4.『嘘つきな僕ら』と『血まみれの抱擁』
いくら狂気に侵されても、僕は覚えている。
見えてもいる。
声も聴こえる。
でも、見えないふりをする。
聴こえないふりをする。
君のことなんて、覚えていないふりをするんだ。
君の炎のように赤くて長い髪のことも、僕の好きだった父様に似た青い瞳のことも、少し怖かった目つきのことも、考えないようにしてる。
でも覚えているんだーーあの大嘘つきのことを。
でも、僕も嘘つきだ。
涙をのんで書いた手紙は、真っ赤な嘘で塗り固められている。
嘘つきは、嫌い。
誓い破りの騎士は嫌い。
僕を母様だという馬鹿も嫌い。
母様の靴を履かせる奴も、母様の指輪を嵌めさせる奴も嫌い。
忘れてもいいなんて台詞を吐く僕も嫌い。
僕なんて忘れたって思い込もうとするイルザも嫌い。
だから僕は僕を殺したい。
すべてを無かったことにしたい。
誰の嘘も裏切りも、すべてを泡に還して、無くしてしまいたい。
そうするには、まず、夜を待とう。昼間は邪魔が入りすぎる。
そして、父様を殺して、それから君を殺して、そうしたら邪魔されなくなるから、最後に僕を殺そう。
みんなみんなみんな壊しちゃえば、無かったことになるよね……なんて思ってたら、父様別の奴に殺されちゃうみたい。誰がやったかな。ああ、兄様?
「……どうすればいいのかなぁ」
僕は呟いた。
とりあえず、もうドレスなんて着なくていいみたいだ。
兄様を殺す? ううん、あのひとは始めから僕の世界にはいないよ。
なら、手間が省けたってことにしておこう。
じゃあ、君から殺そっかな、……エルザ。
カボチャの群れの中で、君を捜した。
「エルザ」
にっこりと微笑むと、君はとても驚いた顔をした。それを無視して、おいでおいでと手を招く。後ろ手にナイフを隠して。
そして嘘をつく。大嫌いな嘘つきになる。僕は泣きそうに笑った。違う。泣いた。何故かなんてもう分からない。僕はもう半壊していた。
「僕はもう、イルザじゃないんだね」
とんだ嘘っぱちだ。
頬に涙がつたう。君はますます驚いている。驚きながら、僕に見惚れている。そうだね、美しいでしょう、僕は。そのせいで、ひどいことをされたんだよ。だから僕は美しさなんて嫌い。
君に抱きついた。感動的に。感血極まったように、すべてから解放されたように。
でも、違うよ。
すべてからの解放は、ここから始まるんだ。
君の首の後ろにから腕を回す。ナイフが首筋に当たって、君がようやく気づいた。愕然とした顔が間近に迫る。そのお綺麗な顔に吐き捨てた。
「嘘つき。大っ嫌い」
目を瞑る。
君の皮膚から血溢れ出すのと同時に、僕は君に口づけた。エルザならたぶん、これで誤魔化されて大人しく殺されてくれると思う。
僕が死ぬために君も死ね、エルザ。
そうして『僕』と『イルザ』は崩壊していく。世界は壊れるーーはずだった。
ああ……邪魔だなあ。
カボチャが邪魔だ。
元が誰かなんてどうでもいい。殺そうか。でも、騎士に敵うかな。敵わないよね。ううん、どうしよう。とりあえずエルザが殺せればいいんだけど、カボチャたちに引き剥がされちゃった。
「おやめください、イルザ様!」
クッと唇がつり上がる。
愛らしく見えるように小首を傾げて、
「『イルザ』なんて馬鹿な名で呼ばないでくれない?」
よっぽど歪んで見えたのかな。カボチャは息を詰まらせた。
そうだよねえ、君らが守ろうとしたものが、こんなにグチャグチャだったんだもん。ショックだよね。ーーでも、僕が受けたのはそんなんじゃない。
でも、どうでもいいよ。だから、そこを退いて。邪魔しないで。
「君、たぶんベアトリクスだよね。君の体つきって、特徴的だもん。間違えてないはずだよ」
カボチャはたじろいだ。
「はい、私でございます、……バラッド様」
「『バラッド』、ね……それも気にいらないなあ」
つめたく微笑すると、彼女は震えた。あれ、そんなに怖い?
