はたとえ疑うことがあってもその疑いさえノーマルの範疇を抜け出せないだろうけど。
「絵を描かない時間を空けると、えねるぎーが溜まって、次絵を描いたとき、もっともっと素晴らしい絵が描けるんじゃないかと思ってさ。君のもっともっと素晴らしい絵を見てみたいんだ。」
目をじっと見つめて言った。うそか本当かなんて目を見ればわかるというけれど、僕はうそをついてる時だって真正面から堂々と嘘を言う。
「うん・・・わかった。やってみる。どのくらいあければいいの?」
そんなの自分で考えて決断しろよとぶーといいそうになったが、
「うーん、一ヶ月くらい空けてみようよ!」
「うん。」
つまらないくらい素直だ。つまらない。
「じゃあね。また明日。」
「うん。またね。ばいばい。あ、夜電話するかも。」
僕はあいしてるといった。彼女の目をしっかりとみつめて。
彼女も言った。彼女も僕をしっかりと見返して。
まぁ、そういうことだ。いろいろとね。僕の住処は悪魔でも、たとえ僕があくまでも、ここだ。
しかし、楽しいことになったな。僕が考えたのはこうだ。彼女の全体引く絵を描く彼女のえねるぎーいこーるノーマル。僕も馬鹿だったなあ。馬鹿なんだけど。こんなことに早く気づいておけばよかった。あまりにも彼女がノーマルの雰囲気を醸し出すので、ついついそれに呑み込まれちゃったじゃないか。
一週間後、彼女は相変わらずだ。まあ気長に待とう。
二週間後、彼女は相変わらずだ。まあまあ、じきに禁断症状がでてくるはずだ。
三週間後飛んで四週間後。僕が三週間後を飛ばしたのもつまりはまあ四週間たった今も彼女は何も変わってないからだ。どうしてだよ。おかしいでしょう?たしざんひきざんくらい僕だってできるのよ。なのにどうしてきみはそうもいつも僕の期待を裏切ってくれるのかな。
絵を描かなくても相変わらずだった。あたかも絵なんてただの、本当にただの毎日の作業としてしていたとしか思えないほどに。なのに彼女は一撃で世界を揺るがすほどの絵を産み出す。0から1を。
僕には解決の糸口が見つからなかった。ほんとうに、僕の価値観が崩れ、いやものの見事にスクラップされ、平坦なノーマルになってしまった。僕らが生きてきた、支えてきたものがなくなった。僕らの正義。
なら僕らは本当にすくいようもない、逆転のチャンスすら与えられない哀れなごみ虫じゃないか。過酷な現実の中藁をもすがる想い、宗教にも似たなにかで信じてきたものを、きみたちぬくぬくとした環境でなんら刃向かうこともせず刃向かおうとも考えずただ与えられた餌を疑問も持たず消化し成長してきたきみに、あっさりと殺られた。
しょうがない。僕の昔の口癖だ。久しぶりに出てきた。やあ、ひさしぶり、またかい?
不条理には慣れてる。もう、何も考えないことにした。
彼女は僕に相変わらずぞっこんだし、僕は僕で相変わらず彼女の絵に、ぞっこんだった。当分は此処から抜け出せそうにない。もしかしたらもうずっと彼女の絵から離れられないのかもしれない。自己防衛だ。もう何も考えない。これから先がどうなるのかも、もう知らない。
僕はノーマルな彼女の産み出した僕を殺した凶器を胸の中に抱いて、「THe GaLLeRy」の奥の部屋で静かで心地よい深いねむりについた。