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イルザは僕を殺したい  作者: Perseus7
イルザは僕を殺したい
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1.『バラッドの手紙』と『馬鹿なエルザ』

一部を改稿しましたが、大筋に変わりありません。


いまだ残る白い回転木馬や、小さな石造りの劇場、池の畔にある古い蔦薔薇の絡む東屋、庭の迷路花壇に続く石畳の小道を見ると、明るい笑い声の幻が、頭の奥の遠い過去から聴こえてくる。明るい、楽しそうな笑い声。幼い子供が木馬に乗って笑っている。楽しそうに、楽しそうにーー

バラッドの名残は、いつまでも消えてくれそうになかった。そう、イルザがバラッドとかけ離れていればいるほど。



ため息もつけずに、エルザは脚を撫でた。そこには包帯が巻いてあり、その下には打ち身で腫れた赤い皮膚がある。

庭に降りるための階段に腰掛けて、エルザは打ち身よりも濃い赤の髪を風に揺らし、目を伏せた。

この怪我はイルザが原因だった。もう少し正確にいうと、イルザの癇癪的な破壊行動が原因で出来た。

イルザの破壊衝動と行動は振り幅が大きく、今回は強いものがきた。そのため、イルザは髪を振り乱しドレスをぐしゃぐしゃにしながら、お気に入りだったはずの色水瓶を手当り次第に投げ、ペーパーナイフで本をぶっさし、その本をブンブン振り回してガラスの家具を割りまくり、クッションは足蹴、テーブルはひっくり返し、テーブルクロスは窓の外、絨毯にはガラスの破片がこれでもかというほど散らばって、飾り棚は凹み、椅子の脚は折れ、投げれるものならなんでもかんでも物凄い勢いで投げられた。エルザはその内のひとつ、とんでもない勢いで飛んできた小さな辞書を食らってしまったのだ。地味にかなり痛かった。

痛かったといえばエルザもそうだが、イルザの部屋のほうが断然傷んだはずで、事実あの部屋は当分使えないから、すぐ近くの別の部屋に移ることになった。

因みにあの部屋の中で無傷だったのはイルザ本人の体(髪以外)だけだった。あの物投げは高い天井までダメージを与えたらしいし、イルザの身につけていたものは、指輪以外(珍しく履いていた黄色い靴まで)すべてぼろぼろになっていたという。ちなみに今回ほどのものはあまりないが、小さいものから中くらいのものは頻繁に起こるので、イルザの部屋にはあまり大事なものは置いていない。

「大丈夫かい、エルザ」

俯いたままのエルザに、声をかける者がいた。枯れ草色の髪をした騎士だ。

エルザははっと目を開いて、立ち上がろうとした。

「待ちなさい、脚を怪我したんだろう?」

それを手で制されて、仕方なく座ったまま手だけで礼をした。

「ヒューズ副長」

「イルザ様にを百科事典を投げつけられたんだって?」

エルザの隣に座りながら、枯れ草色の髪の男ーーヒューズは尋ねた。

「いえ、小辞書です、副長」

「おや。なんだ、軽傷じゃないか。本をぶつけられて包帯を巻いたっていうから、さぞデカい事典でもぶつけられたのかと思ったぞ」

愛嬌のある笑みを浮かべるヒューズだが、特に愛想が良い男ではない。単に愛嬌のあるように見える笑い方をするだけで、勤務中は執務室かイルザの傍でむっつりと押し黙っている。が、身内には優しく、同じ騎士団の人間と話す時は、大抵優しく笑いかける。

その笑みに勘違いするような女騎士はいないが、侍女あたりが時々起こすようだ。本人はそのことを与り知らず、周りの女騎士たちは気にもとめないが。

怪我をしたエルザに声をかけるようや気遣いはあっても、一部の方面にはとことん何もない男なのである。

この男の有名な話に、『美を理解しない』というものがある。それは真実だ。一度イルザの外見についてエルザが聞いてところ、「うん? よく分からんが、凄い迫力だな?」と返ってきた。

そのお陰で男におかしな目で見られる心配のあったイルザ付きの唯一の男の騎士にならされたわけだが、本人はあまり気にしていなかったらしい。数年前までは。バラッドはヒューズに懐いていたが、今のイルザは男性恐怖症だ。ヒューズ相手にはその症状も軽く、触れなければギリギセーフ……かもしれないということだ。試したことはないので、アウトラインは神のみぞ知る。

「軽傷って……十分痛いですけど」

「何、修行時代ならいくらでもあっただろう。弛んでるんじゃないか、エルザ?」

「た、たるんでません」

弛む。確かに修行時代より肉がついた気がする……とエルザはこっそり全身を見回した。修行不足か?