うふふ、と白々しく彼女の真似して笑って、棒読みで言ってやった。
「そこを退いて、邪魔しないで。そしたら許してあげる」
嘘だよ。でも、分かってても魅力的だよね。
「バラッド様、ナイフを渡してください」
男の声のカボチャがよって来た。しょうがないから後ずさった。
「やだよ、ヒューズ。君は分かりやすくていいね、騎士団唯一の男だし……」
なんていうか、万事休すだなあ、と我ながら思う。今僕が死のうとしても、止められるんだなあ、と。
それでも、悪足掻きをしてみた。
「エルザ」
びくっと体を揺らして、エルザが僕を見る。カボチャがその腕をつかむ。忌々しい。
優しく笑って、無邪気を装って呼びかけた。
「おいでよ。遊ぼう、エルザ。ーーみんなみんな、無かったことにするんだ」
震える声音で君は答える。
「……みんな殺して、無かったことにするの?」
うん、そうたよ、と頷いて、ナイフを持った手をひらひらさせた。
「まず父様を殺すつもりでコレ持ってたんだけど、兄様がかわりにやってくれるみたい。謀反って、王様殺されちゃうんだよね?」
君は僕に怯えている。悲しいかな。べつにそうでもないよ。もう、僕、けっこうおかしくなってる。
「さあ、来てよ、エルザ。僕の希望。僕の絶望」
それも嘘。だって希望も絶望も、過去の闇に消えちゃった。
そろそろと君が僕に向って踏み出す。カボチャは何故か止めなかった。
そこで気づくべきだったんだ。
近づいてくるエルザに夢中で気がつかなかった。
「ーーお許しを!」
後ろを振り向く前に、意識は途切れた。
ああ、その声、エレノアだね。
「エレノアカボチャのバーカ」
なんで殺させてくれないの! と、まるで昔のわがままのように目覚めた少年は駄々をこねる。恐ろしいほど違うその内容を。
彼の見つめるだけで昏倒出来そうな真っ白い貌には表情がない。
ただ、その亡者のような緑の瞳が、闇色の炎を轟々と燃え猛らせていた。
手脚を縛られたその少年を、枯れ草色の頭を垂れたヒューズが抱えている。エレノアカボチャと呼ばれた金髪の女騎士は、その前、集団の先頭を走っていた。
体重が無いかのように軽く、音を立てずに進む騎士団は今、王城の隠し通路を通っていた。
暗く陰鬱で、狭い通路。それは王の使いが教えていったものだ。しかし、それは入り口と入り方のみだ。
詳細はイルザ様がお分かりになられるでしょう、というのが使いの言葉で、そう言うと直ぐに退出してしまった。
どうすればいいんだ、とエレノア騎士長は考えていた。
戻ればいいとは思わない。イルザと、今回謀反を起こした皇子とは半分血が繋がっているものの、まったく関わりが無い。……過去、皇子が王を殺し、王位簒奪に成功した時において他の王族の男児が殺されなかった試しはない。
過去と照らし合わせて考えれば、間違いなく命はない。
けれど、このイルザが隠し通路の通り方なんてものを、自分が生きるための道筋なんてものを、はたして教えるだろうか?
別れ道にさしかかった。
少年はエレノアを恨めしげに見ている。睨んではいない。その瞳は暗く燃え立っているが、まるで気力が無いかのようだった。
「……バラッド様」
「…………」
少年は答えない。
『イルザ』だった時に戻りつつあるようだった。彼女らの声から耳を塞ぎつつある。エレノアは焦り、しかし自分を宥めた。
エレノアは首に包帯を巻いたエルザを呼び寄せた。エルザは表面上、もう落ち着いていた。
聞き出しなさいと告げて、ヒューズから少年をエルザに渡した。子供のような体格の少年は、あっさりとエルザに抱えられ、じっとしている。
エレノアたちは、少しだけ距離を取った。
彼を説得出来るのはーーきっと、彼女だけだ。
騎士たちの視線の中で、彼らは見つめあった。底冷えするように虚ろな眼と、張り詰めて震える青い瞳が交わった。
「……バラッド」
「…………」
呼びかけると、彼は遠くのものでも見るように目を細めた。
体が震える。
「ぼくがーー憎い?」
声が掠れる。
揺らぐぼくとは反対に、無関心な声で彼は、
「君は邪魔」
「……きみが死ぬために?」
そうだよ、と彼は何でもないことのように頷く。
「きみが死ねば、何も無かったことに出来るって思ってるの……?」
「うん。……僕を放っておいてくれるなら、道順を教えてあげる」
にこりともせずに、足、解いて、と要求される。躊躇ったけど、「いつまで僕を抱えるつもり? それとも、汚い床に転がすの?」と言われ、恐々と解いた。
彼は自分で立つと、前に歩きはじめた。重たそうなドレスの裾が揺れる。
「バラッド?」
「おいで、エルザ」
悪魔の口が裂ける幻影が、振り向いた顔に重なる。行き止まりの場所に後ろ向きに歩いて行く。ゆっくりと。ゆっくりと。歩いて行く、後ろ向きに。前を振り返らずに。
ハッと後の騎士たちがざわめいた。
「エルザ、追え!」
「え、は、」
はい、と走り出した時に、それは起こった。
いびつなドレスの少年が、爆発的に狂笑する。
ーー緑の炎の後に、無数の剣が蠢いた。