「確かにそれはたるみじゃあない」

気づかれていたようだ。

「なら、何故贅肉が……」

「女には必要なものらしいぞ?まあ、詳しいことはベアトリクスあたりにでも聞くんだな。男の俺じゃあ良く分からん。たとえ女ばっかりの騎士団にいてもな」

ベアトリクス。あの豊満な体の、しかし熊を素手でのせるような女騎士か。確かに参考になるかもしれない。

そう考えてからエルザは頷いて、立ち上がった。

「何だ、行くのかい?」

「はい。部屋の片づけの手伝いに」

家具も損傷していたし、力仕事がいるだろう、というのがエルザの考えだ。イルザの宮には侍従に限らず男手が不足しているので、女といえど騎士の力は貴重なのである。

「そうか。なら、俺も執務室に戻るかな。怪我に気をつけるんだぞ、エルザ。お前も年頃の娘なんだから」

「はい、副長」

エルザは親父くさい事を言った副長に礼をして、イルザの部屋まで歩いていった。



「ああ、エルザ様…」

イルザの部屋に入ると、文机の前で侍女が戸惑ったような顔をしていた。

「どうした?」

「そのう、これを……」

侍女は戸惑った顔のまま、何かのーーたぶんイルザが物を投げつけたーー衝撃で開いたのだろう、壊れかけの引き出しの中を指差した。

「?」

イルザの持ち物に何かあったのかとエルザは訝しみながら、引き出しの中を覗き込んだ。

その中には少々乱暴に詰め込まれた筆記用具と、使いかけの封筒からはみ出た便箋が一枚、仕舞われていた。

その封筒の宛名を見て、エルザは息を飲んだ。

『エルザへ』ーーそう書かれていたのだ。

(バラッドーーの、手紙? ぼくに届かなかった?)

ドク、と心臓が大きく鼓動する。手紙に何が書かれているかーーエルザは一瞬恐怖し、すぐにそれを押し込めた。

(もし、恨み言が書かれていたら。……いいや、ぼくは全てを受け止めなければならない)

(それが僅かにでも償いになるだろう。ずっとバラッドから逃げてきたことのーー)

エルザは決死の思いとでもいうべき気分で封筒ごと中途半端にしまわれた便箋を掴み、侍女に謝ってからイルザの部屋を後にした。



昔、ぼくがバラッドに誓いを立てた頃。

ぼくの世界があの故郷バークランドの屋敷の中だけだった頃。

ぼくらは互いに恋をし始めたのだと思う。始めは淡くて幼い、他の感情に紛れて分からなくなるような、そんなものだった。

日々は優しく、敷地は広かったが、閉ざされていた。そんな中で育つぼくらにとって、そうなることはとても自然的で、日常の延長上でさえあった。

ぼくらは手に手を取って笑い合い、仲睦まじく遊び、時に些細な喧嘩をした。遊びでは大抵ぼくが彼の手を引き、意地の張り合いでは彼は少し大人びた顔をした。遊びに連れ出すのはぼくの役割で、わがままを言うのは彼の役割だった。

輝く緑の瞳でぼくに笑いかけていた、美しい少年。初めはぼくから手を取った。恋に落ちたのはぼくからだったのだ。バラッドもゆるやかに転がり落ちていったようだった。ぼくらは互いに想い合った。

しかし楽しい時間は過ぎ去る。子供は成長し、育ったぼくらには様々な問題があり、欠点があらわになった。怖じ気づいたのはぼくだ。少年のままのバラッドは、ぼくの気持ちから気づいただろう。彼は気持ちに聡かったから、ぼくが彼を重たがり、距離を取ろうとしていることを察しただろう。

彼は泣いただろうか。

事情が重なって王城に戻ることになっても何も言わず、修行と称してバークランドに残るぼくにふくれっ面をして散々駄々をこねた彼は、それでも聞き入れないぼくに何を感じただろう。

彼から逃げ出した愚かな騎士を見て、どう思っただろう。



封筒を開ける。蝋燭の炎の灯りに、折りかけの便箋をかざした。

深呼吸をして、窓から月を見つめて数を数え、それからやっと読む勇気が湧いてきた。

意を決して、ぼくはそれを読み始めた。




【ーーエルザへ】


僕はそう書きはじめて、けれどすぐに手を止めてしまった。

窓から夕暮れが近づいてくるのに怯えながら、僕は手紙を書いていた。

ドレスの袖が邪魔だ。

少し前ならそういうことに気づく度、すっかりおかしくなってしまったものに意識がいって、悲しくなった。

今はただ、恐ろしい。

こうして手紙を書いている間にも、手が震えそうになる。

(嫌な予感が、するんだ……エルザ)

滲んだ涙をぬぐって、ペンを握り直す。

ーーこれが、最後の手紙になるかもしれない。

もし出せれば、の話。

もしかすると、出せないかもしれない。

そう思うと、ますます筆は進まない。

読まれる事もない別れの手紙を、何故書かなければいけない?


【ーー僕のことは忘れなさい。誓い破りも不義理もみんな許してあげる】


(どうして嘘を書かなきゃいけないのさ)

奥歯を噛み締める。

「裏切りの騎士に……どうして僕が……!」

けして、許してなどいないのに、何故?

自分に問いただしても、答えはひとつしかない。それだけだ。それだけで、僕はエルザに心を砕こうとする。

馬鹿げたことだ。

(本当、馬鹿げてるよ……)

強張った頬を冷たいものがつたう。

それを流させるものは僕の心臓だ。

熱く心を焦がす、それは恋か。

昔はあんなに嬉しかったのに、今では苦々しいばかり。

恋は苦しく、愛は恐ろしい。

なければよかった、そんなもの。

どちらも僕を傷つける。


【ーー君がこれを読む頃、僕はもういない】


いない。

僕はもういない。

消えて行く。

消される。

ふざけた名前をつけられて。

嫌な格好をさせられて。

持ち物を燃やされて。

父様には忘れ去られた。

君も僕を忘れるだろうか。


【ーーさよなら。愛していたよ】


大好きだった。

姉様みたいだったんだ。

君が……君が僕の手を振り払った時、とても悲しかった。やりきれなくて、それにーーもの凄く虚しかった。

君は嘘つきだった。

誓いを破られて、もしかして愛されてないのかな、なんて。そんなことを考えて、僕は口をつぐんだ。

わがままを言い過ぎたのかな?

君に甘えすぎたから?

(全然会いに来てくれないし…….)

きっと君は、今も何も知らずに修行のためだと嘯いている。

ペン先に力を込めた。


【ーーでも、愛は死んだ】


書きなぐって、それで終わり。折りたたんで封筒に入れようとしたところで、はっと気がついた。粗雑に手紙やペンを引き出しに仕舞う。

ーーどうやら、手紙は出せそうにないらしい。

窓の外に太陽はない。代わりに、見知らぬ騎士たちの甲冑がある。

僕を守る騎士は、騎士舎に押し込められ、力と数で監禁されていた。

こっそりズボンを履かせてくれようとしたヒューズも、慰めに母様の好きだった花を摘んできてくれたエレノアもいない。

僕の騎士団は、力の無い女だらけ。僕を守るはずだった事なのに、今はそうじゃない。

ギッと少し音がして、部屋の扉が開く。

狂気の青が僕を射抜く。

椅子から立ち上がったまま動けなくなった僕に、温かかったはずの手が伸ばされる。

ーーその手はとても乱暴で、切れそうなほど冷たかった。

(これから起こる事も何もかも、すべてが無くなってしまえばいいのに)

希くば、せめて君が僕を忘れて、幸せになりますようにーーなんて、頭の片隅で大嘘を吐いてみた。

現実では青色の狂気が燃えている。僕も、そうなるんだろう。

強く掴まれた肩が痛い。間近に恐ろしい青が迫る。

(これが君の青色だったら、何も怖くないのに)


僕の悲鳴が上がった。手紙は届かず、君は来ない。




頭の中から軽やかな笑い声が響いてくる。麗かな昔日が零れてくる。そして、別れ際の曇った緑の瞳が、脳裏に再生されては消えていく。

ぼくはうなだれた。

「忘れるだなんて……出来るはずがないよ」

力のない筆跡が痛々しかっけれど、確かにバラッドだった。

明るさの上に無邪気さと甘えが同居して、どこまでも子供っぽく見えるくせに、時折ぼくよりもずっと大人びて見えたバラッド。

間違いない。バラッドは自分がどうなるかを予見していた。きっとこれは、その直前に書かれた手紙だ。封筒に便箋を折りたたんで入れようとしたところで、誰かが来たのだろうーー誰が?

ーーバラッドがああなった元凶が。

(馬鹿なバラッド。もういないだなんて。なぜ諦めたんだ)

ぼくは唇を噛み締めた。

(でも、ぼくはもっと……馬鹿だ。大馬鹿者の、大間抜けだ。誓ったくせにそれを理由にバラッドから逃げて、こうなってから尻尾を振りに戻ってくる)

便箋の紙面を穴が空くほど見つめる。素っ気無いようで、苦しみが滲み出すような文面を。

バラッドは優しかった。その優しさや底抜けに明るかった笑みが、破壊されたイルザの部屋にまったくそぐわなかった。

ぼくは身を震わせて、涙を堪えた。ぼくに泣く資格はない。

(馬鹿なエルザーー恋なんてものに惑わされて、大事なものを滅茶苦茶にした)

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